水俣生活学校開設に向けて〈座談会〉 座談会 「水俣」 第139号12月 水俣病を告発する会
●出席者● 土本典昭(映画作家)松浦豊敏(カリガリ店主)柳田耕一(相思社世話人)中出美鈴(生活学校参加予定)本田啓吉(水俣病を告発する会)
歴史考証館から生活学校へ
-水俣病問題に対する関心の風化が進行する中で、今年の春頃から「水俣病は終っていない」ということを問題提起していく場としての 「水俣病歴史考証館」を設立しようという構想が出されてきました。それが右のアピールにいう「水俣生活学校」の開設へと煮詰められたということですが、まずその経過を説明していただきましょうか。
柳田 考証館を作るとしたら多額の金がいるが、水俣病の運動が冷えている現在、相思社を作ったときよりも大変だろう。また、水俣病の歴史の中で行政が何をしてきたかなど遠慮のないものを出したい。原爆資料館など見たあと、一億総ザンゲ論ですんでしまうような感じがあるが、そんなものにはしたくない。一方では谷川健一さんなどの指摘されるように、水俣には水俣病という観点だけではとらえられない、もっと広く共感を呼びさませるようなものがある。それを運動の面だけから見ると問題を縮小してしまう、などなど、要するに、考証館については金、規模、展示の方法その他で困難な問題が立ちふさがったわけです。
もう一つは、自分たちが十年水俣に住んで感じることですが、これからもここで生きていこうとするとき、これまでのように過去に向かって振り返る水俣というのじゃなくて、作りたてる水俣つまり将来に向かっての水俣をイメージしていきたいということがあったわけです。館の中に陳列する道具も、現実にそれを使って耕したり魚をとったりしているという生きた空間を作れないものかと考えたとき、そのイメージの具体化として「実践学校」の一年版が出てきたんです。
今までの「実践学校」の経験の中で、水俣病の現実にふれたということはもちろんですが、それ以上に漁や山仕事を初めてやり、田んぼに初めて裸足で入ったことなどが若い人に水俣病理解の実感を植えつけているということがある。そういう水俣の日常に生にふれることから本当の理解が生まれるし、歴史を伝えるのは物ではなくて人間なんだからと不知火海総合学術調査団の最首さんなどに話していたら、生活学校の話が出てきたんですよ。その後、生活学校をバイパスにして考証館構想に展開するという考えが出て、さらに水俣の歴史考証村にしようという話にもなったのですが、現実には難しいので、考証館は棚上げにして、生活学校一本で考えた方が良いという意見に落着きました。アピールを一部に発表したところ、すでに反応があって、来年三月を待ちきれないで二人が相思杜に来てますし、参加申し込みや問い合わせが十数件きてます。
チッソ型社会と相思社型社会
松浦 この運動は最終的には水俣を超えていくね。夢としては全国的にこの運動が広がればいいということですか。
柳田 相思社の会議でも「最終的に何をしたいのか」という問いがあって、そこで答えたのは、今まで水俣の問題をチッソや行政の問題として捉えて運動してきたが、今ではチッソということより根の深いチッソ型社会が問題だということです。
いろんな人が近代を超える方法の問題などを考えているわけですが、私たちは実践的に相思社によって生産や流通のことをやってきて、チッソ型社会を超えるものとして、相思社型社会を水俣の人たちにアピールできないものかと考えたわけです。
松浦 私は労働組合のことをやってたんですが、労働組合も生活共済会というか、労働者もストライキも何もかも体制側にからめとられてしまっている。私は、消費欲望みたいなもので蔽われて完全に抜け穴のないような社会を、柳田のいうチッソ型社会にあてはめて考えるのですが、それを破っていくには物をつくる感覚みたいなものを呼びさましていかんとどうにもならんと思う。
それがどういう形をとるかまだわからんけど、まず物をつくるところから始まるだろう、それが大事なことじゃないかと思って柳田君の話に賛成したわけです。
土本 これはね、久々に青年運動が始まったな、と感じましたね。不知火海調査団の宗像政さんが、五年間の調査の感想として、水俣のよみがえりは人のよみがえりにある、と言ってましたが、私も全く同感で、今夜の話を聞いて、これは活動力の源泉を再生産するものであり、いわばガス欠のなかでガスを作る運動が始まったなと思いました。
本田 考証館という形だけではチッソ型社会にはまり込んでいる人間に生産的な力を与えるようなものになるとは思えなかったんですが、全然違うものになったんですね。
外から来た者が患者さん達に対して簡単に何か、できるわけではないんで、自分たちが何かやっていく中で、患者さん達の共感を得るような形でないとうまくいかんでしょうね。生活学校みたいなものなら、具体化してゆくと可能性が広がるように思えますね。
患者さんとどう結び合うか
松浦 どんな小さい単位からでも出発できる気がします。問題は水俣現地の患者さん達とどう共同してゆけるかということでしょうね。柳田君らも、まだよそ者だと見られるところは実際にあるだろうけど、今度のこともよそ者が何かやってるというふうにあしらわれると困るわけでネ、そこのところをどう解決していくかが問題ですね。
柳田 最初「甘夏同志会」を作ったときにも「そぎゃんことしてどうなるな」ということで、現実の水俣病運動の展開からかけ離れていると見られてましたが、近ごろは患者運動を超えるものとしてあると言ってくれるようになってます。
-患者の中の青年層や甘夏同志会の人たちの反応は?
