クリックして年を選択して下さい。
1970年(昭45)   1971年(昭46)   1972年(昭47)   1973年(昭48)   1974年(昭49)   1975年(昭50)   1976年(昭51)   1977年(昭52)   1978年(昭53)   1979年(昭54)

1970年(昭45)  42才

[『告発・'70・水俣』(仮題)製作開始にあたりアッピール 〈注〉『水俣ー患者さんとその世界』はシナリオなしで始められた。これは撮影にあたって、患者さんとその支援者にむけて、映画を作るにあたってのメッセージとしてかかれたものである。]

[コミンフォルム・ショック 「小河内工作隊」の記]

『朝日ジャーナル』 3月29日号 朝日新聞社

[映画「告発・70・水俣」ロケ記]

『告発』 第16号 9月25日 水俣病を告発する会

[水俣ノート]

『新日本文学』 11月号 新日本文学会

[患者の世界からの逆照射]

『熊本日々新聞』 11月2日付 熊本日々新聞社

[一つの旅を終えて]

『苦海』 12月15日号 東京・水俣病を告発する会

[“いまだ水俣病と認めず”とは何か]

劇団三十人会公演『日本の公害』パンフ 劇団三十人会


1971年(昭46)  43才

[長編記録映画「水俣」製作記]

[2時間46分‥‥‥仕上げの穎末]

『告発』 第21号 2月 水俣病を告発する会

[(無題)]

『水俣』上映用チラシ 2月 東プロダクション

[水俣病の五年前と今日]

『毎日新聞』 2月26日付 毎日新聞社

[私論“滝田修”-「パルチザン前史」前後]

滝田修著『ならずもの暴力宣言』 初版3月1日 芳賀書店

[「水俣病」を撮る心]

『公明新聞』 3月20日付  公明党機関紙局

[残酷さに心凍る思い]

『聖教新聞』 3月23日付

[映画『水俣』をつくらせたもの]

『熊本学生新聞』 3月26日号 熊本大学学生新聞会

[「撮る」ことへの果てしない手さぐり]

『優秀映画』 4月1日号 優秀映画鑑賞会

[「水俣ー患者さんとその世界ー」採録シナリオ]

上映時間02:46:00 黒白 発表1971-01-26

[女の海と毒]

『草月』 76号 5月 草月出版

[かくれ水俣病]

『統一』 5月11日

[舞台に凝縮される水俣の霊]

『アサヒグラフ』 6月11日号 朝日新聞社

[三里塚-第二砦の人々]

『公明新聞』 10月26日付 公明党機関紙局

[新潟水俣病ーその異常な減額判決]

『エコノミスト』 11月2日号 毎日新聞社

[“シネ・コミ”の新しい波・その2 小さな映画館の大きな観客]

座談会 『朝日ジャーナル』 11月26日号 朝日新聞社

[発端から映画まで]

上映用パンフ 東プロダクション


1972年(昭47)  44才

[「ドキュメント 路上」について]

[映画『水俣』の背景]

『鉱脈』 1月30日

[水俣病の“知識”はもはやいらない患者さんの生身を見つめることだ]

『Iwanami Hall 2』 No.46 2月 岩波ホール

[「日活映画」弾圧に対する抗議行動及び当局見解-五人の〈ニュー・ドキュメンタリー〉派監督の日活ロマン・ポルノ映画弾圧への抗議行動報告]

『キネマ旬報』 4月上旬春の特別号 キネマ旬報社

[告発と人格との間]

『公明新聞』 4月29日付 公明党機関紙局

[映画は生きものの仕事である]

『展望』 6月号 筑摩書房

[見られるための巡礼]

『アサヒグラフ』 6月30日号 朝日新聞社

[ヨーロッパ通信 8月]

[水俣病患者さんのストックホルム旅情]

『GRAPHICATlON』 8月号 富士ゼロックス

[『水俣』のイメージを世界にばらまく]

『東プロ月報』 No.7 9月 東プロダクション

[水俣病-苦悩の果ての旅]

『展望』 10月号 筑摩書房

[対象に思想を求めるー日本の記録映画が反響をよぶ]

『朝日新聞』 10月10日付 芸術欄 朝日新聞社

[ヨーロッパの感応]

講演 『公明新聞』 10月24日付 公明党機関紙局

[越えねばならぬ長城]

『エコノミスト』 11月7日号 毎日新聞社

[水俣病”午前”のこと -水俣病裁判後について思う-]

『公明』 12月号 公明党機関紙局


1973年(昭48)  45才

[映画的真実とは何か-運動のプロセスの軌跡とカオスとして経る時間と-]

『放送批評』 3月号 放送批評懇談会

[水俣病を生んだ人間差別とその荒廃]

『大宮高校新聞』 4月11日号

[不知火の海に連なる暗黒部ー袋・御所浦・獅子島の隠された水俣病患者に会ってー]

『告発』 第47号 5月 水俣病を告発する会

[三月東京行動撮影メモ]

『新日本文学』 5月 新日本文学会

[猫・車・水俣]

『話の特集』 5月号 話の特集社

[(無題)『水俣一揆一生を問う人びと』]

