土本典昭監督『海盗り-下北半島・浜関根-』を語る〈インタビュー〉 「映画新聞」 第1号 6月 映画新聞
ーこれまで水俣を撮り続けてこられて、今度は下北の映画ということですが、きっかけはどういうことだったんですか
土本 水俣上映の中で、いろんな人が闘ってるニュースが入ってきますね。そのうち、原子力発電というのが心の中で残っていたわけです。というのは、放射能の被害と水俣の被害が非常に似てる。まず水俣の場合、チッソの工場ができたときには、水銀が毒だと分ってても『海でうすめりや安全』とか言われて、それを信じてたところが、あのような被害を招いた。原子力も同じで、今は安全だと言われればそれを信用するしかないわけだけど、おそらくうんと時間がたってから、人間は後罰を受けていくだろう、というのがあって、今から六年程前、僕が五十歳になった時、原発を、水俣と並ぶもう一つのチャンネルにしていきたいと思ったわけです。で、今度、たまたま、下北の関根浜生まれの愚安亭さん(企画の松橋勇蔵さん)と出逢って…。大体、映画というのは、裁判が起きたり、事が起こってから、その情報が流れて撮り始めるわけですけど、今回は海がおかされるその前から立ち今うのであって、それは非常に映画として心のふるえるようないい条件なわけですね。そんなことから撮り始めたわけです。
ー水俣では不知火海、今度は下北の海。土本さんは海がふるさとというか、映画のひとつのテーマという気もするんですが。
土本 何かの機会にも書いたんですが漁民に人間としての先輩を感じるんです。海とか波とか魚とか、天候のつかみ方、それを朝起きた一瞬に、自然や生物のテレパシー受けながら決めていくという…。だから、僕は漁民というのが好きで、かなわないと思うところもあって、ところが水俣にしても下北にしてもやられるのはいつも漁民からなんだよね。ところが、海を盗られた漁民が、あとで新聞報道で見ると、ゴネたとか欲が深い、根性が悪いとかクソミソに言われる。水俣でも患者がクソミソに言われるところがあるけど、実際はそうじゃないわけでね。そこんところを僕は撮りたい。
ーその漁民が、水俣だったら魚を獲っても売れないとか、下北では獲ることさえもできない、その痛みは深いでしょうね。
土本 海っていうのは垣根がないわけでしょう。だから、今の場所を売っても、ちょっと離れた所へ行けば獲れるとか、そのへんがつけ込まれるんですね。漁港としての設備をよくしてやるとか言われるとね、保証金もらえばそれを投じてもっと漁場を開発していこうとか思ってしまって、保証は三分の利益に思っちゃうところがあるんですよ。そこにもし放射能の本当の恐さとかがはっきりしていたら海はひとたまりもないものだということが分るんだけど、(放射能)はこれまで経験したことのない毒物でしょう。安全だと言われると脆いですね。
ーなぜ、原発をはじめ都会にいらないもの、例えば内灘の射撃場までが下北半島にもっていかれるんでしょうね。
土本 僕も今度の映画でそれが一番疑問だったんだけど、あそこはおそらく北の守りというか、北海道がエゾであった時代から北の国境で、いつも国策の嵐が吹き荒れたところなんですね。戦争中は上陸地点の迎撃基地であったり、国の支配のずっと一番強かったところで、住民もそれに慣らされてきた。国策に非常に弱い長年の体質があきらかにある、と思いますね。それに重ねて、後進である青森県はそこから脱出するため、巨大開発にしろ原発にしろ軍事にしろヤバいものを一手に下北半島に引き受けてその犠牲で発展していこうという、今そういう時期じゃないかと思います。
ー巨大開発は少なくとも理念としては地方振興というのがあったわけです。ところが「むつ」、小川原では、何も残らずただ荒廃した民衆がポッポッととり残され、あの映画で観る限り淋しいもんですね。それでも下北の人々はそれを受け入れていくんでしょうか。
