映画「銃と革命と」アフガニスタンの今日像についての中間報告 及び 今後の課題 企画書 <1985年(昭60)>
映画「銃と革命と」アフガニスタンの今日像についての中間報告 及び 今後の課題

Ⅰ、1985年アフガニスタン平和友好訪問団活動としての映画記録。
同年、4月26日より5月6日まで、4月革命記念パレード(祝賀)を中心に各所の見学を記録したフィルムは約1時間とまとめられた。
内容は
①変わり行くカーブル街の(旧バザール、旧い町より、新しいアパート群の建設、革命記念館での反革命ゲリラの武器。
②イスラム寺院での金曜日の礼拝風景。
③識字学習運動(アフガン銀行の従業員へのダリ語教育、及び 拠点地区で英語教育とリーダーのインタビュー)
④孤児院(ワタンナーサリ)での幼児より学生、生徒の学習、生活風景、給食と幼児保育まで。
⑤革命記念日のパレード、人びとの結集状況から、カルマルの演説、国軍のパレードにひきつづく20万人のデモと祝賀の声、これにこたえる指導者と民衆の表情など
⑥郊外、農民(KALAI AHMAD KHAN)の農民の自衛についてのインタビュー、土地の権利書を手にした人びととその耕作風景。
以上は5本の二分の一のVTRにして「アフガニスタンを知る会」「在日アフガニスタン大使館」「桜美林大学」等に配分された。
尚5月10日TBS、TV朝日のニュースに革命記念日パレードが「落ち着きをとりもどしたカーブル」として3分間全国報映された。

Ⅱ、TV各局への働きかけ(TV企画案『中央アジアの高原から―アフガニスタン探訪記』
前記、訪問の前より、私たち映画関係者三名は「取材の許可」についてのアフガニスタン平和、友好、レンタイ委員会の好意にむくいるべく、上記映像を第一段階とし、それをプロモーション用フィルムとして日本の各TV局に本格的ドキュメンタリー番組の制作をうながすべく活動してきた。
正式に企画として討議されたのはNTV、TBS、テレビ朝日(東京)朝日放送の四社である(他にNHKにも働きかけたが企画に至らなかった。その企画は一時間、もしくはそれ以上のスペシャル番組もしくはドキュメンタリーレギュラー番組用とし、2500万円制作費、2ヶ月の現地取材を条件としたものであり、その製作を決めなかった(今日までののべ20回におよぶ会合もった)

Ⅲ、新聞メディアとの共同取材の提案
このたび「アフガニスタンの今日」を報道する番組の企画うりこみ中で、アフガニスタンのゲリラ活動、ソ連軍進入への報道が、そのニュースの断片(売り買いされるニュース、ゴシップ)が数年間つづいていることを知り、真に建設にとりくみ人民民主革命国家としてのアフガンの紹介がここ2~3年皆無に近いこと知り、新聞社の努力に疑問を抱いた。
一方、このことがTV局のアフガニスタンへの無関係とつながっていると考え、比較的進歩的と思われる朝日新聞に対し、彼らは系列のTV局での番組制作への共同した働きかけをのぞみ、その実現のあかつきには、アフガニスタン大使に対し、「今日のアフガニスタン、人びとの生活と社会建設」を主題とする共同取材を願い出ることを新聞社側に助言した。
朝日新聞は「共同取材」の範囲内で、私たちの焦点とする「生活を社会」の取材の熱意をしめし、系列TV局に、私たちの企画実現を働きかけたが、すでにのべたように、結果として企画は成功しなかった。
この間、朝日新聞は私たちの「平和、友好、連帯」運動のもとでの映画記録活動に協力であっただけに、日本のTV局の閉鎖的な姿勢に私たちと同様、つよい不満と落胆をみせている。

Ⅳ、TV番組についての基本的見解と不成功の原因
私たちが「今日のアフガニスタン」の映画記録の発表メデイアをTVにめざした理由は、いわゆる「ソ連軍進入下にあるアフガニスタン」「反革命ゲリラと戦闘をくりかえすアフガニスタン」といったイメージの流れを変えるためには、全国的放送をもつTV局での報映がもっとも速く、広く、かつ、今後のアフガニスタン報道の視点を人民の側におく転機そして印象づけるのに必要であると考えたためである。
今日アフガニスタン政府を認めない外交方針を実質的に批判し、日本アフガニスタン両人民の間にテレビを通じて路をひらき、誰にもしたしめる文化の交流の糸口にしたいと考えた。
だが結果的に不成功におわった。ほとんどの局の理由は反ソ、反社会主義的な意識にねざしているが、テレビ朝日のように、首都でも反革命ゲリラ地帯でも、「自由に」取材できるもので、TV局自身で取材することができればという条件であった。私たちの取材とは別の取材チームをたて、私の演出、構成をみとめないというものであったので、私の方から拒否した。そこには「平和、友好、連帯」をベースにしたドキュメンタリーの精神は見出せない。そこにあるものはニュース性の独占、と、反革命ゲリラとの戦いのテレビ、ショウ化しかないと思われたからである。

Ⅴ、今後の課題
以上の経過をへて、私はTV局へのプロモーション、かれらの番組の形での映画製作体制をやめ。自分たちの可能な資力、独立自由な製作態勢と私たちの手で新たな上映と公開、そして日本国内、海外への配信のみちをえらぶほかないと考える。そのために最も友好な上映運動を考え、フィルムのひろがりをもつ方法を検討するつもりである。
日本におけるアフガニスタンへの無視、無関心がかくも体制的にできあがっているのを知れば知るほど、私たちの手で「日本における新しい情報秩序」をつくり、それを新たな国際的情報秩序の一環として役割をつくり出さなければならないと考える。

今回、私、土本は、本年四月に取材したフィルムをもち、その紹介と今までの活動の報告をするとともに、あらためてアフガニスタンの平和・友好・連帯委との協力関係を強化し、今後のドキュメンタリー映画の実現にむけて協議の機会を得たいと思う

この間、支持をあたえていただいた貴国の人民革命党、及び諸機関に感謝とともに駐日アフガニスタン大使の厚い協力にお礼もうしあげたい

1985年7月 日
85年度アフガニスタン訪問団映画チーム
代表 土本典昭(高岩仁、一之瀬正史)

アフガニスタン平和 友好 連帯委員会御中