暴力を撮るこころパルチザン前史と70年以後 『朝日ジャーナル』 12月7日号 朝日新聞社 <1969年(昭44)>
 暴力を撮るこころパルチザン前史と70年以後「朝日ジャーナル」12月7日号朝日新聞社

編集部
きょうは土本さんのことを通称名の「土ちゃん」で呼ばしてもらうけど、「パルチザン」とは、また物騒な映画を撮ったものだね。でも、この京大ノンセクトの運動は、過去二年間の学生運動が登りつめた一つの到達点でもあるし、いま反体制運動をやっているすべての人間と同一の状況からきている。そう考えれば最も現代的な問題を記録映画作家、土ちゃんとしては当然のような気がする。いっっぽうまた、この映画は土ちゃんの経歴とは無縁ではないと思う。つまり土ちゃんは一九五二年の早稲田闘争では輝ける土本だったし、その後山村工作隊員として、日共の軍事行動に関係した.そういったことと、こんどこの映画を撮ったこととの関係あたりからまず。

土本
ぼくは当時、当時なりに声を信じて山に入ったわけ。どう見てもあの山の中で本拠地ができるとは思えなかったけど、自分を試練に投込まないではいられないと思ったの。早稲田はクビ切られて、なんとなく職革(職業家)になるかなと思っていたしね。行ってみたらやっぱり党の判断とぼくらが現場で見た判断はちがう。ここでほんとに軍事が組めるか、島民の心を獲得できるかという点でサ。党はいろんな情報をもってきて、それができるという。全部インチキ情報。武装労働者が三千人多摩川大橋を渡って徒歩で来ているとかサ。それで結局マンガみたいな

軍事の問題はやっぱり捨てきれないな、となんとなく思ってたわけ。

編集部
その後土ちゃんは映画の世界に入る。日共は五五年の六金一協で大転換。土ちゃんの映画も日常のなかの非日常」を扱う。とくに六〇年安保以後は「路上」(63年)とかある機関助士とかいつた国際受賞作品で。あなたの言葉を借りれば「ルーティンのなかにこそ身の毛危険がある」を訴えるしかし世の中土ちゃんを置いて意外な方向に進んできた、それは早くも六五年『留学生チュア・スイ・リン』を撮ったときに、千葉大生の意外な高揚に土ちゃん自身が。その後テレビ用にドミニカやソ連を撮ったけど、それは外国の話。二年前、ゲバ棒をもつ学生のことを「わからん。こわいような気がする」といっていたけど、その間、あなたの後輩小川紳介の「三里塚の夏」ができた。「ぼくもこんどやりますよ」といってたわ。そして去年キューバの恋人のプロデユーサーとくる。そうした遍歴の末にパルチザンというわ

土本
キューバを考えたのは去年の四月。それまで日本で"軍事″といったってピンとこないというところでとまっていた。ゲバラやカストロの生き方を読んでそれなりにわかるけど、もう一発わからない。ともかくキューバへ行ってこよ

ぜんぜん人柄がいいんですね。そいつが淡々つくる。どぎもを抜かれたれそこでぼくは、リーダー格の滝田修にかねて
「北小路がゲバ棒もつのはエスカレートした機動隊のせいだ。一つの象徴だと」‥座談会で言ってたけどそうじゃないだ、政治的な一ロであろうと。それから「具体的な武器の使い方ではなくて思想としての暴力を、武装の精神をどうよじり出すのか」とね。
すると彼は「全く同感だ、われわれはそのへんでいまデカイ提起をしているかいっぺん見に来いと言う。そこで行ってみて、こういうふうに思ったの。
芝生はローカルの立場から権力になえず一発矢を向けっぱなしの土地だなと、第二はそこでの反大学の指導者は、どんなに運動が大きくも官僚には篭らない、第三は京大全共闘の場合「東大、日大の”撲滅から立上がったから、最初から火炎ビンを使っている、それもコソコソじゃない。
大衆的にだ。つまり大衆武装から闘争が始ってる。「ここらでやらんとあかん、つまり火炎ビンだという感じ。しかもそれを思想的に深めている。それは当時、対機動隊でせっぱつまつてたことにもよるけど、一方、理論面ではそのころ滝田はそれまでは自然発生的な高揚はある程度、もう限界だ。自己否定だけでは進まない。つまり、占拠したところから火炎ビンを投げるといった防衛的でしかも、キャンペーンになる闘争は二度と繰返すべきではない.圧殺されるメカニズムがそろいすぎているなかで武装をして、その結果がどう転がってどう各人に受継がれていくか、披らは考えた。
そのためいままでの全共闘運動を壊滅させ、セクショナリズムを徹底的にし、同時に新しい軍事かの部隊を提起せねばならないということで滝田論文を書き終えたところだった。もちろんはっきりしているわけじやないけど、少なくとも手前のところまではといってやる。と同時に二月の闘争もちろんぎりながらその先に新たな組織論「五人二親」をつくり出している。こいついい心目配りをしているなと思った。