土本 まだ僻地性というのがあると思いますね。自分たちの受難を他と比べるにも隣村さえ遠い。それから、戦後、植民地に大量に進出していた人たちを受け入れたのが下北であったということ。裸のままで、荒れた土地を開拓させ、営々と生活を作りあげてきた時、都市型の高度成長の開発のツケが回ってきて、海はとられる川はとられる。すると自分の後継ぎたちがその土地でやっていく希望がなくなってくる。そこへ巨大開発をもってくれば、子供の就職先があるとか民生安定するとかの先行きがでてくる。ところがそれは全部、絵空事だったと。普通の順当な願望を逆手にとって、土地や海を売らせて放り出した。そういうダマシのきく土地だったというのは、人の良さがベースにあったと思う。
ー去年一年間、この映画を撮られて、それは現実と同時進行だったと思うんです。で、いよいよ4月20日に核燃料サイクル建設を青森県に申し入れがあったと聞きますが、今後関根浜はどうなっていくと思われますか。
土本 反対運動いかんでしょうね。今、原子力を考えてるのは一部の電力業界だけなんですが、その一番の問題点は高レベルの廃棄物の捨て場なんですね。で、その場所としては下北半島の別の場所に海も陸もいっぱい買ってある。関根浜の場合は買った海は狭いし、陸は頑強に売らない人が二-三割残ってるし、そういう場所に金を使って本当に買いとっていくかどうかは反対運動いかんでしょう。陸では反対は強まりますよ。海は船だから何かの場合には出ていってもらうこともできるけど、陸に核サイクル基地を作り、それとセットの港となると話が違ってくるし静心派が全くの反対派にかわる局面が関根浜にはありますね。これまで全国の原発基地を見てますと漁業だけではたちゆけないところがほとんどで、関根浜みたいに漁業の盛大なとこは少ないですしね。
ー映画は一月で終わってますがその後関根浜はどうなってますか。
土本 今年の8月末に『むつ』を廃船にするかどうかの決定を政府が出すわけで、それまでは、そのまますばらしい漁場が残されていますから、漁民としてはこのまま漁場を残したい気持が強いでしょうね。
ー海を売ったあと保証金の分配とかはまだということですが、このお金を受け取らない限り海を売ったことにはならないんでしょうか。
土本 まだ個人単位で、売ることに同意せず、海の埋立工事さし止め訴訟をやっている人がありますから、結論が出れば三年間さし止めになるかも知れませんね。そうなれば勝ちますよ。今『むつ』の燃料も、実験に耐えうる限度は二年か三年なんですよ。ただ、この『むつ』に関しては、関根の闘いによって勝ったという風には言えなくて、その前の大湊や佐世保で大衆的にいろんな反対運動をして、いろんなタイムリミットがおせおせになってくるのに力があったといえると思います。大湊の漁民から始まった『むつ』と人々との関係が、今、関根浜にプラスしてると思うんですね。
国は、関根浜のもってる漁業権の全部を下さい、じゃないんですね。港だけ下さいって言うんですね。原発の場合も同じですけど関根浜でも70ヘクタールという全漁場の4・3%しか要求しないんです。ただそのまわりの影響はどうか。もし放射能がもれたりしたら青森県全体が影響受けることになるけれども、それは絶対安全だって言ってるから、残りの9割で操業すればいいという考え方なんです。
ーさて、下北の人たちの苦労やたいへんさを、この映画を通じて都市の人たちにどのようにアピールしていきたいと、監督さんは考えておられますか。
土本 まず第一に漁民の実情を知ってもらいたい。沿岸漁業に意欲をもちだしたところへ、皮肉な国策が来た。その傷みの大きさを見てほしい。国策という大義名分の中で、幹部を買収して、数をそろえて合法的に海を盗っていく。そこまでして海が必要なのは、海という大きな力が必要なくらいすさまじい毒物だっていうことですよね。そういうことを今後考えていってほしいんです。そして原子力の強まった下北というものが完壁にできれば、日本全体がどんどん原子力行政にひきずり回される時代が来るだろうと思うしね。
ー核燃料サイクルは、ただの原発とはわけが違うことを自覚しないといけませんね。
