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2000年(平12)  72才

[映像で記録するということ]

『新日本文学』 No.610 1・2月合併号 新日本文学会

[学校だった岩波映画と「青の会」]

『NFCニュースレター』 35号 1、2、3月号 東京国立近代美術館フイルムセンター

[亀井文夫と私]

講演 SHOWショウのつどい 2/9

[検証 全学連 半世紀の問いそれぞれ]

『朝日新聞』 2000/3/22 朝日新聞社

[丸木俊さんと水俣]

季刊『水俣支援東京ニュース』 第13号 4月号 東京・水俣病を告発する会

[ アナーキーな東京の記録『ドキュメント路上』湯布院での公開に寄せて]

「第3回ゆふいん文化・記録映画祭」上映用パンフレット 4月2日 ゆふいん文化・記録映画祭

[採録シナリオ 日本テレビ・ノンフィクション劇場『南ベトナム海兵大隊戦記』ドキュメンタリー研究会資料]

上映時間00:00:00 日本テレビ『ノンフィクション劇場』三部作の総集編 第一部放映 発表1965-05-09

[庄幸司郎の残した映画]

『追悼庄幸司郎一平和憲法とともに』 5月17日 『記録』編集部 アストラ

[あなたは、アフガニスタンの国土と民衆を知っていますか]

『百万人署名運動全国通信』 48号11月1日号 とめよう戦争への道! 百万人署名運動

[『パルチザン前史』シーン解読表 ]

ノート

[ドキュメンタリー研究会 パルチザン前史について 2000年8月27日]

ノート

[留学生チュアスイリン ナレーション]

[『ぱるちざん前史』の背景とキーワード 2000,10,27]

ノート

[カナダインデイアンと土本典昭]

ノート

[シベリア人の世界の構成 20001215]

ノート


2001年(平13)  73才

[2001年ゆふいん映画祭土本パネラー]

座談会

[映画について]

講演 水俣川口展 水俣フォーラム

[遺影の展示について]

講演 水俣川口展 水俣フォーラム

[私の映画遍歴37年]

季刊『水俣フォーラムNEWS』 水俣から水俣へ8 No.14 4月27日号 水俣フォーラム

[『留学生チュアスイリン』について アジア人留学生と日本学生の連帯の記録]

「第4回ゆふいん文化・記録映画祭」パンフレット 5月 ゆふいん文化・記録映画祭

[『原発切抜帖』について]

「第4回ゆふいん文化・記録映画祭」パンフレット 5月 ゆふいん文化・記録映画祭

[関西水俣病訴訟上告の意味]

『社会評論』 126号 5月14日号 活動家集団思想運動

[『留学生チュア・スイ・リン』と『原発切抜帖』を語る ゆふいん文化記録映画祭 5/27]

講演

[貧困こそがテロの土壌だ]

『 思想運動 』 659号 10月1日号 小川町企画


2002年(平14)  74才

[映画『よみがえれカレーズ』を顧みて、これからも観ていただくひとのために(-後に「アフガン映画論」と題される)]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンNEO』 28号、29号、30号 読売テレビ

[水俣病展は水俣の奥を見せてくれた]

季刊『水俣フォーラムNEWS』 No.17、18春号 3月19日 水俣フォーラム

[「アフガン『映画論』」続・映画『よみがえれカレーズ』を顧みて …これから観ていただく人のために -十二年前の映画批評に答えて- 2002/3/25]

ノート

[唐木清志さんを送る言葉 弔辞 4月2日]

[水俣病の現在としての「記録と祈り」の意味「水俣からのメッセージ」]

「ブエノスアイレスの環境サミット パンフレット」 8月10日脱稿 水俣病センター相思社

[映画同人「シネ・アソシエ」の創設まで]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンNEO』 39号 8月20日脱稿 読売テレビ

[書評 考えるための道具としての映画 木下昌明著『映画と記憶』]

週刊『金曜日』 431号 10月11日号

[その映画的錬金術を語れ、松川八洲雄]

松川八洲雄上映会のチラシ 11月1日脱稿

[検証・戦時下と敗戦後の日本映画『上海』その普遍的な映画方法-戦争とドキュメンタリー]

『映画芸術』 No.399 2002年冬号

[1985年 4月、人民民主党時代の記録 『よみがえれカーブルの人びと』(45分)]

[水俣病患者にとって東京の記憶はママだった。]

若槻菊枝作品集『太陽がいっぱい-その人生の軌跡-』所収 初版12月25日

2003年(平15)  75才

[講演『よみがえれカーブルの人びと』概要]

