1 字幕(音楽ギター曲)
”協力研究者ー三部作(敬称略・五十音順)”
伊藤蓮雄〈熊本県術生部長〉
猪初男〈耳鼻咽喉科・新潟大学〉
入鹿山且朗〈衛生学・熊本女子短期大学〉
宇井純〈都市工学・東京大学〉
大野吉昭〈耳鼻咽喉科・新潟大学〉
岡嶋透〈内科・熊本大学〉
喜田村正次〈公衆衛生学・神戸大学〉
白川健一〈神経内科・新潟大学〉
白木博次〈神経病理学・東京大学〉
武内忠男〈病理学・熊本大学〉
筒井純〈眼科・川崎医科大学〉
椿忠雄〈神経内科・新潟大学〉
土井陸雄〈衛生学・東京都公害研究所〉
徳臣晴比古〈内科・熊本大学〉
原田正純〈精神神経学・熊本大学〉
藤木素士〈衛生学・熊本大学〉
水越鉄理〈耳鼻咽喉科・新潟大学〉
宮川太平〈精神神経科・熊本大学〉
故松田心一〈元国立公衆衛生院・疫学部長〉
構成責任 高木隆太郎 土本典昭
(音楽終る)
2 メインタイトル
”医学としての水俣病”
ー三部作ー
病理・病像篇”
3 死者群像
水俣病による死者、死亡年度順に遺影或いは映画フィルム記録の生在中の像。それにスーパー。
〇”三宅トキエ 昭和二十九年十月二五日投”
”溝口トヨ子 昭和三十一年三月十五日没”
”江郷下カズ子 昭和三十一年五月二十三日没”
”松田フミ子 昭和三十一年九月二日没”
〇ナレーション
「この方々は水俣病による死者百人のうちの一部にすぎません。死後病理解剖された方四十一人、その剖検例から、水俣病の病理研究はその緒口が開かれました。」
〇遺影つづく
”浜元 惣八 昭和三十一年十月五日没”
”浜元 マツ 昭和三十四年九月七日没”
”坂本 まゆみ 昭和三十三年一月三百没”
”坂本 キヨ子 昭和三十三年七月二十七日没”
”浜田 忠市 昭和三十三年九月三日没”
”尾上 ナツエ 昭和三十三年十二月十四日没”
〇ナレーション
「昭和三十一年、水俣病発見当時、急性の患者五十二人のうち、死者十八人、その死亡率は三十五%に達しました。」
〇”田中 静子 昭和三十四年一月二日没”
”船場 藤吉 昭和三十四年二月五日没”
”中村 末義 昭和三十四年七月十四日没”
”米盛 久雄 昭和三十四年七月二十四日没”
”釜 鶴松 昭和三十五年十月十二日没”
”平木 栄 昭和三十七年四月十九日没”
”荒木 辰雄 昭和四十年二月六日没”
〇ナレーション
「直接死因のうち最も多いのは嚥下性肺炎と報告されています。これは脳神経系統の障害によって、のみこみを誤り肺炎をひきおこすという特異な死因です。また胎児性の患者では痙攣死、たべものがのどにつまっての窒息死が見られています・・・。
しかし慢性の患者では、水俣病死というより、多くはごく普通に知られる脳出血、心筋梗塞、時に癌などがその直接死因として記録されています。」
〇死者像つづく
”大矢 安太 昭和四十年八月二十八日没”
”長島 辰次郎 昭和四十二年七月九日没”
”渡辺 シズエ 昭和四十四年二月十九日没”
”杉本 進 昭和四十四年七月二十九日没”
”田中 敏昌 昭和四十四年十一月十一日没”
”佐藤 栄一郎 昭和四十五年一月二十六日没”
”船場 岩蔵 昭和四十六年十二月十六日没”
”淵上 マサエ 昭和四十七年一月四日没”
”松本 ムネ 昭和四十七年十一月十一日没”
”小崎 弥三 昭和四十八年三月十六日没”
〇ナレーション
「熊本大学の四十八年度の調査によれば、最近、二十四年間の水俣病多発地区での総死亡者の平均死亡年齢は、男子五十・三六歳、女子五二・五歳と極端に低く、又、地域の保健水準のメルクマールとみられる、乳児の死亡率は千人率で二六・三、汚染のピークの五年に限れば、四〇・八の高率です。」
〇死者像
”尾上 時義 昭和四十八年七月七日没”
”松本 俊郎 昭和四十八年九月十六日没”
”小道 徳市 昭和四十八年十二月十四日没”
〇ナレーション
「昭和四十九年九月現在、死者を含め、認定患者七百八十八人、申請中の患者は約二千六百人に至っています。」
4 松永久美子さんの二十年
(その植物的生存)
〇 スーパー”松永久美子 昭和四十九年八月二十五日投”
〇ナレーション
「昭和四十九年八月、植物的生存として、水俣病の象徴であった松永久美子さんが二十三歳の生涯を閉じました。」
〇幼年期の久美子さん〈白黒フィルム・徳田晴比古氏提供〉
スーパー ”昭和三十一年発病時(五歳)”
〇少女期の久美子さん〈白黒フィルム、原田正純氏他提供〉
スーパー ”昭和三十六年(十一歳)”
スーパー ”昭和四十年(十四歳)”
どれも硬直したまま、かすかに動くのみ。
〇原田正純氏の臨床所見のコメント
「・・・誰かがこの状態を”植物的状態”と、或いは”植物人間”という表現を使ったわけですけども、医学用語でいえば、その・・・”アカイネティック・ムー テイズム”或いは”アパーリック・ジンドローム”といわれている症状群なんですけれども、もう子供だから脳が非常にラッシュに、ひろく障害されている。だから、手が、ま、あんな風に曲って変形して、全身の変形・・・。それから視力は殆んど反応がない。言葉は勿論ないし、飲み込めない・ ・・。うーん、心臓が動く、呼吸が動く、何かを飲みこんだら、それをまあ・・・消化して、排泄してゆくと・ ・・。生命の維持に必要な最低限の機能だけが残っているという状態ですね。まあ除脳状態なんて言葉もいう・・・ つまり脳のですね、ま高度な部分、つまり人間が最も人間らしい部分、或いはもっととう言うならば、”動物的”でもいいですけれどね、あの、動いたり、本能によって行動したりするーそういう部分すらもう・・・破壊されていると。」
〇成年期の久美子さん。早くも老化のきざしが見える。スーパー ”昭和四十五年( 二十歳)”
5 水俣病とアセトアルデヒド生産量の関連について(図解、水俣病研究小史)
〇水俣市の中心、チッソ水俣工場の全景、及び工場の部分。無機的な構造物望遠。
〇パネル図形1を前に、説明する有馬氏。
スーパー”水俣病研究会(熊本)有馬澄雄氏”
有馬「水俣病をひきおこしました、チッソ水俣工場のアセトアルデヒドの生産量と水俣病患者の関係を示した図です・・・ チッソはあの、アセトアルデヒドを昭和七年から生産を始めますけれど、この図全体は、チッソの資料(註・アセトアルデヒドの生産量について)によったものですけれど、第二次大戦の終了まで、一旦、大きな山を作り、戦後、急速に復興しまして昭和三十五年に、ものすごいスピードで生産量を拡大しまして・・・これは日本のトップ・レベルの生産量を誇っていたわけです。・・・それで、水俣病自体は昭和三十一年に発見されますけれど、この急激な上昇と共に非常に重症な患者が発見されたわけです。
それでここの斜線の部分(註・昭和二十八年から三十五年まで)は昭和四五年までに認定された一ニ一人の患者のうち、最初に発見されました、出月、湯堂、月浦(註・いわゆる最多発地帯といわれてきた部落)の患者の五八名について、発病時期を示した図です。ここでは、その時遡りました、二十八年から昭和三十五年までで、”水俣病の発生は終った”として、医学的にも十年ぐらいそのような状態で認められておりましたけれども、最近になりまして、熊本大学で組織された第二次研究班による調査で”患者の自覚症状”を調べてみますと、そのおんなじ部落ですけれど、昭和十六年から発生してまして、それが、こういうカーブ(註・生産量ときれいに対応している)を描いて現在に至るもまだ発生がつづいておるという状態が明らかになって来たわけです。」
6 熊本大学医学部 病理教室における、病理研究の基本資料による展開
〇熊本大学、医学部の標札
〇脳の標本が並ぶ
スーパー ”熊本大学医学部 病理学教室”
〇死亡者の脳標本を説明する武内忠男氏のコメント 四例を軽度から重症の脳へ。
「・・・この脳は比較的軽い水俣病患者の脳の、前頭断でありますけれども、ここに見られる脳回と脳溝ー脳溝というのは溝なんです(指でさし)。その溝とがあって、これが密にくっ着いとるのが正常な人なんですけれども、水俣病患者になりますと、神経細胞がなくなって萎縮しますので、溝が開いてくるわけです。・・・でそれがかなりここに起りはじめているという標本です。」
〇第二例の脳標本
「その次は、これがもすこし重症のーそれよりも重症の人の脳で、脳溝が余計開いているのが分ります。」
〇第三例の脳標本
「こちらはもっと強くてですね、脳回が非常に狭くなっておるー即ち脳の神経細胞のうんとなくなった状態を示すものであります。」
〇第四例 蜂の巣状の脳。
「・・・こちらはですね、非常に障害が強くって、もう脳溝は分りませんけれども、あの、それよりもむしろ、脳実質の神経細胞が殆んどぬけてしまって、蜂の巣のように穴になった、そういう最も強い重症例の脳であります。」
7 水俣病の病理について
〇スライド、スクリーンを前にして武内氏
スーパー ”武内忠男氏(熊本大学病理学)ー前”水俣病”認定審査会会長ー
武内「水俣病には色々の症状があって”水俣病症候群”という特徴があります。それに対応しまして、病変にも一定の特徴があります。」
(1)図ー脳の全体図(註・米医学書Mr.チバ画による)
「でこの図で言いますと、前の方が前頭葉、それから後の方が後頭葉、この部が側頭葉、頭頂葉(と次々に指し)ーそういう風に別れておりますが、水俣病では、最もよく侵される部位というものがあります。それは、この後頭葉のととろでありまして、視るー視覚の中枢、それから、この赤くぬってある前中心回という、運動の中枢付近、それから物を聴く、聴覚の中枢ーそのあたりが侵されやすいんですけれども、全体としても、色々の程度に侵されるとー従って前の方が侵されれば高等な意思だとか感情とかそういうものが関係してくるし、知覚の中枢ーそういう部位も少しは侵されます。つぎ。」
(2)標本、脳の三部位切片。
「で今の脳を前側から、前頭断ー、即ち前側から顔にこう(平行に)面する前頭断で切っていった脳を順次並べたわけですから、こちらが前の方、こちらが後の方になっておる図で、皆さんごらんになりますように、こういうのが悩回ですー脳回。でその脳回の間に脳溝があって、神経細胞がやられますと脳回が小さくなるー悩溝が開いてくるという病変が出てきます。で視中枢がやられやすいもんですから、ここがちょうど視中枢のところですけれども、脳回が非常に小さくなって脳溝が聞いたーそういう所見がみられるわけです。」
(3)標本、視中枢の皮質の肉眼的所見(赤染)
「そうしてみますと、この皮質が非常に薄くなっております。で、ここも皮質ですけども、強くやられた場合は、正常のもう五分の一位に薄くなっています。それから弱いところは半分或いはそれ以上薄くなっておるとーいう非常に強い皮質の萎縮を起しております。それを、この部分、或いはこの部分(註・視中枢部の皮質)を顕微鏡でもう少し拡大して見てみましょう。」
(4)視中枢の顕微鏡標本ー1
「で、これはその部分を、別の染色で顕微鏡で見たわけですけども、大脳の皮質がこれからこれまで。こちらが髄質です。で、青いととろは神経の連絡路の神経線維を染めております。紫色は神経細胞を染めておりますけども、その聞にグリア細胞というのも少しは染っております。で、ここが、第一層、それから二層、三層、四層、五層、六層とーこの層をなしておりますけども、その層が非常にはっきりしていない。正常の場合とちがって見にくい状態を示しております。そしてもう既に分りますように、神経細胞が抜けたところはすこし、このルーズー粗鬆になっております。でこの辺はもう殆んど一〇〇%神経細胞は抜けて、そしてグリアが増殖したところで、・・・この次は七、八〇%から九〇%、或いはここは八〇%以上、非常に強い神経細胞の・・・脱落・消失があります。」
(5)顕微鏡標本ー2
「で、脱落したところは、こういう風に抜けてきますけれども、残った神経細胞が見られます、はい!」
(6)更に高い倍率で見る視中枢標本(赤染)
「そういうのが強くおこりますと、神経細胞も神経細胞から出ました線維も全部ぬけてしまって、そこが穴になって、その間に血管だとか、或いは神経の間質ー文える組織が少し残っておると。で、これからこれまでが皮質で、非常に狭くなってしまっておる所見であります。でこれを、まあ海綿・ ・・海綿のように見えますので”海綿状態”と。で、こういうのは”植物的人間”のーそういう強い侵され方の脳の所見であります。」
(7)脳皮質の肉眼所見(青染)
「で、それがもう少し強くなりますと、これは、標本は肉眼所見として、ひとつの脳回を、これが示すわけですけども、こういう脳回の中の神経実質がもう、こわれて、吸収されてしまって穴になっているわけです。すなわち”肉眼的な海綿状態”と。で、こういう脳を持った患者さんはもう殆んど、植物的生存というように非常に強い障害をもっておるわけです。しかし非常に稀な、そういう症例です。」
(8)視覚系統図解による視野狭窄について。