土本 プルトニウムは原爆の材料だと誰もが知った上でいじり始めたわけですからね。東京周辺にプルトニウムを作ったら、そこに働く労働者は当然決起するだろうし、いろんな運動体が決起するから彼らは困る。下北なら大丈夫と思ってるわけです。地理的に言っても、冬だと除雪車なしでは車一台通れませんから。
ーそうした都会に作れないものを下北にもっていく。都会のゴミ捨て場のように下北が使われることを都会の僕たちは考える必要がありますね。
土本 今度の撮影中でも、赤旗一本立たないんですね。学習会を組むわけでもない。あんなにむざむざと平隠無事に海を売られていくことを僕は予想しなかった。他の原発とは比べものにならないくらいヤワに盗られていった、そういう場所の記録ですよ。そこんところがつらかったですね。今、沿岸漁業では、それだけで食ってる人が漁民の三分の一以下に減ってる。一方、漁民協同組合では、数を増やしたいから半農半漁でもメンバーになれるわけです。組合の規約では三分の一では海は守れないんです。三分の二の賛成があれば海は売られてしまうわけ。売られざるをえない状況のところへ話を持ってくるわけです。その中で漁民の闘いを組むには漁民だけの力ではダメだったんですね。ただ、漁民は、少しでも残ってる可能性として漁業をやり抜くことで海を盗っていく者に対抗していくしかない、と。映画の中で、、漁民がハンコつかないで、金を受け取らないでここはオレの村だというのがあるんですが、そういう六カ所の漁民の存在が、この映画をはじめて関根で上映した時、漁民たちにたいへんショックを与えましたね。
ー地域での闘争としてはどうなんでしょう。
土本 陸奥市という市があるし、市には労働者も活動家も文化人もいるんだけど、一つの村の漁協に代表される決定事項には誰も入れないわけですね。そういう中でよかったと思っているのは、松橋勇蔵という人が反対派を形成している漁民一族の中にいたかいなかったかということがとても大きかった。あの人がいなかったら、あの一族の中にあれだけの結束ができなかったんではないかと思うくらい大きいけど彼は漁民じゃない。だから委任状持って漁協へ行っても、必要なことをしゃべればしゃべるだけ、彼の存在が浮いてくる。それは、僕の映画としての位置と同じでしたね。
ーカメラのことでちょっと気かついたんですが、水俣の映画の時は総会や交渉のとき、カメラが民衆っていうか患者さんの側にあったんですが、今度は全部ステージ上からですね。これは意識的なものですか。
土本 いや、そうじゃないんです。実は、あのシーン、組合総会の討議過程は立入禁止なんです。だから僕たちは便所の入口から撮ったんです。だけどそれは向う全部知ってますよ。その前に子供会や中学で映画会やったり挨拶回りしたりしてるから断れなかったんです。それを、総会に出てないカミさん達が映画で観て、もう一度考え始めたってこともありましたね。
ーそれが撮れたから貴重で、いろんな広がりも出たといえるでしょうね。で、今度なんですが、水俣と原子力、この二つをこれからは押さえていかれるという…。
土本 今やっぱり都会が見えて海が見えなくなってる時代ですからね。土が見えないっていうか。だから小川監督の「ニッポン国古屋敷村」でもスミを焼くことで土の再発見という側面があるし、僕も下北と水俣をつなげてみると海を手放したら日本は日本でなくなるという思いが強いですね。
ーこの映画は東京では五月後半大阪では六月といろんなところで上映されていきますけど、今「安全」と言われている原子力発電を考えるひとつの機会になればと思います。また、小川プロは農を、青林舎は漁を撮り、日本に生きてる人間の根っこを押さえていけたらと期待しています。そういった意味で、漁をどういう風にするのかもうちょっと観たいな、というのと、このあとどうなるかを観ていきたいですね。
土本 今回、夏の発表を四月に繰り上げたという事情があって、というのは敵のテンポが早いから。また続編撮りますよ。(五月四日)