――映画『原発切抜帖』について 御挨拶もうしあげます――
ときに膚寒むの候、皆まさにはいかがおすごしでしょうか。
さて、このたび青林舎作品『原発切抜帖』(カラー・16ミリ・45分)を完成しました。題の通り、全編、新聞の切り抜きと、東大新聞研のとじこみをもとに、敗戦から1982年9月までの約7000点の原子力および核実験関係の記事より選んだニュース(写真を含む)で構成したものです。
(朝日、毎日、読売、東京新聞のみ)
被爆国、日本がいかにして世界第三位の原発大国に急成長したか。ビキニ死の灰事件が語られなくなったか。敦賀原発事故でなにが報道されたか。他アメリカの原子力産業の動向と日本のちがいなど、大事故の事件史をたどり、ベタ記事を超接写レンズで読み取りながら語ったものです。
おそらく各家庭に届けられ、一度は人々の眼に触れた素材、それに限りました。
語りははじめから小沢昭一氏をおいてほかにありませんでした。私とほぼ同じ時代体験を氏に深く託したかったからです。
放射能の科学や原発史などはプルトニューム研究会の高木仁三郎・西尾獏両氏におねがいし、音楽は高橋悠治氏のオリジナルです。
私ごとになりますが、この数年、水俣と並行して、原発問題に関心をもち、各発電所の歴訪を試みましたが、現地取材の機いまだ熟し得ません。この12年間、切り抜いた核と原子力のスクラップを手がかりに、今後の連作を希望しながら、いまできる映画的表現をこころみたしだいです。
この春以来、反核映画の台風のような上映運動のあとをおって、このフィルムがそのきびを付すものであれば幸いです。
早々
1982年10月8日 青林舎 土本典昭