1 字幕・協力研究者三部作ー(略)(音楽ギター曲)
2 メインタイトル
”「医学としての水俣病」ー三部作ー臨床・疫学篇”(註・一時間三一分)
3 水俣
〇工場の背景に不知火海、打瀬船が沖に帆を広げている。
〇工場排水口のある百間湾奥から水俣湾全景そして患者多発地帯の月ノ浦、袋湾へパン
〇ナレーション「この映画は一臨床医の活動とその意見を紬に、今日の水俣病の実態を臨床・疫学面から報告したものです。」
〇ナレーションをうけて原田氏のコメント、画面は海から多発部落内の旧国道の主観移動
原田「水俣病の原因が、あの”有機水銀”だと判ったのは(註・昭和)三十四年ですけどね。だから三十四年以前の人体の水銀の汚染の程度というのは判っていないのだけれども、少くとも三十四、五年頃のデータでこの辺(水俣湾)が物凄い水銀に汚染されてたという事だけははっきりしてるわけですね。で、まあ私たちの診察のスタイルというのは、ま、原則としてなるべくあのー、患者の家に訪ねていって、その患者の家で診察をするという事にしているわけです。・・・そりゃ確かに、診察の条件も悪いわけだし、何ら精密検査も出来ない状態なんだけれども、まあ、この広い不知火海一帯の患者の家を、一軒一軒訪ねて、あっちで患者がいるといえばそっちへ行って・・・まあ非常に能率も悪いけれども、まあそういうような方法を一〇年来、とってきているわけです。」
4 現地自主検診 山田ハルさん宅
〇スーパー ”現地検診(水俣市月ノ浦)ー昭和四八年八月ー
御手洗広志さんと原田正純氏(熊本大学精神神経学)
〇原田氏、初診者に問診を行っている。
原田「(註・生活歴について)二十八年頃からね、二十八年頃から四六年の九月頃まで湯堂で?」
御手洗「はい。」
原田「湯堂で漁師ね?(「はい」)その間に出稼ぎに行ったり、したことはなかった?」
御手洗「なかです。」
原田「(カルテに記入しながら)なかね。ずっと湯堂におったわけね。湯堂は誰の家?」
御手洗「その中村秀義の・・・(註・初期の認定患者・漁師宅)。」
原田「綱子みたいなことをやってたわけ?」
御手洗「網をやったり一本釣りしたりですね。」
原田「(復唱する)一本釣、それから網・ ・・。」
〇質問を重ねる原田氏「水俣市長は誰ですか?」
御手洗「浮地・・・」
原田「知事は?」
御手洗「よう知らんけ・・・。」
原田「総理大臣は(「田中・・・か」)うん、アメリカの大統領は(「ニクソン」)うん。」
原田「新聞は読んでる?」
御手洗「たまあに・ ・ ・あのー・・・。」
原田「取ってる? (「とってる・・・ 野球なんか・・・」)昨日、作新(註・全国高校野球の決勝戦出場チームの校名TV放送があった)はどぎやんだった?」
御手洗「作新は勝ちました!(迷いはじめる)勝ったつけ?いや作新負けたつけ?いっしょうけんめい見とったばってん、忘れた!」
原田「何対何だった?」
御手洗「ええと一〇対・・・ (頭をかしげる)」
〇この問答に重なって原田氏のコメント
「・・・で、まあ、私がこういう風に、あのお知能テストちゅうか、物忘れ=記憶テストをやってみるのは、患者の話を詳しく聞いて、生活歴を洗うという作業がひとつある。その、何時頃ね、どんなして、どう生活をして、何時頃、医者にかかったかという事を、もともと記憶障害のある人にきくのは酷ですよね。」
〇記憶テストつづいている。
原田「一対零たい!」
御手洗「一対零だったですかなあ(首をかしげる)わしゃ、野球好きだけんみとったばってんか・・・もうきゃあ忘れて・・・・・・。」
原田「敗けたろう、作新は勝たんばい。」
御手洗「ああ、そうだつたですか。」
原田「いや、あんた観とったの?」
御手洗「あ、観とったで。」
〇相対して、共同運動障害などのテストから始める。
原田氏のコメント「・・・で、後の症状の捉らえ方ですけどね、まあ、私、細かく採っていけば大体全部(註・水俣病の症状が)揃っていると思うんですけども・・・。あの、まあ、他人によってはね、"症状がいくつか不揃いだ”と言う医師もおるでしょう。」
〇懐中電灯の光点を追わせ、眼球の滑動性運動の異常を調べる。
コメント「まあ、基本的には、診察というのは、その”精密検査”をいきなり最初から、いろんな新らしい機械を使ってやるというのじゃなくて、あのう患者の訴えや生活を聞き取って、そして非常に原始的といわれるような、あのうまあ、初歩的な検査を繰返していくと。それで何か(註・症状)あれば、次は精密検査だ、という風なあの基本的な事を大切にしていきたいと・・・ 。」
〇視野狭窄のテスト(対面法)を行っている
原田「そんならね、僕の鼻の頭見とってね・・・(患者、目かくしを片目にしようとする)いやそれはいらん。(眼のわきの指をうごかし)どっち側動いた?(「こっち」)うん。どっちが動いた?どっちが動いた?」
重なって原田氏のコメント
「・・・ううん、それから・・・ 、私がまあ、精密検査をなんもせんで、この・・ ・いろいろ判断するわけですけれども、まあこの患者は、”眼球運動障害”や”視野の狭窄”があると疑ったわけです、だからまあ水銀の影響(あり)だと。」
〇御手洗氏の眼球運動についての精密検査、(ハイスピード撮影による)
スーパー”滑動性追従運動テスト 熊本大学眼科”
ー昭和四九年三月五日ー
原田氏のコメント「でこのあと、精密検査を受けて、それ(註・異常)はあのう、はっきり証明されているわけですから、まあ、現地での、ああいう原始的な方法でも、きちんとやれば、かなり有効であるという事になると思います。」同じ画面にあとをうけてナレーション「この検査と同時に視野狭窄も発見され、視覚中枢のあきらかな異常が認められています。」
(註・この節で原田氏が初歩的検診の重要さを強調し、いきなりの器械による精密検査を批判しているのは、患者に心理的圧迫を与えたり、恐怖心をよびおこすような診断の態度を指している。土本)
5 線画1 昭和七年からのチッソ水俣工場におけるアセトアルデヒドの生産の曲線(昭和四十三年稼動停止まで)と患者の発生の推移を照合したもの
ナレーション「ここに水俣病患者の発生と、その原因となったアセトアルデヒド生産の推移を見てみますと、工場の稼動は昭和三十五年、三十六年にピークに達します。ー昭和三十一年に始めて患者発生を確認、以後十数年間に、百人前後しか認定されてきませんでした。稼動停止直後に出された厚生省の原因断定(註・昭四十三・九)も追認にしかすぎず、水俣病裁判(註・判決は昭四十八・三)などの社会的ファクターによって”潜在患者”が申請の動きを早めました。」
6 線画2 申請患者の増加と、認定作業の落差を示す図(昭四十五年~五十年三月まで)
ナレーション「更に、これを、この五年間の申請患者と認定との関係を見ますと、今日、大きな矛盾が見られます。昭和四十七年に一挙に数百人の認定を経たのち、認定作業は完全に停滞し、昭和四十九年三月以降、今日まで、熊本県に関しては、ひとりの認定も行われていません。このギャップは、急増する申請に対し、制度としての審査会が麻痺していることを示すとともに、医学が水俣病の今日的問題から大きく立ち遅れてきた事によるといわれています。」
7 字幕 ”昭和四十八年一月
水俣病として診断・申請
一年半後ー
山内愛子さん棄却
山内正人さん保留”
字幕にナレーション「つぎのは、原田氏の診断が審査会によってくつがえられたケースを今日(註・一年半後)あらためて振返ったものです。」
〇山内宅検診記録(註・『実録・公調委』(昭四十八)より再録・白黒)
半身不随の妻愛子さんと夫正人さん。原田氏正人さんを診ている。
原田氏コメント「(当時を回想しつつ)ここに来て驚いて・・・。ふたりとも苛いんでですね。当然あの県のですね一斉検診に引掛らなきゃいけないはずですね!結局ふたりともこういう状態なんで検診の通知が来たけど、行けないちゅうわけですね。」
〇運動失調をみる原田氏、正人さんに
「はい、いいですよ。今度は眼を開けとっていいからね、片足で立てますか。」
正人「左じゃ立ちきる。」
原田「左じゃ立てない?(「立てる」)立てる?たってごらん。捉えてあげるから。右じゃ無理?ちょっとやってみて。」
正人「満更立ったんじゃない」と辛うじて立つ。
原田「ああ、そういう事ね、はい、はいいいです。これじゃなんも仕事出来ないねえ。」
〇眼を検査する。重なって原田氏のコメント「・・・で、この方(正人さん)は実は後で保留になったわけですけど・・・おそらく余り重症だったんで検査が出来なかった事と、眼の底に何か他の病気が見つかったとか、そういう事じゃないかと思うんです。まあ今ある症状がどういう形で起ってきたのかという、そういう経過も非常に犬事なわけですね。」
〇視野のテストをしながら問診する
原田「・・・段々こう周り(註・視野周辺部から)が見えんごとなっってきた?」
嫁「とり目とかいわれよった・・・。」
原田「いわれとったのね。これはどうですか(と、眼の正面で懐中電灯をふる)光を見て御覧、光を見て御覧。いま見える?(真正面の光点である)いま見える?」
正人「上にあるですなあ。」
原田「(咳く)ああ、僕はハンター・ラッセル全部揃っている水俣病だと思いますけどね。」
診断書に書きこみながら
「これは、こんな人が!」
〇愛子さんを診る。言葉が言えないため、正人さんが問診に応答する
原田「おばあちゃん、何時から具合惑いの。」
正人「四十二年の十月からが本当に動かれんことなっと。」
原田「四十二年の十月、そん時医者に通ったの?」
正人「中風だって。」
原田「その前は何か判らないって?」
〇愛子さんの腕をあげさせるが動かない。
原田「こうしてごらん(と自分のひじを上げて見せる)もう一ぺんこうしてごらん。うん。こっちの手を上げて御覧、こっち(左)でやってごらん。痛い?上んないね?どこまで上る、どこまで。」右腕わずかしか動かない。
〇若い嫁に愛子さんの日常動作を聞く
原田「・・・それからその、食事・・・腹が減ったという感じがあんまりないわけね。こっちが時間をきって御飯ですよと一言わないと駄目ね。そうすると毎日何をしてるですか、こんな状態でジイっと坐ってるの? 御手洗いは?」
嫁「御手洗いはそのお(註・便所が戸外にある)天気のいい時は自分で行くですね、雨降りとか寒い日、全然だめです。」
原田「洩らす。」
嫁「はい。」
〇仲間の若い医師と所見をのべあう原田氏
「そうですね、利腕側だからいろんなヘルド(病変)が出ていいわけですよねえ。」
回想しつつコメント
「・・・でこの方が却下されたのはですね、私、診断している時も”却下されるんじゃないか”と言ったんで・・・ 。この辺がまあ、私の水俣病に対する考え方と、まあ一般的な考え方(註・この場合、認定審査会のそれを指す)との多少のずれだと思うんですけども・・・。だから一般的に言うと、まあ、そりゃ”脳卒中”で、左側の大脳半球にその脳軟化か、或いは脳出血みたいな所見があるだろうと思うんです。」
原田「まあ、審査会なんかにしても、その辺が問題になるでしょうけどね。・・・個々に、この一例だけを、ポコンと持ってこられて、これ水俣病かどうかと一言われれば、やっぱり、それはもう当然、一般の脳性・・・脳溢血とどう違うのかという事が問題になってくるでしょうけどね。」
〇原田氏カルテに症状を記入している。重ねて自分の結論をのべるコメント
「あの、この人の生活歴を調べてみると、漁師をやっていたわけですからね、ズーっとやってたわけですから・・・。それから御主人の症状とセットにして診るとね。それから発作的にポッと右半身がかなわなくなったんじゃなくて、じわじわじわじわと半身が(麻痺して)くるわけでしょう?もっと言うならばですね、こういう例で亡くなられて、そして解剖して、あの(註・有機水銀の)影響が出てた例も、私何人か経験してるもんですからねえ。」
