日本「海盗り」列島の図が見える-映画『海盗り-下北半島・浜関根-』その後 『毎日新聞』 10月3日付 毎日新聞社 <1984年(昭59)>
 日本「海盗り」列島の図が見える-映画『海盗り-下北半島・浜関根-』その後 「毎日新聞」 10月3日付 毎日新聞社 

 「海盗り・下北半島・浜関根」を完成させてから半年になろうとしている。その完成をことし四月ときめたのは、映画にかかわる関根新母港の帰すうが、この八月末までに政府部内で検討されるという情勢だったからだ。その間指折れば四ヵ月ある。その間にまず青森県下で観てもらえると胸算用できた。青森県評は資金の一部を援助のうえ二本プリントを買い、まず都市上映から始め、私は新作の発表をまず下北半島の浜関根での上映会からにした。
 四月二十日夜であった。同じこの日、電気事業連合会(会長・平岩外四東京社長)は自前のウラン、使用ずみ核燃料再処理、低レベル放射能廃棄物貯蔵のいわゆる核三点セットをまとめて青森県下北半島の太平洋岸に建設する意向を県当局に示し、協力を要請した。映画のなかの、ミステリーに等しい核半島化の想像は画に描いたように現実化したのである。
 この夜の映画会はそうした一気な情勢の急進展を反映せざるを得なかった。かねて個人々々の力で反原発・反開発の連動にかかわっていた人、労働組合の有志は、映画に登場した、浜関根にとっては他村の人たち、六ヶ所村、東通村の漁民、農民を二人、三人と車で運んできた。会場には漁協総会を超える人びとが集まった。
 浜関根以外の漁民らしい人の座る「来賓席」のスペースは奇妙な感じとされたが、映画の半ばから、そこに座っている人が、六ヶ所村で反対の立場をつらぬいている、画面の主人公たちだと気ついたようだ。たとえばたった一人で漁業権放棄をみとめず補償金も受けとらず鷹架沼全域で公然と操業している高田興三郎氏や、むら最後の共有地である神社を死守すると語る小泉金吾氏らのシーンに及ぶと、わが浜の漁業権喪失とひきくらべ、感嘆とも共感ともつかぬどよめきがうかぶのであった。 
 しゃにむに漁業権放棄にむけて獅子吼する組合長が終わりに近く、「政府不信、目的不明の核専用港には反対と申し上げる」と発音すると、場内にはうなずきともあわれ惻隠の情ともいえる吐息が流れた。中央政府と県当局を相手に、ともかくも力を労した一老人に対する浜を同じくするむらびととしてのある解があったのであろう。その「反対申し上げる」ひとことは映画のすべてを決めたようにうけとった。
 このあと席を番屋に移しての漁民の懇談会は私には特筆にあたいした。七〇年代から十数年闘いつづけてきた六ヶ所村の「むつ小川原巨大開発」反対連動の頭目やひとり闘う漁民、すぐとなり村の漁民の原発反対の人びとと浜関根の人びとは、母港化の声があがっていらい三年間、ここにはじめて一室に会し、さかずきを重ねる機会をもったのである。映画で、つよく待望しながら、そのロケ中には、このような下北半島・漁民のつどいのシーンは撮れなかったが、上映の機会を得て、その緒がおのずとできたのである。
 中でも「天皇でも、俺の漁業権はとり上げることはできぬ」と言い放った豪儀な高田さんへの名刺交換がしきりだった。これから漁業権放棄反対の運動にひきよせられる東通村の人たちは、個人で漁業権放棄を否認し操業を三年間休みなくつづけている彼の闘い方を学ぶことに眼の色を変えていた。
 ながい間、孤立同然の闘いに淋しい想いをしてきた六ヶ所村(新納屋)の小泉氏は、「自分には眼には見えぬが二千万人の味方が背にあるのだ。負けていられるか」と説いた。その数字は、六ヶ所問題で彼らに理解を示した各新聞の全読者数を言ったものらしかった。下北半島の各地のつながりを求めていた人たちによって二カ月ほど後、「下北半島・漁民会議」のような連合が結成された。
 その後の県内上映会は予想外の不入りを味わいながら、その準備不足を再検討しつつ、十一月の東京・下北沢「鈴なり壱番館」の連続上映会をはじめとした各地の小集会上映にむけて息永い取り組みが始まった。しかしやはり映画は「間に合わなかった」。浜関根に縮小の上「むつ」新母港が決定された。この八月下旬である。
 それは規模として三分の二に縮小、建設費は百億円節減というもの。その結論に誘導した自民党すら「地元青森県当局との約束上」とメンツ以外ない理由を挙げている。予算節減のため入り口を当初の百三十メートルから百メートルに縮めるなど、船長百三十メートルの「むつ」にとっての港口幅の安全性は大きく損なわれるものとなった。
 この決定が青森県当局に核のゴミ捨て場を本質とする核三点セットを承服させる卑劣な手段であることは明らかだ。そしてそれに先立って、電事連は三点セットを六ヶ所村に集中立地すると決定した(八四年七月十八日、社長会)。東通村白糠では未だ漁業権放棄を見ないからであり、六ヶ所村のそれは百%取得しているからである。
 「漁業権放棄のあのやり口と、漁協総会のはこび方は、苓北火力(天草)とまったく一緒」と水俣の川本輝夫氏は言う、長崎・上五島(洋上備蓄)、石垣新空港の場合も同じ方便で漁業権を奪われた。皆、県水産部の”指導”だ。「もし漁民の経験の交流があったら・・・」と下北漁民の分断の体験から思わずにはいられない。「海を売ったそのあとは……」の各地漁民の総苦難を綴っただけでも、日本列島の現代破壊図のすさまじさを描けるだろうと今思う。