「海盗りー下北半島浜関根」上映会のあいさつ 講演 <1984年(昭59)>
「海盗りー下北半島浜関根」上映会のあいさつ

前略 お元気で、ご活躍のことと存じます。いつもながら、ご無沙汰のことおゆるし下さい
拙作『海盗りー下北半島浜関根』の三週間上映のご案内申し上げます。
今回、試写上映の結果、ことば(方言)の分りにくさが、アンケートの半ば以上占め、またしても、作り手主観主義を思い知らされました。私としては私のわかる範囲で……と存じましたが、私の分る範囲それ自体、現地で思い馴染んだ時間のあってのことでした。
現地の人びとに聞きただし、助言を乞うたところ「わたしのいったことばがわかるか、怪しんでおった」といわれました。
そこでサブタイトルをつけました。小川紳介氏はすでに作品の上でその作風を定着していましたが、私の作品が九州(水俣)が多かったため、(それでも難解といわれつづけました)また幾分なじみがあったのでしょう。その方法はとらないできました。
今回もっと聞きたいことの確認の意味でも、スーパーがあったら――という各地運動家のことばもあり、(つまり感じることは出来ましたが、理解上の不たしかさが残る…)という事について考えさせられました。その点でスーパー入りの改訂版のつもりです。

その後のご報告としては

①核サイクル三点セットの立地は、あやしんでいた通り、下北半島、太平洋岸にはりつけられることに決定しました(六ヶ所村の久々の『復権』にて、活動的農民はまなじりを決しています)
②たったひとり公有水面埋立工事の差止め訴訟をしていた松橋幸四郎氏の訴えは、門前払いをうけました。(やはりたった一人原告はナメラレたと思います)
③今年八月までに結論を保留、検討されていた政府の方針は、規模、縮小の上の、母港建設を、実験強行に決定しました。すべての予定のうちとはいえ、絵に描いたように「下北半島=プルトニューム半島化」への道に進んでおります。(なぜメンツにこだわるのか不可解です)

この作品は総評並びに住民団体の独自の上映運動を願っておりましたが、現在までに20本近く、県単位のそれらの組織に運用されることになりました。青森、北海道ではすでに集落単位までの運動上映がなされております。しかしまだ漁村までという初心のねがいはほど遠いものです。

この間、フランス映画社、川喜多和子さんらの助力と、小川プロの推挙もあって、訪日のベルリン映画祭、ヤングフォーラムの担当者の観る機会を得、来年2月、ヨーロッパ公開のメドがつきました。サブタイトル費用ももってもらえるので助かります。


今回の下北沢、鈴なり一番館での上映は、世田谷の住民運動の主催です。
区として人口 50万以上、地方でいえば熊本市のそれに匹敵します。
そこで、数千人の動員をめざしてひとり歩きし始めました。
それは上映運動のひとつの試みです。エゴイステックにいえば、私の次回作にどれだけ金を作ってくれるかの一つのこころみです。そうか一部始終をおしらせしますので関心をおよせ下さい。

各位 ご多忙中の折、恐縮と存じますが、海とひとの命運、確実に、一年一年悪化の一途をたどりつつあります。負けを確認する日々ですが、冬来たりなば――とか、夜の暗きとき――とか歴史のうねりを信じております。皆様にはくれぐれもご自愛の程を。では。
                                  土本典昭
1984年9月