土本典昭監督『はじけ鳳仙花』を語る-記録映画のドラマ性- インタビュー 『映画新聞』 第9号 2月 映画新聞 <1985年(昭60)>
 土本典昭監督『はじけ鳳仙花』を語る-記録映画のドラマ性- インタビュー 「映画新聞」 第9号 2月 映画新聞

 画家富山妙子さんを描くことで、またスタッフのユニークさで、そして作品そのものの出来で現在話題になっている土本典昭監督の新作「はじけ鳳仙花」。昨年末のお忙しい中に土本典昭監督にお話をうかがった。聞き手は前作「海盗り」のプロデューサーでもある青林舎の山上徹二郎氏にお願いした。

ー朝日新聞の今年のベスト5(一九八四年度)には土本さんの二作品が入っていまして、「海盗り」は蓮實重彦さんが、「はじけ鳳仙花」は佐藤忠男さんがあげておられました。記録映画としては二本とも土本さんの作品だけということになったのですが、「海盗り」と「はじけ鳳仙花」を観ますと、この二つの作品では、成り立ち方や作品性が違うように思います。そのへんのことから。

 私の処女作に「ある機関助士」というのがあるが、あれは完全にシナリオからワンシーン毎にコンテを描いて作った作品です。その次の「ドキュメント・路上」も劇映画の手法を使った作品でした。これらの作品の中では、ドキュメンタリー映画としてのリアリティとディテールを最も重視しながら、展開としては劇としての最低のシュティエーションを作ってそこに記録性を表現していくことを試みました。「水俣」なんかの場合は資料性が高いからそういう方法は敢えてとらなかった。「海盗り」の例でいうとやはりそこにははっきりと映画を撮る私と登場した人びととの間の関係性そのものを描くという意図が頭から終りまで一貫してありました。つまり私から質問する形で隠れているもの事を浮かびあがらせていくといった方法をとりました。

 絵という対象に映画的時間を与える

 私は、映画というのは、キャメラが存在して、対象が存在して、作家が存在して、その間の関係を記録していくものだと思っています。その点では劇映画でも同じでしょう。俳優と演出者とキャメラの間に劇的なシュティエーションを介して、そこから生まれてくる俳優の演技とすべての存在感を記録していくことなんで、これは東陽一君なんかがやっている方法でしょう。しかしその一番底で追求していきたい問題はあくまでもアクチュアルな記録性ー、誰もがその映像を観て、単に受けとるだけでなく、自律的に再構成したり自由な想像力を喚起されるようなディテールをはっきりと出すことです。そういう意味で私のやっている仕事はすべて広い意味で記録映画と呼ばれることを望むわけです。「はじけ鳳仙花」は原画としての絵があります。ふつうの場合人びとはその絵を自分の「時間」でもって観て、それぞれ各様に考えることができるけれど、それをある「時間」の序列に従って映画にしていく場合にはその、「映画的時間」というものは私が決定しなければなりません。つまり僕の観かたと、その絵には「言葉」が入っているのでその「言葉」をどう受けとめていくか、それをどうモンタージュしていくかという意味で、人形劇映画やアニメ映画に通じるひとつのドラマ化がありました。この作品の場合には劇映画に非常に近い手法をとったわけです。「はじけ鳳仙花」には強制連行された朝鮮人の身の上ばなしがひとつの軸として物語をつくっています。画家富山妙子さんの中に炭鉱に連行されて「朝鮮人」として死んでいった人の残した身の上はなしがまず出来上っていたー。それを絵描きとしてどのように想像力を働かせ、そして描きこみ、更にその現分的表現を映画という形にすることを必然としたのであろうか?つまり副題にあるように富山さんにとっての「わが筑豊わが朝鮮」の、「我」を記録することが一方にあったわけです。ストーリーを描くとともに絵を描く人の持っていたドラやもあわせて出すーそういう二重の構造にしたと思います。

ー「はじけ鳳仙花」の場合は対象が絵画そのものです。絵そのものがすでにひとつの表現物ですから、その絵がもっている表現の力強さの問題があると思います。「はじけ鳳仙花」という絵はそこのところはどうだったのか、それと土本さんがそれをドキュメンタリーの方法に変えられるところでどのような工夫があったのでしょうか。