「水俣病では視野狭窄というのがひとつの大きな症状になっておりますけれども、この図は、その視野を表わしております。そして、この周辺の薄いところの部分が見えない場合は、これだけの視野というように、漸次、視野狭窄を起す。それを司どるところが、ずっと辿ってきますと、この視中枢に入ってきて、これがここに示してあります。そしてこの色で言いますと、濃いところは一番後極ー後頭葉の一番うしろのところですけども、それはーこの真中(註・視野の中心部分)のところを支配すると、それから一審薄いところは、この周辺の部を支配するというふうになっております。で、視野狭窄で、この薄い所(註・周辺部)が障害されるということは、ずっとたどってきて、この薄いところが障害されておると。ーすなわち水俣病では、この深部(註・視覚領野の)の方から漸次、障害される特徴をもっております。」
(9)脳の機能図解図。その視中枢と運動中枢。
「すなわち、ここで示した部分(註・視中枢)のこの前の方の部分が侵されやすいということです。次いで、もうひとつの特徴は、この赤で示してあるところ、すなわち、運動中枢でありますが、そこが侵されやすい特徴があります。」
(10)運動中枢の顕微鏡的所見
「それを顕微鏡標本の肉眼所見でみますと、前、視中枢でみたと全く同じように、大脳皮質がこういうふうに薄くなっております。これは前と全く同じ所見でありますので省略したいと思います。」
(11)運動中枢と運動神経の脈絡図解による機能障害説明
「で、その中枢はこの赤いところですが、ここを前頭断で現わしたのがこれで、これは一側。したがって脳はこのように大きくこのようになっております。(註・脳の両側を手で一示す)・・・そして、この上の方が、足の方と。下の方が顔面と、上下が逆になった支配のしかたをしております。でこれは、運動の随意運動、すなわち、自分の意志で動かすという中枢でありまして、それがずっと錐体路を形成して、そして手足、或いは顔面に線維が行っております。で、その途中のこの内包の部分で脳出血を起して、ここがやられますと半身不随ということが起るわけですけども、水俣病では、この神経細胞が全部脱落すると・・・無くなってしまうということは非常に稀で、そういう人は躰が全部動かなくなる。しかし、普通の場合は間引き脱落といいまして、少しずつ神経細胞が脱落しますので、そういう場合は、動くのは動きますけども、例えば・・・」
〇臨床、記録フィルムより歩行障害をもつ患者の症状〈武内氏提供〉
「・・・歩く場合に足がつっぱるような、そういう痙性歩行ということが起る場合があるわけです。」
〇再び元の図にもどる。
「・・・ でその系路をみていきますと、ちょうど脊髄のところで、この部分とこの部分を、線維が通っておりますけれども、中枢がやられますと、その線維が障害されますので、次の・・・・・・」
(12)脊髄の染色標本
「・・・脊髄のところで見ますように、こういう風にその部分がやられておると。すなわちこういう人は手足のうごきが非常に悪くなっておるという病変が出てまいります。」
(13)小脳図解・機能図解
「でもうひとつの変化はこの小脳の変化。これは非常に特徴のある病変を示します。」
(14)小脳の実物標本スライド。
「で、これはその肉眼所見でありますけども、今のところを見ますと、これが小脳の断面です。でここは比較的正常に近い像をもっておりますが、こちらをごらんになりますと脳回と脳溝がひじようにはっきり区別のできる・・・即ち脳溝が開いております。これは萎縮のつよいところ・・・で、こちらもそうです。そちらより弱いですけども、少し萎縮しておるという所見が出ております。でこういう所(註・障害のつよい脳回部分)をもう少し大きくしてみますとー。」
(15)小脳の脳回部分の拡大スライド
「そうしてみますと、こういうふうに紫色に染っておる所は神経細胞が全部残っておりますけども、だんだんなくなって(註・内部にむけて)いるのが分ります。でこのうちの一部、こういう所をも一つ少し大きくしてみます。」
(16)更に一脳回部の拡大ー1
「でそうしてみますと顆粒細胞は全部なくなって、グリア(註・細胞)だけが残っておる、と。そしてこの神経細胞はプルキンネ細胞というものが、残りやすい特徴をもっております。」
(17)小脳の神経細胞と神経線維
「それを別の染色でみますと、こういうふうにきれいに線維はー神経線維は残っておりますが、顆粒細胞は全く脱落してなくなっておるという所見が特徴的であります。」
(18)図、小脳の機能系統図による各症状説明
「この小脳が侵されますと、色々の症状が来るんですけども、その中で、ボタンかけが拙劣くなる、或いは、お箸をもって物を食べるのが拙劣くなる。それから真直ぐ立っておれないという、そのような失調症状・・・」
〇尾上光雄さんにみるふらつき症状。(フィルム・徳臣氏提供による)
〇再び図にもどる。
「・・・すなわち共同運動が出来ないという症状が出てきます。そういうのがありますと、また、言葉がもつれる・・・すなわち構音障害も起ってきます。更に、ここに黒い線がありますように、耳の三半器官との関連がありますので、平衡が保てなくなる、即ち平衡障害が起る、というような事が出てまいります。更に手のふるえ、そういう振戦という症状が出てまいります。」
〇村野タマノさん、タバコを吸うときに見られる激しいふるえ(フィルム・徳田氏提供による)
「そのためにタバコをのむと手がふるえておるというような事が起ってくるわけです。」
(19)末梢神経の顕微鏡的所見、神経束の横断面。
「水俣病ではもうひとつ大きな特徴として末梢神経の障害があります。で、その中で運動神経と知覚神経がありますが、一般に知覚神経の方がつよく障害される、という特徴をもっております。で、これはその知覚神経の神経束の大きいものを横断した、その一部が出ておりますが、その中に、丸い正常の神経線維がある他に、全く消失ーなくなってしまった所があります。でこういうととろが障害されて瘢痕が形成されております。更に小さいものは再生の一部を示します。はい」
(20)末梢神経束の縦断面
「でそれを、縦断してみますと・・・別の染色で見たのですけれども、この青いととろは神経線維のなくなったところに瘢痕が出来た、膠原性の部分であります。更に正常の線維も少しは残っておる、という所見を示しております。ハイ」
(21)末梢神経の軸索
「で、又別の染色で、今の線維の中にある軸索というのを染めた標本ですけれども、こういう大きいものは正常なものが残っておるわけですけれども、その間にあるこういう所は強く障害されておる所であります。そして、その一部に小さい線維が見れるのはこれは再生しようとしたー不全再生の像で、こういう、再生しようとする像も、経過した水俣病では見られます。でこのように、末梢神経が全く障害されますと、知覚が分らなくなると、或いは痛覚だとか、・・・熱い、冷たいというような温度覚の障害がきます。又、手がしびれる、足がしびれるというような障害が起るわけですけども、このような再生がすこしありますと、そういうのが多少回復するーすなわち、リハビリテーションでそういうことを回復させようとするととにもつながるわけであります。」
(22)小悩・脊髄関連図による脊髄の障害について。
「で、そのように知覚神経が障害されますと、それは、この脊髄神経節を通って、後根から脊髄を通り、小脳へ関連するわけですけども、その際に表在性知覚と深部知覚があります。で表在性知覚は、先程申しましたような色々の知覚障害、その他の症状を起しますけれども、この深部知覚はこれは立っておる位置覚ーそういう位置の感覚に関係のあるところでありまして・・・・・・、」
〇西武則氏に見るふらつき。強いロンベルグ症状。(フィルム・原田正純氏提供による)
「・・・これが障害されますと、まっすぐ立っておれない、眼をつぶると倒れる・・ ・すなわちロンベルグの症状と、そういうものを起してまいります。」
(23)障害された脊髄の各位の横断面スライド
「でそれが実際の標本でみますと、そこの脊髄を横断した図でありますが、そういう知覚道がやられますと、こういう風に、そこが障害されて、染まらなくなるという変化が起ってまいります。」
(24)肝臓の顕微鏡標本による臓器障害について。
「そのほかに、水俣病では神経系統の障害が最も強いのでありますけれども、一般臓器に全く変化がないかといいますと、そうでなくて、やはり一般臓器にも何らかの障害がありはしないか? ということが今、問題になっておるわけであります。その一つをここに示しますと、これは肝臓の顕微鏡標本であります。・・・ で御覧になりますように、この赤い色で染っておるものは、脂肪を染めたわけでありまして、正常の場合はこういうのはありません。ところがこの水俣病の初期の中毒の場合に、こういう非常に脂肪洗着が起りまして、肝細胞の機能が低下しておるという所見が出とるわけです。で、これが慢性の場合どうなるかという問題が残るわけです。」
8 動物実験(猿)にみる有機水銀の侵入機序とその選択的障害についての白木氏の研究
〇実験スライドを自ら解説する同氏
スーパー ”白木博次氏(東京大学・神経病理)”
白木「あの、私たちの水銀中毒の実験は、ちょっと特殊な方法を使うんですけども・・・・・・」。
(1)生きた猿のスライド、冷凍した猿、それを切片にしてゆくまで。
「それは。猿における全身ラジオオートグラフ”という実験ですが、それは、放射能を与えた水銀をですね、たとえばこの猿に注射します・・・ごく微量のものを注射するわけですが、そして麻酔をしておいて、あの、ちょっと残酷ですけれども、この猿を生きたままエーテルとドライアイスの液に漬けますね、そうするとマイナス五十度くらいですから、猿は殆んど瞬間的にカチカチに凍るわけです。でその凍った猿を、こういう風に、ミクロトーム・・・これは金属板ですが、これに凍ったまま貼りつけまして、そしてこのミクロトームの刃でけづっていくわけです。そうしますとこの断面がー平らな断面が出てきますが、凍ったままですから生々しいですね。これが猿の脳です。これが眼で、これが肺、肝臓、胃と、こういうふうに見えますですね。こうやった猿を今度はこのミクロトームの刃でごく薄く、八〇 ミクロンくらいにスライスを作るわけです。」
(2)切片化された猿の全身のスライス。それにレントゲン・フィルム(すでに感光、現像されたフィルム)を重ねる。
「・・・それはこれが今の生の猿ですね。その上にレントゲンのフィルムを当てるわけです。そして暗室で一週間ぐらい露出します。そのあと現像しますとですね。放射能が沢山たまっているところは非常に濃く見えるーこういう事になりますから、一目瞭然ですね。」
(3)エチル水銀投与後一時間後の猿の標本。
「・・・で、ま、そういうような方法で、作りましたこれは猿のですね、エチル水銀のごく微量を注射して、そして作ったオートラジオグラフですけども、ま、エチル水銀もメチル水銀も・・ ・水俣病の原因であるのはメチル水銀ですけども、これは同じ、アルキル有機水銀であって、同じような毒性をもっております。でこれは一時間後のものです。そうしますと、もうすでに、この脳或いは脊髄ですね、こういうところにうっすらと少しずつエチル水銀が入りこんでいることが分りますが、がしかし一番高い放射能を示すのは肝臓ですね。或いは舌の筋肉。それからここが濃く見えますが、これは背骨の骨髄、これが非常に濃く見えます。・・・というのは、メチル水銀、或いはエチル水銀は、注射しますとすぐ赤血球に、殆んど瞬間的にくっ着きますので、こういうところが濃く早える。じゃ脳をーここを少し大きくしてみましょう。」
(4)同じ標本の脳のクローズ・アップ。
「これは、それであります。こういう放射能はこの猿の舌、あのエチル水銀は筋肉が非常に好きだもんですから、そこに異常にたくさんはいりますけれども・ ・・。これが脳でありますが、この脳にも、うっすらとはいっています。ただ、こういう風に黒く点々と見えますのは、これは脳を養っている血管の中に赤血球がありますから、それにエチル水銀がくっついてますので、濃く見えるわけですね。ええ、それからこれはー脳下垂体だけは他の脳とちがいまして非常にたくさんはいっております。・・・ これが一時間であります。」
(5)無機水銀投与の猿のラジオオートグラフ(投与後二〇時間)=有機水銀との対比。
「で、これは実はエチル水銀ではなくて、無機の水銀であります。しかも一回注射をして二〇時間たったところですね。それでみますと、この、脳には殆んど全然はいっていない、という事が分ります。それから筋肉なんかにもはいっておりません。ええ、高い放射能を示すのは肝臓ですね。それから腎臓であります。ええ、ところでこれは猿の膀胱であります、この中に尿があるわけですけれども、この腎臓からの尿が排泄されております。そこに非常に高い放射能がある。或いはその、腸の中の糞便の中にも、非常に高い放射能を示すーつまり無機水銀というのは体の中にあまり溜らない、はいってもどんどんどんどん排泄されるという事を示しています。ハイ」
