『日本の教育1976-少年は何を殺したか』を取材して 「映像記録ウイークリー」 12月15日号 日本映像記銀センター(NAV)
山形県天童市でこの夏起きた、高校生による”ライバル殺人事件”をたどりながら、我々はしばしば、取材中止を自ら宣告したい事態に出会った。この事件をドキュメンタリーとして描くにあたって、教育者の証言は不可欠であったが、それがすべて拒否されたからである。高校から中学時代、そして原点の小学校当時にさかのぼって、直接の担任教師たちの意識に投影された少年像と、この犯罪の不可避性を、あえてこうした事件を契機に、明らさまにすることによって、現代の教育を考えたいとすることがこの番組のねらいであった。
こうした取材班の意図は全教師の拒否に出会うことになった。この保身的な、ことなかれに身を処す教師たちの見事な合意、つまり取材に対する防衛は、この少年を犯行にまで追いやった「日本の教育」の壁ではなかっただろうか。
だが取材中、同世代の少年たちが「勉強より大切なものがある。友だち……についてみれば、俺は決して落ちこぼれてはいない」と言い切るのを聞いた時、主役たるべき少年と背を合わせた、今の高校生の像と現代教育に対する批判の矢がどこに飛ぶかを見る気がした。
最後に、この主人公不在の番組作りに、全スタッフがその蓄積と力量を惜しまなかった理由は、スタッフ一人一人がもつ現代教育への批判が根底にあったからだろう。その情熱を作品制作に注ぎ、そして一つの新しいドキュメンタリーのスタイルを作り上げたことへのさわやかな感動が、今私に残る。