告発と人格との間 『公明新聞』 4月29日付 公明党機関紙局 <1972年(昭47)>
 告発と人格との間 「公明新聞」 4月29日付 公明党機関紙局

 最近、記録映画における実在の人物の肖像権についてしきりと考えるようになった。このところ警察側から見れば「犯罪」とみなされる闘争や、「現行犯」となる反体制運動のディテールをとったり、また題材は違うが、水銀の毒に冒されて奇形化した子供や、盲、唖、聾、歩行不能といった四重苦になやむ人々をカメラで写し撮るといった経験を味わったからである。
 今の日本に法規的には肖像権が確立されていない。権利意識としての肖像権とは、被害者側からの拒否権をもつものである。『広辞林』によれば「自己の肖像写真を無断で描かれ、または撮影され、公表されるのを拒否する権利」とある。先年いくたびか外国旅行をして、いわゆるスナップを撮りながら、撮られた人から厳しく拒否されたり、撮った理由を問責されたことがある。とくにパリの学生街ではそれがうるさかった。一つには明らかに、権力がマークした人間の肖像を隠し撮りで収集することを恐れているからだという。それと同時に、西欧の自己の権利意識について永い間につちかわれたものとして文律としても不文律としても確立されているからに違いない。
 最近、自作『パルチザン前史』(京大全共闘の武装闘争の記録) がピサロ映画祭に招待作品として出され、一部の映画人に見られたが、その反響の中で面白いことを在パリの友人から知らされた。「火炎ビンを作ったり、投げたりしていて、それをよく撮らせたものだ。公開されると決まった映画に自ら進んで登場しているのは理解に苦しむ。どのように、その『肖像』を撮るのに了解を得たのであろうか」。あとはその友人(日本人) の感想であるが、この意見は自由に人を撮っていることへの同僚としての驚きと若干の羨望があるが、こうした意見のうらにはフランスの場合、記録映画の中に自分が登場することは一種の契約の観念にもとづくのであって、その権利意織は只ではない。だから表現するには俳優であるか俳優的に割り切った実在の人物であることが多い、というのだ。
 このことは、重要な示唆を含んでいると考えた。闘争が即「犯罪」とみなされる種類の闘争である時(『パルチザン前史』という映画がそうであるかも知れない〉そこに登場する人間は、必ずその肖像から逮捕に至ることを覚悟しなければならない。いわば生命がけの闘争をしながら生命を自ら縮める結果を招くからである。これがもし契約された俳優であれば、全く同じ事を演じ、全く思想を共にしても、演技であり表現でありそれに対する報酬を得たとすればこの短絡から免れうるのである。
 では何故、日本ではこうした問題が殆んど起こらなかったか、そして何故、今日問題を孕み始めているか、それに対し作家は如何にあらねばならぬか、が問題であろう。
 まず第一に、日本において、社会的矛盾、人間的矛盾が西欧よりはるかに強く厚く残っており、その内実をありのまま表現し、かくされた真実を白日の下に爆すことが急務である事象に満ち満ちており、仮構とドキュメントとその表現を分化するには、あまりに現実の矛盾が強烈であることにある。しかも後進国ではなく映像表現は世界一、二をあらそうほど、進歩しており、それがすでに一部の機関やエリートの独占物ではなく、人々の手によって撮ることが出来、発表できるほど普遍化されており、圧倒的な作られた「情報」に拮抗して、個人の仕事としてミニコミ的に闘えることが可能となっていることである。
 第二に、誰がどの地点に立って何の為に撮るのかという人間主体の形成が、相ともなって問題とされなければならない。イタイイタイ病の患者さんが少しでも活動を始めれば、警官がききこみにまわるといった事例のように、いま反公害の闘いすら「犯罪」の匂いがするものと権力にみなされる時代である。誰が、声も顔も、どこの馬の骨か分からぬものに撮らせるものがあろう。カメラは、肖像の盗つ人道具であり、マイクは意見の聴取道具で証拠保存の具であると警戒する方が正しい。ただ一歩立場をかえ、写す人間と撮られる人間との間に、一つの矛盾についての叫びを共にする立場が完全に通じあえたとき、事態は時に一八〇度転換する。