『上映用チラシ』 6月 青林舎

[「水俣一揆ー一生を問う人々」採録シナリオ]

上映時間01:47:00 黒白 発表1973-06-14

[水俣と映画の間]

『毎日新聞』 6月23日付 毎日新聞社

[『水俣一揆』をつくらせたもの]

『社会新報』 6月24日号 社会党中央本部機関紙局

[映画『水俣一揆』のまえとあと]

『エコノミスト』 7月3日号 毎日新聞社

[書籍「逆境のなかの記録」 演出ノート]

[鼎談・映画『水俣一揆』の提起するものー現代における記録映画運動の課題ー]

対談 『芸術運動』 8月号 活動家集団思想運動

[書籍「映画は生きものの仕事である」まえがき]

[書籍「映画は生きものの仕事である」 ほん『映画は生きものの仕事である』ーその題名の本音についてー]

[「知らせただけで済むか」水俣の場合]

『放送批評』 1973年12月号 放送批評懇談会

[水俣・ある断面]

『未来』 12月号 未来社

[新たな手さぐりの日々-ロケ記『医学としての水俣病』]

『水俣』 第53号 12月 水俣病を告発する会

[映画は生きものの仕事 「出版ダイジェスト」 12月1日]

『出版ダイジェスト』 昭和48年12月1日


1974年(昭49)  46才

[公開にあたって]

『医学としての水俣痕-三部作-』上映用チラシ 4月 青林舎

[次なる労働者の記録映画の予感]

『思想運動』 7月1日号 活動家集団思想運動

[フィルムを1フィートもまわさなかった私たち]

『愛児に楽園を』 No.17

[”赤心”の履歴、いま-戦後30年の検証-7]

『東京新聞』 7月30日付

[幻視の「党」を求めて顧みて、いま-戦後30年の検証-8]

『東京新聞』 7月31日付

[水俣というヤスリ顧みて、いま-戦後30年の検証-9]

『東京新聞』 8月1日付

[書籍「逆境のなかの記録」 水俣病の未来像をさぐりつつ]

[「医学としての水俣病 三部作 資料・証言篇」採録シナリオ]

上映時間01:22:00 発表1974-10-01

[「医学としての水俣病 三部作 病理・病像篇」採録シナリオ]

上映時間01:43:00 発表1974-10-01

[「医学としての水俣病 三部作 臨床・疫学篇」採録シナリオ]

上映時間01:31:00 発表1974-10-01

[ 『水俣』から『不知火海』まで]

『展望』 2月号 筑摩書房

[水俣病についての映画状況報告]

『毎日新聞』 12月11日 毎日新聞社

[水俣から不知火まで 12月11日]


1975年(昭50)  47才

[書籍「逆境のなかの記録」 水俣から帰って]

[書籍「逆境のなかの記録」 ドキュメンタリー映画の制作現場における特にカメラマンとの関係について]

[「不知火海」採録シナリオ]

上映時間02:33:00 発表1975-01-01

[叙事詩『不知火海』]

『ドキュメント不知火海』上映用チラシ 1月 青林舎

[ 「不知火海」製作者からのメッセージ とりわけ青年たちに]

[『医学としての水俣病』、日本・世界配給へ]

ユニ通信 1月9日 展望台 ユニ通信社

[記録するこころざし 映画『医学としての水俣病』をめぐって]

対談 『ナースステーション』 1月10日

[逆境のなかの記録]

『東京新聞』 1月31日付

[不知火海を見つめて]

『朝日新聞』 2月18日 朝日新聞社

[不知火海の怒りと静詮-関西の皆さんへの上映依頼状]

ドキュメンダリー『不知火海』上映用パンフ 2月25日 映画『不知火海』関西上映事務局

[『医学としての水俣病』三部作は現代の資料である]

『未来』 4月号 未来社

[水俣看護婦、堀田静穂さんのこと]

『看護』 4月号 日本看護協会出版会

[ 「怨念」を撮り続けて十年 患者のために今後もやらねばならぬ]

『毎日新聞』 4月8日付 毎日新聞社

[水俣病の病像を求めて]

『朝日ジャーナル』 4月25日号 朝日新聞社

[不可視の水俣病]

『ことばの現場』 5月号

[水俣病は終わっていない-なぜ『医学としての水俣病』をつくったか]

『思想運動』 6月1日号 活動家集団思想運動

[映像による思考者 -カメラマン・大津幸四郎のこと-]

映画『鴎よ,きらめく海をみたか・めぐり逢い』パンフレット 1975/7/1

[成功した画期的な企画(労働運動と結合した記録映画-『合理化病』)]

『思想運動』 7月15日 活動家集団思想運動

[六価クロム禍=生かされぬ水俣の教訓]

『公明新聞』 8月30日 公明党機関紙局

[資本抑圧下での「生活」]

『公明新聞』 8月30日付 公明党機関紙局

[カナダ・インディアンの水俣体験一本当の人間をそこにみた]

『エコノミスト』 9月2日号 毎日新聞社

[書籍「逆境のなかの記録」 映画と現実のかかわりについて]