 以前に金芝河を主題にした「しばられた手の祈り」というスライドを作りましたね。スライドでは映画的手法ーつまりズームアップとかパンとかは出来ないから、一枚一枚の絵のならび方や絵そのもののトリミングなどが視覚的展開・飛躍を決定します。言葉の質量も映画と違うし、音楽も重視してつくりました。作者の富山さんとしてはそのスライドが成功であったと思われただけにスライド的作画の線上で今度の「はじけ鳳仙花」も発想されたと思う。だから朝鮮人の強制連行の身上話をその物語性にそって数十枚のリトグラフで描かれた。だが今回は映画なわけです。スライドとちがう原画が欲しいわけです。スタートの二年前のことですけど、私や高橋悠治さん、津野海太郎、久保覚さんたちとブレーンストミングをなんどもくり返しました。そこでまずスライドと映画のちがいが論じられました。カッチリと縦横比とサイズが決った絵を撮るのでは、その完成された画の枠から映画としてはみ出し得ない。リトというのは紙の大きさが限られているし、かりにつなげるにしても限度がある。延々どこまでもイメージが枠を離れて拡がっているようなイメージのひろがり、またそのイメージに感応し画の中の世界を読みとるような自由なキャメラワークー、つまり描いた人の腕の長さとか歩幅とか作者の眼の流れが撮る側の身体をつき動かしてやまないような絵の大きさつまり壁画性を要求するような気持をもちました。それがどんなマチエールの絵か、果してリトで可能かなどは私にも皆目分らなかった。そして彼女は更にリトで場面を書き足す仕事の一方で「ユーラシアの星空」や「地底の死者」「古代アジアのユートピア」「鳳仙花」などの油絵を描かれたわけです。リトと油絵ー黒と色彩、リアリズムとシュールリアリズム、古代と現代、闇と光、こうしたまったく対極的な作品が出来上っていくのをみたとき、はじめてこの映画はつくれると思いました。ということはやはり画面のフレームにスッポリ入る絵ならば、スライドの方がはるかに効果的なわけです。そして、富山妙子さんの物語の世界のリトだけでなく、富山さんのもつエロスとユートピア、解放の美学ともいうべきものとの両面がここにある…「なぜ彼女は筑豊・朝鮮をテーマにこのような暗いリトグラフを描き続けるのか、またそれら描き続ける彼女がどうしてこんなに美しい世界を同時に並行して描くことが出来るのか」という問いの間を往復できる。そういうことがクランクイン以前に私の中に出来上ってきました。

ー実際に撮影されたのは、油絵とリトグラフと大きく分けて二種類ありますが、作品は何点位ですか。
 油絵は五、六点。リトグラフは全部で四十点位あるんじゃないですかな。

 如害者の顏が描けるかどうか

ー「はじけ鳳仙花」を観た人は誰でも思うでしょうが、圧巻なのは加害者の顔を描けるかという、要するに自分たちの中の加害性の問題についてのやり取りが核心の部分ですが、そのやり取りは富山さんの絵の中から見つけ出されてきたものなのか、また、土本さん自身の中にそういう問題やテーマ性が以前からからんでいたのでしょうか。