講演

[講演『よみがえれカーブルの人びと』概要]

講演

[『ドキュメント 路上』(1964年)採録途中まで]

[もうひとつのアフガニスタン 「在りし日のカーブル博物館-1988」 解説]

ノート

[ブレヒトの指針]

ノート

[歴史を反擲し未来を切り拓くために 新作ビデオ「在りし日のカーブル博物館1988年,もう一つのアフガニスタカーブル日記1985年」を語る]

『 思想運動 』 695号 6月15日 小川町企画

[考えるための道具としての映画]

インタビュー アート・デザイン・エンターテイメントの「云々」 7月

[ロバート・フラハティー・セミナーについて]

ノート

[15年前の約束-絵ハガキ作りに寄せて]

『アフガニスタンの秘宝たち』 初版8月31日 石風社

[高木仁三郎と映画『原発切抜帖』のこと]

「高木仁三郎著作集月報」 10月 七つ森書館

[啓示に満ちた白神山地]

ノート

[NEONEO 新年アンケート]


2004年(平16)  76才

[「普通の人」の存在証明を。「対談」私たちの地下水脈とは―横田町ドキュメンタリー映画際より。]

民映研通信懐炉の号 VOL.23 NO.84 2004.1

[イラク派兵を失敗させよう]

ノート

[随時連載「映画は生きものの仕事である」(1)デジタル時代に思う]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 6号 2月1日 ビジュアル・トラックス

[随時連載「映画は生きものの仕事である」(2)生き延びるということ]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 7号 2月15日 ビジュアル・トラックス

[「マリナを記憶せよ!」]

映画「アフガン零年」新聞広告

[随時連載「映画は生きものの仕事である」(3)『みなまた日記-匙える魂を訪ねて』について]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 8号 3月1日 ビジュアル・トラックス

[上映のアフガニスタン映画について アジア映画講座 11 ]

講演 映画のアフガニスタン土本典昭監督トークショー資料 3月 国際交流基金

[石牟礼道子さんなかりせば、映画は?]

『石牟礼道子全集 不知火 月報』 2 4月号 藤原書店

[はるかなアフガニスタンを想いながら]

『社会評論』 137号 4月1日春号 活動家集団思想運動

[随時連載「映画は生きものの仕事である」(4)「宜蘭国際緑色影展」(イーラン国際グリーン映画祭瞥見記)]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 11号 4月15日 ビジュアル・トラックス

[映画で出会った川本輝夫との三十年]

『咆哮 川本輝夫・わが水俣病』(仮題) 世織書房

[随時連載「映画は生きものの仕事である」(5)新作を公開するにあたって]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 12号 5月1日 ビジュアル・トラックス

[随時連載「映画は生きものの仕事である」(6)アフガニスタンとEメールができた!]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 13号 5月15日 ビジュアル・トラックス

[書籍「映画は生きものの仕事である」 水俣の旅は、映画の旅であったー新装版あとがき]

[巻頭言]

土本典昭フィルモグラフィ展2004 土本典昭フィルモグラフイ展2004実行委員会

[書籍「逆境のなかの記録」疫学の世界としての不知火海ー新装版あとがき]

[記録映画の本性はコミュニケーションである]

『未来』 7 No.45 7月1日号 未来社

[黒木和雄監督 土本典昭監督]

対談 『キネマ旬報』 8月上旬特別号 №1410 キネマ旬報社

[尊敬する作家 羽仁進]

『キネマ旬報』 8月上旬特別号 №1410 キネマ旬報社

[考えるための道具としての映画]

「土木典昭フィルモグラフイ展2004」 所収 7月17日 土本典昭フィルモグラフイ展2004実行委員会

[イラク派兵反対メッセージ]

週刊『金曜日』 2004,8,20 520号

[土本典昭監督 講演会 04、11・14(日) 高知県立美術館ホール]

講演

[筑豊から朝鮮-“反日”の画家の記録]

第3回民団フェステイバルパンフレット


2005年(平17)  77才

[土本典昭監督 講演会 04、11・14(日) 高知県立美術館ホール於]

講演 高知県立美術館NEWS 48 4月 高知県立美術館

[随時連載『映画は生きものの仕事である』(7) 雲南省昆明市、映画の夜明けのくに(1)]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 4月25日号 ビジュアル・トラックス

[ひと 土本 典昭さん 「回顧展」が聞かれている記録映画作家]