(6)エチル水銀投与後、ニ〇時間経過の猿・ラジオオートグラフにみる侵入機序
「ところが、そのエチル水銀のような有機水銀の場合は違いまして、これは先程の無機水銀と同じように一回さして二〇時間経ったところですが、そうしますとこの脳の中に、はいっている・・・前の一時間の時よりも高い値を示すようになる。それから舌だとか、こういう筋肉にもどんどんはいってる。」
(7)エチル水銀投与後八日経過の猿。
「ところで、これがですね、先程の一時間、それからニ〇時間と同じ量の放射能を与えたエチル水銀を、たった一回注射して、八日たったところですね。・・・ これやってみて私自身もびっくりしたわけですけれども、ごらんになりますように、(強調して)脳とそれから脊髄ですね、これが一時間、ニ〇時間より透かに高い値を示しているということが分ります。・・・ 肝臓は依然として高い放射能を示しています。腎臓もそうですけどもー。例えばこの骨髄の中の放射能、或いはその、腹部の大血管の中の赤血球はだいぶ放射能が低くなっている・・・という事は、赤血球にくっ着いているエチル水銀がですね、脳の方にはいっていったというととを示しているわけです。腎臓からは、排泄されるという意味で非常に好ましいことです。これも唾液腺でして、唾液腺もこの唾を介して外に排池されるという意味で、放射能は高まっていますけれども。・・・脳からは、脳の場合はですね、これは蓄る一方だということを示しています。排泄されるのじゃなく蓄積されていくという事を示しています。ここを大きくしてみましょう。」
(8)同じ猿の脳部のクローズ・アップ
「そうですね。こうやってみますとですね、同じ脳といっても、その、放射能がたくさん蓄っているところ、それ程でもないところという事が分ります。でこうやってみますと、ことが一番高いですね、これは後頭葉ー頭の後の部分。これが眼ですね。ここから光がはいってーこれが網膜です。で、神経を介して、その光がここに行って、この神経細胞で、初めて光として感ずるわけですけれども、そこに一番高い放射能を示しております。・・・で、御承知のように水俣病の場合には、この部分の、視覚の最高中枢の神経細胞が侵される。だから視野狭窄が起るわけですが、こうやって見ますと、八日の時点ではですね、エチル水銀はここに一番高い放射能を示しているという事が分ります。・・・」
9 現在の水俣病症候群と今後の水俣病病像について。
〇死んだ海。部落の中を移動。子供の遊ぶ姿がある。
スーパー ”患者多発地帯 水俣市茂道”
士本の声「(質問として)水俣病の多発地帯を歩いてみますと、軒なみに、まあ、水俣病の患者であったり、或いは、今、症状を訴えている人があるわけですね。で、その人達はやっぱり、あの、いま、典型的ではないけれども、同じ地域に住んでいる限り、自分の体の状態は有機水銀の影響を受けていると・・・ いう風に思い込んでいるわけです、直観しているわけです。で、そういう人たちに対して、医学はですね、”全部、症状が揃わなければ水俣病ではない”という考え方があるもんですから、その人たちは今非常に悩んでいるわけです。・・・ で、今までの水俣病をどう観るかですね、それから今後、どこから水俣病が出てくるか・・・そういうことについて先生の御考えを御聞きし”たいと思います。」
〇”水俣病病像図のパネルで説明する武内忠男氏。すそ野に”汚染地域住民”のパターンがあり、上にいくにつれて、不顕性、不全性、定型、重症、そして死を頂点とするピラミッド型のパターン。”
武内「水俣病の症状と、それから、それを反映する病変を照らし合わせましてですね、そしてひとつの”病像”というものを作ってみると、大体、まあ山になるんじゃないかと思います。・・・で、これに示してありますように、一番重症のものは、死があるわけです。それから次に最重症型ーすなわち植物的な生存をしているもの。その次に強直型とかあるいは刺激型といわれるようなものが見られます。・・・更に、いわゆるハンター・ラッセルの症候群を揃えたものとして、まあ、これは普通の形ですけれども、そういう患者さんたちがここ(註・典型)に入ってきます。で、こういう方たちはどなたが見ても水俣病ということが分るわけですけれども・・・・・・」
〇”他の病気との合併によるマスク型”のパターン
「・ ・・その次のグループとして、他の病気があるために水俣病の症状が分らなくなるーマスクされておるという形。」
〇”不全型、すべての症状が揃っていないもの”のパターン
「・・・それから症状が充分揃っていないために分らないーいわゆる不全型というものがあると思います。」
〇”不顕型 臨床的に症状の把握できない形”のパターン
「・・・更にその下には症状が把握されないけれども、病理解剖から病変があると、すなわち、症状が不顕であるとー不顕型というようなものがあると思います。」
〇底辺の”汚染地域住民”の層
「更にその有機水銀の影響を受けておるけれども、症状も、それから病変もない一般住民の方が広く存在する・・・と。」
〇”特殊型・胎児性水俣病など”のパターン
「更にその他に、例えば胎児性の水俣病のように、特殊な形として存在するものがあります。これは従来知られておらない形でありますので、まあ、特殊な形というふうにしたわけですけども、この胎児性の中にやはり重症なー既に亡くなった人とか、あるいは脳性麻痺というようなものがありまして、その次の段階に知能障害の強いものとか色々なものがあるんではないかという・・・まあ、追究しなければならない形のものが、存在し得るという可能性を示すわけです。」
〇ピラミッド(山)の全貌をとらえて
「で、そういうことで、この山を見てみますと、急性の水俣病では、上の方が非常に強く出てきたーと。ところが慢性に、まあ、微量といいますか、そういう少い量の水銀によって起る徐々に起ってきた形の水俣病では、どちらかといいますと、この、不全型とか、あるいは山の下の方の形が増えてきとるわけです。で、そういうものが一番、分らない点で、今後、追究されなければならないものではないかと・・・・・・。」
土本「(下層のパターンを指し)慢性のあらわれ万はやっぱりこの下の部分から、まだ今後出てくるという・・ ・?」
武内「そうですね、あの、いわゆる遅発性というものがありますので、そういうものはこの不顕型からあらわれてくると思います。」
10 知覚神経の研究、動物実験(宮川氏インタビュー)
〇熊本大学の研究室、解剖された脳標本のぎっしり並んだ棚、質問する土本
スーパー”宮川太平氏(熊本大学・精神神経科)”
土本「水俣のような多発地帯の患者さんの中の、この、医学に対する訴えとしてはですね、自分の”しびれ”をどういうふうに、こう、診てくれるのか?と、という点があると思うんですけれども。しかしかつてのような典型的な水俣病とはちょっと違った形が二〇年後出ているわけですね。」
宮川「そうですね。そういったものは自覚症ですね。で他覚的に見て、そして、どうもないと。で、まあ、他覚的に、まあ患者さんが・・・ (土本「他人から見てですね?」)ええ、人から見てですね。ええ患者さんが色々いっとっても、それは医学的にみれば、専門家が見れば分るわけですよ。あっても無くてもですね。・・・・ところが知覚障害というのは非常に強くなればですね、例えばマッチを、火を、当てても感覚がないですから、だから火傷してそのままだとか・・・そういったことで他覚的にまあ、よう分るわけですけれどもね。軽い場合には、本人の訴えー本人の答えしかないわけですよ。ま、そういったところから、知覚に関する学問というのは非常に遅れておるわけですね。遅れてるちゅうかあまり皆手をつけないわけですよ。で、まあ、そういった事から、じゃ末梢のですね知覚障害を訴える人が、決してその有機水銀ではないかというと、そういう事でもないわけですね。」
1 1 ラッテによる知覚神経実験データ( スライドと観察による)そのラッテの大写し
〇 スライド、末梢神経の顕微鏡写真と脊髄横断面より出る前根・後根の図解を並列映写している。
宮川「有機水銀を毎日、一ミリグラムずつ動物に経口的に投与して、そして約八日目、体重の増加が停止してくる状態なんですけど、ま、その時のこの末梢神経を切断した、横断面の絵が、これ(註・細胞写真)なんですね。で(註・脊髄図解)この両側に出ておりますのが、これ末梢神経です。」
〇解剖されたラッテの末梢神経の脊髄部分の超クローズ・アップ
「・・・ で、この末梢神経が出る脊髄を横断してみますと、これが脊髄ですね、これが前の方から出る、前根、いわゆる運動神経線維。それから、この後の方にはいってくるーこれが知覚を司る後根神経線維ですけども、で、この両方が一緒になりまして、こう、まっすぐ末梢の方に走っていくわけです。」
〇再び顕徴鏡写真に
「で見てみますと、こういう、神経線維がびっしりこうつまっているわけです。で、大方の線維は正常ですね。こういうのは正常なんです。ところが、ある線維でみると、こういうふうにその線維の、有髄線維の、その髄鞘を養っているこの、細胞(註シュワン細胞)がこういう風にふくれてきているのが見られるですね、こういうふうに。これらが既に、病気の始まりなんです。次おねがいします。」
〇末梢神経細胞の障害部分の電子顕微鏡写真
「つよく障害された部位を電子顕微鏡で、約一万から一万五千倍位の倍率で眺めてみますと、このようになるわけです。で見てみますと、この線維ですね。それからこの線維、とういったところはかなりきれいな線維ですね。そうしますと、この周囲にあるこういう多くの線維は非常に強い障害に陥って、もう、こういった正常の形をとどめていません。どうしてそういう事が起るのか?と・・ ・。」
〇脊髄から出る前根、後根の合体する部分を指し
「・・・ で、このちょうど、後の知覚線維と、前の運動線維と合さったところを切ってみますと、その図がこれです。」
〇その合体部位の顕微鏡写真。下層部は正常な線維、上部のそれは破壊されて画然と区別できる
「この下の部分のこれが運動線維、それから上の部分ーここを通ってくる線維が知覚線維。で、見てみますと、運動線維の方はきれいな線維がぎっしりつまって、殆んど障害がない!と。それと反して、後の方の線維は非常につよく障害されているということが分ります。」
〇同程度の中毒のラッテの足のうごき、歩行は一見正常のスナップ。
土本「この時には、ねずみは動いているわけですか?」
宮川「ええ勿論、元気なんです。」
〇更に末梢部の神経の横断面の顕微鏡写真
「・・・ で、そういうことからしますと、ここに残っている線維ちゅうのは、運動の線維、で、ここに障害されてなくなっている線維は知覚線維なんです。ですから、まああの・・生きてる動物、あるいは人間ですね、そういったもの・・・その臨床的に、あるいは動物の行動面とか、そういったとこを見た時に、運動の力とか・・・そういったものはあるんだけれども、知覚がつよく障害されている・・・ というような事なんです。」
土本「ちょっと戻して下さい。」
〇スライド、再び両神経線維の合体した部分に。
土本「仮にあの人間の神経がですね、こういうふうになっている状態だ、としたならば、どういうふうな人間に対する表われ方があるでしょう?」
宮川「ええ。それであの、こういった、今お見せしましたのは、主に知覚線維がこういう風にして選択的にやられていると・・ ・これはその・・・例えば、顔面をつかさどる三叉神経、それから、その・・・聴覚をつかさどる聴神経、そういったいわゆる感覚をつかさどる知覚線維ですね。そういったものは同じように、この線維と同じようにやられているわけです。ですから・・・。」
土本「運動はできるわけですか?」
宮川「ええ、運動はできるわけです!」
12 新潟水俣病における遅発性・及び不全片麻痺の確認等の研究
〇川岸より移動でみる阿賀野川
〇広い流量の河、その岸辺の朽ちた漁船
スーパー”新潟・阿賀野川”
〇スライド 人体図で遅発性水俣病における知覚神経障害の進行を説明する白川氏
スーパー ”白川健一氏(新潟大学・神経内科)”
白川「新潟水俣病では、川魚の摂取の禁止が昭和四十年の六月に行われております。ですから、その後は新らしく水銀が侵入したということはないわけであります。で、その事は頭髪水銀量の経過を追っておりまして、半減期七十日で減少しております。ですからその事は多くの例で確認されておるわけであります。しかし、二、三年後の、昭和四十二、三年になりまして知覚障害が起ってきております。」
〇人体図に朱を入れて知覚障害の進行を示す。