 いまだに「加害者像」の問題解けないんだけど丸木さんの一連の絵の中で「南京大虐殺」という作品がありますが、これはお二人にとって避けて通れない歴史上の出来事を描く仕事であったわけで非常に苦しまれたと思う。この画の中で加害者としての日本人を描く場合、どうしても慨念としての、加害者像が行為の形をとって表現される。加害者のアクションー首を斬るとか強姦しているとか、そういったものとして描かれていると思います。日本人のひとりとしてその加害者を見るときそれが自分の”分身”とならず、「何とひどい事を」と考えるときから加害者が他在してしまって、自分の外にあるものになってしまう気がしました。「加害者を描くことほどむつかしいことはない」といった意味のことばを俊さんから伺ったことがあり、そのことがずっと頭の中にありました。
 それはさておき、今度も日本の加害性は避けて通れない問題です。更にゆきつくところ、日本人の加害者としての顔はどんなものかということにつきあたります。まず日本の加害の説明シーンに、写真や実写を加えようという意見もありました。今度はそれを一切使わないで絵の表現だけでやろうと決めました。やくざや天皇の写真などのコラージュで加害性や加害者像がでてくるのではないかと試みましたけれど、やはり慨念になってしまってものがでてこない。つぎに朝鮮人を酷使するリアルな場面がストーリーにあります。そこで描かれたのか日本の憲兵の顔なんだけど、その憲兵の顔には歌舞伎のワルの目とか明らかに外国人がときに論張する出っ歯とかほほ骨のつきでているといった日本人の骨格的なものがデフォルメされている。さすがに強烈なプロフィールで加害の表情が描かれたが、それでもやはり慨念をぬけ出ているとは思えなかった。風景というか光景というか、そういうものの中でなら加害者像が描けるだろう。たとえば朝鮮人を酷使しているかたわらで、少女がネンネコで子守りをしながらそれを見ている。加害者とか何とか考えてもみずにそうした光景に慣らされていた戦時中の少年少女像が一枚の絵の中にあったらどうだろうなどと話しあった。しかし単的にいえば加害者の顔が描けるものかどうかが今度も新しい自問自答としてありました。では僕の顔を描いてみませんかと、普通の顔でも、ああいう風な情況の中で加害者になりかわってしまう類のものではないでしょうかと、彼女にぶつけてみた。朝鮮人坑夫の受難の身の上はなし、その一枚一枚の朝鮮人の顔に、自分の平均の日本人的な顔が登場し「コラ!、キサマラ!」とどなる声が重なるだけで一転して加害者像となるといった恐ろしいハプニングが出現しやしないかと思ったりしました。結局加害者像には顔だけでは描けない何かがある。これは富山さんもいっている通り、冷たい顔も描けるし、卑屈な眼とかいくらでも描けるけど、「加害者という顔」は描けない。そこのところに至ったときがドクターストップみたいなものでした。

ー映画の感想になりますが、富山さんと土本さんの対談の中で、加害性の追求というのがある訳ですがそれが反映されているのは李札仙さんの語りの中にあるのではないかという気がした。それは李札仙さんのこの映画に対する理解の深さと、彼女自身の歴史に由来するものかと思いますが。

 あの人は日本生まれで朝鮮語をうまくしゃべれないけど、肉体にはものすごく強い被差別民族の性といったものがあって、芝居をやっているからよけいにストレートに残っている。びっくりしたのは特にあげると二箇所ある。まず口づたえの歌として、「娘という娘は遊廊に売られてったよ…」とか「ちょっと口のきける奴は監獄にいったよ…」とかといういわゆる「身世打鈴」は、ただ言葉として残っているだけでその歌のメロディーは結局分らなかった。私は高橋悠治さんがテープをもっているものと思い込んでいた。おそらく呟くような歌という、口ずさむ歌というものの、その雛型がない。さて本番になって彼女に、何とか節をつけてうたってほしいと注文した。ひどい話です。彼女は気が動転して、あとで聞けば、ちょっとトイレへ行くふりをして帰っちゃおうと思ったらしい。もうできないからって(笑)。しかしそうもできないとまた帰ってくると、たまたま青山録音の本間さんや永川さんたちが韓国で発売されている読経のための木魚のテープをみつけて、それをイヤホーンで耳に流してそれでやってくれませんかと言ったら、即興で口ずさんでリズムと言葉と思いを巧まずして唄いだしてくれた。これは日本のどんな友人を使っても出来なかっただろうと思う。まったく李礼仙さんでなければでてこない声だった…。もうひとつは憲兵の怒鳴りちらす声シーンです。彼女はバネ仕掛けの人形のようにいきなり椅子からとび上ってつっ立ち、マイクから離れるのもかまわず直立不動の姿勢で発声したんです。そのセリフの転換のとき体が自然に立ってしまったのだと思う。全くナレーターとしてではなく役者としての肉体をふりしぼって憲兵の姿を叫び出した。こういう場合日本の役者だともっとナレーターとしての技巧でせまっていくと思うけど、そうではなく体でビシッとなさったから、私はただ者でないと感じ入ってしまった。