8 水俣港 ヘドロが干汐で露呈している
スーパー ”水俣湾 百間港”
〇ナレーション「ここ水俣市百問排水口附近のヘドロからは、かつての疫学調査から、湿重量当り二、〇一〇PPMの水銀が検出されています。」
〇線画 水俣湾水銀分布図(昭和四十八)
ナレーション「チッソはそのアセトアルデヒド工場の廃液を三五年間、無処理のまま水俣湾に流しつづけてきました。」
〇線画に一PPMの区画から各段階毎に色わけされて、二〇〇PPMまで示される
ナレーション「昭和四十八年、熊本県当局による調査によっても、水銀は広い水域に拡がっており、排水口に近づくにつれ、今なお高濃度のまま、堆積している事が判りました。二十年来、行政に強く求められてきたこのヘドロの処理は全く行われていません。ー県はその対策として、二十五PPM以上の水域内の魚を捕獲、処理しているのみです。そのための定置網も、航路用に二五〇米の隙間が空けられており、湾内外には、その体内に一PPM以上の水銀を蓄積した汚染魚が回遊しています。」
〇神戸大学医学部研究室、河川装置を前に
スーパー”喜田村正次氏(神戸大学・公衆衛生学)”
喜田村「これは、あの、人工モデル河川と我々は言っておりますけどもね、これで一段の食物連鎖を経た場合のこれまあ、濃縮の誌験が出来るわけです。有害物質の・・・。」
土本「これは水銀のですね。ここの投与の仕方はどういう風に。」
〇上流にあたる水槽部を前に
喜田村「これ、水銀についてやりましたのはね。実は、水銀鉱石ですね、これを砕いたものをここまで敷いたわけです。」
土本「そうすると”無機水銀”ですか?」
喜田村「ええ、これは無機水銀です。それでこれを流しておりましてね、その後にここ(註・同じ上流部)からですね、無機水銀を有機化する細菌(註・シュートモナス属の細菌)ですね、これはまあうちの方の教室で分離したやつがありますので、それをここから少しづつ流したわけです。その無機の水銀をその細菌がメチル化しまして、そのメチル水銀が、微量川のなかに流れるわけですね・・・。」
〇こけのついた水槽に金魚が泳いでいる。
喜田村「・・・それが藻に吸着すると・・・。それが金魚に食べられて濃縮すると・・・。勿論、先ほど申したように、金魚自身にも直接メチル水銀がですね、はいりますから、だからその場合の金魚への濃縮比は・・・この実験ではだいたい三万倍位だったですね。大体。」
〇下流部分にあたる水槽の金魚の群
土本「無機(水銀)から有機(水銀)へ、ということの実証にもなっているわけですか?」
喜田村「ええ、そうなんです。微生物による・・・。そうです、おっしゃる通りでね、(水を指し)この、細菌を入れる前の状態を計っていますね、そうするとその川の水の中はメチル水銀が検出されない、検出限界以下なわけです。」
〇泳ぐ元気な金魚たち
喜田村「メチル水銀の恐いところは、魚にあれだけ濃縮されて、それで魚に異常がないというところですね!」
10 疫学研究2 魚の生態系による”食物連鎖図”(スライド)
喜田村「これは奈良女子大の津田(註・津田早苗教授)先生がおやりになった図なんですけれども、ここにまず藻類、プランクトンですね・・・あります。これをまあその藻食性の昆虫が食べるわけですね。この藻食性の昆虫を、この食虫性の昆虫がやはり食べるわけです。これをまた食べる魚があると。その魚を又食べる魚があると。・・・まあこういうその・・・より小さな生物をより大きなもの(註・生物)が段々、順次食っていくと、丁度、鎖の輸のように繋がっているんで、”食物の連鎖”と一言うんですけども、実際メチル水銀のようにですね、体表面を通じてもよくはいると・・・鰐呼吸を通じても非常によくはいると、いったようなものになりますとね、これ、それぞれに(と、六段階を示し)皆、かなりな濃縮比で、これ濃縮されるわけです。」
土本「どのくらいの濃縮比に?」
喜田村「そうですね、直接やりました場合にですね、・・・そうですね、三千倍位は直接でもいきますね。はあ。これ一つ一つが三千倍位はいるわけですね。」
〇各段毎の昆虫、川魚、うなぎまで辿りながら、
喜田村「ところが、この動物はですね、これが三千倍位濃縮されたやつを、又餌として食べるわけですね。ところがメチル水銀というのは、食べるとき、非常に腸からよく吸収されるわけです。ですから、この動物は直接三千倍、ここ(と、藻類を指し)で三千倍濃縮されたやつを(藻食性昆虫が)喰って、そいつが全部吸収されるからいわゆる二段濃縮が起るわけですね。ここ(食虫性昆虫)にいきますと二段濃縮起したやつを又、濃縮する・・・直接はいる。・・・だから三段濃縮。(更に魚間の連鎖を辿り)これ四段濃縮ですね。まあ五段濃縮と・・・。ーこれが海の中ですとね、まだ魚に色んな種類があって、またそれを食うような魚もいますから六段濃縮。まあ極端に言うと七段濃縮つてなところまで起こりますとね、そのお、いわゆる濃縮比がもううなきのぼりに・・・尻上りにつて言うんですか、こう昇っていくんです。ですから、実際メチル水銀なんかの場合にですね、まあ阿賀野川の例でも、水俣の例でもそうですが、私は十万倍からですね、数十万倍ぐらいの濃縮が起っておりますね、はあ!」
11 現実の食生活スナップ
〇行商の車がかつての漁村の人々に魚を売っている。流行歌が流れ、日常的な風景である。
スーパー”水俣・患者多発地帯”
ナレーション「水俣地区の漁民は漁が出来なくなっています。しかしその食生活は、一時汚染のピーク時に食べ控えた以外、今日も行商を通じて、不知火海の魚介類を日常摂取しています。ここの食生活についての系統的な疫学調査と対策はほとんどなされていないのが現状です。」
〇すずき、太刀魚を買う主婦たち。
12 典型的患者像の臨床
〇漁村地帯を原田正純氏の案内で歩く医学者たち
スーパー”現地検診ー昭和四十八年八月ー原田正純氏と山口大学の先生達”
〇患家への小径を入っていく一行四・五人。
原田氏のコメント「ええ、徳山で、まあ水銀汚染が問題になったわけですね。で、山口大学の先生方が水俣を訪れられて、で、それでまあ僕らも一緒にそのお、水俣病の病像について現地調査をやったわけですけども。」
〇患者の家の一室、かたわらの妻の通訳で尾上さんの発病時の症状の出方が語られる。
スーパー ”尾上光雄さん(昭三十一年十月発病)
ハルエさん(水俣市・百間)”
原田「・・・言葉?手が先ね、痺れがね。」
妻「はい。」
原田「そん次はどこだった?言葉?」
妻「(夫をみかえりつつ)手のこう痺れてから、やっぱりこう躰さにきたつじやろうなあ。喋ってもどげんかひんなったごたる風でな!・・・」
原田「・・・言葉ね・・・ 。」
尾上「タダ・・・(足を指しながら)足タイ・・・ (不明)。」
〇尾上さん語ろうとするが構音障害のため聞きとれない。妻がひきとる。
「足が・・・・・・立てればガタガタ震えてな。」
尾上「・・・ (不明)・・・。」
最初に症状が出たことを、身ぶり手ぶりで語っている。
原田「フラフラしてね。」
尾上「・・ ・アルーキ、キランジャッタッデ・・・。」
〇昭和三十一年当時、夫に症状が出た頃のことを語る
妻「そしてですなあ、家に居った時ですなあ、まだ熊大に行く前、外ば、お日様見ればですなあ、シャボン玉飛んだとてなあ、キラキラしよったと。そいで病院にいく時、熊大に行く前にですなあ、会社病院(註・新日窒附属病院)に連れて行ったですたい。そして、こうまっ直か道がですな、波うったことして見えると言って。歩いていったかて、行き途で、ぷくっと(足が)入るごたる気のしてですなあ手を添えんば恐しゅしてですなあ。」
妻のゆっくりした話し方を聞いている尾上さん。原田氏のコメント重なる
「この方、床屋さんで漁師じゃないわけですけどね。しかしまあ好きでね、船買って魚を釣りに行ってたわけですね。でたまたま或る日、この、お客のひげを剃っててね、剃刀を取り落すと、それがまあ初発症状ですね。やっぱり知覚障害から先に来るわけですね。それでまあ症状が全部完成するまでが非常に短いですから、まあ急性中毒・・・、物凄く濃度の高かったものを沢山食べたという事になるでしょうね。で、今日、十何年たっても教科書的な症状を全部揃えている・・・。」
〇初期症状を身ぶりをまじえて語る妻
「・・・そいで(医者に診てもらって)五日目にですな、御飯ばこう食べさせよったら、食べよったらポロポロ落すとですたい。そしてここに(膝の上)タオルば添えてくれて、御飯ば食べさせてしもうて、あんたこげんした風ならば二週間と言わしたばってん(医者から「二週間ほど様子をみてからまた診よう」と言われたが)・・・行たてみゅ・・・・。」
〇休みなしに手を揉んでいる尾上さん
原田コメント「手をこうしょっちゅう摺ってるのは知覚障害のひどい患者さんによく見られる行動ですねえ。」
〇妻語りつづけて終りがない。
〇原田氏、山口大学の医師に説明する。
「初期の頃のピックアップというのは、こういう患者さん達が主に拾われたわけです・・・。だからもうむしろ、急性中毒と言っていいくらいの状態だと思うんですね。症状の発現から症状の極期に達するまでの間がですね。もっと早い人もいるですね。」
13 臨床、その症状の見方、取出し方についてー共同運動障害ー
〇掌を旋回させる運動をしてもらう。硬直したぎこちないうごきである(註・アジアドコキネシス・運動変換不能症)
原田「ひとつづつ、片つぽづつしようか?はい、こう片つ方づつね。・・・・力を抜いて。今度こっち。」
〇自分の両膝の上で掌をひっくり返しながら叩く運動。掌がひっくり返りにくい。
原田コメント「こういうこの・・・共同運動障害ですね。」
〇原田氏の指と自分の鼻の間を指で往復運動させる。尾上さんの指烈しく震える。
原田コメント「これは”指鼻試験”。丁度この鼻の前にきて、震えがくる。”企図振戦”ですね。そしてこういう場所(指のもってくるべき鼻の位置)もこう喰違う。これはまあ共同運動障害と震えと、それと知覚障害とね三つ関係していると思うんですけども・・・。むろん運動麻痺もありますし。」
〇原田氏ゼスチュアをまじえ
「今度ね、眼をあけて、自分で鼻の頭をこうしてね。こうして(と、眼を開いたままわきから指を自分の現に正確にもってくるテスト)そしてこうして下さい。こうして、こうして、とうして。はい。してごらん。はい。」
尾上氏鼻の前で指がはげしく震える。
原田コメント「まあ、こういう検査で、いかにその日常生活が困難かと・・・。黙ってこう坐って居られればね、そう重症と思えないですけどね。」
〇たえず口もとのよだれを気にする尾上さん
「しょっちゅうこうしてやっていますね。」
1 4 臨床、日常動作の異常のとり出し方
〇原田氏、腕の時計バンドのあつかいで共同運動障害を見ようとする。「このバンドが外せます?外せる、これ。自分で外せますか?」
尾上「ハァズストハ・・・ハァズス・・・ハムットハ・・・ハメキラン・・・ 」
原田「うん、ちょっと外して御覧。」
尾上さん、バンドが仲々はずれない。会話の上で妻ハルエさんは低い声でゆっくり言う
原田コメント「それからあの、この方の聴力障害の特徴はですね、神経性の難聴ですからね、高い音(註・音域)がやられてる。だから耳が聴こえないからと言ってですね、大きい声だせばかえって聞こえない。で僕等はまあ非常に大雑把に、例えばストップウォッチと音叉と二種類の聴力検査のものを持って行って、で検査すると、ストップウォッチの方が聞こえにくい。そしてむしろ低い音の方が聞こえる・・・・・・と。」
