わが友わが"敵"富山妙子との仕事―映画をとり終えておもうこと 『はじけ鳳仙花』上映用チラシ 11月号 幻燈社 <1984年(昭59)>
 わが友わが"敵"富山妙子との仕事―映画をとり終えておもうこと 「はじけ鳳仙花」上映用チラシ 11月号 幻燈社

 私はにんげんが好きだ―(当り前のことをいうな)しかしにんげんに出遭うのがたのしみだ。悲しみにせよ怒りにせよ、しあわせにせよ、それをともに分つということがまず私を明るくさせる。
 絵かき富山妙子さんとつき合うのもこの気持からだ。たぐいまれなほど楽天的で、明るい富山さんは、しかし実に暗いお荷物を、かかえ切れないほどその背中にしょっている。
 映画ののっけから、「私は植民地に育って、中国人や朝鮮人にする日本人のしうちを見てきたから、どうしても日本人を憎しみの眼で見てしまう」ということばがある。私などはドキリとして、この人の躰にはどこの国の人の血が流れているだろうと思う。

 蟻塚のように掘られた炭鉱の海底、そこに棲む何千万年を経た未知の魑魅魍魎たち、それと背中合わせに、手堀りで炭をほる抗夫たちといった、地霊の油絵。
 朝鮮人抗夫のシャレコウベのるいるいたる闇の世界に、切り紙のような頼りない風情でよりそいつづける朝鮮の巫女シャーマンのいる構図のリトグラフの連作。どれも暗くて黒くて、しつっこく画きこまれて、執念のかたまりのような制作である。ひとり小さなアトリエで、深夜まで骨片を描きつづける富山妙子を想像すると少なからず怖くなる。
 それでいて一方では古代アジア人の天衣無縫のエロスの世界の油絵がある。日本も朝鮮も境いのない交流の自在な古代風景があるかと思うと、アジアの天空の幻想をちりばめた星座図の大作がある。一方で、落盤で首の飛んだ朝鮮人少年抗夫の貌が描かれていたりする。
 アジア、とくに朝鮮と日本の、有史以前のファンタステックな画想から、朝鮮人抗夫、亡国の悲しみに苦しむ植民地朝鮮のひとびとのディテール描写まで黒と白、強と弱、その精一杯振り切った振幅の極端さはとても50キロたらずの女の人の力わざとは思えないものだ。
 このひとと私はこれまでに詩人金芝河をテーマにしたスライド「しばられた手のいのり」をつくった。この映画の製作者、前田勝弘によるスライド『蜚語』映画『自由光州』と、彼女の仕事から芽ばえた作品はこの『はじけ鳳仙花』で六作目である。それらを作りながら、ときとして彼女を在日日本人とからかうこともあった。何とも日本人ばなれした”対日批判”をもつ在日者だからである。この秘密を解きたい気持ちが、冒頭のことば「私は日本人を憎んで育った」という告白めいたことばを引き出したのだろう。
 富山さんは絵かきであり文章もかく人である。私も映画という表現をもつ。音楽家高橋悠治氏は極めて個性的な芸術家である。それぞれの表現をもちあわせ、組み立てながら、富山さんの「朝鮮人抗夫の骨を拾い、洗いあかるみに出して、いのりを捧げる」といった営みに加担した―ということだが…。
 実は制作の過程は、富山さんの体の中に躰に蓄積された。帝国主義日本への抑えきれないほどの憎悪と朝鮮のひとびとへの贖罪感へのあらがいと反撥が私にはあった。だが富山さんのそれには、実体験が確かにあってのうえの表現であった。
 「ハルピンで車夫を撲りつけて平然とタダ乗りした日本人」「”朝鮮人”として葬って恥じない戦時中の炭抗の管理者たち」…。それらをつぶさに目撃した人とのお荷物の重さに私は圧倒されないわけにはいかなかった。「私自身、いつ加害者になるかも知れない」そんな想いが切迫する日もあった。そうしたにんげん富山妙子との衝突がこの映画なのである。