津軽海峡むつ景色-海盗りのテクニック対漁師のエゴイズム 『PENGUIN?』 12月号 株式会社 現代企画室 <1983年(昭58)>
 津軽海峡むつ景色-海盗りのテクニック対漁師のエゴイズム 「PENGUIN?」 12月号 株式会社 現代企画室

 原子力船「むつ」は軍港大湊をおわれ、もうひとつの軍港佐世保で改修をおえ、再び大湊に仮泊し、最終母港として、内湾のむつ湾を出て、津軽海峡ぞいの純漁村・むつ市浜関根につながれることになった。ふり出しは横浜の新港で、原子力時代の海のスターとして登場するはずであったが、今、流れ流れてさい果てに。
 漁協長西口才太郎氏は賛成派の頭目であるが、「私やもしこれが「むつ」の墓場であればお断りする。できた港が賑わうならこの関根にとって良いことだが、もう死に水をとるということならごめんこうむる」という。これは正直なところであろう。
 海峡のむこうに見える北海道はかつてこの地の人にとっては漁師として出稼ぎのできる新天地であった。「それがあんた、馬のふんだ道を歩いて田名部へいき、大湊線で野辺地にでて、のりかえて青森さいき、連絡船でわたって、一晩かかって、そして函館さいったもんだ。港ができて船の通えば二、三時間でしょう。」
 いまはその最短距離を半島最北端の大間から函館ゆきのフェリーがつないでいるが、もし関根に漁港に並んで「むつ」も他の船も入るもうひとつの新港ができればというのが七十歳をこえ、実質村長の役割を三十数年背負ってきたこの老人の夢である。「「むつ」の放射能について、安全だといい切れる人は世界中にひとりもいないんじゃないですか。だから科学者もまだまだがんばるということでやってもらうとして、その港はここに出来ることの方がいいと思いますよ」
 「むつ」の危険性を拭い得ないとしても、長年、北海道と往来できる船の出入りを望んだこの人の唯一のよりどころを、国・県の母港推進者はしっかりと握っている。
 「だって「むつ」にもヒトがのっかっているんでしょ。炉のそばで働く人もいるし、廃棄物を扱う人も乗るんでしょ。その人たちをむざむざ殺すことはよもやなかろうとわしは思う。そこは国も考えとるでしょう。わしらのところに火の手が飛んでくる前に、安全を計ってると思うがのう」と、はや隠居した老人もいう。改修の実績はきちんとこの人にもインプットされているのだ。
 
 ホタテの敵はホタテ業者

 十年近い前、「むつ」が実力で出港を強行しようとし、台風の中、漁民の捨身の抵抗を蒙ったときと時代は物事を変えた。ひとつは改修したという事実をやはり疑いなく受け入れていること、もうひとつはホタテ養殖の内湾から潮流の岸を洗う外洋に移転したという二つが、意識されないわけにはいかない。かつて反対を貫いた青森県漁連の姿勢がその好例である。
 この浜随一の大謀網・小型定置をもつ網元の松橋幸蔵さんは県漁連にも知人が多い。その松橋さんのところに促して「そこまで頑張な、折れて母港に賛成してくれ」と頼みにくるのが県漁連幹部たちである。聞けば、かつて「外洋ならともかく、むつ湾に放射能をたれ流す船をひっぱりこむとは何事か」との論旨でくってかかった県漁連だったが、今回は、まったくその外洋のはなしなのである。変心というより一貫して正直というべきかも知れない。
 「いまホタテの敵はホタテ業者よ。放射能なんかで汚染する、汚染するって騒いで、お金をぶったくって、いま全滅するの何のといっているのは密殖のせいじやないですか。定めの何倍もの椎貝を入れて、酸欠だ、ヘドロだ、貝毒だ、今更ホタテの全滅何のといっても自業自得じゃないですか」と関根の反対派のリーダーのひとりは言う。
 採るは獲る、取る、盗るに通ずる。海に棲むものを獲るのと養殖とは決定的に違う。ホタテ漁業者はホタテを作った。密殖で全滅するなら、再び海の生態の公理公則に立ちもどればよい。だが「むつ」の場合、生態系を生存不能にする危険があり、回復不能の質の海盗り行為ではないか。
 漁民にも”海盗り”の根性はある。とことんつめれば個人の固有の漁法をもち、それは、彼らの、知りつくした上で固有の漁法と漁場を探しあてて今日がある。不知火海の内海をみる機会があるが、単一の内海でも湾口部と湾奥部とで別の海のように違う。このマサカリ型の下北半島の津軽海峡側だけでも、岩礁、暗礁の多い漁場あり、浜関根のように遠浅の海もあり、魚種はそれぞれにちがう。
 夏、下北半島は一せいにコンブをとるが、尻屋はその特産のウニ、アワビの餌だとしてとらない。
 近年関根に出現した網は、その遠浅の海を好むカレイ、ヒラメ、ソイ、アンコウの底魚にむくような漁法であり、その潮どおりの良い海峡部にプランクトンを追って産卵にくるイワシ、サバ、サケ、タラ、マスなどの定置網が一網元に年間三億数千万円の水揚げをもたらしている。
 砂鉄分の多い関根浜ではホタテ漁はないが、”ホタテ貝がもぐれるような軽い泥砂のある”となりの東通町野牛漁協は放流ホタテで息をふき返した。全くそれぞれであり、ひとりひとりの漁民の才覚と技量である。