編集部 
その論文の下書きができたのは八月下旬、八月といえば京大全共闘叩滅寸前で、連日、討論しつづけたなかからできたものですね。それにしても土ちゃんだいぶイカレたわ。いま聞いても、また『朝日ジャーナル』11月号の最首悟・田端英雄対談を読んでも、パルチザンの出てくる必然性は理解できますよ。しかし、なおかつ大多数の人間にとっては「あんなアホなこということでしょう。現に土ちゃん自身、山村工作隊時代のことをマンガ的と。

士本
ヤツら、新左翼で
道一つ隔てだところでは日常がある。ぼく自身通の人間だし。その二つの考えでこの映画。

績集部
それで惚れてゲバラのほうは
たった三人でそれにしてもよく撮らせた。連中非常にオープンなの。各メンバーセクトでしょう
それで撮ることに決めたけど、やっぱヤバイから
軍事だもんね。ヤバイのよ。同じヤバイのでもブルーフィルムだったら「さあやりましょう」ということだ
それでもさすが戦争の二、三日前に、一番強烈な男が、「いつどこで何をやるかは知らせるけど、それを決めるプロセスは撮ってくれるなってんだ。ぼくそのときは悩んだ。「とにかくこっちは撮りつづける。途中で、これは困るというときいってくれ。それでぼくが納得いったらカメラを止める。そういう緊張関係でしか取材拒否は受けない」といったんだ。

土本
やっぱり連中、ぼくらとの関係を何度も洗ったと思う。でも最後のところ何もせんかったら申訳ないというので、酔っぱらうと「えらいことを安請合いした。やるよ。やるけ、いつやるかわからん」。(笑い)、つまりの提起でしょ、滝田論文-というのは。みな半信半疑だし、ぼくが感心するから、滝田は喜ぶが、みなけげんな顔。こっちがかえってハッスルして夏休みが終ってからテンポが合わなくなっちやった。滝田が「ともかくあしたからやる」といったって、できないわけよ。みなその気ないもんな。いつ行ってもマンガを読んでる。オレもうやめようと思った。やっぱり学生は学生だなと思ってね。ぼくも学生時代勇ましいことを言って、やらなかったしね。(笑い)ところがー連中9・5の全国全共闘結成に出たり、同志社の赤軍派の問題でガサ入れがあったりで、体制の出方がだんだん正確にわかってきた。そこで九月ころから煮詰まってきた。そのころにはカメラがかなり回っていた。そこで「今晩からやろか」ということは、簡単にきまるが、あい変わらずゲバ棒を忘れたり(笑い)、時間におくれたり……。それに軍隊経験がないでしょう。「点呼」と黒板に書くが「点呼は番号を言うんだいいながら「番号というと「イー,アル、サン、スー」。(笑い)みなワッシショイのデモの経験はあるけど、行進映画でしか見ていない。「足を伸ばしてやるんだ」とかいいながら、とにかくピッピッで足を合わせようとする。映画撮られているから、テレちやってね。もっとも映画なしだつたら出てこなかたかもしれない(笑い)。だけどテレにテレながら押し殺して指揮者はシブタ激励する。バクメタやる。「なんとかどなり合ってね。するとみな「あの野郎、えばっとんな」てな顔だ、でも一時間やると、やはりビシッとケツがしまってくる。それはゲバ訓練じゃなくて、行進をいかに整然とやりきるかという訓練だ。なぜかと思たらワッショイだったら男を全部判断できない。行進だったら全部できる。ふしぎだったね。ぜったいつかまらない訓練もする。「どつき訓練」というんで、バーシとたたいてかけ足で帰ってくる。一カ月ぐらいやろうなんていいながら酒飲みに行ったりして(笑い)結局一週間。それでも、いざのときはほとんどパクられなかった。なんか英雄的なポーズをするすら機動隊が側面から出てきてバクられる。