ー清水良雄さんのキャメラについては…。

 非常にフィーリングを把む人ですねえ。フィックス(固定画面)のキャメラというのは誰でもそんなに差はでないだろうけど、どこからどこまでカメラを移動していくかというときカメラマンの質がきわだちますね。彼は今までずっとシンクロ(カメラと音の同調)撮影で対象をまるごとつかむ訓練に熟しているせいだと思うけど、絵に向ってもある種の対話をするというカメラワークを発揮してくれたと思う。
 それから今回は照明の参加が大きい。今度劇映画の照明家、加藤純弘さんに頼んだ。彼の仕事は画の本質や劇性を光で彫刻するわけだね。その照明には解釈と批評がある。どこはどこより明るいか、どこはどこよりぼけていなければいけないとか、そういった解釈を自分でまず決めてやってみる。その照明を私が批評する。さらに彼が新たな解釈を呈出するといった風にー。だから照明とキャメラは現場で非常に面白かったですね。だから私自身のコンテについても、してないけど、この絵をこう撮ったらきっとこういう詞がのるだろうという風に。ストーリーで決った言葉をのせるために絵を分解するだけでなく、こういう風に照明されて浮かびあがった絵を、こういう風な流れで撮っていったら、こんな音楽がのるんではないかー。ここは沈黙で耐えうるのでは…とか、僕自身がほとんど白紙で絵を前にして現場で映画のストーリーを考えられた。そういう面白味があった。劇映画と一緒だなあと思ったですよ。小さいけど、そして相手は黙っているけど。

ー撮影に入る前どの位コンテができあがっていたんですか。

 コンテは全くなかった。富山さんの原案をもとにしたシナリオの言葉は多めにはあっても、ギリギリのエッセンスとしてしぼられていなかった。ただやった作業というのは、彼女が作り出した詞・物語と、僕が書くべきナレーションを書いた。彼女の詞の部分は二、三度筆写した。そこで彼女のいいたい詞の裏を辿ったというだけです。富山妙子さんの語りの部分とか、ポエティックな部分、それから尹東柱の詩を口ではなく何辺も写経のように手で書いて、何故こんな風な言葉がでてくるのかと、そのフィーリングを把もうとしました。

ー撮影の現場には富山妙子さんはいらっしゃいましたか。

 ええ、もうしょっちゅう来て色を直したりね。

ー富山さん自身も絵の分解のしかたとか、照明をいれたときの絵のみえかたとか、普段の自分の絵とは遭う体験があったろうと思いますが。

 そうね、私はそれは絵描きさんがそれに気付かれたからといってどうってものではないでしょう。つまり絵は絵描きさんの所有している自らの絵と、その絵を理解し、批評し、感応を深めていく過程の僕は僕だからね。だから絵の照明のあてかた次第で、「私の絵こんな風だったかしら?」と富山さんは驚くけれど、それが映像なんだね。フィルムは光を通して映写され、スクリーンに投影されるものでしょ。絵と映画に写った絵との間には映像化という人手が入っているから、悪くなることと同様に光の特有の発色とかキャメラワークで全然別の特有な質をもってくるのは当然でしょう。

ーしかしそういう場合、最低の確認事項というか、土本さんと富山さんの間でなければできないだろうと思います。作品の好き嫌いを超えてもうすこしテーマの部分で、お二人はここ二年ではなく、ある種の長い歴史がある。