「で、ペリオラール、口周囲にとのような知覚低下、上肢のこの遠位部に知覚低下、それから下肢の遠位部にこのような知覚低下が加わってきております。そして、深部知覚もこのように(註・秒数3)低下してきております。そしてこの知覚障害の経過をずっと見ていきますと、これが、次第に上向してきております。で、上肢の方もこれが上におよんできております。その後四十五年位になりますと、この躯幹の部にまでおよんできております。そして、その頃になりますと、半身の麻痺が加わってきておりまして、その麻痺賄側に知覚低下が見られるようになってきております。で、多くの例でこのような知覚障害のパターンを認めております。しかも、この片麻痺は二十代、三十代の若い人にも見られておりまして、徐々に進行、増強してるということから、血管障害によるものとは考えられない・ ・・。」
13 多発患者家庭、五十嵐さん宅での検診、青・壮年期の三人兄弟が並んでいる
白川「五十嵐さんとこは何人兄弟でしたかね」
松男さん「ええと七人。」
白川「七人。で今、認定されたのは(松男「六人」)・・・六人。で、今日集ってもらった三人の方の奥さんも、皆んな認定されたわけですよね。(「そうです」)で、松男さんが一番、髪の水銀高かったわけだけど、いくら位でしたかね。」
松男さん「ええと、二三五だと・・・。」
白川「三ニ〇・・・三〇〇いくらだった・・・三二五だね!」
松男「ああ三二五だった! はいはい三二五だった!」
白川「四十年の九月に入院して調べたわけですよね、髪の水銀が高いっていうので。その時ははっきりした異常というのはつかまらんだったけどね。」
松男「そうですねえ・・・ただまあ・・・。」
白川「それで、そのあとは自分で具合悪いなあと思ってきたのは・・ ・その次に出てきたのはどんな事、いつ頃、どんなのが出てきましたかね?」
松男「あのね、あの、左の、やっぱり足の上りがね、悪い・・・けつまづいたりして、そいで、あの・・・・転んだりねえ・・・。」
白川「それ何時頃、一年半か・・・ 二年位して・・ ・。」
松男「一年半から二年位してからだねえ、そんで右の方はね、こうやっぱりつまんでもいくらか痛えしさ、左の方の手は、どうつまんでもね、そう痛くねえです。それで、あの・・・ 入院したときに、先生の、あの、ああいう工合にやってさ、針をこうつつ通すね(註・痛覚テストに用いる針)ここに(腕に)針をつつ通す・・・ここに針をつつ通したりしてね。やっぱりたまに自分でやってみることわさね、どれだけ悪いだろうかと思ってね。針をこうやったことあるさね・・・やっぱりこっち(註・右手)の方はやっぱり痛いしね。こっち(註・左手)だと左が悪いもんだで、そう痛くねえし。血は出ますわね。こうやってやると・・・ 。」
白川「顔はやっぱり右左、違ったかね?」
松男「そう、いや、そやけどやっぱりいくらかこっちの方がねえ(と左の頬をなでる)悪いやねえ。」
士本「栄作さんの方はどっち側が?」
栄作さん「やっぱし俺の方はこんだ、右の方が悪いですわねえ。」
白川「栄作さんは、あんまり髪の水銀高くなくって、そしてしびれが出てきたのは何時頃でしたかねえ」
栄作「やっぱり、四三年頃からだね・・・ 。」
白川「それまではあんまり困ることなかった?」
栄作「ええ、あんまり感じねえで・・・。」
土本「もう、その四〇年位からは魚、食わなくて、あのいらっしゃったですか?殆んど・・・。」
栄作「あの規制(註・四〇年七月一日漁獲規制)されてから殆んど食わねえ! (白川「その前まで?」)」
松男「ほとんどどころか全然くわねえ!」
栄作「殆んどどころか規制されてからは・・・・。」
白川「・・・はじめっからみんな、もう、患者さんが出たからねえ。家族でねえ・・・。」
土本「じゃ、食べなくなってから、二年とか何か経ってからですか?あのなるべく食べないようにしてからですねえ。」
栄作「そうですねえ・・・ あの食べねえようになってから・・二年なんか経たなくもねえ、やっぱし、しびれが出てきた。」
白川「しびれが出てきた!そして少し遅れて半身が悪くなつてきた?」
栄作「そうですねえ・・・。」
白川「その時は、やっぱり半身が悪いというのは徐々にきたわけ? (栄作「ハイ、しぜんにねえ」)ふうん、自然に来たわけ。」
松田「まさか、こっちはまだ三〇そこそとの、(笑う)まるっきり年寄りみてえな力しかねえのかなあと思って頑張つてはやるんだども、やっぱり、相当に・・・力がだるいような・・・ずうっとね。驚いていますがねえ。ま、人様にそげんなこというとねえ、”そんな、勝手に食って!”なんて言われすけん、まあ黙っていますがねえ。」(皆笑う)
14 同じ家、ひとりひとりへの簡単なテスト
〇栄作さん、眼をつむったまま両腕を平行、水平に支えるよう指示されているが、右の手がどんどん眼に見えて下ってくる。
白川「はい、いいです。やっぱり、こっち(註・右手)の方が具合悪い?」
栄作「はい。少し・・・。」
白川「具合悪い。じゃこういうのはどうですか?」
手のひらをぐりぐりまわすテスト
白川「早く!思い切り早く!もっと!もっと早く!ふうん。こっちもうまくないけど、こっちの方がなお悪いわけね。」
〇松男さんの妻がテストをうけている
妻「ええそうですね。」
白川「顔も右側が悪いのね?」
妻「ええ、ちょっと何だかね、こうヒクヒクってするようなね、唇とか、眼のとことか、口・・・。」
白川「で、触った感じもちがう?」
妻「やっぱ、そうだわね。あれするときわね、右側ね!」
〇腕を水平に保つテスト。右腕が下がる。
白川「そうですね。はい。もう一度ね、ひじのばして、指ひらいで、同んなじ高さ・・・ で、目をとじて下さい。」
〇やはり右が下る。
〇指鼻テストで左右差をしらべる。
白川「眼をあいて・・・はい眼をとじてやって下さい。今のを。」
眼をあいているときとちがって、右手が鼻に至るまでに行きすぎ戸惑う。
白川「今度反対、はい、右側をもう一度やって下さい・・・。」結果は同じである。
白川「ちょっと笑ってみて下さい。」
妻、笑顔をつくるが右頬が軽くひきつっている。
〇松男さんに同じテスト。その左腕、急ピッチに下ってゆく。
白川「はい、いいですよ。それでね、もう一度やって下さい。平らにして、指ひらいて、そして、眼をとじて。」
同じピッチで下る
白川「はい、いいですよ、でね、眼をきつく閉じて下さい。思いつきり、はい。」
〇松男さんの閉じた眼のアップ、その左側に軽い痙攣が走る
〇腹ばいになって、両すねを保つテスト。左足首、がくつがくっと下る。
白川「もう一度やってみつかな?こう頑張っておいとくんですよ。はい。」
〇白川氏が高さを揃えるが、手を離したとたんから、左足だけが下る。
15 医学統計の図表スライドを説明する白川氏。英文データである
スーパー ”遅発性水俣病・各症状の出現率”
「このグループ(註・十五名の患者は、自覚症状・他覚症状とも全くなかったグループでありますが(註・昭和四十年当時)、その後七・八年経過したところで、どのようになっているかということを示したものであります・・・。」
△この第一の末梢神経障害、これは九三%にみとめられております。
△次の口周囲の知覚障害でありますが、これが五三%にみとめられております。
△次の共同運動障害は七三%みとめられております。
△聴力障害も同じであります。(七三%)
△不全片麻痺も六〇%にみとめられております。
△視野狭窄、これは対面法による成績でありますが三三%にみとめられております。
ーこのグループの平均年齢は三七・四歳でありまして、血管障害が多くみられる年齢ではないわけであります。」
16 不全片麻痺の再確認。人体図(註・前出のもの)を前に質問
土本「あの熊本(註・熊本・水俣病)ではですね、”片麻痺”というのは一応、主要な症状から除外されていますけれども、現実には今日見たような方がかなり居るわけですか?(註・熊本の認定審査会の一般的見解を新潟の場合に照合した意味の質問であるー土本)」
白川「私どもが見ております例ーかなり高齢の方も含みますから、全く血管障害がないということは言えませんけども、今日見ていただいたように若い方でも見られておりまして、最近のまとめによりますと、五〇%以上に片麻痺を見ております。」
17 視野狭窄にみる遅発性水俣病の実例
〇ほぼ正常の視野より、極端な狭窄までの三段階(三期)の視野狭窄図のスライド。
白川「視野についても、この一番上のを見ていただきますが、これ、四〇年の一〇月に、視野狭窄がないことを確認した例であります。ーで、その後四二年になりまして、このような視野狭窄が起ってきております。でその一年後(註・四三年)には、これは更につよまってきております。」
〇その各例のアップ
「新らしく毒物の侵入、・・・メチル水銀の侵入がない・・・そういう人にもあとでこのような症状が起ってきておりまして、まあこういう事は、以前の中毒学では考えられないというふうに言われたものでありますが、事実、水俣病では、こういう例を多くみているわけです。」
18 平衡機能障害の検査方法(新潟大学)
〇「水銀外来」の標示、新潟水俣病患者の受付である
土本の声「いわゆる水俣病の患者さんがですね、眼まいをね、よく訴えるということは聞いていたんですけれども、相当、深部のですね、感覚障害、知覚障害をとり出すわけですか?」
〇耳鼻科の一室、わん曲したシネマ・スコープ型(横・縦共)のスクリーンに可変速の光条を移動させ、眼の動きをとり出すー「ユング型視運動刺激装置」を前に水越氏にインタビュー
スーパー ”水越鉄理氏(新潟大学・耳鼻咽喉科)”
水越氏「はい、かなり、まあ、脳幹部といわれまして、耳より奥のですね、延髄とか中脳とか橋部とか、そういうところの障害をとらえる、まあ検査になるわけです。」
〇スクリーンに光条が等間隔で移動しはじめる。電気的に記録する図形を見、解説しながらのコメント
水越「これは一度の加速度でですね。で、百二〇度ぐらいまで速度をあげてって、その時の線上の動きをですね、追跡しますと、その時の眼振って、まあー目の動きが、早い動きと遅い動きのまじった眼の動きがとれるわけです。」
〇記録計に波形が出る。それを読みながら「非常に大きい動きで良く出ています。・・・これぐらいになると、もう自分で回転感覚が出てきますから、ですから、反射的に目の動きが出てくるわけですね。もうでなくなったわけですね(註・約二十秒後)良く見て下さい! ・ ・・。」
〇検査をうけている成人男子。光、水平に動く。
スーパー ”申請中の患者検診”
水越「・ ・・追跡できなくなってきていますねえ。・・・まあ、こういう障害はですね水平の眼の動きと、垂直の動きでですね、その障害の部位っていいますか”責任部位”が少し違うわけなんで、水平の方は、ま、どちらかというと延髄の方のー脳幹でも下の方の障害ということになりますし、垂直の動きになりますと、脳幹でも少し上の部位の障害という事がまあ言われるわけです。」
〇光の動き 垂直に変る
「・・・そういうことが、ある程度分ります。この検査でですねえ。」
〇グラフを示しながら「もう殆んど出なくなってきちゃったですね。二〇秒位つくかつかん位で非常に出が悪いんです。」
〇被検者の患者のアップ
「ですからこの人は、まあ可成り水俣病としては典型的な所見が出てるんじゃないかと思いますね。」
〇投光器のアップ、じわじわと加速する。
土本の声「こういった測定のですね、結論というのは、かなりその水俣病の認定の場合ですね、大きい位置をしめしていますか?」
〇患者、コードを帖りつけられたまま光をみている。
水越「はい、ま、あの特にですね、”平衡機能”の検査つてのは、他の脳神経の所見と非常にマッチしてましてね、かなり他覚的にこれが検査できるからね、ま、水銀中毒の認定の時には非常に注目されてきている所見になっとりますね。」
土本「あの、慢性なんかで微量の場合もですね、これは割と正直に反映しますか?」
水越「はい。特に微量で慢性の場合にもですね、障害が多いというふうに所見が見られるようですね。」
19 聴力検査中、語音聴力テスト
被検者は申請中の女性患者である。レシーバーを通じ、”ことば”をきかせ、応答させる。スーパー”大野吉昭氏(新潟大・耳鼻咽喉科)”
〇テープが低い音を出す、「ニイ・サン・・・」患者、その音をとらえてこたえる。ダイヤルで音量を刻々変えていく。
大野氏コメント「これはですね、あの、ま普通の聴力検査というのは純音聴力検査といいまして、ええ、ピーとか、ポーとかっていう、非常に単純な音を聞かしているわけです。しかしこれが聞えたからといって、社会生活をする上で支障ないとは言えないわけですね。」
〇患者、時に聞きわけられない。
大野「それで今度は、”ことば”を聞かして検査するわけです。そうしますと、これがちゃんと開きとれれば、”社会性”という問題に関しては、できるとかできないとかいうことは言えるわけですね。・・・で、一般に水俣病の場合には、この純音聴力検査というのは比較的程度としては軽い障害に終る場合が多いんですけども、この”ことば”の検査をしてみますと、非常に悪くなっているとー。ま、これは、非常に障害部位を判定するには、これだけから云々する事はできないんですけども、やはり聴覚路のうちでも、特に中枢に近い方がやられているんじゃないかという気がいたします。」
20 ”ゴールドマン”装置による視野狭窄の測定。熊本大学内暗室。
