『海盗り』由来 ー映画『……下北半島・浜関根』の漁民気質についてー 「告知板」 5月20日号 庄建設
「漁師に泥棒っ気のなかものはおらん」と水俣の患者=漁民はクックックといってわらう。ほかの漁師の入れたカゴの中味をちょっと失敬するというぐらいは悪気のうちに入るかどうか。しかし、その道具をごっそり盗ったり、海底にのべた長いなわ、それにたこつぼや、はえなわがついているロープを切ったりすると、カンカンになる。「切らんでもよかが。何ちゅうことをすっか!」と怒る。
魚とりとは、採るか獲るのだろうが、どこか人さらいかだましうちのような魚と対の感情がある。「網でぐるりと巻いてとるのは好かん。一本ブリでとるのが漁師だ」と不知火海の漁民はどこかでそう思っている節がある。一網打尽はアンフェアだとでもいうように。
むかし地曳や大敷網は一族郎党に近隣の衆をあつめてひいた。そこにはむらの秩序があった。網元は村おさでもあった。今はちがう。機械船で動力で、ひく。つまり企業家的網元制度=近代漁業がむらを押しのけて、のしあがった。だから「ひとり〆めするもの」といった不当惑があり、フェアではないという気持にもなる。それがねたみの根っ子だ。
今度、下北半島浜関根に百日すごして、「海は広いな、大きいな」という小学校唱歌にうたわれた海のイメージは根底からひっくり返えった。沖合三千二百メートルと陸地の漁村の幅四キロの大きな四角形のなかに、大小定置網十ケ統以上、更に底建て網といわれる魚のアパートを沈めたようなもの、二十ケ銃、それにコンブ礁四ヶ所、それにわかめ養殖四十数人が区割を分割している。その間をぬって一本づりやカレイやタコのなわはえや、ウニ籠が延べられる。底建て網を固定させるあみづるは相互にロープの端を相手の土俵=網ぎりぎりまでふみこんでいる。この状態をよく知っていなければ、船ひとつ動かせないし、まして一本づりで、風まかせに船を流しながら糸を垂れるといった芸当はできない。つまり、「海は狭いな、小さいな」が漁民の知る海の実態なのである。
原子力船「むつ」が割り込んでこようとしている関根浜の海の模様は、びっしりすき間なしに網で利用しつくされている上に、そこに、近々三、四年前に数億円、国・県の補助金を投じてコンブのつきやすい小さいブロックを沈め、八十三年夏に第一回収穫をむかえたといったコンブ団地が重なっている。
この狭小な海を漁民は相互に足をひっぱり会いしながら、それぞれ漁業権を分ちあい、相手方をみとめ、顔を立て、諸々を腹におさめて、それぞれ海をまもってきた。ここでは多少の泥棒っ気も入りこむすき間もない。ただ、許可統数を「ちょっとオーバーする」ぐらいの違法はやってきた。それもお互いに知っての上の黙認である。海は陸とちがって汐が流れる。岡にたとえれば畝や道がいつもうねって動きまわっているような、ものだ。しかしお互いの境界の区分と、多少の越境は海ゆえに許してきた。
だが海を売れ!といってくる話は、丁規でひいたように厳密である。
港湾設備の正味70ヘクタールというが、そのそと側に工事中なら海底に土砂が沈められ、にごりは出るし、完成後は汐の流れや波のうちかえし方が全然かわる。したがって魚道も変化し、磯の水産物の生態系も変る。沖出し延1キロ半に及ぶくの字の大堤防は、下北では見たことも聞いたことともない築港である。想像の及ばない海容変化なのだ。
海の売り買いを迫る国、県、原船事業団(つまり今までの原発地点は皆そうだが)は、安全であることを前提としているため、放射線もれや、放射能の海への流出といった事故は「あり得ないこと」として話をすすめる。地元の人間は「安全なら、はなから東京湾につくればよかろうに、大湊でさえいやなものとして関根浜におしつけてくるのをみれば、危険なことはお上も承知だろう」と思う。疑いではなく、当然のお見透しなのである。
海を買う側は、丁規でひいた、「その70ヘクタール分だけいただきたい。(漁場全体の4.3%)その分は補償する」と迫ってくる。しかし一旦放射能もれがおきれば関根浜産の魚介類はおろか、青森県中央の市場のもの全体まで、取引き停止、または買い叩きが行われるであろう。それは水銀汚染のあの不知火海、有明海をみれば分ることだ。だから漁民は「やる気」の根っ子をゆすぶられることになる。自信の首の根を痛められる。
関根浜でみれば、まず最初に売っても仕方がないと観念した層は半農半出稼ぎの元”半漁”だった人たちだ。その数は、全組合員の三分の二を占める。つぎに条件的になびいたのは一本釣、のべなわの集団である。これは公海でも、どの漁区でも操業できる。だから海を走りまわって、場所がえできる才覚があればよい。しかしこの漁民層は半漁、半出稼ぎで、あとつぎもなく、限られた漁期の操業では生計のたちゆかない人たちだ。
あとは固い反対派層だが底建て網と大型定置網とでは微妙にちがう。ともに組合の漁区内では調整しあうし、公海での操業に県の許可、認可のいる点は同じだ。しかし大型定置の投下資本と、その操業人員は一ケタは優にちがう。底建てなら一隻の船に夫婦二人、あるいは兄弟二人といった少人数ででき、底建て網一式なら百万円からある。しかし大型定置=大謀網は三隻に人員二十名以上、一ケ統数千万円は下らない。倍以上の綱もある。大型定置がもつともつよい反対派にならざるをえないのだ。この人たちにとって「むつ」はいかに国策であろうと、死活に関る盗人行為に思えるのだ。まさに「海盗り」の所業だ。私たちがよりどころにしかねない「原船・原発・放射能」といった核の脅威はまだ漁民にとって遠い風景でしかない。
なぜ国策だ県の利害だ、民生安定だとの御題目を漁民が(この関根浜で)ひっかぶらなきゃならないのか。やっとメドのついた漁業専業の暮しの首の根をへし折るのかということへの大きな反撥から万事を見るようになる。むらは音たてて二分する光景を見る。自分が二つに引き裂かれて夢をふたつみる。つまり漁をしたい夢とあきらめる夢と。そのことへの懊悩が蓄積されたとき、彼らは本気で怒りはじめるのだ。それは少数者だが怖いものを知らない。「おれは漁業権の消滅はみとめない。なんなら、その予定地に網を入れる!」という。そのあとで「きっと獲れるぞ、面白いほど」と言葉を継ぐ。まさに漁師の根性で笑むのである。それが漁師の「海盗り」根性でもあるのだ。映画の題名はそんなつもりでつけた。
1984・4・25(記録映画監督)