 それはあるし、根の太いところでの信頼関係がある。ズケズケお互いに言い合えるという所まで来ているのが前提です。やはり富山さんは同じ世代に容易に見出しがたい人だと思います。自分の絵描きとしての変革の原点を求めて炭鉱に行ったり、リトグラフという手法に沈潜してみたりー。在日朝鮮人の問題にしても絵描きとして超えねばならぬ自律的テーマまでに高めておられる。しかも行動的で政治的実践の中でもたえず絵描きがなんで生きるのかということについて、彼女は非常に珍しいくらい自分自身を実験台にしてやってこられたと思う。画商に支配される絵描きというもの、「売って下さる」あるいは「展示場を貸して下さる」という画廊に対する”配慮”などにたえず批判的だった。そういうところから直かに人に見せたい、自分の作品を人々の中に運んで行きたいと思うー。油絵だと作品は一枚。売ってしまえばもうなくなってしまったも同様でしょう。それがリトグラフにひかれた理由の一つだったといわれる。リトなら数十部刷ることができ数十人に手わたせるーそれが更にすすんでスライドにして自分の詞を加えて沢山の人にメッセージを伝えたいと思い、それを果たすー更に、その次には映画になっていくーこういう進展に無理がない。表現者として運動の中でつかんだ直感が彼女のジャンルを自ら破壊していく力になっている。そこに私たちも運動の新しさを感じる。ひとりの絵描きさんが小さなアトリエの中でコツコツやっている個的な作業がどこら辺まで広い世界につながっていくものなのか。油絵からリト、スライドから映画へという次元の飛躍はとても具体的でアクティブだ。そういう意味で、富山さんの考え方はまことに原則的だと思います。だからこそ同じベースでズケズゲ言えるのです。音楽家の高橋悠治さんも彼女のその作業の本筋について極めて明解な理解者なんです。

ー高橋悠治さんもかなり早い時期から絡んでいられたのですか。

 高橋さんはこの作品活動のもうひとりのプロモーター(推進者)でしたね。つまり絵・詞・音楽の映画だということで、場合によっては音楽を先に作ってもらって、その音楽に触発されて飛躍した絵を描いてみたいという希望もときにありました。「絵描きというのはせいぜい一人の発想だから集団でやるには先に音楽が欲しい」ということでしょうね。けれど高橋さんは映画の時間芸術性をもっとよく知っているから、最終段階で音楽を重ね、いわゆる”掛け算”をする方法をとられた。それよりもっと大切な助言を高橋さんはしましたね。
 彼が一番彼女につきつけた問題は「映画のために絵を描くな、あなたの一番描きたいものを描け」ということでした。絵画と映画のちがいを単的に作家にのべたのだと思いますそのことがあって油絵の大作が三点四点とできてきた。この作品の本当のプロモーターは高橋悠治さんだというのはそこですよ。ある意味でその話し合いの時は凄絶でしたよ。(笑)非常に親切なひとですよ。

 この人には韓国人民がのりうつっている

ー高橋さんは今回全部オリジナルの作曲ですね。演奏は二人で、三宅榛名さんと漬っておられますが。

 榛名さんは女性にしてはものすごくダイナミックだし、彼はまことに天才的に深く繊細な響きをだしてくれるから、両方のそういう音楽的存在が面白かったね。同じピアニストであれだけ演奏のスタイルを異にしながら、それぞれ競い合ったというか…。
 こういうことがありましたね。僕の頭の中に、富山さんがふと漏らされた「…私は、生まれ育った中国や朝鮮時代の日本人を憎んできた…」という言葉がキイワードとしてあった。彼女は全斗煥が来日の折、それに抗議する大衆集会に行ったり、渋谷駅頭に立って生れて始めて千人をこえる人々を前にして、自分の考えを述べたり、デモの中に自分をおいた日々があった。その直後に一気に書いたノートがある。そうしたノートは私にとっては”原作”扱いをしてきたものです。それは日帝支配から戦争までの今までのストーリーに加えて、現代の在日朝鮮人への差別と南北朝鮮分裂への悲しみといったものまであふれる想いのまま書き切ったものだった。文章です。これに照応する絵は当然ないわけです。そこで「これを映画にするのは不可能です」と言いました。映画のクランクインの数日前のことです。「今までのストーリーの作品化でも二年かかったのに!」と思うと、先ゆきが見えなくなってしまった。しかし文章としては力感にみちたものがありました。ただその中で気になり、そして面白かったのは、彼女がふと書く文字に、「韓日人民」という、日韓ではなく、通常韓国の人の文章にある「韓日」になっているー。日本だと日韓というのが当り前なんだけど、それが僕には衝撃的でした。「この人にはもう韓国人民がのりうつっている。」私はこの作品はあくまでも日本人にむけて、かつての歴史的な植民者・支配者としての歴史皮質をはぎとるものだと思っていましたから、主語は日本人でなければ成立しないわけです。そこで「あなたの中の在日日本人はちがう」と私はいいました。国籍の別ではなく歴史主体の責任の所在としてです。しかしこういうことがあって一挙に問題意識のちがいが分りましたし、その彼我の衝突が映画の前半の底流になったと思います。彼女の”わが朝鮮”への思いの深さが言われてみて分ったし、私も又とらえ直してみて自分の見えてきたもの、感じてきたものをすなおに富山さんに映画の中で問いただすことがでてきたと思う。いわゆるものわかりのいいインタビュアーていうのは駄目ですね。自分の疑問やこだわりを問いかけ、そこででてきた緊張関係を映画として拾い上げていくというのがどうもドキュメンタリーの基本だと思いましたね。