〇時計のバンドやっと外れる。次にはめようとするが至難である。
原田「はい、いいですよ。無理ね。」
〇日常勤作、脱衣
原田「これ(夏のシャツ)脱いで御覧、これ。」
尾上「(もつれる口で苦笑しながら)脱ギハキャント、脱ギキャントデ・ ・・ 着ットハ着ットデ・・・。」
原田「ああそう!うん、ちょっとやってみて。」
尾上さん笑いながら下着のえりに手をやるが、シャツがつかめない。すべすべのものをさわるように指が滑る。観察する医師思わず中腰になって指の動きをみる
原田「感じないですね・・・ううん。掴められない。(自分の指をさすり)掴んだかどうかの感じが・・・ (山口大の医師「ははあん」)判らんわけですよ。」
原田コメント「あんな風に、あのう、掴まえてるのか掴まえてないか判らないもんですからねえ!単にあの、表面的な症状があるか無いかという事じゃなくて、こういう細かい動作の障害が、どんなに患者たちにとって日常的に苦痛なのかと・・・・・・。」
〇やっとシャツから首だけぬぐ。両腕のシャツを脱がせる
原田「ここからは出来る。」
妻「見ゆればなあ。」
原田「ああ見えればね。はい、今度こ っち・・・ 。」
眼をシャツに落して脱ぎ終る
15 臨床、運動失調について
〇立って、畳のへりをまっすぐに歩こうとするがおぼつかない。
原田コメント「これはまあ”直線歩行”。運動失調を診てるわけです。」
〇起き上りテスト。あおむけの尾上さん起きようと体を曲げるが、曲がらない。
原田「あのう動作が、ずっといかないですね、ひとつづつ・・・ 。」
原田氏、自分で演じてみせる。腕で支え、体の動きを分けて起きる起き方を示す。「たとえばまあ、こうして、こうして、ひとつづつ手をついて、それからこうして。・・・分節状になってくるんですね。」
16 臨床・知覚テスト・視野狭窄など
〇針で軽く下肢の各部をつつく
女の声「今、どこば触りよる?」
尾上「ひだ、ひだの上。」
山口大の医師「膝の上、うんうん、じゃ、これとこれ、どんな。」
これに重なって原田コメント「で、この方の知覚障害はですね、足と手はもう殆んど感覚がないですね。それから口の周りがひどい。」
〇麻痺のひどいすねを刺す
山口大の医師「これとこれは?」
女の声「どっちが痛かですか・・・ あんまり変らない・ ・・ 。」
〇深部知覚テスト、足の人差指を一本上に折り曲げている。
山口大の医師「これ分ります。」
女の声「いま、どの指ば触りよらすですか。」
山口大の医師「上むいていますか、下むいていますか。」
女の声「(通訳しつつ)上にむいとんな、下にむいとんな?」
尾上「下」しかし指は上に曲げられている。
原田コメント「知覚障害がひどいんだろうという事は先刻のあのシャツを脱がせる動作とかね、ああいうことで大体見当はつきますけどね、非常にひどいんだということは。それから眼を開けとかないとボタンが嵌められないとか、もう眼を閉じたらボタンが判らないとかね。」
〇視野狭窄のテスト、対面法で見えなくなる角度をさぐる。
原田「こう目をあけてね。ここ見てね。これ(懐中電灯の光点)見えるね。(光点をずらす)(正面に光をおく)これみえるですね。これは?二つ見える。(「ああ」)判らん?」
原田氏指で輸をつくり示す。
「このくらいですね。計ってみるとね、実際は。二〇度か三〇度くらい。」
〇その他の症状について問診する原田「涎が出るですか?」
妻「はい、夢中になって喋っとき。」
原田「喋りよるとねえ、涎が出るね。」
涎のことを身ぶりで尾上さんに伝える。
原田「歯みがきは自分でできる?はみがき。」
妻「鏡ば見とってですなあ。鏡を見とかんば・・ ・。」
原田「ああ鏡を見とらんと分らん・・・。」
17 字幕
”いわゆる”ハンター- ラッセル症候群”
末梢性知覚障害
運動失調
求心性視野狭窄
構音障害
聴覚障害、その他辰戦等”
〇字幕に重ねて原田氏のコメント
「あのハンター・ラッセルの主要症状と言われたのはですね、別にハンター・ラッセルがこれとこれって名前を挙げたわけじゃないんですけれども・・・求心性の視野の狭窄・・・それから構音障害、ことばの障害ですね・・・ それから聴力障害・・・・・・それから末梢性の知覚障害・・・・・それから失調ですね、共同運動障害といってもいいんですけども、それにまあ震え、振戦ーまあこの症状が有機水銀中毒の極めてこの、特徴的な症状ですね。」
〇医師たちで検診後の話しあいをしている。
原田「だから、尾上さんみたいな症例が、結局、逆に言うと、あのう、水俣病の原因がメチル水銀中毒だという風に攻めていく一つの大きなね、意味をもっていたんですよね。ただやっぱり・・。今度は、逆にね、こういう尾上さんみたいな人でないと水俣病じゃないという言い方は、逆には出来ない!ですねえ。」
〇妻のハルエさんに眼を転ずる原田
「奥さん、奥さん。奥さんは今どんなになってる? 認定、認定になった。うん。」
妻「二月にね。うん。」
女性「この頃、あんまり工合が良くないんです・・・。」
18 妻の症例について
〇視野のテストを妻にしている
原田「これ(指)見とってね。これ動くの分る(「ハイ」)( 「そこはよう判らん」)判らん!これは?これは?いま分る。」
原田コメント「この奥さんはねえ。御主人があのような症状が出てたのにもかかわらず永いこと放置されてたわけですよね。で最近問題になって再検査してみると、視野がはっきり狭いと。それから口の周りの知覚障害や味ヘ(註・味覚)の障害がある。手足の末梢性の知覚障害がある、聴力障害があるですね。それからまあ、共同運動障害やことばの障害というのは、まあないといえば無い。まあ非常に軽いですね。だからまあ、あえて”不全型”といえば・・・ねえ。」
〇医師たちでの会話
原田「この辺の(註・妻にみる)症状というのは非常に微妙だと思いますけどね。だからもし徳山でね・・・ (山口大「徳山で・・・」)こんなケースがポンと出できたら・・・。」
山口大の医師「どちらに採らうか(註・水俣病か、他の病気か)ということですな。」
原田「で、この齢だと首の写真は撮りますからね(註・いわゆる症状の完全に揃わない場合、老人性脊椎変形症とあらかじめ想定し、頚部脊椎のレントゲン写真をとり、その変形を理由に、有機水銀中毒の可能性をみない事例があったことを念頭においての発言である。土本)そうすると、おそらく(註・変形は)ある!(山口大の医師「あるはず!」)はずなんですよ。」
1 9 パネル・水俣病病像図
スーパー ”武内忠男(熊本大学)
一元水俣病認定審査会会長ー”
武内「ええこの図(病理・病像篇一七八頁参照)は臨床症状と病理解剖による病変との照らし合せから作ったものですけれども・・・。」
〇ピラミッド型の底辺に”汚染地区住民”その上に各階梯をへて最上段に黒地に”死”とある。病像の全体像を立体的に示している。「・・・ひとつの山と、それから汚染を受けた地区住民、という二つから成り立っています。で、一審重症なのは”死”があるわけです。その次にまあ最重症といいますか、いわゆる”植物的生存”をしておる、そういうタイプと、それから次に”強直型あるいは刺激型”というやはり重症な型があります。・・・更にまあ”普通型”すなわちハンター・ラッセルの症候群を揃えているものという型があって、こういう型のものは非常に急性期に多く出現したものです。」
〇山型図型のすそ野にカメラ近づく。数タイプがボーダー・ラインを重ねて存在する
「その外に、他の合併症によって水俣病症状が隠されておる、”マスクされた型”と、更に症状が充分に揃っていない、いわゆる”不全型”というような型のものが、その下にあります。さらにその下に、病変はあるけれども、すなわら有機水銀の影響は受けているけれども、症状が出ていないと言う、いわゆる私どもが言っている”不顕性”のものというグループが存在すると思います。その下には病変も症状もない、ただ水銀の影響を受けたという人たちだけの、大部分の住民(註・地区住民)が存在するわけです。」
土本「この二、三年ですね、やっぱり審査などで”判らない”といわれているケースは?」
武内「(山の中腹以下を示し)それはですね、マスクされた形とかあるいは不全型とか、そういうものが問題になっております。その中で一番難かしいのは(「マスク型」を指し)他の症状で隠されているものをどうして見付けるかという事ですね。マスクされた形のなかから、どうして水俣病を抽出するかということ。(「不全型」を指し)それから不全のものの一部の症状から、それがメチル水銀の影響によるものだという事をどういう風にして見出していくかという事が大きな問題ではないかと思います。」
〇ピラミッド型病像図に重なり並んでもう一つの山がある。”特殊型”といわれる胎児性水俣病のピラミッドである。
土本「そのう・・・子供の場合がわりと最近多い・・・。」
武内「そうですね。子供の場合には、胎児性はほとんど脳性小児麻痺が今まで認定されて来たんですけれど、病理学的に考えると、それよりも軽いものが必ずあるということは可能性としてどうしても考えられるわけですね。その中にどういうものが出てくるかというー。例えば、知能の低下したものがありはしないか?”精簿”がありはしないか? そういう問題が残ってきておるわけです。そういうものの追究が今後残されている問題だと思います。」
土本「今、その点がですね、医学的に止っているのは、主としてどの辺の研究がいま欠けている為でしょうか?」
武内「それはですね、臨床症状の把握の仕方でしょうね。それを客観的にどういう風にして診ていくかという大きい問題が残っていると思います。」
20 字幕 臨床上問題となっているケース1
ー昭四十二年生れー
胎児性水俣病と疑われている保留患児
芦北郡津奈木町
この字幕に重なって原田氏のコメント
「今、私達がかかえている子供の問題というのは、勿論軽い脳性麻痺やそれから精神薄弱の問題、これは大きな問題として残るけれども、必ずしもですねえ、”軽い”症状じゃないわけです。」
21 ある民家での重症児の検診
同僚の医師が前坂さゆり(七歳児)を診ている。四肢硬直し、両足は腰から右にねじくれている。若い母親がつれ添っている。
同僚の医師「さゆりちゃん!今どんなね、頭痛くないね?頭痛くない!(母親に)あんまり・・家でなんか、自覚的に訴えられることがありますか?」
母親「やはり痛い時は”痛い”といいます。」
医師「どこが痛いと言われますか?」
母親「みんな痛いといいます。力が入ったときは・・・ 。」
医師「ああ力の入った時にはね。」
母親「(うなづく)骨やら特に足が痛いといいます。」
〇さゆりさんの大うつしに原田氏のコメント
「昭和四十二年生れの子なんですけどね、水俣・芦北地区には決して軽症例とか不全型じゃなくてですね、こういう非常にひどい子がまだ沢山いるわけですよね。でそれが胎児性水俣病であるかどうかということは、臨床症状で見分けがつかないわけです。こういう子供達の大部分は・・・この発生時期が非常に早かったりですね、或いはもう普通水俣病が終っただろうといわれる四十年以降ですねえ。そういう子供たちに対するひとつの判断ですね、これがやっぱり非常に問題になっているわけです。で、こういう例が私が歩いただけでもずい分いるわけですからね。」
〇原田氏が検診する。子供のひたいをなでながら
「暑いねえ、汗かいてる。シェーデル(註・頭の形が)が丁度あのお、ボックス型ですねえ。」
じっと見つめる。母親に
「御主人は国鉄かなんかでしょ?」
母親「いえ、郵便局・・・ 。」
原田「いや、郵便局だったですねえ。」
沈黙する。太い吐息をつきながら
