全逓8ミリ映画の架空体験記 『思想運動』 5月15日号 活動家集団思想運動 <1981年(昭56)>
 全逓8ミリ映画の架空体験記 「思想運動」 5月15日号 活動家集団思想運動

日本労働運動のなかで前例のない全逓八ミリ映画運動は七年間に成果を生んだ。その体験記のさそい水として、架空の、しかし根拠のある体験記を列記してみる。注は補足である。
A 「子供の成長記録をと思って八ミリをいじり出した。カメラのメカが好きで三台目である。たまたまわが支部のメーデーを撮って職場で見せた。全逓歌をつけ、タイトルに風になびく全逓旗をバックにした。これは受けた。自分の顔が写っているだけでドッときた。それが病みつきになって、組合の行事は機会あるごとに撮っている。試みに八ミリコンクールに出したが入選はしなかった。審査員は八ミリはこうした”ホームムービー”からはじまるというのだが……。入選作は反合闘争などが多い。それが全逓八ミリ運動か。」(注、やはり労働者でなければとれなかったたぐいの作品に傾いた。もともとコンクール形式がよくない。しかしこうした作品から誰もが入っているのは確かだ)
B 「全逓の八ミリコンクールというので、数年間撮りためていた分会の職場のスナップをつないで出品した。録音システムのないカメラなのでコメントをかいて出した。入選となった。映画だから絵で判ってくれたものと思う。それにしても点が甘い気がする」(注、北海道・札幌・上砂川分会(闘争の記録)職場に弁当箱のようにカメラをわきにおいで、職制をとりまくったシーンに、全逓映画の原点を見た。第一回出品作)
G 「講師は私の作品を無編集に近いと批判する。自分でも認めるが、せっかく高いフィルム代をはたいたので惜しい気がする。個人的道楽としては金がかかりすぎること、編集でフィルムを痛めたくないこと、何しろ八ミリは一本しかない作品だから」
D 「組合の行革をとった。しかしフィルム代を出してくれというわけにはいかない。完成した作品をつくる自信はない。あくまでアマチェアだからだ」(注、この苦労は全員に共通している。しかしアマチュアのわく内に縮こまっていることは百害あって一利なし。要はひとに見せたいかどうか。それは技術上の飛躍にもつながろう)
E 「本部制作の『合理化病』『前線-特定局の実態とその制度撤廃闘争の記録』に刺激をうけた。私も特定局で働いている。(俺たちの『前線』を撮ろう)ということで初めて八ミリを回した。ひとつの分会を舞台にして、その闘いと実態を丹念にとることが一本の映画になることを知った。録音もナレーション朗談も仲間に頼んだ。編集の上でみんなの意見を聞いたのがよかった。入選そして全逓文化祭での発表作となった。闘いがあったればこそ生まれた作品だと思う」(注、高岩仁氏による、現場重視のドキュメンタリーの喚起力は大きい。岡山美作西支部『燃える蘇山(ひるせん)高原』熊本・荒尾の『78反マル生の記録』ともに処女作として作られた。ともにスタッフの井同作業が芽ぶいている)
F 「この一年、分会の学習活動、組合の歩み、地域闘争をひとりで撮ってきた。好きだから出来たことだ。しかし仲間がいない。小さい町の郵便局と数百人組合員のいる郵便局とではスタッフ作りに差がでる。地本単位の連けいと交流を切に望む」(注・たとえば長崎・大村支部の声)
G 考えてみれば全逓ほど地域の人とのつながりの密な職場はない。配達を通じ町のひとの顔が見える。地域の行事、まつり、文化活動を記録すること、地域に八ミリ活動を通じてうって出ることだ。それを上映すること。その際できる集いの”場”が重要であり、新鮮だ。地元には八ミリの優秀な技術をもった人もいる。その人たちとの共同制作も考えるべきだと痛感する」(注・釧路池田支部『太鼓の舞い』、札幌、青森『えんぶりの舞と太鼓』。この一、二年の作品傾向に地元文化への凝視志向が生まれ、そこでの”全逓”の位置が据わっている)
H 「同好会として出発した全逓佐賀八ミリクラブはスキー大会の記録などで共同体験、今度『赤バイクからの告発』を作った。これは実質的に九州地本全体のとり<みとなった。時間をとってロケもした。二組のカメラ、インタビュア担当、各方面への渉外・進行のオルグ、そしてナレーションづくりにスタッフ・ワークを発揮できた。バイク震動病との闘いの一環として意義をもってつくることか出来た。」
I 「…これの入選もうれしかったが、全国上映の道が開かれたことが大きい。八ミリは一本のオリジナルしかないので上映回数やその運用範囲が限られていたが、全逓本部でこれを十六ミリフィルムにコピーされ、『合理化病』などと併映され全国を廻った」(注、東京支部作品『緊急避難』も同じく、制作委員会の下につくられ、十六ミリ化された。八ミリのこうした内発的発展は全国でも初めての試みであり、全逓運動のピークとなった)
J 「この二年ほど、合宿による研修会がもたれた。みんなの前で自作を上映し、ともに見ることは自分の欠点の発見につながる。あいまいな視点のカメラワーク、ひとりよがりな編集など。それらについての八ミリ仲間の批評は講師のそれより手痛いことがある。相互批評と自作分析を合宿のなかで徹夜してもやりたい。問題も、文化、組織活動の観点で討論したいものだ」
K 「…全逓にはサークルが多い。文学や詩の好きな人にシナリオやコメントの協力を、演劇サークルのひとにナレーションを朗読してもらい、タイトルやグラフを芸術サークルの人の参加にたのむことも出来る。映画はそもそも広くひらかれたものであり、労働者にもっともふさわしい表現方法なのかも知れない」(すべての注として) この架空体験淡は実はこの七年間、聞こえてきた声のー部である。全国に八ミリ愛好家は多く珠玉作に事かかない。それに比べれば、全逓の作品群は荒けづりのものであろうが、今回の代表作に見られるようにものごとの発展途上特有の気をもっている。しかしこの八ミリ映画運動の火花は、虚像ながら労働運働内にいまもある文化軽視の”湿気”にとりまかれている。この上映会に、狩ったわら草の上の火花にもっとをと願いたいものだ。