〇女性助手が、光点のよみとり方を患者に指示している。
スーパー ”熊本大学医学部・眼科”
患者さんにスーパー”申請中の患者”
助手「・・ ・見えたらすぐ押して下さい! (指示)まぶたを上げて下さい。上の方から明りがきますからじゃましないように、眼は真中、ここを見ていて下さい。」
〇検査、光点が周辺から中心に近づく。見えた点を全角度に記録してゆく。
〇患者さんの眼のアップ。被検者の視野狭窄図が正常のそれと対照して示される。その図形についての医学的判断をのべる筒井氏。
スーパー ”筒井純氏(元熊本大学・眼科)”(註撮影時熊本・水俣病認定審査会委員)
筒井氏「ええ、この方のですね。視野が、これは狭窄があります。それから沈下・・・著明にきてますね。そして眼球運動もですね、ううん、多少の乱れがあったというととから、同じようなことが考えられる。」
21 自筆の視神経脈絡図を以て、眼球運動異常のメカニズムを語る筒井氏
「・・・有機水銀中毒の場合ですね、個々の細胞が抜けてきます。で抜け・・・破壊はですね、前寄りの方(註・視中枢)この黄色いゾーンのですね前寄りの方、こっちの方が強く起るんですね、ーそうしますと、これがですね、ちょうど視野の周辺部にこう相当すると。・ ・・そしてですね、これが従来ハンター・ラッセル以来分ってたことなんですけれども・・・・。」
〇図の視中枢の隣接領野等をアップで。
「ええ、私ども、ここんところを調べてみたらですね。この連絡路ですね、隣近所の連絡路、それから反対側の脳半球との連絡路ーこれがですね、非常に壊れている。ですからこの赤い道ですね、これも壊れていますし、それからこの紫色の道も壊れている。・ ・・で、その結果としてですね、この赤い道の破壊は、この”眼球運動”を、こうやるとき(両手を眼球に擬して、左右に)にですね、これがガタガ夕、ガタガタとこう乱れてくるという現象が起ってきます。」
22 ハイスピードによる眼球運動異常の把握(スピード倍率四倍)
〇被検者・視野狭窄テストと同じ(御手洗広志氏)振子をみる眼球がひっかかり、瞬間に次にとぶ。円滑さを全く失っている。
筒井氏コメント「ええ、この眼球運動の映画はスローモーションで撮ってありますので、実際には四倍の早さで眼は動いております。で、今検査しておりますのは”滑動性追従運動”といわれる眼球運動であります。・・・振子を使いまして、滑らかな眼の動きを調べておりますが・・ ・ (画面の眼の異常を読みながら)この方はあすこんとこで停って、一旦停ってですね、そしてポーンと飛びますね。・・・はい又、同じような事が起りました。」
〇眼球の左右のうごきの中で、同じところでとぶ。
「はい又、帰る時に一つゆれますね。はい、あすこ(註・数ケ所ひっかかる部分がある)でやりますね。・・・そこ停止しますね、一時停止があると。・・・ 右側の端のとこが、どうもあすとんとこがねえ、引っかかりが常に出てきますね。・・・はい、大きくあすこで飛びましたね。ちょっとあすこで引っかかるんですね。引っかかって大きく飛びますねえ。」
〇更に片目の動きのアップ、同じハイ・スピード
土本の声「この人の場合、視野狭窄ということとは関係ないんですか?」
筒井「視野狭窄とは関係ないですね。ま、視野の中心部は、良く、これ、見えてますから・・・。視野が狭くなってくるというのはね大脳の視覚領野のですね、第一段階のところの故障ですね。そして今度は、その第一段階からね、目を動かすとところへですね、信号を送るですねーその連絡路があるわけですーそれが第二段階です。そして第二段階からですね、今度、直接に目を動かす刺激が降りてきますーそれが第三段階ですね。第一がやられるとですね、今度は第二にいく神経線維がですね故障を起してきます。そして今度、第二から第三へ行く回路が故障を起してきます・・・・・。はい!又、大きく飛びます!」
23 人体の病変と猿のラジオオートグラフによる、水俣病の”全身病”への推論。白木博次氏(東大・神経病理)
〇スライド
(1)脳の病変図(ある特定患者の剖検)
白木氏「あの、水俣病は御承知のように脳の病気であり、或いは一部は末梢神経、特に知覚神経の病気だということは云われておりますけども、私は、まあ、脳・神経も勿論ですけれども、しかし”全身病”としてものを考えていかなければならないというような事を少しお話ししてみたいと思うんですね。・・・ で、まず脳からお話しいたしますけど、このあるいはこれですね、黒く点がうってあるのは、これはそうです、大体まあ病気が始まって三ヵ月位で死亡された、いわば急性期の脳の変化です・・・ 。」
(2)病変の激しい脳の断面標本
「で、その例がこれなんですけれども、熊本の子供の水俣病の例でありますが、ごらんになりますように、この神経細胞の集っている脳の皮質が、もう全部の領域がやられてしまっておる(土本「先生、もうちょっと指して下さい」)で、こういうふうに穴ぼこだらけになっている。で本当はここが黒く見えなきゃならないんですけれども、そこも白っぽくなってきている。ーいわゆる悩の白質という所ですが、そこもやられている。つまり全部やられている。そうなりますと、一体これはどうしてそうなったのだろうか?」
(3)病変を起した動脈の断面。内側、肥厚している
「・・・・ これは、あの、脳を養っている動脈なんですけども、それに変化があるわけです。その変化というのは、ここが血液の通っているところですけれども、本当はここまで開いていなきゃいけないわけです。ところがこういう余計な細胞が増えてきてですね、そして、血液の流れが悪くなってる。血液の流れが悪くなれば、当然それは脳がまた破かされていくということになりますね。」
(4)第二例の病変脳標本、上部に血管が見える
「これは阿賀野(註・新潟水俣病)の例なんですけれども、二八歳の男の人で、やはり中毒して、ええまあ、こういうふうにしてやられているんですけれども、問題はここにある動脈なんですね。これを大きくしてみましょう。」
(5)その血管断面のクローズ・アップ。
「そうしますと、やはりですね、血液はここしか通つてなくて、余計な組織がこうできている。」
〇その血管の内側に本来の数分の一位の穴しかなくなっている。
土本「これがあれですか、いわゆる血管の。」
白木「そうです。で、これは一口に言って動脈硬化症といって良いんですね。」
(6)第三例の病変脳、その萎縮した全体標本
白木「で、これはいわゆる水俣病とはちょっと遠いますけれども、あの、十九歳の学生が皮膚病になりましてね、そして水銀軟膏、つまりメチル水銀ー水俣病と同じ原因の物質を含んでいるーその水銀を、三ヵ月皮膚に塗り込んでいる間に、その毒が脳に行きましてですね、やられた例なんですね。(指さし)ここが視角領野であって、後頭葉の部分ーここも強くやられてますけど、他の所も全部やられてるんです。例えば、こういう所を大きくしてみますと.・・・・・。」
(7)前出の脳の断面のアップ。蜂の巣状である。
「あの、ここに神経細胞がなけりゃいけないんですけれども、すっかり、あの、落っこっちゃって、あとは穴ぼこだらけになってるーいうわけなんですが、じゃ、ここを養ってる脳の血管を見てみますと・・・。」
(8)血管の断面図、殆んど他の組織で塞がっている。
「こら、もう、ひどいもんでして、血液はこの部分しか通っていない。これだけ、あの、余計な組織が出来ております。そしてここには脂肪があるんですね。コレステロールが貯っている。・・・ こうなってきますと、これ、動脈硬化症そのものなんですね。そうなりますと、ま、年をとってくれば、ま、誰でも動脈硬化症になりますけれども、八歳の子供、四歳の子供、二十八歳の若者、十九歳の若者、そういう人達が動脈硬化症を起すということになりますと、これは明らかに異常であって、どう考えても、私は、その、水銀というものと関係があると思うんです。」
(9)猿(エチル水銀投与後二十時間)のラジオオートグラフ。その全身像
白木「で、この、いわゆる猿の実験のラジオオートグラフでみますとですね。これは注射をして二〇時間たったところです。ここを見ていただきたいんです。ここは心臓ですね。ここをもうちょっと大きくしてみましょう。」
(10)その心臓部のクローズ・アップ
「これが心臓なんですけれども、その心臓の壁の中にですね、メチル水銀ががっちりはいっているということが分ります。で、これが大動脈ですけれでも、その大動脈の、この壁ですね、これもやはり筋肉からできていますけれども、その中にもはいっている。・・・で、実はですね。あの水俣病の解明のヒントになったハンター・ラッセルの例ですね。あれは三十三歳の時に、ええ水銀中毒になって、十五年間生きてたわけなんですけれども、その間に血圧がー病気の前が一二〇だったものがー一八〇から二〇〇位に上っている。つまり高血圧になっているわけです。(腕に手をやり)・・・で、血圧を測るのは、ここで測るわけですから、従ってここの血管に既に、やはり問題は起っているということが言えますし、それから十五年経って死んだ時はですね、実はー心臓の壁がやられたわけです。で、それはどういう事かと言いますと、心臓の壁を養っている”冠動脈”という動脈があるんですけれど、その動脈に動脈硬化症が起る。そうしますと、血液の流れが悪くなる・・・・そうすると心臓の壁がやられてしまって、それが死因になっている。・・・今度はこの部分を少し大きくしてみましょう。」
(11)内臓部分のアップ
「そうしますと、これは腎臓なんですね。腎臓からは尿を通じて、メチル水銀が排泄されますから、非常に高い放射能を示していますが・・・。問題はこの部分ーこれが胃なんですけれど、これが脾臓なんです・・・これは膵臓というところなんです。そこにも水銀ー有機水銀は相当侵入してるってことは分ります。ところで、この膵臓っていうのはですね、実はこの膵臓の組織の中にランハンス氏島(註・ラン ゲルハンス氏島)っていうところがありまして、そこでインシュリンを作っているわけですね。ーでインシュリンを作っている所に、その、水銀がはいっていく。そしてそのインシュリンを作っている組織がやられますと、インシュリンが生産されないーで、そうだとしますとー血液の中の糖分を分解することは出来ませんから、従って血糖値が上って来るー糖尿病になるー糖尿病から今度は動脈硬化症につながっていく、そういうような事が充分考えられると思うんですね・・・。」
24 保留者たちー熊本市、熊本県庁附近(音楽)
ナレーション「昭和四十九年二月、長期保留者達は熊本に認定審査会長を訪ねました。」
25 水俣病患者認定制度について、有馬澄雄氏の解説。パネルに、患者と主治医、県(国)、審査会との三角図形、及びそのらち外に位置するチッソが描かれている。
有馬「水俣病患者認定制度について説明いたします。水俣病患者認定制度は政府がつくったもので、県が実際には、こういう審査会をつくって運営しております。で、水俣病患者の人達が、チッソから医療保護とか、或いは、生活の補償をしてもらう為には、この認定制度の中で、水俣病として認定されることが必要なわけです。それで、具体的に認定制度自体を見ていきますとー現地で、現地の、その開業医がいつも水俣病患者を診療したり、或いは治療したりしていますけれども、その医者が『水俣病の疑いがある』とか、或いは、『あなたは水俣病である』と診断した場合に、そこで患者さんが申請しまして、初めて県から審査会に、あの、諮問がされるわけです。」
〇図上、審査会、そこに”認定、保留、棄却”とある。
「・・・それで審斉会では、そのために患者を、あの、三回ないし四回、あるいは最近は非常に医学的に難かしいといわれておりますので、何回も通って検査をするわけです。ととろが、こういう、患者制度自体に、今、ひとつ大きな問題がでてきておりますのは、申請患者が現在においては二千四百名(註・五〇年三月現在、三〇〇〇名)位ありまして、そういう人達が、そういう生活補償を受けるためには、今、早い人で一年、遅い人であれば、あの、五年位かかるといわれております。そして更に審資会で最近においては難かしいとされている”答申保留”とかいう形で患者がそのまま残されておるわけです。そういう人達は、長い人で五年位、そのままして、保護を受けられないとーいうような問題が出てきております。」
26 審査会の構成についてのパネル、有馬氏の解説つづく
「・・認定審究会の委員は三つのグループに分れまして、大学関係の水俣病研究者、それから現地の市立病院関係者、県の衛生部長ー水俣病であるかどうかは、この十人の委員により決定されます。」
27 患者さんの要求による説明会会場内
〇審査会長が冒頭の説明を行っている。スーパー”保留理由の説明、武内認定審査会長 昭四九・二・ 一九”
武内氏「・・・勿論あの医者ですから、患者さんを助けるー救済するという精神はこれは当然持っている、持たなければならない点ですから、そういう精神の下にやっておるわけです。」