 水俣病の患者さんを「撮る」ことを決意してから、私が「撮れる」までになるには日々厳しい試験ともいえる験しがあった。私は健康であり、相手は傷つき病んでいる。その立場に立つといっても全的に理解し同じ心理をもち合うことなど不可能なのだ。その上、カメラをもち、マイクをもつということは、その人の生活のリズムの上ではただならぬ事態であり、物を言うにも、普通の表情でありたいと思って、どもったり、顔が赤面したりして、尋常でなくなるのが当然である。それをとき放って平常心にもどるには、撮影以前の、決してカメラをまわさず録音もひかえての永いつき合いが要るのである。「肖儀」はその人間にとって表現であるからだ。
 嘘発見機といういまわしい自白器械がある。普通の質問にパッと意識につきささる問いを入れ、その間髪の間に噴き出る興奮を弱電で記録する例のものである。撮るのはそれに似ている。しかし二百分の一秒のシャッターではなく、時に一分でも二分でもカメラはその人の肖像を狙いつづけるのである。その時、演技者でもその時間に耐えがたいものである。まして心根のよく分からない撮影者であったり、いまカメラをまわしているものの心がくみとれなかったりしたとき、その表現する表情、声、もしくは全身の動作は異常なものとなり、狂気に近いものとなって不思議ではない。そうした撮影法を私は非難をこめて、デカ張りの撮影とよぶ。それはカメラをもつ側の不遜であり、抑圧であり、暴力であり、その根底には、ただ撮りたいという問答無用のエゴイズムしかない。そのような時「肖像」は拒否権をもってこれに抗する外、手だてはないのだ。
 そうではない。抑圧をしいられ、差別され、虐げられている人ほど、絶対、人に知ってほしい事実をもち、その個人史をもち、主張をもち、もし可能なら、もっとも正直にそれを表現し、世の中の人に分かってもらおうとするものである。その時の熱するのに、映画演出家はその人の心の開くのをまち、自分の態度をその対象者ごとに検証しなければ、その時は永久に来ないかも知れない。
 殆んどの身障者とか病者、公害病患者に共通するものは、その障害ゆえに必ず健康な人間より、深く人生をとらえ、深く人間を鑑別し、深く人間を愛し愛されたい一念で自殺の誘惑に耐えるために、果てしなく自問自答をしていると思う。それは時に表現されずにくすぶっていようと、時と人とを得れば、その思念のぶ厚さにおいて、その情念の多様さにおいて、”犠牲“ をしいられたもののもつ哲学とも宗教ともいえる高貴さをもつものだ。
 そこには人聞が厳存している。けれども不具やかたわであることは、どんなに容易に差別を招くことか。せいぜい平等視程度で同等と納得せねばならない。私が水俣で得た教訓は、どの病者の背後にも人間があり、その人間が前面に正当に見え始め、病痕がその背後に転移した時、そう感じたとき初めて、病者にカメラをむけられるという体験であった。
 四重苦に病む胎児性の少女に世にも香りたかい童女の像をみたとき、私は動顛する。病んだ三十の女性から、すでに独身として狂おしくも孤独に悩みながら、その一生を見すかしもだえをかくそうとしないとき、私は愛をすら感じる。それは同情ではなく、そこまで思いを馳せめぐらした人間の思惟の強さと、その魂について衝たれるからである。健康で通常の頭をもつ自分が一生かかっても獲得し得ないほどの人間の輝きをもっているからである。
 それは平常は隠され、体のゆがみの背後におしねじまげられていよう。しかし、こうした人格の発見からスタートしなくては、その人々の表面的なディテール=肖像だけでなく病気の形そのものすら撮れないのではないか。モルモット的に撮るということばがある。しかし人間を撮れないものに、どうしてモルモットすら撮れようか。