「これは考えこんじゃうなあ。」
母親への問診に重なって
原田コメント「この子供の場合はまあ、汚染がかなりおさまった時期に生まれてるということと、分娩ー生れる時に脳の障害を受けるようなこと、例えば仮死で生れるとか、未熟児で生まれるとか、そういうトラブルがあるんですねえ。で、まあかつては(註・昭和三十七年頃、確認された胎児性水俣病の場合)ですね、胎児性水俣病はそういうトラブルがないと。・・・ ないというよりむしろ分娩時にトラブルのあったものは胎児性水俣病として来なかったんですね。」
〇原田氏の生活歴調査がつづく。
母親「・・・魚屋さんの隣りに(住んで)おったでしょう。・・・それでいまだに主人は夜ぶりに行ったり魚釣りにいったりしてからもう、魚がないともう毎日が暮らせないし・・。」
原田「ぼくはねえ、あの時はねえ(註・前回診したとき)、三十年、せいぜい三十六年頃までだ(註・の問にしか胎児性は発生していない)と思ってたもんねえ胎児性は・・・。いやまだ分らんけどねえ。・・・ちゅうのは子供は、まあ水銀でやられようと何でやられようと、子供がやられるときは同じような病気になるからねえ。」
〇カルテに書きこみながら
原田「早産だったの? (「はい」)母乳ですか?」
母親「はい母乳です。」
〇無心なさゆりさんの顔のアップ
原田コメント「いま言ったようにですね、問題点は、”まあ間違いないだろう”といわれている三十八年までは分っている。それからこっちにはたして胎児性が居たかどうか・・・。場所はもうねえ水俣・芦北ですから・・・ (註・疫学的には発生の可能性はあるの意味・土本)だから今までの、従来のこの胎児性の概念を拡げるかどうかという・・・。拡げるための根拠ですねえ。ううん、それはまあ発生率が非常に高いとか、臍の緒の水銀が高いとか(註・保存されている臍の緒から推定する研究がなされている・土本)ですね、まあ幾つかのデータを集めてですね、判断しなきゃいけないと思うんですけど・・・・ 。」
〇熊大で撮った胎児性水俣病の一斉検診時のフィルム
スーパー”最初に発見された胎児性水俣病
(昭和三十~三十四年生れ)
ー昭和三十六年熊本大学撮影ー”
〇中村千鶴さんや岩坂末子さんらの全身症状
原田コメント「これはあのう、三十七、三十八年頃に認定された子供ですけれど、まあ、症状は今の子供と変らないわけです。で、この子たちもですねえ、七年間は”脳性小児麻痺”として処理されていたという歴史があるわけです!だから当時でもですねえ、この子供たちをひとりひとりこう連れて来たら、脳性小児麻痺と区別つかない部分があったわけでしょう。」
〇旧フィルム、十数名の息児が並んでいる
「・・・やっぱり疫学的な集団としての捉え方というのが胎児性の場合必要だったわけですから・・・。あのう今度沢山出てる子供たちもねえ、やっぱりそういう捉え方をしていかないと。」
〇元の検診風景
原田「そんならちょっと抱いてよ、ねえ。抱いてもいかんかなあ!よいしょ。どうしたら楽かなあ。」
さゆりさんの足がっつばっている。カを添えて折りまげて抱く。
〇医師間の雑談
原田「弟子丸君(熊本大)の実験では、あのう母乳経由の中毒も証明されてるんですけどもね、実験的には!ただそういうものが若しあるとすれば、当然症状はかつての典型的な胎児性とは少し違うと」
患児を見ながら
「子供にや見覚えがあったけど、奥さんにはあんまり見覚えがなかった。・・・(溜息)やっぱりもう一辺、三十五年以降の(水俣・芦北地区の子供たちを)洗い直さなきゃいかんでしょうね。」
22 字幕 臨床上問題となっているケース2
検査不能の保留患者(五十二歳)
ー水俣市 石坂川ー
〇これにだぶってナレーション「こ れも検査不能とされ保留になっているケースです。」
〇チッソ第一組合の一室、重症の初老の患者がよこたわっている。生活歴をきく原田氏、こたえる妻と組合活動家山下さん
「ずっと居たわけ? ずっと居たわけね。そして”だいごろう”という・・・”たしごろう”ってしてたわけね・・・(書き込む)あのあれだろう(身ぶりで)車ば(「牛に」)牛に引っぱらせてね。(妻「山から引っぱってくっとです」)うんうん、何ちゅうのかなあ日本語・・・ じゃない・・・あのうだいごろうて言うたい。ぼくは知っとるたい!」
山下「”だしごろう”といってます。」
原田「ああ出すという意味かも知れないね。」
山下「牛に引かせて、牛とか馬に引かせて。」
〇妻に質問する
原田「魚はどこから買ってたわけ?」
妻「魚は・・・もう売り来たっばですなあ。色々もう買ってたつです。町から買ったり、売りにきたつば買ったり、いつでもありませんとですなあ。」
原田「好きだったわけ?」
妻「はい、そりやもう!」
原田氏コメントかさなる「この人は水俣から十二キロぐらい離れた山の方で、木材を山から出す仕事をしてたわけですから・・・。ところがそこには水俣の魚が当時、行商ルートを通じてこう上って来るわけですね。」
〇魚を満載した荷台。行商軽トラックが一路山間部にゆく。スーパー”行商ルート(鹿児県大口市方面)”
原田コメントつづく「で、その行商ルートは当然・・・あの新潟あたりではかなり追究されているわけです。ところが熊本においてはですね、この行商ルートを流れた魚が、あの山の地方でですね、多くの人達が食べて一体それがどうなったかということは何んの調査もしてないわけですねえ。で、これはずうっとこう鹿児島県の方まで行っちゃうわけで、まだそのう(註・患者さんが)出てるも、出てないも、何ら調査されてないということは非常に問題だと思うんです。で、この方はそういう意味ではですねえ、従来のこの”汚染地区”からすれば、外れちゃってるわけですねえ。」
〇原田氏、患者の口周囲の知覚障害を調べている。
原田コメント「で、非常にひどい脳障害の所見を示してます。針で突っついて知覚障害を診ようとしているんですけどね、殆んど反応がないですね。しかしまあ、反応がないという事がですね、いきなり知覚障害とは言えないわけですから。例えば(註・運動の)麻痺があっても、こりゃ逃げられないわけだし、言葉が悪ければ”痛い”とも言えないわけだし、知能が・・・ まあ悪いですからねえ、そうするともう・・・ 。」
〇足の知覚障害をとり出そうとする原田氏
「こりゃあ、足はこう自分で伸したり曲げたりすることは出来る?」
妻「はい」
原田氏、患者の右ひざを強引に立てると左足が動く。
「よいしょ!・・・ははあ、こんくらい出来れば、痛ければ逃げていいんだな。」針でつよく足首を突く
原田コメント「痛いちゅう事が分れば逃げるはずですけれども、まあ逃げない。しかしまあそれでもあのう”知覚障害”と決めるのはまだ問題があります。ただ少くとも現象的には、引っ込める能力があるのに、かなり強く突いても引込めないという・・・所見としてはあるわけですねえ。」
〇淵上さんの口もとに指をふれると口が開く
「開口反射ですね・・・・ これは・・・・・。」
〇手にふれると、原田氏の指を握りしめる
原田コメント「あの原始反射というのは、まあ例えば、手を口にもっていくと、こう口を開けたり吸いついたりする。或いはこう手のひらにあてると握ったりする。でこれはまあ丁度、生まれたばかりの赤ん坊の反応なんですねえ。だからまあ”原始反射”というんですけども・・・ということは、脳がですね、非常に重症にやられて、まあ、子供みたいに退行してしまったという一つの所見なんですねえ。」
〇たえず笑っている顔のアップ
原田コメント「ひっきりなしに”ああ”と笑う。あれもひとつの症状ですね。ぼくらは”強迫笑い”というんですけども。だからこういう重症者はですね、この、例えば、視野の検査だとか聴力の検査だとか、そういうことは不可能だと思うですねえ。」
〇共同運動障害を探る
支えて患者を立たせる
原田「右利きだった?(妻「はい」)さあ歩こうか歩こうか、よいしょ、はい、よいしょ。」
〇少しずつ歩行する。
原田コメント「右が動きにくいですね。・・・症状に軽い左右差はありますけれども、いわゆる片麻痩の状態(註・脳血管障害によく見られる所見・土本)じゃないわけですね。つまり大脳が両側性に非常に広汎にやられている所見。・・・で、ところがですね、寝たつきりなんですけどね、この、錐体路の症状とかですね、そういったものはあるんだけれどもそう強くないわけです。」
〇原田氏、手の支えを外して立たせようとする。
「ちょっと注意してね、一寸注意して、離してみるから。」
患者、辛うじて立っている。
原田コメント「ああいう中腰でね、ある程度姿勢が保てるんですよね。だから力はかなりあるんですよね。」
〇坐らせる。ことばが分るかどうかもためす。
原田「すわってごらん!分るんだなあ、このくらいは。(笑い声)坐ってごらん。よし!そうしとって・・・。」
原田コメント「まあ、ごらんのように立てるわけですからね、あのいわゆる狭い意味での”麻痺”ではないわけですね。まあ、ぼくはひとつの”運動の失調の非常に強い状態”だという風に考えたいわけですね。」
〇患者を観察しながら
「全然立てないっちゅうんじゃないねえ。」
妻「ひとりでなら立ちきらんでなあ。(手を)添えれば立っとです。」
原田「そうして足をこうかわす・・・。」
山下「いまもそうして連れてきた・・・ 。」
〇正面に対している。傍らの妻に「煙草は吸いよらんだったの。」
妻「煙草は吸いよりました・・・一箱やっぱ三日ぐらいですなあ。」
原田氏一本煙草を抜いて目の前に差出す
「ううん、どうかな?」すばやく手で取る
「はい早いね。」
妻「魚でんやればもう早かで!さあってとってしもて。」
渕上さん、口もとにもっていこうとする。
「ああ、そうするのね。分った!分った。ううん。」
〇横になっている淵上さんの顔、にこやかである。
原田コメント「こうなる少し前に、診ておればぼくはあのう、有機水銀の症状が見付ったかも知れない。そりやもう・。ぼくらのまあ何例も何例も診てきた経験ですけどね、単なる”動脈硬化”だけではとても説明つかない。」
〇憮然たる原田氏、かたわらの組合員山下氏に、
「だから他にこういう病気、何があるかっちゅうことでしょうね。」
山下「とくに”だしごろう”なんかやってて、躰が強かったわけですからね・・・・・・カの方は衰えて・・・・・・。」
原田「小崎弥三さん(註・ひじように重症の認定患者)に似てるですね。臨床的にはね!」
23 認定後、脳溢血に襲われた実例
〇老人、車椅子にのっている。話をしようとしているが完全な失語症である
スーパー ”森 道郎さん(昭四十六年十二月認定)”
原田コメント「この方は色んな検査(註・認定時は水俣病の主要症状のみであった)も可能だったわけです。だからそういうデータに基づいて水俣病と認定された。ところがその後、今度は発作が起って、もう今じゃこういう状態ですね。あきらかに右の麻痺がきて・・・。まあこれを見て、ぼくはびっくりしたのだけれども・・・ 。」
〇森さんリハビリテーション訓練でバーにつかまって立っている。
〇一年半前のまだ行動出来た時の森さん(旧フィルム”水俣一揆”より抜粋・白黒画面)チッソ社長に抗議している森さん。
スーパー ”ー一年前ー”
森「(かたわらの患者をさし、すっくと立って)公冬さんのですね、病状をお話ししましょうか?まあ格好はああいう風に手も足も具合悪いですけど、他所へいって一辺ひつくりかえったことがあるんですよ、眼まわしてねえ。どこでそれが出るか分らんのですよ!そん時知らない医者に引っ掛ったんですよ。近い医者にねえ・・・ 。」
その氏の抗議に重ねて
原田コメント「もしこの人が診察を受ける機会が半歳遅れてたらですね、もう判らないわけですよねえ・・・。」