構集部
セクトには陰と陽の両面がある。ふつうパチンコやりたり純子みたりしている.東大が陰で、五人組の京大はということけど、その静の京大にも陰の面がある。それがなかったらセクトになる。

土本
「投げろ」と言われて考えて投げるんじゃないが「ええやんか。投げよか」ということ。「おまえら、つかまったらどうなるか。そのハラでけとるか」ということだけ。それに「いまやってもつかまらへんやろしみたいなところがあるから決意しないでボンとふみ出している。中核的な場合、決意して、それから突撃。

縞集
何月何日佐藤訪米阻止とか言わない。

土本
ついつられて言うけれども(笑い)自己批判する。

編集部
1 0・21とか6・1 5とか旗日興行もいいけど、旗日のために興行やってそこでセクトの正当性を誇示し、組綾拡大をやるのはよくないということね

土本
これは映画見てもらえばはっきりわかるんだけど、たとえば中核だと塔を占拠して、デッカイ旗立てて「ここに中核あり」となる。派手なんだ。占拠の悪戯と思想についてインタビユーまでやる。ところが彼らはゲリラを本気でやろうと思ってるから、ヘルも。負けがわかっていてなおかつ
戦争のシーンが映画のまん中ぐらいなのそこから負けがこむ。学校は封鎖されるし、機動隊が入った大学みんな迷い抜く
ある日、滝田が「貸してくれ翌日幼稚園の運動会があって下の子の乳母車を運ぶためだという。しょうがないから運んでやったけど途中でこの野郎」と思った。家庭に対する愛が独立しているんだな。それで「女房はうれしがって
非常に小さいアナだろうけど、そのアナを”武力”で戦うしか方法がないという考え。
労働して自己を改造して、大革命をみずからに課していかなあかん」という意見と、二つに分れる。
「そやけど学生やめんならんかわからんし、先どないなるやろ」「チタショウ、オレが中核やったら。全共闘やからなんてね。これはあとでわかるんだけど「軍事訓練なんか知らんぞ」といって出なかったヤツが”戦争”ではいつも先頭きっていた。つまり、職業革命家なんて悪の権化で、インチキで、つまりオレは
ところがやっぱり秋から負け
いつでもハッと革命する、みたいなヤッ、それから、やっぱりオレは軍事訓練を続けていかなあかん、五人組しかない、とか、そりゃジンドイ議論だった。

編集部
そういった状態で決戦へ入るわけね。

土本
滝田はね助手の月給をもらいながら予備校も行っている。それがかれ
戦争で二日休講した。子どもを愛しているそれで「もう予備校やめる。やめる前生徒に頭下げる」と
いうんだ。そうは言ったもののカネの問題があるし、なかなか決断がつかないんだな。でもカレ「大学解体と言いながら予備校を教えている、そうでしょう、大学解体と言って、これから大学なる生徒を教えているんだからね。大学解体なんて相当説明しないとダメなわけ。それで汗水たらして、あやまりながらしゃべるシーンがある。ひょっとしたらオレはやめるかもわからん。とにかくわかってほしい。オレがここで効くのは経済的な問題だ、助手の給料二万いくらしかない。家賃で、子どもの幼稚園に五千円かかって、残りで一家四人が食ってる」。予備校生は真剣になっちゃってサ。「暴力とはどういうことか、キミたちどう思うか知らんが、オレはこう思う」とほんとに一生懸命話す。結局やめないでいまも行っているけど。(笑い)

