“やさしいにっぽん人”の見たもの(書評:宮松宏至著『インディアン居留地で見たこと』) 「母の友」 11月号 福音館書店
「とうとう書きあげたですね」……著者と酒盃をかわすときがきた。私は七年あまり、彼のこの一書を待った。「外地で多く育ったので日本語で文章をかくのが一仕事で……」と宮松宏至はへりくだるのだが、一読、その文章のやさしさと簡潔さは並ではない。多分、インディアン居留地、しかも水銀汚染によるカナダ水俣病の発生現地から、日本にむけてだけではなく、カナダの白人にむけて真実を告げるために語りつづけてきた彼の一〇年がことばとしてもみがかれてきたからに違いない。本来写真家でありながら、彼は一居留地に無償の働き手として生きてきた。鶴見俊輔氏がカナダで彼と会い、その埋もれた仕事の深さに驚倒された感想を読んだ記憶がある。おそらくカナダインディアンの生活の記録として、そのユニークさにおいて群書をぬきんでるディテールをもっていることにも、それはつながっていよう。
狩にいって、どこで糞をするか。「緑の少ないところにしろ」といわれてとまどう『ウンコの話』、彼らをみならって風呂を三カ月間断ってみた『衣・食・住』の章などは、とても調査でわかる話ではない。
私は一九七五年と七六年の二回、水俣病患者(川本輝夫氏ら)と同行したり、独自に、私たちのつくつた水俣病のフィルムの英語版をかついで、インディアン居留地から、大学、政府の衛生関係当局、あるいは水銀をたれ流した製紙会社の重役会議に至るまで百回余の上映の旅をしたことがある。その中で著者と遭った。英語が上手で実にをまじめで正義感のつよい青年だった。戦後、北米に流れ出たイッピー、ヒッピーとは画然と違う問題意識と生き方をもって、七五年からあえて居留地に住みこんでいた。その彼の手引きもあって映画上映の旅はキメ細かな情報伝達の成果をもつことが出来たのだ。
カナダのグラッシー・ナローズとホワイト・ドッグの一一〇〇人のインディアンたちは、差別で社会的に殺されつつあるうえに、水銀で人間的能力を肉体的に破壊され、精神障害までひき起こしている。
さらに”福祉”の名の下に、カナダ政府とオンタリオ州当局は、白人の工業社会を守るために、居留地の住民に生活保護のお金を与えることで労働意欲を失わせ、酒びたりにさせ、”自滅”を待つかのようである。すでに総数わずかのインディアン居留民たちは”皆殺し”されかねない。
日本の水俣病患者たちはカナダで見捨てられているこれらの人たちの存在に心を痛めつづけた。そして著者は水俣にむけてのただひとりの連絡者として、七年間その動静を写真に写したり、書きおくりつづけた。インディアン被害民への唯一の支援者は水俣病の患者とその支援グループと日本人医師団であったが、その間のつなぎ手が彼だったのである。
一九七六年、川本氏らと二度目の居留地訪問のとき、前年の居留地や白人ボランティアたちの大歓迎とはうつてかわって、問題はすっかり冷却していた。
めざめたかに見えた居留地のリーダーは分裂し、いがみあい、酒びたりになるものもいた。そうした彼らの変貌を身内の事情と差別の実態を通し、彼は七年の時間をもって淡々と書きあげた。そして”狩猟の民”といった民族学の対象世界としてではなくて、文明に殺され、自らも酒と暴力に冒されていく先住民族の崩壊過程を記録した。
この点、本書は日本を含め、文明社会全体のゆがみを彼らのいまだ残している自然体の生活を鏡としてあばき出している。そして、その著者の眼重しは驚嘆するほどやさしい。”信仰”や”政治信条”をもたなくとも、弱者へのかかわりひとすじにおいて、これほども無限の滋愛にいたれるものか、それを巧まずしてときあかしている意味で、すぐれた新しいタイプの日本人像を描きあげてもいるのだ。その晴ればれしさが私にとっての近年の稀な収穫に思えるのだ。