〇武内氏のアップー保留の条件についてー「ところがですね、その三番目と四審目のー”否定出来ない”ということと、それから”別の病気だ”という間にですね、どうしても”どっちか分らない”というのがあるんです。これはもう医者のどんな手段をしても判断ができないわけですね。どっちに・・・どっちにはいるか分らない。そういう時に、”分らない”・・・”分らない”というのがあるわけです。これはあの、皆さんは理解できると思いますけれども、病気の診断が、どうしても医者に分らない・・・ いろんな検査をしても分らない・・・というのがあるわけです。それを”分らない”というふうにまあ一応言うわけです。ところが、その分らないものの中にですね、どうしても、あの、時期をみてもう少し診てみたい、一定の時期をおいて診てみたい、あるいは、もう一ぺん診たい。もう一ぺん、その、資料を色々集めてですね、そして精査したら分るかも知れないーいうものがあるわけです。そういうのが結局、まあ、次にもう一ぺん診ようというふうにして”保留”してあるわけです。」
28 世話人、川本輝夫さんの意見
〇患者、及び患者家族が耳を傾けている。
「ま、確かにそういう意味での、今言われたような事ではあると思いますよ、そりゃ、そうかも知れませんけど、まあ、個々の例を私たちは数多く、その不満の例を聞くわけです。」
〇川本氏の鋭い舌鋒がつづく
「例えば、熊大に、その連れてきて、とにかく、そのもう、失神する位、その、苛い目に会わされたという人もおるわけです。たまには、そのもう、水俣の市立病院で、もう、朝の九時に出ていって、夜帰ってきたのは一〇時、一一時なんて、こんなとんでもない検診の方法なんて!・・・とにかく、全く、その、何ちゅうか、患者の肉体無視ちゅうか、時間無視というか、経済的な無視ちゅうか! なんかこう、そういう例があまりにも多すぎる、と。とにかく、そのもう、吐き気を催す位、その、体を酷使されたという・・・検査の方法をとって、そういうやり方までしなければ”認定”をしないのかという実態もあるし・・・ 。」
〇母親が暗い表情で聞いている。
川本「・・・なかには、苛い先生なんか、その『あなたは何派ですか?』と。例えば『自主交渉派ですか?』とか、『東京交渉団派ですか?』『一任派ですか?』、『調停派ですか?』って、こんな、その、全く医学とは関係ない・・・関係ないことまで、水俣の市立病院で聞かれたという人も居るわけです!」(註・患者さんはチッソによって数派に分裂させられている)
〇話を聞く武内会長、そのやりとりを凝視する患者及び家族、声=発言者、宮沢信雄(水俣病研究会会員)
「あの、審査会に出てくるデータっていうのは、非常にあの、大切だと思いますけれども、一番問題なのは、そこにでてくるデー タを誰が拾ったか? ということがあると思うんです(註・審査会は臨床ほか各部のデータの書面審査である)。・・・医者っていうのはやはり人間ですからね、専門家が見れば皆同じ結論になるーと言うのは、それはタテマエ論であって、人によっては、ある症状を拾う人もあるだろうし、拾わない人もあるだろうし、うっかり歪めてしまう事があり得ると思うんです・・・・・・それは水俣病の歴史が証明していると思うんですけれどね・・・そういう意味から言つでもですね。誰がこの患者を見たかっていうことの責任ははっきりすべきだと思うんです。というのは、普通の病気だったらば、その、患者さんは、ある医者を選ぶ権利があるわけですね。”私はあの医者を信頼しているからあそこに行くと。水俣病の検診についてはね、医者を選ぶ権利はないわけですよ。」
29 個人別説明。その中での集中的質問
〇別室でひとりひとりの患者、あるいはその肉親に説明する武内会長
武内「あの、他の原因があってもくるわけですよね・・・ 。」
〇扉ごしの情景にスーパー
”いわゆる精薄とされている患児の保留理由について”
〇土本コメント「この日は、病理学者であり、同時にこの審査会の会長でもある武内さんにむけられた親たちの質問というのは、自分の子供は、胎児性の水俣病だと思うけれども、精薄といわれて何年も経っていると。で、胎児性の子供と精薄の子どもと医学的にどういうふうに違うのと。自分の子供をどういうふうにして何年も放置されているのか?と。こういう点に質問が集中しました。」
武内「・・・メチル水銀中毒症にないわけですよ。今までにそういう報告がないんですよ。医学のなかにまだ、それがはいってきていないんです。それでですね、判断ができないんでおるんです。・・・」
〇県当局事務官は一言も発言しない。
30 保留されている子供たちの紹介。
〇前坂さゆりちゃんの場合
〇浜本順君の場合、ともに二年以上保留されている焦点の患児である。
武内コメント「・・・その、例えばね、原因にはいろいろなものがあり得ると思うんです。それから、それがまだ分らないんです・・・精薄の原因というのは分らないんですよ。それからね、胎内でですね、例えばへその緒が曲がりついて、脳の失血、(血のめぐりが)うまくきかなかった為にですね、脳の発育が遅れてくるものもあるでしょうし、・・・あるいは生まれる時にお産が長びいてね、来る場合もありますよ。まあいろいろ原因があるもんですから・・・それが分っていれば簡単に言えるんだけども、それが分らないもんですから、非常に判断にむつかしい点があるわけなんです。」
31 個別回答、浜本順君の場合。
〇その父親に、川本世話人が説明役を買ってでている(室の外より)
川本「(父親に)ほんで、まあその、今までの先生の説明はたいな。例えばほう、眼の中に脈絡膜というのがあっとですたいな。それがな一部その、失くなってると。で、眼が狂うてこう見た場合に・・・品物ンがこう狂うて見えるわけですたいなあ。で、それなんかの原因もな、はっきり有機水銀の影響であるかどうか、今のところは、先生のつもりでは判断できんと・・・・外に原因のある病気もあるし、その、そういう、あの本当に有機水銀の影響があるかどうか、今のところ判断がでけんから保留にしてあると・・・。」
32 ある胎児性様患者の母親の質問
〇執拗な応答がつづいている。
母親「・・・そやけど一年たったらですね、あの、もう一回検査を受けますということの手紙を頂いてるんですけどね、何にも音沙汰ないんですけど、どういうあれでですか?(武内氏「イヤ!」)それまでには・・・。今は、現在ですね、足がもう悪かったり・・・。」
武内「あのね、こういうことがあるわけですね。(書類を探しつつ)お宅さんはいくつかな?十四歳ですね、十四歳、(母親「十五歳になります」)十五歳に今度なるわけですね?そうしますとね、十五歳になった時点で何か分ることがあればですね・・・例えばですよ、ま、たとえばですね、視野狭窄というのが分るとするですね?そうすると胎児性の水俣病と同じ症状、すなわちメチル水銀中毒症と同じ症状が、ここにひとつ出てきたととになるわけですね。そういう場合は、あの、答申の資料になるわけです。すなわち認定の際の材料になるわけなんですね。」
母親「それは、まあ本人調らべなくてもですか?」
武内「いや本人をしらべた上でですよ。」
〇窓ごしに見る母親。そのつきつめた表情。
母親「あの、どこまで研究されたらって思うわけですよ、親としましては、(武内「いや、よく分る!」)もう二年も放ったらかしでしょ。そして、いづれは様子が変りましたらね、お伝え下さいっておっしゃっているんですけどもね・・・・・・。」
武内「あのね、お宅の坊ちゃん。坊ちゃんでしょ?坊ちゃんをね研究しとるわけじゃないんです・・・・。」
母親「それも段々よくなる方向でしたらいいんですけど、悪くなるでしょ。そしたら親としましてはね・・・。」
武内「そりゃ分る。けどね・・・私ども医学として判断できないんですよ。理論的判断ができないわけです・・・審査会で判断する場合にですね。」
母親「そやから、どういう風に、その精薄児でも、やっぱ違うわけですか?他の先生方の反対もあるでしょうけど・・・。」
武内「どういう風に違うっていうのは?」
川本「胎児性水俣病の子供と、いわゆる、その、俗にいう”精薄”という子供さんというのと、どの点であの・・・。」
武内「区別するかということですね。」
川本「・・・どの点で素人でわかるような形で、判断できるのか、判断されるのかということを、おそらく知りたがっておられると思うんです。」
母親「それがね、精薄児というても、親が大病でもした覚えがあるんでしたらね、私たちも、”ああいうことがあったから、こういう子供が生まれたんやなあ”というあれでもありますけど、全然、そういうことも、兄弟もありませんし、親もありませんしね、するわけです・・・」
武内「そりゃまあね、分っております。」
33 ねずみによる動物実験、胎内での毒物の侵入について。東大、白木氏の研究
〇オートラジオグラフの妊娠したねずみ。無機水銀投与ニ四時間後のスライド
白木氏「これはまあ、妊娠したねずみでありまして、妊娠二週間目のところでですね、放射能を与えた水銀、とれを注射する。そして二四時間経ったところで見ました全身オートラジオグラフであります。で、この場合はですね、これは無機の水銀です。エチル水銀ではございません。その場合、ここに胎児が四匹並んで見えますけれども、無機水銀はですね、この胎盤、子宮の壁・・・そういうところにはひじように沢山はいっておりますけれども、しかし胎児の中にはですね、殆んどはいっておりません。まあ、ごくうっすらとは侵入いたしますけど、殆んどはいっていない。ですから無機水銀であれば、それほど胎児に対する大きい影響は考えられません。」
〇前と同じ条件でエチル水銀を注射したねずみの場合のスライド
「ところが、同じ条件で、エチル水銀を注射した時にはですね、ごらんになりますように、胎盤にもたくさんあります。子宮の壁にもありますけれども、同時に、胎児の中に見事に有機水銀が侵入しているということが分ります。そこで、もう少しこの胎児を取り出しましてですね、もっと大きくした・・・・・・。」
〇摘出された胎児のレントゲン写真
「これでごらんになりますと、有機水銀はまずこの心臓、それから肝臓。こういう所に非常に放射能が高いということが分りますけれども。同時に、これが神経ですーこれが大脳。これが延髄、これが脊髄でありますが、まあ、心臓や肝臓ほどではございませんけれども、しかし、明らかに脳にも脳幹にも脊髄にもですね、見事に侵入しているという事が分ります。あるいは、これは羊水ですね、この羊水の中にも薄い放射能が見えると。いうことですから、こうなってまいりますと、これは明らかに母親の有機水銀がですね、胎盤を通って胎児に侵入して、その脳神経にも見事にはいっていると。・・・ で、問題はですね、結局、その、何故こういうことになるか?お母さんが病気にならないのに産まれてきた子供が、非常にひどい重症心身障害である。ということは、これは考えてみれば、当然の事だと思うんですね。というのは、私たち大人であれば、いろんな毒物がはいってきても、それを外に出す・・ ・排泄する道をもっていますーええ、肺呼吸を通じ、空気を通じて外に出す。あるいは、その大・小便を通じて外に出す、汗を、通じて外に出すーいうことが出来ますけれど、お腹の子供は排泄するルー トはですね、臍の緒を通じて・・ ・臍の緒を通じて母親を介して出す道しかもっていない。ですから、当然、たまる量も多くなってくるーということですね。」
34 或る患児の臨床上の問題
〇夕陽に輝やく不知火海。海岸線より少し内に入った農家。鋭い子供の叫び声が洩れる。
〇ナレーション「水俣に隣接する、鹿児島県出水市。ここに胎児性の水俣病と疑われているふたりの子供をもつ家庭があります。すでに三年保留のまま、現在に至っているケースです。」
35 木場さん一家、両親と一緒に食卓につく患児、次男、孝君(二十三歳)その妹、とし子さん(十五歳)ともに重症心身障害児である。言葉は言えないが、とし子さんはかん高く笑いつづける
母「こけえ(註・ここに)居って食べんな!こけえおって喰べなん! 寝らずにおって。(と起す)」とし子笑う。
土本「やはり人が来るとよろこんで・・・ 。」
母「はい、よろこぶとです・・・ 。」
36 ふたりとも、辛うじてスプーンをもっておじや状のごはんをロに運んでいる。
土本の声「あの、お父さんはね。十分、できる眼りの検診は受けた、と。出水やね、水俣へ行って・ ・・。で、まあ、他の人は早くいったけども、これだけひどい子供が、あの自分から考えても間違いないと思うのにどうして遅いのか?というのがお父さんの御気持と伺いましたけどね。」
〇語る父親
「はい、そいでな、その、皆がな(註・同じ時期、申請した他の患者たち)皆がやっど、ま、その、鹿児島(註・鹿児島市・鹿児島大学)なら鹿児島に行たて、そしてその、診察受けて、そいでしといやっとなら(註・するなら)、そうも考えんですよ。じゃどんかん!他の衆はどんどん認定されて、お金ば貰うて! うちの子どもは、”鹿児島へ連れて行け”とか”水俣へ連れていけ”とかいうて、その批評ばっかりしてなあ。市長でん何でんかんでん、うって打っちらかそうごたつと、本当は。頭にきとつとなあ(怒る)」