編集部 
なおかつ五人は少ししかできないね。世間では騒がれたけど。

土本
ぼくが「じゃ映画は終らないよ」と言ったら、「オレ一人でダメか」。

編集部
やっぱりそうなんだなあ、それで”11月でドンドン・パチ・パチはおしまいでしょう。ところが彼らは決して終らないふうだ。そこのところは……。

土本
彼あとで結局、労働の質の問題などを下げた形で、「労働団」に焦点を合わせた論文を出した

編集部
五人親は、面だけをいわれているけど、一月戦争に精力を注がざるをえなかったからで、ほんとうはあれを核にしてもっと広範な場をつくろうとねらって。結局そのあと二、三働き口があったけど映画では工事で働くシーンがあるだけ。そこで彼、「おもろい。自信ついたという

編集部
それでこれからあと、かれらはどうやって生きていこうというの。

土本
「共産主義労働団」を形成して地区に浸透していく。上からのオルグではなくて下からすくい込んでいくという感じ。いずれにしても来年六月までヤツら異端児集団にとっては自分をつきつめる時期だろうね。それがまた七〇年代につながる
「オレは言い出しっぺや、先にどろんこになってもええぞ」とんだ

編集部
もう少し具体的に

土本
一軒借りで共同生活して、働いて、学習して、朝、ビラまきに行くみたいな。だけど滝田はほんとうに文化草食をやって、産声を遂行できる新しい戦士をつくるといった。そうきれいはいかないと思うが、そういう考えは今後の活動に残ると思う。全共闘の残したものとして。ぼくは最後は人間だと思う.創価学会みたいなこというとまたやられるだろうけど。共産主義労働団を自分に受けて「かいくぐったときが全共園卒業免状だと思う。いっぺん汗水たらして何でもないことたけど
ぼくは映画のためだけならと
ヤツら党をさぐっていくと思う。言うのはヤツらオール否定ということで党を切ってきたわけじゃないから。ところが党は、早々とはできないと思うんだ.

主体と客体と

編集部
いずれにしても否応なしにこういうところへきちやって、これからの形は学生用語でいえばシコシコ。そうしたのが七〇年代だ八〇年代。その映画作家土本はかかわっていくのか聞きたいのだけど、その前きちんとしておきたいことがある。それは土ちゃんと滝田とがどんなに惚れあおうも.土ちゃんが作家である以上、主体と客体の関係は消せないと思う。そこをごまかしてはへ政党御用の文化活動家になるか、単なる商業作家になるかどちらかだ。つまり土ちゃんは職じゃない。一人の作家としてあるはずだ。職業に足をつけていなくてただ高まっているだけの人間というのは、ぼくら信用できない。

土本
ぼくは非常に願望係数が高いの。「こうあってほしいナ」というような。疑わないでまともにいっぺん信じて相手の中に入っちゃうんだな。滝田が何か言ったときともかく浸っておくわけ。それが滝田のいうようにいかないことがある。そこでほかのヤツのインタビューを撮ってみたり。「滝田なんかナンセンスだ」みたいなやつを撮ってみたりね(笑い)。そして滝田に、「お前、こんなこと」てなことを話す(笑い)。するとまたあいつが考えていく。映画は夢だと思うし、やっぱり夢に加担して-緒にころげて、しかし言っておくけど、こうありたいからそういうふうにやってくれということは、記録映画作家としてはまかり間違ってもしない、その意味でこんどの映画ができていちばんびっくりするのは、滝田だと思う。というのは、かれ、ぼくが全然批判の目を持たずに、映画をつくったと思っているから。ところがどっこい、「お前と反対の意見の人も見たよ」なんだ。その上で「おれはあなたに加担してつくっているよ」ということ。だいたいぼくの映画は、撮られたやつがシャッキリこなくて、まわりが「いや、これがきみだよ」という討論になる映画なんです。

編集部
われわれの場合だって、まず惚れて、もう一度離れて見てできたルポがいいんだ。ところでチュア・スイ・リンでいちばんジーンときたのはチュア君のために精根使い果したアジア文化会館の田中宏君が電革のつり皮をもちながら、消耗しきっているところだったと思う。それは田中君と土ちゃんが同一化していて、なおかつ土ちゃんはレンズを向けているから。そこで追っかけ質問しょう。いわゆる目に見えるみたいな客観的事実と、その客観的事実からにじみ出ているはずの精神みたいなものをどう結合して作品にするか。ぼくらのルポにしても、あれは客観的だとか主観的だとかいわれるけど、そう平板には分けられないと思うんだ。

