掲載 「パルチザン前史」チラシ
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苦渋に満ちた日々「冬の季節」が、それが短い日々であろうと、体制側の手によってもたらされている。その「冬」に耐え、いつか反撃と攻勢を準備する若き戦士たちから戦友への心からのメッセージになってほしいと、今、私たちは願っている。
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何度か私たちは、「挫折」の言葉で、「消耗」という隠語で自らをなぐさめ屈折していったことか。その「冬の季節」を逆手にとって肥りたいものだ。のびのびと成長したいものだ。体制を恐怖につきおとす戦士の形成をとげたいものだ。それは京大全共闘ひとりひとりの願望であったし私たちの、否、実はすべてのまともに革命を憧憬する戦友の心根につながつものではないだろうか。この映画は不格好な闘いの前史である。しかし、変身のさかなにある生き物の記録としての魅力がある”ぶざまさ”でありたい…。哄笑しつつ肥ろうよ。
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京大全共闘は、のぼりつめた東大、とくに日大の闘いのあととうけつぎ、功罪とともに60年代の歴史であった「新左翼」のあとをうけつがんとした地点からの闘いをはじめた。
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その「ノンセクト」の言葉には「全人間的解放戦士」の形成を夢見る強い語感がひそんでいる。セクトあってのノンだけでなく、しかしといえる革命家を志向しようと闘っている。この映画の中で”真に闘うものが革命期に際し、何を、何故、いかになるべきかを、眼のうろこをとってみつめる時期に来ている”と彼らはいう。それがどんなに苦しい作業であろうとも、試行錯誤であとうとも、実践し行動しようとする映画の中の若き人々。
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私は「人間のつきあい」という滝田(主人公)の言葉が好きだ。と同時に、これほどおそろしい重みをもって人と人が交し合う言葉はない。戦場で、正面から、勝つ日まで、彼らはこの一言をあらい続けるであろうことを私たちは信じて、この映画を論議の場に謹んで提出したい。