〇孝君、机にあごを托したまま身じろぎもしない。とし子さん、手をたたき、兄の頭に手をやる。本能的に相い寄っている。
父親、医師の診断に応ずることのむつかしさを語る。
父「・・・・まあ、お医者さんがしやっとも、痛うなか注射もあれば、その、痛か注射もあるんでしょ?そいだから、そのもう、わが”ああ痛か!”という事を感じればなあ、その、白か着物の着て来やったりなんたりすれば、こいつどま、絶対、こうやって(あばれる身振り)なあ、触らせんですよ、今でも。やっぱり、その、痛いことを、わが頭にのみこんどるから、もうその白か衣装を着て来やれば、もう絶対、触りならんです。」
土本「今まで病院に連れていかれても、お医者さんに見せる、その場の時は、相当苦労なさいますか?」
父「はい」
母「いや、そん前はー小さか時には、連れてっても、注射しても、何にも、こんなんも無かったつですよ。それが、大きくなったらもう診せんならんごとなんしたとなあ。小さか時ァもうほら、あげん、まだ一ちょう業がなかもんで、どうちゅう痛か注射を打っても”ぎやっ”っていって、唯おめく(叫ぶ)だけ・・・じゃったんな。」
〇妹、手を打ちつづける。妹を見ながら。
土本「ふたりとも、お医者さんを、やっぱりもう怖がる年頃ですか?」
母「はい、今はな。今はもう怖がる。もうそん、こう白か服を着て診察せられば、もう絶対怖ろっしゃする・・・自分の家なら、ほらこうしてるときは良かあんど。ほして、又、変ったやつ着て、自分たちの体に金具なんか、ほら、とうとう(知覚テストの針をつくさま)したりしゃんどがな。そうしたら、させならんどー絶対!もう引きつくるごと怖ろしゅうして。・・・小さか時ァな、もう注射しても何にも言わんしとったがな、こけえ(腕をさす)。もう七、八年あとにはな。そりから、今度、水俣病で、水俣に診察に連れていったとき、その来やった時のて・・・それから怖ろしなりやしたつな。そいで水俣へ行った時も、耳と眼と検査をせんなんとに、そん、できんじゃった!絶対できなかった。ふたりとも。そいでほら、もう出来んで、その、県にやって、大学病院にやって、そして、そんで病院を慣らかして、そん、ま、眼と耳を検査・・・機械があるで、機械でなせんならんで、ってじやしたんな(註・機械で検査しなければならないと言ってきた)。市立から・・・ 。」
〇孝君、開いているふうに見える。その耳と眼。
土本「こうやって人と話しているのね、やっぱり耳にこう・・・」
母「はい。やっぱ、聞きちゃおりますとばいなあ。唄なんか覚えゆっとじゃで。はい。ステレオなんかにかけた唄を覚ゆるじゃっで。聞いちゃおる・・・耳は聞えちゃおっとじやろうち思うとつとな、私も。じゃんかもう、眼なんかはまあ・・・。眼もやっぱり少しは見ゆるとじゃそうなあ。まあ、目つきは悪るかいどん。じゃんか、もう、お陽さんか・・・お陽さんちゅうは絶対眺めならん。」
〇自宅での検診を願う父親
父「・・・ じゃいどんかン、ああいう所に自動車で連れてったってなあ。白か着物ンのきて聴心器をこう持って、こうして来やればなあ、怖ろっしゃし・・・。」
母「そりゃ、ここ(註・自宅)も一緒やがな!」
父「何、いや、白か着物ンの着て来たしがしゃれんで(註・着て来なければ)・・・ これをつかまえこなさん事はなかですよ!」
母「じゃが、あん衆のこげんしゃったばかりで怖ろっしゃするもん・・・ 。」(笑う)
父「なにが、怖ろっしやすっとは・・・そりゃ、もう親がはまらんから(註・カを共に合わせないから)出来ん!ちゅうわけな。そいで、そのここで(註・診察を)しやっとならなあ。電気も普通の電気でしやっとならできます。」
土本「お父さん、いま、眼を触っても、お父さんだったら大丈夫ですか?」
〇父、孝君の眼をあけさせ、口をあけさせ、自信をもって語る。
「はい。こう、私がこげんしとってなあ(と抱いて)こげんしとって、こげんしとって、怖ろっしゃすればなあ、こうあけさせて、こうするぎ、あかるんですよ!こうして!あかるんですよ!口は、いけん開けんちゅうてなあ、こげんするぎ、あかるんですよ!」
37 出水市役所の責任者インタビュー
〇事務所の一隅
スーパー”鹿児島県・出水市役所保健衛生課”
〇課長に木場さんケースの処置について
土本「・・・県からその、在宅の・・・在宅で診るということを・・・(課長「やったことありますよ」)今度の場合は一番そういうことが必要なケースではないかと、しろうととしては思うんですけどね。」
課長「それからね、例えば眼ですね。”眼なんかは機械持ってくればいいではないか”と。”レントゲンなんかはもってこれない・・・”と。ととろがレントゲンと変らないゴールドマンという大きな機械ですよ。で、これも又ね、ゴールドマンで検査を受ける患者の方がくたびれるぐらいですね。(検査のされ方を真似する)患者によっては全然検査をうける・・・能力がないといいますか。こう見ましてね、何か合図をしてボタンを押すんでしょ?で、”どういう状態の時にボタンを押しなさい”と。と、その約束事が反応できないんですね。だから、この眼の検査も、視野狭窄ですか・・・ こうやってね。非常にむつかしいようですよ。これね。これ携帯用つてないんじゃないですか?」
土本「いや若干はありますけどね。簡単なのが・・・。」
課長「はあ、はあ」
土本「これをどう進めていったらいいかね、今、録音をお聞きになって・ ・・。」
課長「ええ、もう県でいろいろ俊巡しているようですけれどもね。私は、もう見れる範囲で見た答えで、答え出せませんか?ということを、今言ってるんですよ。先生方のほうでもいろんな角度で検討されてるようですから。答えが出せるようなら、何時までもおいとくと何かねえ、蛇の生殺しのようでいかんのじゃないですか・・・と。」
土本「その、棄却される可能性もあるわけですか?」
課長「ありますね。」
土本「はあ。」
38 熊大医学部・眼科。審査会の委員のひとりの筒井氏にインタビュー
土本「いま子供の部分がね。検査として、行きどまっているということがございませんか?」
筒井氏「はい。それはゆきどまってますね。」
土本「それはやっぱり”保留”とかそういう形に現状ではなっていく・・・?」
筒井「うん、結局”分らない”と。」
土本「そういう場合に、そのことが最後まで、やっぱりこう残った場合ですね。眼科の事がネックになって残った、残るというケースは・・ ・ 。」
筒井「まあ、そういうケースはね、眼科だけというか、耳鼻科の聴力もむつかしいですね。それから、いろんな、こういう神経内科の検査ですね。ああいうものも、指示にしたがってやってくれないと・・・。それから、まあ、どの科にもそういう隘路があると思います。」
土本「先生は、眼科的には、今後どういうふうにしていこうと・・・・・・?」
筒井「ですからね、私の方は、まあこれ、非常にむつかしい問題ですけどもね。例えばね、子供の場合ね。ええ、ある程度、動くとですね、ひじように微細な検査できないでしょ。でね、麻酔をかけてね、眼の固定をきちっとやるーそして、この眼の周辺部をですね、この、いろんな光で刺激してみて、それでこっちの脳の方からどんな反応が出てくるか・・・・。そういう検査法はね、ぽつぽつ開発されています。」
39 汚染のピー クから十五年たって急激に発症したケース
〇水俣市湯堂の部落にある家
ナレーション「水俣市湯堂。ここにすむ青年が四十八年九月、一夜にして水俣病の発作に襲われました。その姉は十五年前に急性水俣病で死亡しています。」
〇室の中、病状の経過を語り出す坂本登さん。仏壇に姉故キヨ子の写真。ひどい構音障害である。
坂本「あの、姉が、あの寝とったのを、み、見とるからな。・・・そりやもう。おふくろがこう、”医者にみ、診てもらえ”ゆうたのは、ちょうど、裁判の頃かなあ。」
〇生前の姉の医学用フィルム(伊藤蓮雄氏提供)十七年前の同じ家である。
「こんなげ、元気がいいのに、(症状が)出るもんかな・・ いうとったんやけどな。・・・まさか、こう自分がこうなるとは思ってもおらんしね。」
〇鉛管工として出稼ぎにいっていた頃の健康そのもののスナップ写真。
妻「いつもね。毎月、毎月といっていい位出てましたから、旅に・・・。」
土本「奥さんね。話し方もね、体の歩き方もね、奥さんから見て、やはり急に来ましたか?」
妻「はい。もう本当・・・ 一晩のうちにやったですね。」
土本「はあ、はあ・・・いつ頃ですか?」
妻「九月二〇何日か?五、六日頃やったね。」
坂本「いやまだ前・ ・・ 。」
〇あぐらをかいた足のつま先が小刻みに痙攣している。
坂本「・・・もう”水銀病に間違いない”とは一言うたんやなあ。。自分で震わせる・・・ちゃうんか”とか何とかなあ。(土本「え?」)自分でな・・・ 。」
妻「(ひきとって)あの自分でですね、わざとこう震わせるんじゃないかとか・・・吃りもわざと、真似するんじゃないかつてですね、いわれよったです(註・地元医師より)もう行った・・・ 一週間、一週間、行ったたんびにですね、そんな言われるもんですから、もう厭って・・・病院にいくのも、”行かんー”というんです。」
40 坂本登さん、ゴールドマン視野計のテストをうけている
スーパー”精密検診(熊本大学・眼科)”
〇眼底鏡で診る眼科医・筒井純氏
「こっちの眼は虫が飛ぶようなものは見えないですか?別にそういうものは見えたことない?少し左を見て下さい、もうちょっと左。・・・今でなしに日常生活において。何か飛ぶようなものを感じたととない?」
坂本「あの、あの・・・テレビなんか見とったら、ボゥーとなる。」
〇光軸が隠に入っている。その眼のクローズ・アップ
「うん。はい。まっすぐ見て。まっすぐ前みてて下さい。大きくあけて。」
〇視野図・カルテを見ながら判断を語る筒井氏。視野、正常の三分の一程である。
「そうですね。まず視野なんですけれどね。ええこういう風に、著明にですね、狭窄ですね。それから内側がこういうふうに下っていますね、小さくなってます。これを沈下といいます。・・・狭窄沈下が、これ著明にあると!」
〇ハイスピード(四倍)による眼球運動テスト。
「それから眼球運動もね。昨日の振子テストで、或る程度こう乱れとりますね。で、まあ、そういうことからですねー眼の所見だけからね、これぞ水銀中毒と断定は出来ないわけですけども、一応”眼の神経症状あり”と。そういう判断はつきます。」
〇人気のない原。歩いてみせる坂本さん。土本と二人並んでいる。その足もとにズーム・アップ。かなりの跛行である。
土本「あの歩いている時ね、一審感じるのは?」
坂本「歩いとる時に・・・つねにこう、ゆっくり行くときなんか、そんなないけどな、急いで走るときなんかは・・ちょっといかん・・・そらあ人がみとる前・・・やっぱり恰好が悪いなあ、気がひけて・・・。」
41 現在考えられる水俣病のイメージについて。語る病理学者としての武内忠男教授
〇教授室にて
「ええ、水俣病というものは、大量汚染の頃の発症で、それの”後遺症”だというふうに考えられとったんですけれども、よく実情をみてみると、それだけではないんだと。・・一度汚染があって、そういう人たちがその後のですね、魚の中のフッドチェーン(註・生物問の食物連鎖)によって蓄った苔ったメチル水銀を合む魚をたべて、加重してきてですね、そして発症しておる、いわゆる私の言う”慢性発症者”がいるんだということが、私どもの研究で、私は(力説しつつ)判ったと思っとるんです。」
〇次第に熱を帯びる武内氏
「したがって、そういう顕われ方があって、・・・最近もまあ、症状の悪化、ということもありますけれども、そういうものが、前の症状が急に悪化するということはないんで、やはり水銀の加重があってはじめて起る現象だ!と(土本「魚をたべつづけてますからね」)はい食べつづけて、ちっとも変つてないんです。漁民のかたが魚を食べる量も、それからそとにおる魚が含んどるメチル水銀値も変つてないんですね。だから・・・そういうことはやはり・・大量汚染当時のことはありませんけれども・・・発症値を含むメチル水銀値は、現在でもまだ存在しうるという条件下では、あの、発症者が、慢性発症者がありうる! そういうものに対してですね、(強調して)どうするかと・・・・。」
42 イメージの基礎資料をもとに、病理学的推論をのべ、現実との矛盾を明らかにする(殆んど数字、図表上の論の展開)
〇不知火海及び有明海の汚染魚分布地図。
土本「(地図を指し)これが水俣ですね? それは何時の調査ですか?」
武内「はい、これは昨年、すなわち、一九七三年の八月ですね。」
土本「この印(註・黒い丸印)は最高値どのぐらいまでの?」
武内「ええ、この丸いのがですね。一〇検体、すなわち魚一〇匹の平均値をあらわして、〇・三PPM以上の魚を一示すわけですね。多いのは、一PPMをこえとるわけです。そういうのは水俣(湾)に集中しとるわけですね・・・それから、水俣湾の外にもあるということですね。」