『毎日新聞』 5/9 毎日新聞社

[随時連載『映画は生きものの仕事である』(8) 雲南省昆明市、映画の夜明けのくに(2)]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 5月14日号 ビジュアル・トラックス

[書籍「ドキュメンタリーとは何か ー土本典昭・記録映画作家の仕事ー」国境をこえる真実、土本典昭とアジアのドキュメンタリー キム・ドンウォン/佐藤真/土本典昭]

[書籍「ドキュメンタリーとは何か ー土本典昭・記録映画作家の仕事ー」記録とは何かー土本典昭作品が問い続けてきたものー 佐藤忠男/黒木和雄/土本典昭]

[書籍「ドキュメンタリーとは何か ー土本典昭・記録映画作家の仕事ー」ある映画プロデューサーの証言ー土本典昭フィルモグラフィは、いかに作られたかー高木隆太郎/時枝俊江/土本典昭]

[書籍「ドキュメンタリーとは何か ー土本典昭・記録映画作家の仕事ー」テレビとドキュメンタリー映画ー表現におけるタブーと規制をめぐってー田原総一朗/森達也/土本典昭]

[書籍「ドキュメンタリーとは何か ー土本典昭・記録映画作家の仕事ー」日本のドキュメンタリー映画に未来はあるかー新しい表現の可能性をもとめてー今田哲史/藤原敏史/鈴木志郎康/土本典昭]

[書籍「ドキュメンタリーとは何か ー土本典昭・記録映画作家の仕事ー」あとがきにかえてードキュメンタリーは個人の”社会性”の表現である]

[随時連載『映画は生きものの仕事である』(10) 雲南省昆明市、映画の夜明けのくに(3)]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 5月25日号 ビジュアル・トラックス

[随時連載『映画は生きものの仕事である』(11) 雲南省昆明市、映画の夜明けのくに(4)]

『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 6月14日号 ビジュアル・トラックス

[水俣を撮り続ける]

『東京新聞』 6/18

[あのころ]

『読売新聞』 6/20 読売新聞社

[映画「トントンギコギコ図工の時間」]

映画「トントンギコギコ図工の時間」のチラシ

[水俣学講義 記録映画作家の原罪]

講座 水俣学講義第二集 所蔵 日本評論社

[2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭特集 『日本に生きるということ-境界からの視線』…60年代の記録- 2「テレビ映画」…(『ノンフィクション劇場』より)]

2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭パンフ 2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭


2006年(平18)  78才

[自分の作った映画を見るということ  ]

和光大学おーぷんかれっじ通信 12/3月

[私にとって、水俣病とは何だったのか]

環 vol25 2006spring 藤原書店

[「水俣に産廃はいらない!」運動の新しさ ]

『社会評論』 145 4月 活動家集団思想運動

[『思想運動』は僕にとっては映画の運動だ]

『思想運動』 活動家集団思想運動

[喪友記 自分の“死後”も演出している黒木和雄]

「日本経済新聞」 4/13

[「コワい映画」の問いかけるもの]

映画「六ヶ所ラプソデイ」のチラシ

[日本人の恥として観るものの心を抉る<すごい映画>]

「出草の歌」パンフレット 日本ドキュメンタリストユニオン

[明暗こもごもの水俣病五十年]

水俣病の50年誌 所蔵 海鳥社

[作家にとって岩波ホールとは ]

岩波ホール機関紙 「友」

[編集台上の思索者、松川八洲雄]

ノート


2007年(平19)  79才

[第一回監督作品の大津映画 ]

映画「大野一雄ひとりごとのように」パンフ

[わたしは『思想運動』を推薦します]

ノート

[ただひとりの“存在”・松川八州雄 07/5/20]

ノート

[日本のドキュメンタリー映画のかたち]

ノート

[「不知火海水俣病」の今後を思う]

ノート

[「水俣病はなぜ終わらないか」]

[ただ一人の思想家 佐藤忠男さん]

ノート

[作者の言葉]

ノート

[“水俣だから”出来ること]

ノート

[佐藤真-ある典型の軌跡を見せたひと]

ノート


2008年(平20)  80才

[ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話 第一章 パルチザン土本典昭前史]

インタビュー

[ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話 第二章 すべては汽車とともに始まった]

インタビュー

[ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話 第三章 「水俣」シリーズの彼方に]

インタビュー

[ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話 第四章 アフガニスタンへの道程]

インタビュー

[ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話 第五章 失われた九十年代、そして現在]

インタビュー


2009年(平21)以降