水俣・ある断面 『未来』 12月号 未来社 <1973年(昭48)>
 水俣・ある断面 「未来」 12月号 未来社

 この夏(七三年)以来、水俣病多発地帯では、補償金の支払いをうけた患者さんたちの家の建替で槌音もそこここにひびく。漁家づくりの家は建増しにせよ新建材やカラートタンに代る。海辺を彩る家々をみて、「まるでリゾート・エリアだ」という声も出る。市民は苦々しくそれをみながら「町一番のシャンデリアを吊したげな」とか「ダイヤモンドを買った」という”醜聞”が患者全体であるように語られている。漁民の補償要求の闘いがいかに正当にせよ、この噂をこねくりまわされるとき、ただ金目当の餓鬼道のように批難され、闘いは難渋を極める。今年の夏は、ついに一隻のボラ漁舟も出なかった。去年の秋、PCBも多量検出された事実が水銀騒ぎに追撃ちをかけ、水俣湾は漁獲禁止になったからだ。それまで細々とつづいた不知火海の漁業は斃死した。魚のとれない漁家のすべては、言いかえれば水銀保有者であると見られうる。しかしまだ医学はそこを救えないでいる。そして指弾は家の新築ブームにあらわな患者さんにむけられる。
 指導的患者のひとり田上義春さんはいう。「・・わしら金の値打はほんとのとこ分らんとたい。金ばいくらもらっても命にや替えられん。金もらうより、体を元に戻してくれるちゅうのがほんとたい。誰が何ちゅうても。・・・ほたがもろた金はいわば天文学的数字たい。実感が湧かんとたい。むかしは漁師は金使いが荒かちゅうても、海のことを知つての話じゃが。・・・稼いでつかう金の見当は分っとるで。いまはちつと見当がつかんもんな。そこがはがいか。水俣病じゃで働けん。働けんが、そこが難しい。金ばもらうまえは体をだましだましつかうて芋なと大根なとつくっとった。お菜は買うたことはなか。いま野菜でん何でも売り店から買うてくるもんなあ。家の電灯代でも室数の多い家は何十倍にもなるでしょが。勤労意欲がボロつとなくなっとるとたい。そこがおそろしか。たとえ水銀でくさっていく体でも、勤労意欲がなからんば。チッソは水銀のまして体をめちゃくちゃにし、今度は金、金、金で狂わするもんね。・・・しかしこれはわしらのことじゃ、わしら内部の問題じゃが・・・」。チッソによる人間崩壊の複雑かつ多様さは想像を超える。だが、私は、ここまで見透した患者さんを何人も知っている。その無念さには生き血が通っていた。