〇水俣湾外、一、二キロメートルのところで操業しているイカ籠漁船、バックに工場望見
土本「いま、この辺でですね、天草の人は漁を現状しております。」
〇汚染魚分布図にもどる
武内「それは非常に危険だということです。というのは、私が先程申しましたようにですね、ここでのこれだけの水銀値(註・平均〇・三PPM以上)があるということは慢性発症につながる可能性がある、という風に言っておりますので、もう少し遠い所から獲った方がいいということですね。」
土本「この四角(の印)ですね、これは?」
武内「それはですね、一〇検体の平均が、〇・二から〇・二九九までー即ち〇・ニPPM台のものの集まりですねーがあるわけです。」
土本「全域にひろがっていますね。かなり広範囲に・・・。」
武内「それは、不知火海だけでなく(地図の上方に移動し)有明海にもそういう高い水銀値を示す魚がいるということです。」
土本「(三角印を指し)すると・・・。」
武内「この三角の方はですね、〇・一PPM以上のものを表わすのですけれども、かなり広範囲にある。しかも、いまのこのマークをつけた〇・一PPM以上のものが・(註・八代=不知火海区を示し)八代(海)ではですね、一、〇六八検体の約三割を占めるーおるというわけですよ。」
土本「あ、全部調べたうちの三割が・・・。」
武内「はい、三割がこのマーク(註・汚染魚)にはいるわけです。(有明海区に移動し)こちらは一割を示しとる・・・この有明海の方は。」
〇別途資料、認定患者の地図上分布図、水俣付近の集中と同時に周辺、対岸の分布状況を示している。その資料を汚染魚資料の上に重ねる。
土本「これはですね、現在の患者の分布ですね?」
武内「はい、一九七三年の十二月末日までの患者さんの数です。」
〇水俣のクローズアップ
土本「水俣。」
武内「ここが水俣ですね。水俣が断然、四百六十一ですから、断然多いわけです。」
土本「(天草諸島を示し)この対岸がまだ。」
武内「はい。この対岸がまだですね。これはまだ充分調査が進んでないからという事もあるでしょうけれども・・・ ひじように少い!(御所浦島を示し)研究班が(調査を)した場合に、ここだけでもかなり・・・三〇数名あるというふうに考えられたわけですけれども、現在、七名が認定されておるということです。」
〇寸景、御所浦・獅子島沖の壮大なフグ漁の漁船群。
土本「漁はですね(地図で示し)ここら辺から、この辺が一番盛んなところですね。」
〇その地点の魚の汚染度マーク(〇・ニPPM台)を指し
武内「はい、だからですね、この漁でやっておる魚の三割が〇・一PPM以上の値を示しとるわけですね。それは・・・すぐさま発症にはつながりません。しかし・・・。」
〇近海魚、不知火海の魚が鮮魚として魚箱にある。その水あらいのアップ。ツイカ、すずき等
ースーパー”水俣・魚市場”ー
武内「少くとも水俣湾の〇・三PPM以上の所の魚は発症につながるということになるわけですねえ。」
〇資料を元にもどす。汚染魚分布地図に。
土本「そうしますと、ここ(註・水俣)での漁はいま少いけど、こちら側(註・不知火海・天草附近)の漁が、現状、むかし通りであるとすれば?」
武内「魚を獲っとるということですね?・・・それはですね、すぐさま発症はしないでしょうけども、その、かなりの汚染もありますので魚の量(註・摂取量)を減らさなければならないということですね。食べる量を!」
〇魚摂取量についての厚生省の食卓指導を報ずる記事(昭四八・六・二五)週間アジ十二匹、イカ二、三枚等。
土本「それが減らさないんですよね(笑いを含む)。」
武内「減らさないとですね、やはり絶対にいけないんで!減らさない限りは何かの健康障害が起ってもですね(言葉につまる)ええ、何故減らさなかったか?!という時点にまた立ち戻るわけで、やはり私としましてはですね、少くとも〇・二PPM以上の所、すなわちこの四角(印)のところですね、ここの魚はやはり・・・(地図上有明海にも点々とー特に大牟田付近ーにあるのを示し)・・・この有明海にもありますですね。」
〇寸景、工場から排水溝に褐色の廃水が流出している。その吐き出し口にズーム・アップ
スーパー”三井東圧、大牟田工場(有明海)”
武内「そういう魚の出ておるところは、そういう魚はやはり量をうんと減らさなければいけないということですね・・・・。」
〇発症量推定資料表を机上に。これは最近の武内氏の研究成果である。
魚の汚染度、毛髪の最低発症値を示す水銀量、推定発症日数が表になったもの。
土本「継続して食べた場合の発症の根拠として、これがございますね?」
武内「はい、これ(註・統計)はですね、私が前、どの位食べたらーどの位の量が体に蓄積されたらー発生するかという、その何といいますか、閾値を出したわけですね。それはイラクの場合二五mgになっとるわけですよ。・・・最低の発症量がですね二五mgのメチル水銀ということになりますね。これはイラクの場合です。スウェーデンがやったのは三〇mgです。」
〇その発症量の数値のアップ
武内「ところが私どもが今度よく計算してみますとですね。水俣で起ったのをみますと(註・最低発症値は)二〇mgとみなけりゃいけないんじゃないのだかろうかと?!一番最低はね(土本「二〇mg」)はい。最低は(註・子供の場合)七mgまでは用心した方が良くはないだろうかと。子供もおりますからね。だから、その意味で七mgというのも、ひとつあげてみたんですけど。大体二〇mgから二五mgということですねーそれが境いの所だということですね」
土本「病気になる、ですね?」
武内「はい、そうしますと、たとえば〇・一mgの水銀ーメチル水銀を毎日食べたとしますとですね、この発症値ニ〇mgになるのには二百九十六日から二百九十九日ぐらいかかるというーそのくらいの期間に、これだけの量(註・最低発症値=二〇mg)に達すると。それは何故か?というと半減期というのがあるからです。半減期を加算して(計算)しますとこういう風になる・・・。」
〇一旦、汚染魚分布図を示し
土本「先生、単純にいいますと、ここ(註・水俣周辺)にあるような、〇・三PPM前後の魚をたべた場合どうなりますか?」
〇発症量の表にもどって
「〇・三ー実際はメチル水銀で一番多いのは平均がですね〇 ・五PPM になっておりますので、そうするとここですね(註・仮に半分の値の汚染魚として)〇・二五PPMですねーこれを一日に五百グラムたべれば、一〇〇日ちょっと越した時点で(発症値の)二五mgに達するということです。・・・だから五百グラムたべるという人は滅多に普通の人にはありませんけれども、漁民のひとたちは食べますからねえ。だから先の汚染があった上に、これだけがはいっていけばですねーみんな発症するわけじゃないんですけれどもーやはり危険だという事になりますね。」
〇もとの汚染魚地図の上、不知火海区のアップ
土本「なるほど、現状ではですね、ここの食生活、この辺の食生活はですね、昔と殆んど変ってないと思うんです。」
武内「それが、私は非常に心配されるわけです。だからあの環境庁が出したあの基準(註・摂取量規制)というのはやはり本当に応用して貰わんと困る!ということですね。それに従ってやらないと、やはり・・・。」
土本「ところが現実にはね、魚を・・・。」
〇天草のフグ漁の規模を示す移動カメラ
〇再び図表の上
武内「だからそこの所が・・・しかしこれは魚一〇匹の平均値ですからね。やはり昨年(昭和四八年)の八月の時点の魚ですけどもーしょっ中(水銀値を)計って出して、そして一般に知らさないと・・・。」
〇机上、患者発生の不知火海全国が重なる。
土本「いまはですね”ここの魚は食べていい”とか、”このあたりの魚は食べていい。と言う方が強く主張されてですね、これ(註・基準)が警告の役目をあまりなしてないということが言えませんか?」
武内「それは言えますね。(言葉を探すように)それは、あの、やはり、魚は蛋白源で重要なもんですから、あの、あまりにも危険が・・・何といいますかー強調されますとね、喰べなくなるでしょ?そうすると(不知火海区を示し)ここに住んどるー少くとも魚を採るー漁民の人たちは生活できなくなる・・・。それが生活できるような形でなければ、”魚を喰べるな!”とは一言えないんですからね。そこの兼合いは非常に難かしいわけですね。(強く)しかし、医学的・・・純医学的な立場から言えばですね、(沈黙)やはり、今までのような食べ方を漁民の方がすればーあるいは一般の方でも魚が好きでですね、一日に三〇〇グラムかあるいはそれ以上喰べる人がおればーかなり警戒しなければならないんじゃないか!と・・・。」
土本「(不知火海から有明海区を示し)いまここの中だけの状況から、もっと拡がるという可能性も今後に残されているわけですね?」
武内「(強く)喰べつづけたらですね!」
土本「喰べつつづけてますよ!」(ラスト音楽)
武内「だから喰べつづけないようにしなきゃ因るわけですよ!」
土本「それはしないです、この人たちは!」
武内「そこが問題です!」
43 エンドマークに代えて
字幕
”『医学としての水俣病』 三部作
病理・病像篇 昭和四九年一〇月”
44 ついでローリングでクレジット・タイトル
製作 青林舎 高木隆太郎
スタッフ(五十音順)
浅沼 幸一
有馬 澄雄
石橋 エリ子
一之瀬 紘子
一之瀬 正史
市原 啓子
伊藤 惣一
大津 幸四郎
岡垣 亨
小池 征人
清水 良雄
高岩 仁
土本 典昭
成沢 孝男
淵脇 国盛
宮下 雅則
音楽
深沢 七郎
松村 禎三
協力
塩田 武史
佐藤 省三
江西 浩一
渡辺重治
水俣病研究会
水俣病を告発する会
新日本窒素労働組合
熊本日日新聞社
線画/青映社
機材/記録映材社・東京シネマ新社
録音/三幸スタジオ・新坂スタジオ
現象/T B S映画社・東洋現像所
青林舎 事務所
米田 正篤
重松 良周
佐々木 正明
飛田 貴子
長 もも子
(音楽 終る)
(上映時間一時間二十二分)
採録責任
土本 典昭
一之瀬 紘子
小池 征人
有馬 澄雄
[註]
第二の水俣病
新潟における第二の水俣病の発生は、最初から有機水銀中毒とわかっており、メチル水銀がどこに由来するかをつめていけばよかった。水俣での研究成果・経験を踏えて、阿賀野川沿岸住民の一斉検診が第一次・二次と行なわれ、汚染の可能性のある人たちの綿密な調査がなされた。これらの調査のなかから、定型的な患者の他に、軽症や非典型の患者が多数存在することや、中毒の常識では考えられなかった遅発性水俣病の存在や、不全片マヒが徐々に起ってくる事実などがつきとめられた。
水俣病の認定基準
四十六年八月の環境庁裁決(否定された患者の訴えを一年にわたり審理し、県に再審査を命じた)が出た以後は、認定基準が改められ以下のように説明されている。
患者の疫学的条件や生活歴をふまえ、1.水俣病である(定型的症状が全部そろっている)、2.患者の症状は有機水銀の影響がある、3.有機水銀の影響が否定できない、4.わからない、5.水俣病でない(別の病気である)の五つの判定義準に患者をあてはめて答申がされることになっている。そして、水俣病患者とされるのは、1~3の患者であり、答申保留とされるのは4にあたる患者である。そのなかには、資料不十分で再審査、一年位経過をみて再審査、あるいは研究の現状から医学的判断ができない、また検査不能の患者などが含まれるという。
木場さん一家のその後
この兄妹の二人の患児は、映画完成の頃鹿児島県によって認定された。検査不能とされた二児の認定の決め手となったのは母親に視野狭窄など水俣病特有の定型的症状が見出されたことによるという。しかし母親に対しては、医師も県も認定申請を進めるなどの対策を一切とってない現状である。
有明海の水銀汚染ー第三水俣病問題
昭和四十六年に熊本県の委託研究として組織された「熊本大学医学部十年後の水俣病研究班」(第二次研究班、班長武内忠男教授)は二年にわたる研究で多くの新しい業績を残した。その第二年度の総括のなかに、最初は対照として調査した有明町(有明海に面す)に、「水俣病と区別できない患者五人などが見出され、第三の水俣病であれば重大なので今後の調査が必要」と述べた。そのことに端を発し、派手にジャーナリズムによって騒ぎ立てられ、全国的な水銀パニックにまで発展した。しかし、この問題提起は本質的に検討されることなく、見出された患者たちを環境庁水銀汚染検討委で「現時点では水俣病といえない」といういわゆるシロ判定を出すことで政治的に収拾された。
しかし、映画で武内教授が指摘しているように、水銀汚染が現実にあり、しかも日本合成のアセトアルデヒド工場(字土)、や三井東圧(大牟田)工場が水銀を流していた事実は指摘されており、それらが患者の症状と関係あるのかは、ついにきちんとした疫学調査などはなされることなく終り、問題は将来へと持ち越された。