[書籍「逆境のなかの記録」あとがき]

[カナダ在住の日系人の皆さんへ]


1976年(昭51)  48才

[私にとっての水俣]

ノート

[カナダ・フイルム・ツァー(1) なぜカナダに行くにいたったか]

『映画運動(試写室)通信』 11月1日 映画運動「試写室」

[「不良少年」と私]

『映画運動(試写室)通信』 11月1日 映画運動「試写室」

[カナダ水俣病の問うもの カナダ横断フイルム・キャラバン]

『展望』 1976年7月号 筑摩書房

[<不知火海>までの私の道]

講座 『千里市民講座の軌跡』 1976/9 千里市民講座

[私のとっての水俣・水俣にとっての私]

講演 『芝浦工大新聞』 12月10日

[『日本の教育1976-少年は何を殺したか』を取材して]

『映像記録ウイークリー』 12月15日号 日本映像記銀センター(NAV)


1977年(昭52)  49才

[あたらしい労働者映画の蘇生をねがって]

記録映画『前線』上映用パンフ 3月 全逓信労働組合

[羽田澄子作品25年-その半生としごとの記録]

『羽田澄子・人と作品』 3月11日 羽田澄子の映像個展-その記録映画25年個人史-

[「不知火海・巡海映画班」活動計画書(内部検討用資料)]

ノート

[『不知火海 巡海映画活動』計画趣意書]

[「不知火海」=水俣病を見つめる旅ある移動映写会の試みにあたって]

『未来』 1977年7月号 未来社

[不知火海への順海映画行を前にして 御礼返上]

『展望』 1977年7月号 筑摩書房

[不知火海にみる現代日本の縮図 不知火海フイルム行脚にあたり]

『公明新聞』 1977年7月30日 公明党機関紙局

[「海辺の映画会」だより-不知火海沿岸漁村巡海上映の旅①]

海辺の映画会『不知火海巡海映画活動』-趣意書- 5月10日 不知火海・巡海映画班

[不知火海・巡海映画行]

『展望』 9月号 筑摩書房

[殉教の島々に水俣病の影は濃く 「不知火海」映写の旅]

『アサヒグラフ』 9月16日号 朝日新聞社

[不知火海巡海映画百十日間の旅、その心]

『公明新聞』 12月27日 公明党機関紙局


1978年(昭53)  50才

[報告=不知火海・巡海の旅から帰って]

『日本読書新聞』 1978/1/1 日本読書新聞

[不知火海・巡海の旅から]

『日本読書新聞』 1978/1/1 日本読書新聞

[私論・黒木和雄の映画世界]

『アートシアター』 131号 2月25日 日本アート・シアター・ギルド

[『東京クロム砂漠』由来-講師のひとりとしてのフォーカス]

『東京クロム砂漠』上映用チラシ 7月

[記録映画作家の原罪]

『世界』 1978年10月号 岩波書店

[観客をつくり出す映像表現を-日本映画の現状と展望について土本典昭監督に聞く]

『すくらむ』 12月号

[記録映画の本道は、開かれている『東京クロム砂漠』より]

『公明新聞』 12月26日付 公明党機関紙局


1979年(昭54)  51才

[戦いのピークと映画のピークでつづった証言録]

『養護学校はあかんねん!』 1月 長征社

[水俣-一映画記録者として]

『記録』 創刊・4月号 記録社

[水俣病-その二十年-]

『図書室だより』 3月5日 法政大学女子高等学校図書視聴覚室

[時枝俊江・人と作品]

『記録すること・時枝俊江』 3月31日 岩波映画製作所

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 まえがき]

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 序章]

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 第一章 不知火海に眼を注ぐまで]

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 第二章 カナダへー巡回移動映画の旅]

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 第三章 ”水俣病かくしの構造”]

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 第四章 水俣は都だったー天草上島でー]

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 第五章 一斉検診と”水俣病かくしの盟約”ー”かくし”の重層構造ー]

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 第六章 不知火海は変わりつつある -天草下島、そして長島-]

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 第七章 不知火海水俣病元年 -浮上する潜在患者と”新たな病像“-]

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 終章 新たな課題を重く背に]

[書籍「わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録」 映画でなすべきことは何かとは何か -あとがきにかえて-]

[天草からの手紙-拙著『わが映画発見の旅』によせて-]

『水俣』 第116号7月 水俣病を告発する会

[(無題)]

『記録映画 不安な質問』上映用チラシ 9月 たまごの会映画委員会

[天草の死者とあって-H先生への手紙-]

『水俣』 第117号9月 水俣病を告発する会

[忘れられない 白夜の懇談会]

『朝日新聞』 10月4日付 朝日新聞社

[ 「報告」モリ・トラオレとその映画“車に轢かれた犬”(モリ・トラオレ監督・出演1979年作品)]

試写会のご案内 11月20日

[映画『偲ぶ・中野重治』完成にあたり]

『新日本文学』 12月号 新日本文学会

[不知火海水俣病元年の記録-第二部・1]

『暗河』 冬季号 暗河の会

[映画「偲ぶ・中野重治」をつくるまで]

『告知板』 12月20日号 庄建設