映画『偲ぶ・中野重治』をごらんになっていただくにあたり ひと言 『第14回小熊秀雄祭』パンフ 5月10日 小熊秀雄祭委員会・旭川文化団体協議会
今回御覧頂く映画を作りました私たちにとって、小熊秀雄祭に役立てていただくことはいわば望外のよろこびです。というのは、もともと作ると決めた時点では、中野さんを慕う私たち映画人の、たむけの花一輪のつもりだったからです。遺族原泉さんや友人の佐多稲子さんたちにおわたしすることで足りました。
と同時に、葬送の中で語られる同時代の人びとの別れのことばに中野氏の生前の面影をたどる事の意味も思いましたし、のちになって、この大きな文学者・革命者をあらゆる角度から追体験しようとする若い世代に中野重治という人の顔と声咳をのこすことの意味も思いました。映画の記録性を心の中で恃むからです。ですからこうした会で上映されることの喜びはひとしおなのです。
中野さんの生前の講演の記録はないようです。ただかつて私たちが神山茂夫氏の葬儀記録をとったフイルムの中に葬儀委員長として告別のことばをのべるシーンがあり、それが唯一の記録となりました。それを冒頭にかかげたゆえんです。
幸いに声はNHKで未発表の録音があり、一九二九年か三十年頃の『私は嘆げかずにはいられない』の自詩朗読がみつかりました。その朗誦は詩人のまさに魂の声音をもつもので、どんなにかこの映画にふさわしいものでした。
尚篇中の音楽、皆さんよく御存知のゲオルグ・ザンフィルの『パンの笛』は葬儀の献花の折、会場に流れたものです。生前、一日一回は聞いておられた中野氏の愛蔵のLPからとりました。つまりすべてゆかりの本物ばかりです。
私は「人間の記録」の意味を、あとにのこされたものの受けとり方にゆだねたいとつねづね思っています。偲ぶことはあとの人びとにとっての糧であるがゆえにつねに今の問題であり、決して回顧ではないとも思います。
(八一・四・二〇)