ー「はじけ鳳仙花」を観て思うのは、土本さんはやはり映画を作りたいんですね。今回の場合、題材は富山さんの絵である訳ですが、映画が作品として完結するときには土本さんの世界になっているわけですから当然のことながらそういう意味では自分の映画を作ってしまうことになる。映画のためにエゴイスティックに富山さんに絵を描かせたり、しゃべらせたりすることがある。とにかく映画を観てもらってさらすしかないわけですけど……。

 私のこだわり方によって富山さんがより深く理解されると思うんです。彼女が一枚く描いた絵の顔がどれだけの思いで描かれたか、逆に描けなかったことであらためて描くことは何かを知るといった形で。僕のエゴイズムというのはある集団作業の集約とか作品の完成度に向けての映画的要求というか映画的欲望そのものでしょう。それは”土本の世界”とかではなく集団作業の中でかならずあるプロセス、つまり内部の運動を見えるものとしたことだと思う。その責任は平均に分担できるものではない。少くとも私の個有の責任と快楽だと思う。それがあるかないかということでは、今度の場合は今までよりも自覚的にあったでしょうね。

ーそれがないと逆に作品にならないわけですね。

 ならないですね。僕はこう見たと断言できるものを映画の中でさらけ出していく、やはりこれだと理解した道すじ、感動の道すじを出していく。それがやはり映画だと思います。だから絵というものは一枚の作品ですら、一冊の本が書けるくらいのことがある、一日その前に立ちつくすこともある。けれど、映画というのは時間芸術だから、その絵を見る時間は何十秒、何秒刻みです。それを私はしてしまうのです。ある一定の時間の中で確実にその絵のもっているものは何か、その絵の心根を私なりにつかんでこなければならない。それ自体独立した表現力をもつ絵(作品)を映画的時間に組み構成するのですから映画という方法を選んだ以上、必然的なエゴイズムといえるかも知れません。それは富山さんにも解ってもらえたと思っています。

ー土本さんの作品には「水俣の図物語」という丸木さんの絵を撮った長編の映画があります。あのときと今回とでは、時間の経過が何年かあったわけですし、水俣の現実をいくらか知っている僕にとっては今度の「はじけ鳳仙花」の方が映画として面白かったんですね。50分弱の上映時間の中で充分に楽しめたというか、その中で色んなことの発見がありました。

「水俣の図」というのはいかに描くかという絵自身のテーマ、それからいかに水俣をとらえるかという水俣と描き手との関係性のはらむドラマと太い二つの流れがありました。絵は現実を模写することではないはずですから想像力だけで作品を描くこともできます。しかし丸木夫妻は水俣をその目でみて、人に会って、その事件そのものの本質を描くと決めておられた。僕も多少とも水俣に関っているものとしてどういう風にその絵が表現されるかということに人事でなく、埋没せんばかりの加担が頭からありました。その”お助けしたい”気持ちから目配りするところが多過ぎて、そういう点で映画としての圧縮・燃焼が少し足りなかったかなと今思います。しかし絵を生み出す過程をとる楽しさは実にありましたね、あの作品は。

