戦いのピークと映画のピークでつづった証言録 「養護学校はあかんねん!」 1月 長征社
これは身障者の青年たちによる文部省に対する捨身の糾弾行動の六日間の記録である。だが決してシュプレヒコールや宣言で綴られた映画ではない。何故「義務化」を阻止すべきかのひとりひとりの肉声の記録であり、その簡潔で雄輝ともいえる語りのすばらしさを伝えてくれる映画である。たとえば河上さんの延々八分にわたる体験の告白と直観でつきつめた「教育とは何か」の問いに終るそれは、不自由な口と戦いながらの体ごとの響きといった近来稀な”ことば”であった。えらびぬかれ一言一句むだのないことば、胸底あふるる思いをくり出すためのすさまじいばかりの身休と思念の噴出に圧倒され、やがて彼女に同化されずには居られない。どうしてこのように人間的でドラマ的でさえある言葉が外ならぬ障害者の内部で織り出されるのか。マスコミ報道者は近来にない見事な表現者の声を逸した。
この映画は小川プロの『三里塚』や私の『水俣』をになった大阪長征社の加担と熱い思いに加え、『東京クロム砂漠』を完成したばかりの若い映画人の感知力と合体して作られた。製作にあたり、戦いのピークの日も、穏やかな訴えの日も、いつも一日二千尺(約一時間分)づつまわすことをつとめとした連日である。これはいかなるプロでも尻込みするほどの精神と肉体の力を要する撮影労働とスタッフワークである。だがこれが撮るもののピークを持続させた。一方身障者たちも一期一会の戦いを対文部省にむけてのぼりつめた。やはりつねに戦いは人々に潜在する表現力を解放させるものだ。そのピークでの静かな、豊かなそして強い語りを映画はシンクロして捕えることが出来た。
私たちはその数々の証言から、文部省の「義務化」の意図をズバリ教えられた。身障者諸氏は比類ない教師であり、またこの「差別」の及ぼす全人民管理のための教育休制の危険さを、最も痛みをもって先取りし、裏と底から衝っている現役の戦士であることを知らされる。これこそ真の映像ジャーナリズムといえよう。今日テレビにはこの映画的世界は決して登場できない。その意味で必見のフィルムとして推したいのである。