試される洞察力-ドキュメンタリー映画 『北海道新聞』 7月13日 <1981年(昭56)>
 試される洞察力-ドキュメンタリー映画 「北海道新聞」 7月13日

 「映画、水俣の映画はどういうシナリオにそってられるのか」と、映画作家志望の人たちに聞かれる。現実をきりとっていこうとすること、映画で訴えたいこと、それらが未来のことであり、予測を含むドキュメンタリーの場合、あらかじめ完全に書きこまれたシナリオではなかろう、ということは常識的にわかった上の良い質問だ。しかしむつかしい。
 今村昌平監督が「よしあしは九〇%シナリオで決る」としてそこに入念な時間をかけることで知られるし、伝説的には溝口健二監督のライターは凄絶であったことで有名である。私は劇映画は羽仁監督の補佐役でしか知らないが、劇映画のシナリオはラストのクライマックスのつくり方に集中するように構築されることにつきる気がする。活動写真の大職人マキノ雅裕は「最後の五分間で決まる」との持論もその点で一致している。
 社長に身近に位はいをつきつけるといったシーンが起きようとは、総会当日まで予想さえしなかった。
 記録に採録シナリオといって中味をあとで克明に辿って文字化した”シナリオ”があるが、台本ではなく、いわば製作プロセスの記録であり、文字化作業である。ということはその資料性に価値があり、補注などとあわせて事実の全貌を読みとっていただくためのものである。だから時には良質のルポルタージュを志す。だが、台本でもシナリオでもない証拠に、それをもとにドキュメンタリーの再現はできない。一回限りの記録だからだ。むしろ”劇”の叩き台には適かも知れないがー。
 ドキュメンタリー映画の場合、シナリオにかわって、細かい調査と先見性の組みたて、つまり現実の正しい把握力と洞察のノートは優に数本分のシナリオに匹敵する。そして最も重要なことは、スタッフ間のディスカッションによる創造力の共有作業であり、毎晩の仕事だ。
 私の演出を見にきた友人が「カメラマンがレンズをむけ、録音者がマイクを動かし、助手が走りまわっているとき、君はつったって、あちこち見ているだけ…」と。その通り、一回性をもって動いている現実の進行を前に、判断と記録に一切をゆだねただ残る思いは予想を裏切る現実への眼配せだけだ。予期せぬことにカメラとマイクが動ぜずに、フォローを開始し密着しぬくかどうかである。発見性・衝撃性・喚起力・象徴性を帯びた一連のシーンがとれたとき、スタッフは「これでいった」と眼で知らせてくる。つまり”シナリオ”を描ききり、クライマックスにつき当たったのだ。この十五年、こうして十四本の水俣映画を作ってきた。告発・運動の記録、社会ドキュメント、医学映画、事件史、長篇叙事詩風のものから海のメルヘン、そして今度の丸末位里・俊さんの表現記録「水俣の図・物語」と一作ごとにすぐれた主戦場であり、生きたシナリオの母胎なのである。
 (記録映画作家)