〇床を不自由な足をずって這う森さん。
原田コメントつづく「・・・そうすると、もし仮にですね、今の状態で申請したり、あるいは水俣病かどうかと判断を迫られた場合に、難かしいわけですよね!で、これはやっぱり、新潟なんかみたいにですね、初期からきちんとこの、”毛髪水銀”以下ですね、ずっと経過を追ってきたら診断はそう難しくなかったと思うんです。さっきの山内さん(註・愛子さん・棄却例)でも、それから淵上さん(註・前シーンの保留例)でもね。・・・そりゃ、あのう、やっぱり基本にはですね、臨床症状をどう理解してどう捉えるかということに懸っているんで・・・、だから”マスクされた水俣病”といわれるんですけどね。(声をひくめて)あのう、だからこの人なんかは、今もし審査すればねえ、完全に右麻痺ですからね、それから失語症があるわけですからねえ・・・・(うめく)否定される可能性がある。」
24 新潟における不全片麻痺例
〇新潟阿賀野川沿いの主観移動
(叩きつけるようなピアノ曲)
スーパー ”新潟阿賀野川”
〇川魚をつる人々
ナレーション「昭和四十年、新潟で第二の水俣病が発生しました。ここでは汚染住民の一斉検診をべースに長期の追跡をしていました。」
(音楽おわる)
25 新潟大学医学部内
人体図形のスライドを前に語る白川氏
スーパー ”白川健一氏(新潟大学 神経内科)”
白川「新潟水俣病では、川魚の摂取の禁止が昭和四十年の六月に行われております。ですから、その後新らしく水銀が侵入したという事はないわけであります。で、そのことは頭髪水銀量の経過を追っておりまして、半減期七十日で減少しております。ですから、そのことは、まあ多くの例で確認されているわけであります。しかし、ええ二・三年後の昭和四十ニ・四十三年になりまして、ええ、知覚障害が起ってきています。(図に赤マジックでその部位を書き込みながら)・・・でペリオラールー口周囲にこのような知覚低下、上肢の遠位部(註・両手の手首から指先)に知覚低下、下肢の遠位部(註・ひざから下)にこのような知覚低下が加わってきております。そして深部知覚もこのように(と秒数3 を示し)低下してきております。で、この知覚低下をみていきますと、これ(註・知覚低下の部位)が次第に上向してきております。で上肢の方もこれが上に及んできております。(と両腕・両足をぬりつぶす)で、その後四十五年位になると躯幹の部にまで及んできております。そしてその頃になると半身の麻痺が加わってきておりまして、その麻痺側に知覚低下が見られるようになってき、多くの例で、このような知覚障害のパターンを認めております。しかもこの片麻痺は二十代、三十代の若い世代にも見られておりまして、ええ、徐々に進行、増強していることから血管障害によるものとは考えられない。」
26 新潟水俣病患者家庭での実見
ー若年層不全片麻痩についてー
(註、シーン25及び26は『病理・病像篇』と重複しているが、事実報告にかさねて、熊本水俣病との対照を原田氏のコメントによって試みているためである)
〇三人兄弟の患者さんを前に白川氏。
白川「五十嵐さんとこは何人兄弟でしたかね」
松男さん「ええと七人。」
白川「七人。で今、認定されたのは(松男「六人」)・・・六人。で、今日集ってもらった三人の方の奥さんも、皆んな認定されたわけですよね。(「そうです」)で、松男さんが一番、髪の水銀高かったわけだけど、いくら位でしたかね。」
松男さん「ええと、二三五だと・・・。」
白川「三ニ〇・・・三〇〇いくらだった・・・三二五だね!」
松男「ああ三二五だった! はいはい三二五だった!」
白川「四十年の九月に入院して調べたわけですよね、髪の水銀が高いっていうので。その時ははっきりした異常というのはつかまらんだったけどね。」
松男「そうですねえ・・・ただまあ・・・。」
白川「それで、そのあとは自分で具合悪いなあと思ってきたのは・・ ・その次に出てきたのはどんな事、いつ頃、どんなのが出てきましたかね?」
松男「あのね、あの、左の、やっぱり足の上りがね、悪い・・・けつまづいたりして、そいで、あの・・・・転んだりねえ・・・。」
〇このやりとりを見ながら原田氏のコメントが重なる
「白川さんが言っておられるように、最初毛髪水銀が高かった。ー魚を食うのを止めたとーで症状がなかったとーしかしだんだん知覚障害が出てきて、それがどんどん進行していったとー更には半身症状が出てきたという、そういう一連の経過を新潟大学では追いかけたわけです。ところが熊本の場合はそのう、その辺のデータが無いわけですよ!」
〇若い奥さんからも片麻痺を取り出している。
原田コメント「さすがだと思いますよ!ずっとこうした経過を追跡していってね。まあ残念ながらね、熊本の場合、規模も大きかったし、原因が何か分らなかったしね。そういう不利な点はあったんだけれども、まあ少くとも三十五・六年以降はね、やっぱりきちんとしなきゃいけなかった!ということで・・・。」
〇白川氏、指鼻テストを奥さんにつづけている。眼を閉じると左手が鼻から外れる。
白川「はい今度は反対。眼を開いて。はい、眼を閉じてやって下さい。今のを。」
原田コメントつづく「あのう、新潟以前はですね、そのう、”半身症状”があるのはまあ”水俣病でない”と・・・。”中毒なら左右同じようにやられるはずだ”という事がまあ中毒のひとつの常識だったわけだけれども、しかしやっぱり、こう何年も経ったり、或いは慢性の形だったりすれば、当然半身麻痺も出てくるわけですね。どうもあのう、細かく診るとですね、知覚障害も様ざまあると。で半身の知覚障害もあるし、脊髄性の知覚障害もあるし、それからもう一寸説明のつかないようなですね、ひじように不規則な知覚障害もあるし・・・・。」
〇白川氏、松男さんからひどい左右のアンバランスをとり出している。
白川「はい、いいですよ。眼をね、きつく閉じて!思いっきり!」
松男さんの左の瞼ひきつる。
原田コメント「で、そういうものの発生頻度というものが高いとこを見るとですね、いちがいに”これは脊椎性変形症のせいだ”とか、”これは循環障害だ”とか、まあ”ヒステリーだ”とか・・・どうもあのう片付けられない!」
27 ”全身病”としてのとらえ方について
〇スライドにより解説する白木氏
スーパー”白木博次氏(東京大学 神経病理学)
ー猿の全身オートラジオグラフによるー”
〇標本、猿の脳とともに臓器に濃密な水銀が投影している。
白木「・・・確かに水銀は脳にも、脊髄にもはいりますから、そういう意味では・・・そしてその、脳が侵されるわけですから、これは確かに神経病、あるいは精神病でしょう。だけれども今お話ししましたように、ええ水銀というのは首(から上)以外の、血管、心臓、そういう所にもはいって行くし、あるいは膵臓にもはいってそれが糖尿病の原因になり、あるいは動脈硬化症につながって行くということもあるわけですから、どうもそのう、もっとですね水俣病というものはまあ、神経以外の所にも注意をしなきゃいけない。で、これ御覧のように肝臓にも非常に溜っておりますね。腎臓にも非常に溜っている。ですから、とういったところ(と内臓を指し)もですね、・・・まあ脳は最初にはひじように強く侵されますけど、時期が遅れてじわじわと侵されていく可能性も考えなきゃいけないわけです。」
〇つづけて意見をのべる同氏、自室にて
白木「・・・そうだとすると、水俣病を単にですね、神経病という風にだけ見ないで、やはり全身病として捉えていく、と。この場合に、臨床的・疫学的に言えば、例えば水俣地区の高血圧症だとか、あるいは肝臓病だとか、あるいは平均寿命の問題ですねえ、そういうものがコントロール地区に比べて明らかに多い、とか、少いとか、そういうデータをがっちりと掴んどく、ということが非常に重要なことになってくる。・・・これがまあ胎児性水俣病について言えばですね、あの、ああいうひどい重症心身障害が起る前に、やはり不妊だとか流産だとか死産とかが、非常に多かったのではないか。あるいはその定型的な重症心身障害のほかに、軽い精薄であるとか軽い脳性麻痺だとか、あるいは何となく、そのう素質が低下した人が居るとか、そういうことがやはり、コントロール地区と比べてですね、どういう事か、というようなことを臨床、疫学の立場からがっちりと掴んでいくと・・・。それが病理にまわってきてどうなるのか、というのはその次の間題になると思いますけどね。」
28 現時点での急性発症例
〇雪のふる水俣市湯堂、坂本登さんの家が袋湾のすぐ上にある。
スーパー ”水俣市湯堂 患者多発部落”
原田コメント「坂本君の場合、私たちが四十六年にやったこの一斉検診の時に、少くとも、それに引っ掛かるような大きな症状は無かったわけですね。」
29 急性発症者宅で、奥さんをまじえてのインタビュー
スーパー ”坂本 登さん”
坂本「(強い言葉の障害を示しながら)口はこんな・・・ 。」
妻「(傍から)口が一番さきだったですねえ。」
坂本「こんななかったもんなあ。」
質問「口はもう、あっという間ですか?」
妻「はい、もう、あの五時間ぐらいの・ ・・。」
坂本「ニッスイ(註・建設現場の名)の打上げに行ったろうが。出ていく時は、そ、そんな感じらんかった。・・・で、飲んどるうちになあ、こうだんだんだんだん(口元をさする)自分では分らんけどこう・・・。飲んだらおふくろと一緒で、唄うて騒ぐ方じやけどなあ。と、となりに女の人が二人すわってな、そして社長が横にすわって・・・。”なんかお前、こう口がおかしいんじゃないか?”っていうてなあ、”そんなことないやけどなあ”って。」
質問「あんたは気がつかなかったわけですか。」
坂本「自分では気がつかんかったなあ。でその時なあ、あの丸島(註・魚市場のある漁師街)のあらせ亭(註・料亭の名)で打上げして、でマイク持つてなあ歌おうとするとひっかかってなあ。なんか涎が出てくるような気がするんよな・・・で途中で止めてなあ。ボーリング行こうかと言うてボーリング行ったら、ひっくり返ってなあ。足がこうひっかかって。」
質問「ひっかかるっていうのは?」
坂本「自分ではこうまっすぐ歩いてるつもりじゃけどなあ、こんなになっとる(と手で足のもつれをまねる)・・・。」
〇急性激症型で死亡した姉の旧映画フィルムにスーパー”坂本キヨ子ちん(昭和三十三年死亡)”。元気に出稼ぎしていた頃の写真。働き盛りの青年そのもの。重なって原田氏のコメント「坂本君の疫学の面から考えると、あのう姉さんは急性激症で亡くなってると。その時一緒の生活をしていたわけです。両親が慢性型の水俣病だと、ハンター・ラッセル全部揃えた水俣病だと・・・。で勿論、認定されたのは最近ですけれど、本人は元気だったわけです。で途中で出稼ぎに行ったりはしてるんです。しかし、まああの濃厚汚染の時には、ほとんど一緒の生活をしていたわけです。まあ突然症状が悪くなったということは、誰でも考えるのが、一審最初に考えるのは循環器障害です・・・。」
〇精密検査中のスナップ(ハイスピードによる)
スーパー”精密検診 熊本大学眼科ー昭和四十九年三月ー”
原田コメントつづく「・・・あのう、僕も循環器障害じゃないかと思ったけど、診てみて驚いたのはですね、突如ハンター・ラッセル(註・症候群)が全部揃っちゃったという事ですね。勿論、僕が診た時でも、視野の狭窄や眼球運動異常やですね、知覚障害、それから失調、構音障害、聴力障害まで揃っているわけです。」
〇姉の遺影のある室で語りつづける坂本さん