 劇映画と記録映画

 映画をいろいろ考えてみますが、その表現性からみると記録か劇かといった区別ではなくて、最終的には「映画」というところに落ち着くという感じがします。今回なんかそういうことではなかったかな。だからなぜアップを撮るか、なぜトラックアップ(近づいていく)かという時、劇の場合は対象が近づいてきてくれるということがあるけど動かない絵の場合、カメラが近寄っていくわけですね。その時、俳優が歩み寄って来るスピードにもいく通りもの速さがありますね。こういう風にカメラに寄ってくれというのと、あるいは対象にキャメラがこういうスピードで寄ってくれというのと、つまり役者に求めるフィーリングとキャメラマンに求めるフィーリングと同質なんです。その動きには絵の変化を期待する創作力があるわけでしょう。私は劇映画の経験をもっているわけではないから、自分で撮りながらカメラワークにしても照明のしかたにしてもまるで劇だなと思ってしまう。ひとつの絵の中で、ステージの上で白鳥の湖を踊っている人にスポットがあたっている…、それが見えれば全部分ってしまうように、一枚の絵の中の一部分に心理的にキイ(鍵)になるディテールを浮び上らせることで、やや暗部の周辺が更に深く読みこまれるといったような照明のあて方は、そういう意味ではステージもキャンバスもどちらにも共通したものだと思いました。
 一方絵描きさんはそういう照明をあてて絵を描いているわけではないし、どのディテールも、他のディテールと関連し、つながっているものでしょう。絵描きはやはり絵の中での筆の旅をしているのだと思う。時間を重ねぬりした旅であり創作上の葛藤のプロセスの定着だろうと思うひとつが描けたからひとつが描けていくかもしれないし、こう構成しようと思っていたものの否定と飛躍が快いまでに描く人をかりたてているのかも知れない。それで出来上っていく。だから部分で自作を見ることは本来ないでしょう。しかし、映画の場合フレームで切りとらざるを得ないし、核心に照明であててしまうのです。

ー土木さんの劇映画に対する興味というか、これからについて。

 さきほどからの話でいえば「劇」映画をその「劇」だからとりたくないとか逆にとりたいという意見にはなりません。しかしいわゆる「記録」映画ではどうしても表現しがたいものが現われた場合は、「劇」映画的手法をとるでしょうね。予感と想像力の世界は「劇」映画によってより表現できるように思うからです。でもまだ一本もつくっていませんから、語ることに乏しく残念ですね。

ー最後に一九八五年これからの映画について。

 考えてみたら僕が最初に水俣へ行ったのは丁度二十年前なんです。全く二十年前の1 2月に水俣へ行ってるわけ。だから僕の映画生活の三分の二が何らかの形で水俣に関わっている。水俣は本当に僕は色んな手法をやらせてもらえたと思う。我々のもっている青林舎のやはり骨肉です。二十年三十年の歳月が流れた今も水俣は数千人数万人の被害者をのこしたまま埋め去ろうとしている。これ自体、映画のテーマとして尚、謎めいており、私を不知火海にひっぱり続けるものです。もうひとつはわりと自然体みたいに映画のことを考えている動物的なところが僕にはありますね。フィルム・アニマルみたいなところが。何か話があればそこでこれはどのようにして映画になっていくかなど、テーマを胎んでしまうところがあって。「海盗り下北半島・浜関根」の場合もそうです。だしぬけの話が今後いくらでも起きてくると思う。それにはそれなりの出逢いとキズナはありますから、だしぬけに受けて立っていくことが今後もあるだろうという気がします。一つのテーマをあたためつづけたというような「構想十年」なんて話を聞くと僕なんかびっくりしてしまって、嘘つけみたいな気特がありますよ。こだわり十年なら分りますけど。

ーやはり記録映画ですか。

 いわゆる記録映画に内在する発見性はたまらない魅力ですね。むろん映画機器、録音機器の進歩に負うところも多いし、最近の16ミリカメラなどはその設計者が作り手の能力や夢を先取りしている趣きさえある。「カメラに負けそう」みたいな気がすることがありますよ。だから作り方の冒険と飛躍を作り手は鍛えないと、申し訳ないですね。活字だけの「原発切抜帳」とか今回、リトグラフでの物語映画をつくってみたりしているのですが。何より記録映画の優れた点は、その製作のプロセスの創造性とスタッフワークの自在な結びつきの生みだす表現の豊かさでしょう。それだけの若さというか未開拓の地がドキュメンタリーにはありますよ。まだいまトバロだという気がします。