話題のパトロール 血染めのフィルムでつづる交通戦争 ドキュメント路上 『サンケイ新聞』 2月22日 <1964年(昭39)>
 話題のパトロール 血染めのフィルムでつづる交通戦争 ドキュメント路上 「サンケイ新聞」 2月22日

 突然の恐怖に怒り・三人が重軽傷・事故と戦うスタッフ

 「あえて申しますと、これはひとつの戦争映画、いえ”恐怖映画”です」と、この映画の作家たちはいう。映画の題名は「ドキュメント・路上」東洋シネマという小さなプロダクションが、昨年夏から採算を度外視してとりくんできた記録映画が完成した。「『ドキュメント・路上』」というのは日夜尊いいのちが失われている激しい交通戦争の場という。昨年日本中で一年間におこった交通事故の数は50万件、一万2000人にのぼる死者の数は、日清戦争の戦死者数にひってきする。7か月の間に東京の町々を走り回ったスタッフがレンズを通してなにを見たか。このドキュメントは過密都市・東京にくりひろげられているひとつの交通戦争従軍記だ。

 映画は、夜明け前の東京の町を、営業所に帰っていく疲れ果てたタクシーからはじまる。雑踏する営業所の控え室で、売上金を数える手、車体を洗う手。ツヤのない運転手の横顔に、ポツリポツリとヒゲがのびはじめる。
 「またスピード違反やっちゃったヨ。シュウテイ(就業停止)は一か月かなあ、それとも二か月かな」、「罰金も一万円はくだるめえ。どうする気だ?」隣の仮眠室では、仲間たちがねむりこけている。

 シナリオ担当の楠木徳男さん(39歳)=記録映画作家協会所属=は、新宿のGタクシーにたのみこみ、何日も助手台に乗って東京を走り回った。営業所にも泊り込んで取材をした。「この映画に参加するまで、私自身にとっても交通事故ということはまだひとごとのようでした。いやこの企画で、交通戦争の実態を直視するまでは、慢性の病気にかかったように事故のおそろしさにマヒしていたというべきでしょうね」
 執筆は警視庁の交通白書を映画化しようという狙いではじまった。そして事故の要因を分析していくにしたがって」ひとつは道路の整備。もうひとつはノルマに追いかけられたタクシー運転手の過労だ、ということが実感として身に染みてきた。」という。
 しかし、撮影はしばしば脚本から離れていった。現実のなまなましい”ぶっつけ本番”に遭遇することが多かったからだ。

 ”路上”を主人公とするなら、副主人公ともいうべき川崎喜三男さん(29)が登場する。もちろん役者でもなんでもない。M交通につとめるほんとうのタクシー運転手である。子供が生まれ一家を背負い始めた若い労働者だ。陽気でくったくがない。カミナリ運転もやるし、乗車拒否もやる。その平凡な日常は、じつは事故寸前に直面している。そんなある日、控室に一枚のレントゲン写真がもちこまれた。ひどい胃下垂症状だ。「おれもこのところ調子悪いんだが…」「手術するんだな、みんなやられているよ」暗く沈んだ営業所の外は、いたるところ掘り返された道路工事現場。東京の道路はところかまわず痛んだハラワタをふきだしている。

 「この職業病は、深刻なんてもの以上ですねえ。胃袋の話になったら、M交通の営業所の運転手はひとりのこらず集まっちゃいました。そのなげきはとどまるところがなかった」とためいきをつく演出の土本典昭さん(35)。「運転手たちは、みんなほかから転職してきたひとばかりでね。しかも、たえず”第三の職業”をさがしてイライラしている。そのくせ交通殺人がくりかえされている状況にはまったく”不感症”になっているんです」

 ジャングルのようなピンの森。ピンの数が交通事故死者の数をあらわす警視庁の標示板。夜空にはえる銀座街頭の電光ニュースもタクシーにはねられたこどもの死亡事故を伝えている。
 ”ひとごと”のように感じていた交通事故の恐怖、しかしその魔の手は、”撮影スタッフ”も、けっして”例外”にしてはおかなかった。
 11月14日。まだ撮影がはじまったばかりのころ。オートバイで新宿を走っていた助監督の中村久亥(28)が車にふっとばされ、あやうく失明という大ケガでした。続いて12月上旬、おなじ助監督、武市憲二さん(19)が世田谷下馬の路上に倒れているのを発見された。引き逃げらしいが、目撃者もいなかった。ついに助監督は全滅した。
 クランクアップの近づいたことしにはいってすぐ、こんどは厚木市で、撮影助手の佐藤敏彦さん(27)が100キロとばしてきた米兵の車にはねられ足の骨をくだかれた。
 20人たらずの撮影隊のうち、重軽傷3人。フィルムは血にまみれたが、残されたスタッフの怒りと敵愾心は、もえたった。

 夜の京葉道路をふっとんでいくライト、ライト…。100キロで疾走するダンプ群。
 ゴウ音の中でタイヤがきしむ。焼ける。一夜明けた事後現場。スクラップのような車体が切断され、クレーン車で運ばれていった。
 「撮影が技巧にはしるのをおさえました。とにかくもっとも原始的にカメラを使ったつもりですが」鈴木達夫カメラマン(30)はたんたんとしていう。鮮烈なカメラ・アイ、いきづまる描写とはウラハラに、もの静かなひとだ。
 そういえばこの映画には事故現場のシーンはたった一か所しかない。しかも、ことさらどぎつさを避けているようだ。
 「ぼくらのフィルムは、文字どおり血染めでした。しかし、ぼくらの願いは、事故現場の悲惨さではなく、ノーマルな風景のなかにひそんでいる。”突然の事故”という暗い予感を感じとってもらうことなんです」と土本さんは説明。

 数珠つなぎになってマヒ状態になった交差点。イライラする川崎運転手がミキサー車の運転手とどなりあう。信号をまっていらだつ歩行者。車の波をぬっていく人の感情を、カメラは非情なスローモーションでうつしとる。
 土本さん、楠木さん、鈴木さん…スタッフのみんなが口をそろえていうことは「いかに東京という町がデタラメにつくられているか」ということへの激しい怒りだった。
 「東京の交通戦争を、こうまで”戦局悪化”させた為政者を告発したい。わたしたちはギリギリの自衛力をもって、事故と戦わねばならないんですから…」として自分たちがつくったこの映画に「吐き気をもよおさずにはいられない」という。

 ふたたび東京のあさ。川崎さんはスピード違反で免許証をとりあげられた。”事故”をおこせば、あすから食えない。タクシー会社の庭。会社管理者が運転手を集めて、朝の訓示をたれている。「とにかく事故に気を付けてかせいでほしい。事故をおこせば、諸君らの就職に支障をきたすばかりでない。会社の信用を傷つける。」
 訓示をきく運転手たちの表情はウツロである。休日あけのはずなのに疲労が抜けていないのだ。その体でまたハンドルを… (幕)
 「この映画で、すぐに交通事故が防げるとは、けっして思わない。いわば交通戦争終結への、ひとつのプロローグにすぎません。その日まで、私たちはこの戦いをやめないつもりです…」制作にあたって同シネマの丸茂孝さんは、そう訴えている。

東洋シネマ
東京都港区赤坂新町3-23 中村ビル内
テレビコマーシャルが本業のプロダクションで『ドキュメント・路上』は処女作品。この映画は警察庁、警視庁の協力で事故防止キャンペーンとして企画制作されたもので、約1千万円かかった。近く一部の一般映画館でも公開される予定。なお演出の土本典昭さんは『ある機関助士』で63年度芸術祭賞を受けている。(社会部 石井英夫)