忘れられない 白夜の懇談会 「朝日新聞」 10月4日付 朝日新聞社
12年前、「シベリア人の世界」を撮るため、世界の最寒気圏のヤクーツク共和国にいった。
トナカイ、コルホーズの青年議長クイツキン氏は「村に来た史上初の外国人」とにぎやかに迎え、レナ川の河岸に少年団から年よりまで並ばせ花束贈呈と鼓笛隊で最高の表敬をしてくれた。だが皆に「あれ?」という戸惑いがみられる。日焼けした私たちは背丈、皮膚、表情すべて”外国人”に見えないからだ。
トナカイを撮らせると胸をたたいた彼は、大型ヘリで案内に飛び立った。北極にむけて二時間、山岳地帯の谷あいに3000頭の群れをみつけたとき、自分でも意外といった驚きの声をあげた。本当はさっぱり自信がなかったという。半年放牧にでればトナカイまかせだ。
彼は日ソ労働者交流で日本に招かれたことがあり。あいさつのことばと「コンダン会」が彼の忘れ得ぬ日本語だ。夢中で撮影中のわたしたちに、もうよかろうと盃(さかずき)をほすてまねをする。コンダンカイとは酒宴のことだ。コンダン会に明け暮れの日本の交流だったかと苦笑した。
百夜の中、”懇談会”のときが来た。最高の珍味は一頭で割り箸四本くらいしかとれない脚の髄だ、それを生の塩コショウでたべる、ふぐの白子のようで私は舌鼓をうったが、ロシア人はみな恐れをなした。
ヘリが空から私あての土産だと袋をどさりと落とした。それは剥いだばかりの大熊の生皮だった「ロシア人にゃやらん、あんなごちそう食わんから」と笑う。ともにアジア人の顔だった。