原田コメントつづく「で勿論発作が起った時にですね、発作というか、症状がある日、朝起きたときに出たというわけですから・・・起きたときに、毛髪やら血液やらを調べたんですけれどね、少くとも、その時点で、毛髪は普通だし、血中の水銀が高いわけでもないわけです。」
30 原田氏の推論
〇歩行失調を、歩くことで見せる坂本さん。人気ない台地の上
原田コメント「この人のその僕等に突きつけた問題提起というのはですね、本当に底知れぬものがあるだろうと思うんです。たとえば、ある症状の発現は体内の水銀が”ある一定レベル蓄積されなければ起らない”という”蓄積理論”があるわけですけども、症状の出方には闇値(註・最低発症値)があるかも知れないけども、細胞の、このう、神経細胞なら神経細胞の一つ一つにとって考えてみればですね、閾値はないんじゃないかと。・・・だから、かつて沢山食べて、ある程度症状を出すか、出さんかというところまで来てて、まあ、それにまた微量なものを長く食べつづけることによって、それが症状を出しちゃったという考え方が出来ないか、どうかですねえ。例えば、20リグラムまで達したら症状は出るけれども、達しなきゃ十年続こうが、20ミリグラム以下だったら症状が出ないという理屈では、坂本さんなんか説明つかないですね!症状がおきたとき、毛髪、血液も水銀は低かったわけですから。」
31 診断時の条件、心理的問題について
〇熊本市に開かれた保留者への理由説明会スーパー・武内審査会長による保留理由の説明ー昭四十九年二月十九日
〇武内氏がカルテをみながら「・・・正直に申し上げますとね古川さんはね、医者のみた症状が、審査するたびに変る。そしてね、審査しとる時でもね、始めと終りがまた変るという・・・非常に把まえにくいわけですよね。だから、あなたは正直に言っているつもりでしょうけれども、そのう、そのままをね、言って頂かないと・・・。」
〇古川ハルエさんの自宅
スーパー”古川ハルエさん 保留患者(水俣市湯堂)”ひどい構音障害で、どもり、つかえつつ
古川「・・・正直におっしゃれ、おっしゃれといいますけど・・・わたし、あっこに、・・・大学とか何とかに行けば、まあ(身を縮める)・・・。」
原田コメント「まあ、この人は僕はもう間違いない水俣病と思います、そのものずばり!だって湯堂にいてね、漁師をやっててね、もうずっと食べてたわけでねえ。で症状だって殆んど揃っているわけでしょう?そりゃ確かに検査によって変動があったり、それから少し緊張して言いそびれたり、嘘が出たりするかも知れないけどね、それだって症状なんですよ!・・・水俣病というのはですね、緊張したらね、これもう言葉・・・うそのように出なくなったり、震えがひどくなったりする・・・。まあだから企図振戦とかね、言うわけでね。・・・だから本当にリラックスすれば言業もすらすら出てくるわけですよ。ううん、何か嘘いってるんじゃないか、嘘いってるんじゃないかじゃ、かわいそうじゃないですかねえ!」
古川「床の中に入っとった時でも、夏でんなんでん、寒うして震うくらい・・・子供たちも思うとですたいね、震うもんだけん・・・・。」
〇手のアップ、たえず小刻みにふるえている
質問「寒気がするわけね?」
古川「さむけじゃなくて、はい。さむしてふるうとっとじゃちがうとです。」
32 字幕 疫学的アプローチ
”変形性脊椎症として
棄却されたケース”
〇県からの通知書のアップ、知事の印、その一行一行を追いながら
堀田さんの声(註・彼女は自主的に未認定患者の発掘の仕事をしている・土本)「・・・障害軽度、振戦・難聴などの症状が認められるが・・・。」(文書を交々読む)
原田氏の声「脊椎変形症が主であって、他の症状も水俣病の症状とは認められない・・・ということですねえ(堀田「はい」)。」
〇患者、浜本亨さんが対坐している。
スーパー ”浜本亨さん(芦北郡津奈木町浜)”
棄却された本人である(註・堀田さん宅の一室)
原田「誰が最初、診断書を書いてくれたの?」
堀田「(亨さんに)いちばん初めに、あの・・・。」
原田「(引きとって)診察したのは誰?・・・誰か来たのあなたの家に?」
本人は忘れてしまっている。
浜本亨「・・・・伊東さん、知んならんですか?」
堀田さん「伊東さん。そこら。」
原田「最初の申請のときは誰の診断書?」
伊東さん(註・伊東紀美代・未認定患者発掘の活動をしてしている支援者)「鹿児島大の神経内科のサガ・・・サガ先生かしら。」
〇堀田さんからの聞き書きを調べる
堀田「・・・三十三年くらいからですね。あの漁民騒動(註・昭三十四)の前から、もうお店をしていたという事ですから・・・・・。」
原田「何を売っているの?魚、魚や食糧品ですか?」
浜本「はい。」
原田「(住いは)岩城のどの辺?」
〇過去の病歴についての原田氏のコメント
「・・・ いろいろ綜合してみると、この昭和三十二年の十月頃から足が立てなくなってですねえ、そして三十四年当時は痺れや、震え、手足の小さな痙攣というような、水俣病に比較的沢山みられる主訴で病院に行ってるんですねえ。で、そこで病院では不整脈、心臓病を指摘されて、で”心臓病”ということで入院したこともあるわけです・・・。」
〇問診つづく
原田「それで・・・言葉がおかしいですね(構音障害がみられている)。」
浜本「(喋りづらそうに)言葉が自然とこう・・・。」
原田「言葉はいつ頃からこんな風に、あんまり舌がまわらなくなった?」
浜本「最近ですが・・・ 。」
原田「最近ね・・・最近というと、そのう何時頃だろうか。昨年、おととしね?」
浜本「(考えこむがはっきりしない)うーん次第とこうなりましたけん、最近です。」
原田「気がついたのは?」
浜本「ううん、最近です。」
33 棄却理由の”脊椎変形症”をまず診る
(註・高年層に出現する脊椎変形症としてこのケースの決め手とされたのは頸部のレントゲン写真であった・土本)
〇患者の頸部に手をそえ
原田「ううん一寸やっぱりふるえがあるごたるねえ、頭がこう・・・ 。(首をまげてみる)ちょっと楽してて・・・力抜いとってごらん? 痛いね?」
浜本「はい、そこが、首がよう回らんとです。」
原田「首がまわらん?」首すじの骨にさわっていく。
原田「ここは?」
浜本「痛い。」
原田「痛い?(「はい、痛い」)こっちは?(「はい痛い」)」
〇原田氏所見をのべる「脊椎変形症があることは、これはもう明らかだと思うんですよ。わざわざ(註・棄却のための証明として・土本)レントゲン(写真)撮る必要はないと思いますねえ。ただこのう脊椎変形症でですね・・・運動障害・・痛みのための運動障害が、こりゃ在りそうですけども。それでもって、神経障害まで脊椎変形症で起しているかどうかということは問題だし、もし神経症状を起してるとしてもですね、全部の症状を、では脊椎変形症で説明してしまえるかどうか!と」
〇首を下にむかせる。どういう位置にしても痛みをうったえる
〇起立の姿勢のまま、目をつむると少しふらつく。ロンベルグ(運動失調)のテストである
「はい、いいですよ。こんどはね、足をちょっと、こう一直線にしてごらん?」
微かに安定を失う
原田コメント「で、まあ、この人の、そのう失調ですけどね、まあこれは微妙で多くの人(註・医学者)はあんまり失調とは採らないでしょうね。だから、水俣病というのは、それは無論悪くなる例もあるし、軽快くなる例もあるし、そういう意味ではこの方は三十二年から三十四年当時、非常に症状が苛どくて寝てたと、で今、それがまあどっちかというと”後遺症”という形で残ってるだろうと。そういう事を前提に、また今の症状をどう捉えるか・-ー」。」
〇握力計で力を計る
原田「力はだいぶあるねえ、(右手に)はいこっち。」
〇聴力検査、ストップウォッチを左の耳にあて次第に遠去ける
原田「聞えなくなったら言って下さい。」
浜本「はい。」
原田「(咳く)難聴は有るって書いてあるなあ、ちゃんと検査でねえ。」右の耳にあてる。
浜本「こっちは駄目です。」
原田「こっちは全然きこえない?(「はい」)〇こっち中耳炎かなんかやった?」
浜本「いえ、中耳炎はやりません。」
〇構音障害テスト
浜本、初音が出にくく、つつかえる
「・・・パピ・・・プ、ペポ(原田ラリルレロ」)・・・ラ・・・ラ、リ、ル・・・レロ。」
〇実生活の中のことばについて質問「あの(市の)セリの時、相手の言った値段の次をパッと言う・・・気合いみたいなものでしょう?」
〇図面、セリ市でのセリの掛けあいに変る。水俣市魚市場、浜本さんは声を出そうとするが、皆まわりにとられてしまって、眼をむくのみである。浜本さんの声「はい、そうです。口がよくこう廻らんけん、その点がもう・・・堪らんのです。ううん、買おうと思つても、すぐ口も出ら・・・出らんし、言うても、もうはっきり向うに聞きとれんらしいです。セリの場合はもう魚市でも、野菜市場でも、もう、その不利な・・・点が一番もう気にか・・・気になります。」
34 知覚障害をいかに取り出すか
〇寝ている浜本さんの顔面に音叉をあて、触覚をしらべている。
原田「(ひたいと頬にあて)そんならこれとこれは?(「ほほ」)頬・・・。(右頬と左頬にあて)これとこれは?」
浜本「変らないです。」
〇顔面の各部の調べをつづけながら、
原田コメント「口のまわりの知覚障害が在るかどうかということが・・・ね、脊椎変形症による知覚障害かどうかという、ひじように決め手になるわけですけれども、まあ、浜本さんの場合はねえ、口の周りに(しびれ)があるかどうかというのが非常に一定しなくて徴妙なんで・・・だからまあ・・・・(しかし)そういう疑わしい所見を全部除いてみてもですね、一応、知覚障害はある、末梢性の・・・。まあ言葉のふるえ問題(註・構音障害)があるし、振戦がある、と。」
〇上肢、うでの痛覚テスト、針様のものでつつく。
原田「(肩から手の方に運ぶ)どこから?(ひじのあたりで、浜本「はい」)この辺ね。じゃこっちとこっちは?(と腕の内側と外側を刺す)」
浜本「変らない。」
原田「(うでと肩に)これとこれは?(「肩ですか」)肩!(肩から順に手先に)どっから鈍くなる?(上膊半ばで「はい」)この辺。(更に手先につついていく)この辺ずっと同じね(「はい」)ずっと同じ? (「はい」)の左と右をくらべる)こっちことっちは?」
浜本「ちっとは、裏っかわ、子指の・・・ 。」
〇運動神経テスト
原田「(指で輸を作って)こうしてごらん!こうしてごらん。」
親指と人差指の輸の力をためす
原田「(次に親指と子指の輪)はいこんどはこうして!」
原田コメント「これはあのう橈骨(註・前腕の親指側)神経と尺骨(註・前腕の子指側の骨)神経に分けて検査しているわけですけどね。まあ、あの脊椎変形症ということも念頭に入れて検査をしてるわけです。」
〇原田、躯幹部を調べる原田
「(腹部の左右に針をあてる)これことれは?」
浜本「ひだりの方ですかね。」
原田「(腹部から腹部へ)これことれは?」
浜本「変らない。」
〇下肢の知覚テスト
衣服をはぎ、下肢のももとすねを調べる。
「はい、いいです。延して下さい。(足を)延して下さい。これとこれは(「変らないです」)変らない。」
針でさす度に足の先がふるえるのが分る。
原田コメント「で、足の先にですね、ぶるぶるぶるぶると振戦があるわけですから・・・。ああいう振戦がですね、脊椎変形症で全部説明つくかという問題があるわけですねえ。」
35 診察後の原田氏の意見