柳田 マサト(申請協の緒方会長)は非常に興味を持って、今の仕事のことも含めて考えたいようです。彼はやっぱり陸の仕事より漁をやりたい気持ちが強いんです。
甘夏同志会では、役員会で正式に後援してもらうことになると思います。浜元二徳さんたちはだいぶ喜んどんなさるようです。
-批判はどんなのがある。
柳田 それやって何になるの、というようなことでしょう。
松浦 実生活者からするとやっぱり遊び事というふうに見えるんじゃないかな。
-東京型の発想だなという感じは受けますね。反応も東京なんかが強いんでしょう。
松浦 都会人の田舎憧れといったね。そういう点ではとてもくすぐるものがあると思う。
柳田 そうですね、水俣ではまだ東京へ東京へと意識が向かっている状況ですからね、今やっと漁師部落から大学へ行く人がチラホラ出はじめた。
裏側を見る眼も
土本 (参加を決めてすでに相思社に来ている中出さんに)あなたには、この構想のひびき方はどんなでした。
中出 六年間学童保育で子供たちとつきあってきたんですが、食べ物やら遊びやら、見ていると生きていく意欲がどうなんだろうか、このままでは子ども達も私も生き抜けないんじゃないかと思って、どうしたら生き抜けるかとずっと考えてきたんです。そんなとき「実践学校」の呼びかけに出合って、早速参加しました。来てみて、こんな楽しい生活がほかにあったんだと思った、カマやクワを手にして……。
自分がまず生活の技術とか生きていく力とかいうものを身につけたいです。
それと「チッソ型社会」をどう乗り超えていくかというのも課題です。東京の生活だとゴミの始末ひとつにしても自分の手を汚さずに処理されるし、気分転換をする場合も何か物を買うことで果たされるという具合で、生活が見えなくなっているし、生活が消費でしかないわけです。水俣ではその辺が、生活の楽しみが質的にちがいます。それも点検していきたい。
そして夜の勉強の方では、日本の社会の構造をつかんでみたい。それも楽しみです。「それを体験してみて、その先どうなるの」という批判も受けますが、自分でもわからないし精一杯やってみたいだけです。今相思社で〆飾り作りを習っているおじいちゃんに「どうして水俣に来たのか」聞かれたので自分の気持ちを話したら「今の若いもんは考えが足りんと思うとったが、それはいいことだ」と賛成してくれた。
土本 東京に帰って幻滅するんじゃない。東京でもそういう社会を作っていくのか……
松浦 言われているのは確かにそうなんだけど、自分で耕やし、自分で米を作っていくのは、これはかつて重労働だったわけだな。田舎の婆さんなんかそのために腰が曲がるほどの。それが半面の姿だよね。その辺もちゃんと論理的に整理していく必要がある。「誰があんなきつか仕事ばしようかい」というようなことを言う百姓はいるわけです
水俣病以外の回路
土本 水俣でこういう新しい形でやるというのは、松浦さんが言われたように患者とのかみ合いだと思うんです。一つの考え方として胎児性の子どもをどう見るかということをしきりに考える。やっぱり死産・流産・不妊というのが非常に多かったし、漁師のおかみさんたちにとって全滅に近い被害だと思いますね。そこで胎児性患者として生まれてきた子どもというのは、非常に生命力の強い、よみがえりの第一走者として登場してきたんだということです。
第二、第三走者も普通の人より風邪をひきやすいとか身休が弱いとかいう人たちがいる。こういう人たちが最右翼に含まれていて、水俣の若い人たちがいろんなテンポで仕事ができるような共同作業場的なものを作っていけるようにしなくてはいけない。
それが、しのぶちゃんやきよ子ちゃんとかいった人たちに魅力的なものになるかどうかは、学校に集まってきた人たちの持つ集団的魅力が基本になると思う。その中で労働というものを考えていく……そういうことが水俣でやっていく生活学校のひとつのポイントだという気がする。しのぶちゃんなんかにも話してみた?