土本
「決定的瞬間は映画はとれないものだ」とぼくは思い定めている。それは劇でしかできないだけど、何が決定的瞬間かわからない。たとえば交番襲撃が撮れなかった場合、ぼくたちは交番の残骸にどういう思いをこめたカメラワークをして、その情念を伝えるかということに切りかえられる。結局、記録とはは対象と記録でしょう。部屋の外でソコをとっていても、交番襲撃は記録できる。

編集部
でも土ちゃんはやさしい人だから、カメラ向けながら、相手ににすまないなんて思うことがあると思うな。

土本
それあるの。「あんたら、なんで撮ってんのや」とやられるでしょう。勝てんなあ映画撮れなくなったらビン
同じ時間にぼくたちはそれ以上の労働をしている。
もちろん最初の一〇日間、ぜったいあかんでしたね。最後まであかん部分はところがだんだん
ぼくに「近年これを一みたいな話がないのだな。こんどもキューバをやってやり損なって京大でたまたまああいうものがあって、ポコとそれが映画になったでしょう。いつも「企画、何本かありますでしょう」と言われると困っちやうんだ。映画を撮れなくなる時期がくるかもしれないけど撮れる間は腹をきめて、と思う。つまりぼくのいた岩波映画には二つの潮流があったの。羽仁とか勅使河原とか記録からスタートして劇にいく人間と、記録映画にとことんかかわっていると。その記録映画流の分をぼくと小川ちゃんとが持っていると思う。ぼくのチュア・スイ・リンで小川ちゃんが刺激され、ぼくは三里塚山で刺激された

編集部
小川プロの功績は上映組織ですね。

土本
ぼくが小川に感動するのは、全く無名のところからきてサ、映画を見せることによってしか自分が守れないということで、三、四年かかっって上映運動をやってきたでしょう。ゼロからですよね。ぼくはその間見てくださいというぐらいで映画をつくるだけに頭が向いていた。テレビ用に撮れば無断でカットされるという不愉快なことが起きて「テレビはもうやらんぞ」と宣言していく。そういうぼくの迷いが
キューバのときに出たわけ。つまりキューバはつくる前から劇場で見せたいと考えていた。それを間違いだと簡単に自己批判できないんだけど。いずれにしても運動としての落度だったと思うのです。
その点こんどの映画は小川ちゃんの上映組織の実力と、これからできるであろう映画に対する感触だけでつくったと思うの。まったくシナリオもなかったし、ただ人間を信用してもらっただけで飛込んだから、カネがいくら要るのやら、「きょうはカネないですね」からめし代くださいみたいなことでやってきた。だから逆に意思統一がとれたと思うしぼくとしては初めて腹のきまった、見てくれる人がはっきり見えるつくりかたはしたとみている。商業作家はもうやめたんです。アート・シアターだとかいったって、最後になると.フィルムどこに所属しているのかわからない感じでしょう
もともとぼくは映画をつくること自身は運動と関係ないと思うー上映の瞬間で運動が成立する場合もあるし、うまく上映運動できないで散っちゃうこともあるし、そういう形をとりながら何がなんでも残る場合もあるし
これからはほんとうに見せていくようなもの、同時に経済的にも次回のものが準備できるという、つまり運動と経済と、両方ひっからめないと。小川ちゃんの場合「庄殺の森」から三里塚までバリバリ見られて、上映金が毎日の食いぶちやガソリン代に転がってきてできている。

編集部
アート・シアターとか、同じ志の作家集団で、小劇場を獲得していくといった展望はある?

土本
それは、なんでもやりますよ。だけどこんどはやっぱり小川プロにオンブよ。小川プロ確かなことをやっていろ積上がればいいというふうに思う。

編集部
小川プロがやったことは大きな意味があるけど、山本の映画とかいろいろできていて、そういう映画は独自に上映活動していかなければどうしようもない。

土本
ぼくの映画とそういう映画一緒にやろうということは見る方できめる、逆の水脈でがんこに責任持って言うやつがいて、それがしかも大衆に向けているということがないと「運動つくって、自主映画センター