〔註、浜本亨さんのように認定申請が棄却された場合、残された抗告の途は環境庁に対する”行政不服審査の申立て”以外にない。「行政不服とは、認定申請が棄却された申請者が県知事を相手どって環境庁に不服の申立てを行い、環境庁長官が双方の言い分を聞いた上で裁決を下すという構造になっている。そして今回の行政不服審査では認定申請から棄却処分までの過程での法的瑕疵ではなく、認定審査上の医学的問題が論争の中心になっている」(土井陸雄氏『水俣病認定に関する行政不服審査』ー「科学」七五年四月号より)・・・こ のシーンは浜本さんのための医学データをあつめる仕事の一環であった。それは原田氏にとっては、再び、審査会の医学判断への挑戦の仕事ともなった・土本〕
〇カルテを書きこみながら
原田「あのねえ、まあ今の所診て・・・ あのう症状が長い間に変っちゃってるからねえ、やっぱりそりゃあ・・・診断が・・難かしい、ある人に診せれば難しいんじゃないかと思いますよ、そういう意味じゃねえ。あの、何かこう、ま、難かしかっただろうという想像は僕もつきますけどね、しかし水銀の影響がなかったとは僕は言い切れないですねえ。(むろん)他にも病気あると思いますよ、首の病気だとかねえ。」
36 疫学的アプローチ
津奈木の海岸からゆっくりと浜部落全景にバンするカメラ
原田コメント「この浜本さんの例というのは、非常に難しいいだろうーと。そうなったらやっぱり疫学的な調査とうのが必要になるだろうーと。」
37 山上、部落全景を一望できる岩の上に、作った地図をおいて、部落の状況を説明する有馬澄雄氏(熊本・水俣病研究会会員)
有馬「(地図を指して)これが僕が調べた津奈木の浜部落です。そこであの、ここの津奈木川ですけど、(川を指し)あすこの川ですね。」
〇川に漁船がもやってある。
有馬「これが昔は、大体、昔も今も、大体、古川と津奈木川のこの両方を港に使ってやってた部落で、大体この(人家の)密集したのがこの辺です。」
〇部落は細い道の入りくんだ典型的漁家部落で古い瓦を屋根にのせた家々がある。
有馬「この全体が二百余戸ぐらいですね。それで大体漁業でここは成り立っていて、それで漁家が六十何軒位です。雑魚漁が多くて網元が昔は八軒あったそうです(と地図上の所在を示す)。」
〇部落のそばを国道三号線が走り、その両側に新らしい町の生まれはじめたのが分る。
「そんな中でだんだん衰微してって、あの戦後は五、六軒、そして現在ではただの一軒、ここですね(部落の真中)ここ一軒しか残っていないそうです。」
〇背後にミカン山をかかえた部落、有馬氏がその全体を指しつつ、
「で、ここは水俣市から五・六キロしか離れてませんけどやっぱし水俣病患者はいっぱいいて、このなかで、今分っているだけで大体ニ二名ですね。(図で所在を示し)ええ、この黒の人達がばあっといます。でちょっと漁業で成立ってるのにしてはですね・・・申請者を把もうとしたんですけども、仲々語ってくれなくて、また、手掛りがなくて、町役場もあまり教えませんでしたけれど、そんななかで、青(印)がぼくらの把んだ、あやしい人たち、あるいは保留・申請中の人たちです(図に更に十数カ所が示されている)。」
〇そうした患者にぐるりと囲まれた中に赤印で浜本宅が示されている
有馬「でこういう非常に多発した地区に、例の浜本亨さんの家があって、あの青屋恨の、子供が遊んでいる青屋根の家ですけれど、ちょうど、真中にあります。あの、親戚だらけで・・・・こういう所で漁業をやってたそうです。(カメラ家に寄る)ここが浜本亨さん、順君(彼の五男)の家です。」
38 ひと一人が歩ける幅の小径が家々の間を縫っている。
この地区で民生委員をしている婦人との質疑の声が重なる
スーパー ”地区民生委員の話”
質問「現在まだ全体には三分の一も認定が済んでおりませんけどね。申請の方なんかは・ ・ ・。」
婦人の声「いいえ!私たちはそういう事には、全然タッチしていませんし、またあのう、患者さんが何名出ていらっしゃるか・・・そういうことも全然ですね、ありません!そして又、あのう、そういう方が、水俣病の方が、あのう相談にみえられたというケースも全然ございません!」
質問「はあそうですか。民生委員の会議なんかで共通の議題になるということも・・・・・。」
婦人の声「いえいえ(強く否定する)私の地区で、まあその(生活が)きついから、という事で・・・そういう事はございますけど、水俣病に関してですね、自分はきついからというような、そのう、そういう事は全然ですね、無いんです!はい。」
〇春の花が満開である。網をつくろう老人がうづくまっている。
〇老漁夫が日なたぼっこをしている。カメラ更に部落の道を歩きつづける。
原田氏のコメント「なんかこう、水俣病というのは、みんな社会的に嫌うですからね!・・・今でこそ水俣地区では、あのう、わりとみんな自由に申請したりしているわけだけども、やっぱり十年前・ ・・十年前と言わなくても、四・五年前にはですね、やっぱりこの辺と同じでもう、水俣病の事なんか聞きにきたらですね、もう皆黙っちゃうし、それから、僕らでも”一寸、お宅には症状のある方があるんで診せてくれ!”と言ってもですね、断わられることが、つい先頃まであったわけですね。」
〇カメラのいきつくところ浜本商店である。症状のある浜本順君(十五歳)がつったっている。魚屋を現業している。
原田コメントつづく「・・・まあ御本人が魚屋であるということは、やっぱりその三十二、三年頃、一番苛かった時に、名乗り出るのに非常に大きな障害を与えただろうと・・・・これはまあ考えられますねえ!」
39 浜本さんの仕事
〇冷蔵庫のある一室、浜本亨さんが行商用のさしみの一皿もりを作っている。
〇順君が卵をやはり行商用にビニール袋に入れている。
スーパー ”浜本順さん(十八歳 保留患者)”
ナレーション「浜本さん一家では、現在この少年とその母親が申請しています。」
〇店頭の魚。それを魚函に入れて行商の準備をする。近所の主婦が日課のように買いにきている。浜本さんの”健忘症”についての話が重なる。
質問「今日も、なんか、ブリをね、”朝、自分でこれはこう買おうと決めて行っても、買ってくるのを忘れた”とおっしゃってましたけど。」
浜本「もうそういう事はしょっちゅう!もう、お客さんから註文されるんですけれども、ううん忘れんようにと思ってこう帳面なんかに書くでしょ、書いたその帳面を見るのを忘れるもんですけん!帳面も、見るちゅうのが・・・帳面につけとるから、その帳面ぞ見らなきゃいかんというのを忘れるのですから処置なしです!」
〇行商車がオルゴールの音楽を鳴して稼ぎ出しはじめる。細い路地に所在なく立っている順君、車のいったあと、みぞにかぶせた鉄板のずれを元通りにもどしている。四肢の働きは普通の少年と変らない。ナレーション「この浜元順君は生後間もなくから知恵おくれ、即ち”精薄”と診断されてきました。目下検査不能のため、二年間、保留されています。」
40 行商中の浜本亨さん
〇山間部に車を停めてホロをひろげ、商いしている浜本さんに主観前進移動。
原田コメント「まあ、浜本さんの場合、幸いにしてですね、一時、軽快したわけですね、そしてまあ一応仕事が、曲りなりにも不充分だけど出来てる。まあむしろー問題はあるけれどもー仕事をされとることが本人にとってはある意味ではリハビリになっているわけですねえ。だからここまで回復して来たんだろうという気もするけれども・・・・・・。」
〇計算する声、ソロバンをはじく音。よく聞くと計算ができていない
浜本「・・・ それは百八十円と二百二十円は三百円丁度!(「三百円・・・ね」)はい。」
41 隣りの老婦人、店の手伝いの方の話
スーパー ”隣人の証言、西川トキさん”
西川トキさん「この頃は、特に具合の悪かそうです。そしてもう”体の具合の悪か!”ちゅうてから、商売に行っても帰ってくるとすぐ寝らすとです。寝つってもう・・・ (この老婆の話しぶりも異常に粘って不明瞭である)もう魚なんかもうろたえつつくって、刺身なんかすっちすれば、震えてきれんそうですたい。手が震えて・・・。そして何でも物忘れしてですなあ、なんでも”あら忘れた!”・・・計算もようは出来んとですもん。計算も”あれ!どげんじゃったつけ”というて。昨年頃から特別、悪うなったみたいで・・・。」
土本「おばあちゃんも、口がかなわないですねえ。」
老婆、恥かしそうに肩をすぼめて笑いながら「はい、私も口の・ ・・、かないませんとです。」
土本「やっぱり!」
スーパー ”目下申請中”
老婆「ここ四・五年こげんなりました!(恥らいながら)私も魚好きで、魚ばっかり食べとります・・・ (笑う)。」
42 親戚・兄妹からの聞きとり
女ずまいの小ざっばりした一室、二人の婦人を前に地図を広げて
土本「つまり、水俣病じゃない!って棄却になりましたね。ところが(浜本さんの)躰はあの通りでしょう、昔からみんなも心配しておられたんじゃないですか? あの子供も含めて、順さんですか、どんなでした・・・ 。」
〇スーパー ”築地原シエさん(従妹・認定患者)と
浜本ナガ子さん(妹・認定患者)”
原田コメント「この方はまあ、妹さんですけどね、この人は認定されちゃってるわけですね。おんなじ生活してたんだけども、まあこういう差が何故出てきたか?(もうひとり)この築地原さんとこはもう夫婦とも認定されてるわけだけども。」
〇妹、浜本なが子さん、何か思い出そうとして頭をかかえている。
なが子さん「何時っちうて覚えとらんですたい、ねえ!」
いとこ築地原さん「(かばうように)とくに今さっき話したごてさい、こやつ(と頭をさし)が承知せんもんで、今ごろあんた、同じことどしこでん語りきたっちゃ、分らんと!」
なが子「医師も・・・松本の医師もこの間行ったら、あの私に”ながちゃん!あんたよっか・・・あんたどんじゃないぜ”って!っていうてから医師は・・・。」
土本「はあ、あんたよりこの人(と地図の上の兄、浜本亨さんを指し)の方が苛いって!」
なが子「はあい!。私よりはあの兄ちゃんの方が苛かばい!”と言って・・・。」
〇語りはじめたなが子さん。申請の経過について。
なが子「それこそ何遍繰り返しても一緒やけど、もう私どもが(検診)するときいっしょにしとけば、こげん目に会わんで良かったと思うですたいねえ。」
土本「ああ、お宅らより、亨さんの方が審査が遅れたんですか?」
なが子「一緒にしとったとば、自分たちが勝手にオミットしとっとです。」
築地原「検査を受けとらんとたい!あんた。」
なが子「ところがね、その時は今言いますように原田先生たちのお出でて診なった時は、魚屋の商売でおって”魚もたべまっせん!”とかね、何とかもう・・・。これ(水俣病)に掛ったらまあ子供も居るしー私とは違いますけんーいろんな事を考えとったんじゃないかと思いますたいね。なるたけ店しとるから、店で子供を学校に上げてしまわなきゃいけんがと思うとったっちゃ、自分の苦痛は時にはそんもう・・・。今ならもう!まだあと繰り返し何年あとんと自分の具合の悪かつやと・・・。まとてこれはという気ィが今は起きとりますけど、原田先生に一番に診せなさった時はもう。魚も食いまっせん!生も食いまっせんー”って!」
土本「ああ、子供のことを考えたり、商売のことを考えて・・・。」
築地原「嫁さんもねえ、全然食わんこと言わすと!なんか私は喰わんごて!」
なが子「・・・一番に原田先生に紹介しなさったんですたい。そん時、自分たちの勝手で行かん!勝手ちか、・・・そういう事(註・子供や商売のこと)を思うとったんだろと思いますけどね!今はもうそれこそもう(眉根をよせ、口惜しそうに)てき面にやっぱりもう、足が判らんやったり、手が判らんやったり、頭がぼおっとしたり、それ商売に妨たげるもんだから!」
43 第五子順君 その症状との関連
〇医療活動家の一室での検診、父親によりそわれて順君が検診をうけている。
〇知能検査
原田「そんならねえあごはどこ?あご?」
順君理解しあごをさす。