 二、三日漁師が賛成票を投じる

 立ちゆかない人が出た。いままでの一本釣りやのベなわ漁といった漁法では周年の収入はなく出かせぎに出る。漁民としての生活から遠ざかった人と漁業専業者と分れた。それがそのまま”国策”である「むつ」母港について賛否を分つことになった。
 七月から八月にかけて、どこから湧き集まったかと思うほどコンブ採りに人々は賑う。
 「「むつ】問題がおきてから、しまっておいた磯舟を引っはり出してくる。コンブでも採らねは、漁師じゃねえちゅうことで‥‥」と西口組合長は口をすべらす。それにはかげの事情がある。コンブ漁のときだけしか浜に顔を見せない漁民もまた「むつ」問題で賛否の一票をもち、配分に権利をもつようにしている。それは暗黙の了解だが本当は組合員は「年間九十日以上操業」しなければその資格を失うと組合の定款には明記されている。だが母港賛成者の頭数ふやしのため三十九名の準組合員を一まとめに正組合員に昇格させた。反対派の人びとはその意図には腹をたてるが、そのひとりひとりに憎しみをもつ風情は全くない。「俺は漁師だ、彼は漁師ではない」というプライドにみちた区別はあっても、コンブ、ワカメ、タコ、ナマコ、アワビ、ウニなどには準組合員でも正のそれも全く同じく”浜の衆”なのである。自分ほど獲れるなら獲ってみろという誇りがある。しかしその心根を逆手にとって、海を売る工作をやることには怒るのだ。”海盗り行為”として、原子力船の母港の不法割込みは実感されている。それへの加担は情けないと憤るのだ。
 「浜から抜けて旅に出て、二、三日帰ってコンブとるだけの二、三日漁師と、船、漁具、網に何千万、何億の金をつぎこんできたものと、この海を売る売らぬの話に、同じ一票ということがあるか」というのである。
 「まあ全国どの漁協をとってみても、漁業だけでめしをくってるというのはその五分の一の人数でねえか」「九十日以上操業ったら、西口組合長も組合員ではねえべえ、沖さ出たことが何十年もなかべえ」ということになる。正組合員二百四十一名(三十九名を加えて)のうち、無記名投票にあらわれる母港反対の数は、去年の交渉受入れ総会においても今年の漁業権放棄の総会においてもピシャリと七十数名を示している。この数は漁業権うりわたしのため票数とつねに数票の差でしかない。三分の二をこえる賛成派の裏の大部分は、法定投票を”民主的”に行ったとする既成事実つくりのための駒なのである。
 本来、漁協と対局する相手は原子力研究開発事事業団に他ならないが、全く独自の交渉・判断・決定能力を喪失しているといわれ、専ら青森県知事のあっせんに頼っている。知事のこの問題での直属の部下は、副知事でも、本来その所管である企画課でもなく、水産部漁政課が前面に出て”指導”した。この課こそ、定置や底建網や区画漁業のワカメ養殖の許可・取消の実権を握っているのである。これは漁民にとって最強最大の相手である。彼にさからえは、その漁区を”調整”されてしまう。つまり生殺与奪の権利をもっているのである。そして今回の海盗りのテクニックとして、底建網の長年の請願であった公海での漁期延長、統数増加の願いを入れるかわりに、海を売ることへの同意書をとりつけ、強硬反対派の二十名近くを同意させることで総会開催の条件をととのえさせた。そして、総会でひそかに反対に投じる”背信”を防ぐために「この件は漁業権成立の日から」とだめ押しの一項を入れさせた。その結果、反対票は四十票台に落ちこむはずであったが、そこは無記名投票である。まして○×式である。面従腹背をやってのけ、七十票の不動の反対層の岩盤の固さをみせつけたのである。何たるエゴイズムのつかいわけであろうか。そのしたたかさに県当局は内心蒼白になったにちがいない。現在、総会は漁業権放棄に賛否の票の上では三分の二を超えたが、投票しないという形で意志表示をした人もいた可能性がつよく、「出席者の三分の二以上の同意」という点では、分母ともいうべき出席者数の確認がないという珍事態を生んでいる。

 海は「おれの海」の総イメージ

 県・国・事業団の海盗りのテクニックは、真の漁業者の漁への許・認可権をもってする手口であることは実にはっきり見えてきた。今撮っている「下北半島・浜関根」の副題は「海盗り」としたいなどと考えている。
 相手が原子力船という”国策”で海を盗るならば、漁民はそのエゴイズム一本やりで盗り返せばよい。それが海を守ることにつながる気がする。「おやじの海」という歌があったか、「おれの海」といま唄うべきだ。漁民のひとりひとりの「おれの海」の総イメージが生きた海、公けの海の風景であってほしいのだ。