柳田 しのぶちゃんらと直接ではないですが、生活学校にしのぶちゃんたちがどういう形で参加できるのか、そのためにはこんなことを考えなくては、といった話を他の人と寝る前にしていたら、傍で寝ていると思っていたしのぶちゃんがそれを聞いていて、そんな風に自分たちのことを考えてくれるのが嬉しかったといっていたそうです。
相思社でそれをすると、給料を払わなくてはいけないなどの制約もあって難しかった。生活学校だとメシ作りでもニワトリの当番でも、洗濯でもいいわけで、みんなと一緒にやれるわけです。
患者さん達との接点の問題も、今までは水俣病を軸として生活の歴史をついでに聞くという形だったが、今度の学校では「チッソ型社会」でない社会では人々はどう暮していたかということで聞けるので、患者さん達も自慢話や自分自身が元気になっていける話を出せると思います。例えば漬物は誰、醤油作りは誰といった具合に、水俣病以外の話で先生になれる。そういう面白い回路ができそうです。
支援者の立場を超えて
土本 みんな表には出さないがこんな批判はないのかね。申請患者が五千人もいて、検診拒否闘争もまだ手前にある。その手前の運動もまだ負い切れない時にエネルギーがさかれるのはどうか、と。
柳田 それはあるかも知れません。目の前に患者さんがいて、何とかしてくれといわれたら放ってほおけないということはありますから。
松浦 時期の問題はあると思うけど、例えば裁判では判決が出て一連の闘争の目的は終った。それから今やっている一連のことがあって、いずれまた終りがくる。その時の受け皿をつくっておくという意味もあるだろうと思います。
本田 今までは手伝いみたいな形で患者さんとつきあってきた。だから手伝いが求められないと仕事がないという感じがあった。
だから、独自にこちらで仕事をつくってそれに患者さんが結びつくという形になる可能性はあると思いますね。
柳田 そうですね。そうでないと五千人患者さんが残っているといわれても、その人たちをどうにかできるという現実性はどこにもない。やっぱり最初に自分がこだわったことーこういう患者さんがここにいたからここまで自分を投入したんで、抽象的に五千人の患者さんがいたからこうなったのではないーそこにこだわるしかないと思います。
土本 例えば、養殖なんかでも、漁師が魚をいけすに飼っていいものだろうかというひけ目があったのが、しばらく経つと当然のことになっていく。鯛子を取ることにもいろんな意見があったけどいつの間にか追われるように鯛子を取るようになるとかね。そんな風に金銭感覚が発達していくのを、運動の面ではあまり批判しないでずっと見てきた。それが本当に学びとることを貫けば、かつて患者さんに学んだものをもって、患者の生き方、漁民の生き方、若い人を揺さぶっていく、生活学校ではいかんことはいかんと言っていける気がします。
柳田 甘夏同志会を作るときは、会の運営のことや農薬の問題などでその葛藤をずっとやってきたですからね。「おまえたちはいつまで居るのかわからんじゃないか」と言われ、こちらは 「あんた達は被害者で、そんなに被害がいかんならなんで加害者(農薬使用)になるのか」とやり返し、徹底的に話し合う中で接点が生まれてきました。そこに患者という立場、支援者という立場を超えた交流が生まれる契機があると思います。
さらに具体的なプランを
土本 肝心かなめの、その経営というか、金の問題はどんな風ですか。一五万円の学校債をいつまでにどの位集めたいというのは。
柳田 一〇〇口の一五〇〇万円を第一期と考えて、三月二〇日の開校までに半分くらいは集めたいですね。
松浦 その金、まず大部分は何に使うわけ。
柳田 学校の建築費です。第一期生を二〇人位と見込んで、それ位住める建物がいる。
松浦 建築は廃材だけで全部まかなえるの。そこら辺の青写真はできているのかね。
柳田 建設会社をやっている人に廃材や現場を見てもらって見積りをしてもらうことにしています。その人には建てる時にも始めの方は見てもらうことにしています。
松浦 参加者については自給自足を建前とするわけね。
柳田 はい、入学金が一五万で、この金は最悪の場合でも一年間食っていけるということで考えています。食料の自給率は相思社以上になるはずです。作る物はアピールに書いているように多様ですよ。
松浦 非近代的な生産方式だね、もっと集中生産した方がいいんじゃないかと言われそうな。(笑) 初期の段階でそれだけ手広くやれるのかな。
柳田 面積はそんなに広くない。総面積で三町五反です。
土本 無人の荒野にいきなり便所作って始めるわけじゃなくて、相思社という収容力のある場を背景に始めるわけだから、最初学校作るときはそれを十分活用してやるとしても、なるべく早く独立させないとね。学校についての鮮明なイメージを作っていかないと、まあまあ何とかなるんじゃないのみたいな感じに流されないとも限らない。ともあれ、東京ではすでに「水俣に生活学校を開く会」という準備組織をスタートさせました。各地で独自な取り組みが出るといいですね。