原田「ううん。ひじはどこ?(鼻をさす)ひじよ、ひじばい。」
浜本「分らんですね。」
原田「ううん、耳は?(指す)眼は?(指す)まつ毛は?(鼻を指す)ううん、分らんと鼻に持っていくごたるねえ。かがとはどこ? かがとは?(鼻にもっていく)」
浜本「返事をせんかい!はいとか何とか(気弱な声で)すなおくん!」
〇原田氏、品物を見せて知能をなお調べる。原田コメント「で、家族歴の中でですね、ちょうど五番目の子供さんが、御本人(父親)がですね症状の悪かった時に生まれた子供さんで”症状のある子供”さんが居るわけですね。だから、この子供さんを一遍診て、今度はその関係がどうなるかという事を、やっぱり検討していかなきゃいけないわけですね。」
〇みかんを見せる。
順君「みかん」次に懐中電灯を見せる
原田「これなんね?」
浜本「なんかそれは?」
原田「これなんかね?うん?」
浜本「知らんと?知らんか?」
原田「知らんときは”知らん”といってね。電気だろ、電気だろ?(次に自分の眼鏡を示し)これ何かね?」
順君「めがね!」ほっとする父親。
〇数のテスト
原田「ううん、手でね三つ出してごらん。三つ。(指三本を出す)おお、じゃね、六つ(迷う順君)六つよ(両手をひろげ十を出す)・・・なら二つ(指二本出す)・・・六つ!又、迷う)どしこね? どしこね?(十を出す)・ ・・ ううん七つ(また、十を出す)。」
44 ”検査不能”といわれているケースとしての順君
〇眼を診ている。重なって原田氏のコメント
「非常に・・・あの、智恵が悪いですねえ。知能障害があるために、例えばあのう、視野狭窄とかね、知覚障害とかいうのは、非常に確認できないですね。でこの子は”保留”になっているわけですねえ。あの、この人を保留ということはまあ、やっぱり一応(註・有機水銀による症状との)完全に疑いをとり切れない段階ですからね、それは僕はそうだろうと思うんですよ。(註・父親に有機水銀の影響を全くみとめず、脊椎変形性とした切り捨てのケースと比べ保留としている微妙な差を指摘している・土本)
〇順君の身づまいをととのえている父親・亨さん。
原田コメント「・・・非常に気になるのは、この疫学的には問題のない、魚と極めて関係のある家族の中で、ひとりは、この浜本さんがおり、しかもその家庭にこういう子供が・・・ しかもその浜本さんが一番症状の悪かった時に生まれた子供で、こういうのが居ると!これは事実なんですねえ、これはあのう無視できないわけです!」
〇原田氏、父親に「ずっと家に閉じこもって、何も・・・出ても行かない?」
浜本「はあい。とじこもるちゅうわけじゃ、なかです。」
45 順君の日常
〇店の前の道にたえず体をうごかし、歩きまわる順君に弟が連れそっている。
原田コメント「あのう、いま私たちが”胎児性水俣病”といっているのは、御承知のように、重症で手足の障害がある。ところがまあその”不全型”というはおかしいけども(強く)軽症例じゃない!・・・ですけどね、ま、非常にタイプの違った形として、知能=智恵おくれの子供たちが出てくる可能性ちゅうのがある。・・・。まあ、それについて、私、かなりデータを集めてるわけですけど、まあその中の一人ですけどね、まあ従来の胎児性とは明らかに違う・・・運動麻痺とかですね、失調とか、そういうのが無いわけですね。」
〇歩きは正常に近い。よりそう弟。
重なって弟への質問
スーパー ”ー弟さんの話ー”
質問「眼はどんな風、お兄さんの眼は?」
弟「(ひどくっつかえ、どもりながら)ゼ、全然駄目!」
質問「テレビなんかは?」
弟「近くで見らんば、やっぱり見えん!」
質問「じゃあ、町なんか出ると危いですね。」
弟「はい、ボールなんか横から来たっちゃ分らん。(「ボールが」)なんでん飛んできたりして、あんまり眼が見えんので、はあ、すぐぶつかるとたる。」
(註・暮しの中での弟の観測で知りうる眼り、傍がみえず、視力は異常であった・土本)
46 母親アツミさんー申請後間もない患者
スーパー ”浜本アツミさん”
〇店先に腰かけているアツミさんに質問
「なるほど。近所の人も、昔ひととき、随分悪かったと言っとられました。(アツミ「はい」)もう(手で示し)見た眼で相当分るごとく震えてたんですか?」
浜本アツミ「はいもう・・・刺身切んなるとか、あがんことしなさるとき、苛かったです。」
〇路地に立っている順君を見ながら
質問「そうすると、あの順君はね、その頃お生れになったんじゃないですか?」
アツミ「はあ、その時は、その前・・・ええと何ヶ月か・・その時は・・・もうここから通って行ったです、ここから(註・医者に)出店しとったから・・・。それからブランコにも寝せていっちよきました。そしておしめが、なんさま五歳位までじゃなかったでしょうか、要りましたですもん!」
〇この母親に重なって原田氏のコメント。
「もう一人いっしょに共同生活してたのは奥さんですね。(一般的に)奥さんは御主人ほど魚を食べなかったとかいろんな問題があるかも知れない。或いはあのう、そういう胎児性の子供を生んだりしたお母さんは、症状も軽いということもあるからですねえ。」
〇この部溶の魚とのかかわりを聞く
質問「・・・その後、町役場なんかからねえ、”魚、食べるな”とか何とか言ってきました?」
アツミ「いえ、その話はまだ聞きませんが、いっとき、私たちが魚しよるとき、鯛が・・・売れんことなったです。まあ、あじのようなもんが怖ろしかとか、ぼらが、まあぼらようなとが怖ろしいとかいうて・・・。」
質問者「ああ、鯛やぼらが・・・。でも魚を食べるというのはつい最近までね、この辺の魚ですね、のあるうちは食べてたんじゃないですか?(「はい」)この辺で漁なくなったのはいつ頃からですか?」
アツミ「漁が全然なくなったらうこつは無かばってん(「今でも」)はい、やっぱり獲りいきなさる人は獲りいきなって、喰べらす人は喰べらす・・・。」
質問「でも、この辺ではもう獲らないんでしょ?」
アツミ「この辺でもやっぱし獲りなさるです。やっぱり時期のありますけん、とれる時期と獲れん時期の・・・汐次第で。」
〇アツミさんの話しぶりを見つめながら
土本「おかあさんも口がおかしいですね。」(註・この撮影と前後して、妻アツミさんも申請することになった・土本)
47 典型的求心性視野狭窄図(妻・アツミさん)
熊本大学眼科でテストした結果、水俣病特有の視野狭窄が発見された。そのパターン
原田氏、その所見を見てコメントをのべる。
「奥さんはこれは割とはっきりと症状がしている!特に、あのう我々が特に重視する視野の狭窄が、ぼくのこの対面法(註・最も原始的なむきあっての検査法)という非常な簡単な方法でも確認されたわけです。」
〇「昭和四十九年二月十四日附、浜本アツミ」とするデータのクローズ・アップ
原田コメント「・・・ そうなって来るとですね、この浜本(亨)さんの症状、このう、坊や(順)の症状、こういうものが大変問題になってくる!と。まあ、だから、そういう、こういろんな多面的なアプローチをしていって、それでも充分に言えないかも知れないけどもですね、可成りこう見えてくるわけですよね。」
〇順君のスナップ。そして行商から疲れきって帰ってくる亨さんに重なって
原田コメント「そのまわりの状況を見、生活を聞き、それから症状が具体的な日常生活でどんな風に症状として出てきてるのか?或いはどこが困っているのか? 彼(患者)の言うことは本当なのか、彼の訴えは正しいのか!と。」
〇車から降り立つ浜本亨さん。
質問「どうですか、からだは?」
「パン!」とドアを閉める音。
スーパー ”昭和四十八年十月
環境庁に対し行政不服審査を申立”
48 エピローグ
〇津奈木川のほとり、子供たちの遊ぶ背後に二人の老女、双葉杖をついての日常の姿がある。部落の人々の廃疾の一端の光景のごとくである。
(ギター曲始まる)
原田氏のまとめ「まあ、今、見てきたいくつかの例はですね、私たちが直面した例のなかでも、非常に難しい例、非常に苦心した例です。で、今認定されたり、或いはあのう、保留になったり、あるいは却下されたり、色んな処遇があるんだけども、その中で、私たちが診て、あるいは非常に厳しく(註・症状のそろい方を)採る医学者が診ても、問題のない患者も沢山居るわけです。で、そういう患者さんたちが、まあ、永い事、放置されとったという事にも、あの、責任・・・問題はあるんだけども、今、少くとも見て来た、患者というのは・・・、私たちが非常に・・・私たち自身判らない問題が沢山あるし、悩んでいる問題、そういう悩みの中から、やっぱり今後残される問題点だとか、診断の、ぼくらの考え方というものを述べてきたつもりです。」
〇浜本亨さん真直ぐ家に帰る。カメラに、別れの会釈の身ぶり。
49 エンド・マークに代えて
字幕 ”「医学としての水俣病」ー三部作ー
臨床・疫学篇 昭和五十年三月”
50 クレジット・タイトル(略)
(ギター曲、ラストまで)
採録責任 小池征人 土木典昭 有馬澄雄
〔註〕
初期の研究においては、水俣病の原因物質を明らかにするため、症候学的に”典型的・特徴的症状は何か”が問題とされた。それらはハンターらの報告を基礎に、有機水銀中毒症としていわいる”ハンター・ラッセル症候群”としてまとめられ、三十五年までに確立せられた。三十五年以降、「水俣病は終った」とされ真の意味の疫学調査はなされず、その底辺の症状(例えば、不全型や軽症例など)の検討がなされてこなかった。むしろ返って、補償のための認定制度を通じ典型的症状を示す患者以外は切り捨てるという歴史的事情があった。そして最近になって不知火海沿岸住民の健康のかたよりが問題とされ、徐々に多様な病像の実態が明らかにされつつある。原田氏の意見はこのような事情をふまえて語られている。
徳山で問題とされた水俣病
環境汚染を通じて今後起る水俣病は、おそらく非典型例が見出されるであろうと考えられていた。事実、第三(有明)第四(徳山)水俣病問題のなかで見出されたのは、非典型的症状を示す患者だった。水銀汚染が濃厚に認められ汚染魚介類を摂食していて、しかし水俣病特有の神経症状が必ずしも全部そろっていない患者をどう考えるのか、はたして水俣病と診断できるのかが問題とされた。結局、問題は環境庁水銀汚染調査委員会に移され十分調査されることなく「患者の一つ一つの症状は他の疾患で説明がつく」という理由で政治的に否定された。その後、徳山で問題となった田中さんが亡くなり、故人の意忘で事の決着をつけるべく、熊大武内教授(病理学)のもとで解剖され、病理検索中である。
浜本亨さんの行政不服審査その後
申請してから約二年後、環境庁は浜本さんについて「1、レントゲンで頚惟に異常があってもただちに知覚障害があると言えないこと、2、他の症状として企図振戦や難聴が認められる、3、生活歴・家庭歴を綜合的に考慮して、再度慎重に検討せよ」と県の棄却処分を取消した(五十年七月二四日付)。その後、県認定審査会(八月二三日開催)で再審査がなされたが、「綜合的に判断して、変形性頸惟症であって水俣病でない」(大橋審査会長)として再び”棄却相当”の答申をした(県知事は行政判断で”保留”にした。浜本さんの地位は宙ぶらりんとなっている)。新たな調査を一切なさず旧資料の書面審査のみで同じ結論を出すという審査会の態度に対し、浜本さんは「手足もかなわずこれ程苦しんでいるのに、デタラメの理由で切り捨てようとする審査会のやり方に憤慨をおぼえる」と批判している。
われわれは、このフィルムを審査会の各委員に対し有効に見せることができず、浜本さんら、多数の放置された患者の現状について、少しでも前進させるのにカが及ばなかったことを残念に思っている。