“海”を破壊する原子力-弱者犠牲に強い憤り インタビュー 『北海道新聞』 6月23日付 <1984年(昭59)>
 “海”を破壊する原子力-弱者犠牲に強い憤り インタビュー 「北海道新聞」 6月23日付

ー作った動機から伺いたいのですが。

 反原発を勉強

 五十歳になった時、水俣も続けるけど原発もやろうとスタッフと勉強をしだしました。一昨年の反核運動では反原発を入れると統一が崩れるという動きがあり、それなら緊急に原発映画をと思って戦時中からの新聞記事を集めた「原発切抜帖」をまず作りました。
 その次が今度の作品なんですが、前前作「水俣の図・物語」を持って北海道を歩いた折、劇団「はかい人群」主宰者の松橋勇蔵さんに出会い、原子力船「むつ」の新母港建設予定地・青森県関根浜のことを聞かされ、運動が外洋の関根浜では内湾ほど盛り上がらず、孤立感を深めてました。そこへ、去年の三月ごろから原子力船開発事業団と県が漁業権の取得に急ピッチで介入してきたので、五月からあわてて撮影を始めました。

ー映画のねらいは?

 迷ったんです。初めは(反対派が)勝つかもしれないという空気もあったんですが、私はたいていのことでは勝てないと思った。そこ勝ち負けどちらでもゆける映画をと思いました。ある点で負けの記録を克明にとる視点を持ってね。調べると体制側はいつも同じ手口を使ってるんです。貧しい所ほどつけねらわれてます。人々の生活が弱っているし、おかみへの帰民意議が強いだろうしね。

 後から寂しさ

 下北では六カ所村が四年前に漁業権をすっぱり売り、東通と大間は原発を二、三年のうちに予定しています.しかし海を売ってからしみじみと感じる寂しさがあり、共有地の神社を目の黒いうちは売らないという人や、漁業権は売っても金を受けとらない漁師などもいるわけです.漁業権を売るには後継ぎがいないといったような根拠もあるはずです。そういうもろもろをあそこで全部見たら、関根浜の次にも役立つと思ったのです。

ー貧しい所がねらわれる点では、放射性廃棄物の貯蔵施設を誘致している道内の幌延町の例がよく似ていますね。

 同じ誘致型は下北では大間と東通です。根回しの上なので交渉が非常に速く進みます。
 補償金で済むし、漁民の力が強くても落としやすい。組合員が千人近い、隣の大畑では誘致したけど来ないんですよ。
 もう一つは、戦時中に軍用道路を造り、戦後は米軍の実弾射撃場を造ったなど、陸から海峡まで実に詳しいデータがあった。昔、軍港だった大湊が一番いいのですが、次は関根浜です。

ー映画で印象的なのは小正月から始まり神社の能、祭りなどの伝統風俗と漁の風景など、文化と生活を一方で丹念に追っている点ですが・・。

 生活、根こそぎ

 関根浜には魚の網元が二つあり、さらにコンブ、ワカメ、ホタテもやっている。構造改善も進み、漁師をやっていてこれからよくなるというところです。半年間は雪に埋もれるので、村のつながりも元来強いわけですね。何代もかけて築いて来た生活がある・・・それが原発で根こそぎやられてしまう。映画を見てくれる人が、漁業を続けてゆくことが幸せなのだと感じとって下さい。
 これからプルトニウムに見合ったレイアウトをしてゆくわけですが、既に七千ヘクタールもの海を買った六カ所村あたりからねらうでしょう。

 しっぺ返しもう

ー将来どんなことが考えられますか?
軍事転用、さらに核武装もできるようになる。でも、プルトニウムの半減期は長い。管理しなければならないのです。人工物質をいじってやられるという点では水俣とも共通しますが、そのしっぺ返しをもう受け始めていますよね。