第13回8ミリビデオコンクール評 脱皮する全逓映像-その13年目のいま 「シネクラブニュース」 7月20日号 小川町企画
「他人に見せる映画はプロのしごと」として「ただ作るのがたのしみで…」という時代は「全逓映像の会」にのりこえられようとしている。活火山的な雰囲気を今回の研修合宿で感じ「8ミリ映画コンクール」から1 3年、組織的な文化サークルに見事に脱皮しつつある。
自分たちの職場、同じ地域に生活するものの眼でとらえた自信がみえる。働くものの視点で眺めれば素材は身近に発見できたのだというリラックスな感じさえある。
国鉄解体の年、かれらと戦友感を分ちながら、自分の職場、地域へのこだわりを描いた作品群が今年の特色であろう。
職場での激しい闘いの映像は、その対象とする現実の変化に比例してなくなった。「何を撮ればこの気持が充たされるのか」を模索する数年がつづいた。出品作2本という年もあった。しかし、いま射程の組み替えと表現への意欲が機関誌「全逓映像」によってかきたてられた。さすが全逓だとの感がある。
若手の登場として昨年「ああ営業時代」で職場のつらい状況を文化祭の劇で笑いとばした仲間たちを描きながら、自分たちのへマやチョンボをさらけ出し、二重のドキュメントを見せた中野義孝(広島・備西支部)は、第2作「俺たちの夏」で夏の島あそびと職場の活動をひとつに描き出した。
「仲間から外れていくY君」とコメントしながら、Y君を誘うでも、話しかけるでもないことは映画としては難であるが、このY君のシーン残すことで、次回作がはじまる予感がするから妙だ。「必ずいっしょになるさ」といった楽天性が演奏シーンなどに若々しい。
ビラまきまでして街中で催した「全逓映画大会」に来てくれた市民はたった2人「そのうち一人はうちの兄貴」というあけっぴろげさが良い。映画づくりが人との関係をつくり、組合を活きかえらすことをこの人は知っている。それがこの映画の元気印たる由縁だ。
巻頭ベートーベンの第九で始まる「狂気のクーデター・マニラホテル一九八六」(福岡貯金支部・小川保博、樋口清子)は、遭遇した事件のスナップで構成している。宿泊していたホテルでの強烈なアジア体験が作らせたものだ。絵も音も不足を承知の上のアッピールであるが、このジャンル(映画)で発言するぞ、という意欲は次に生かしてほしい。
初出品「ながしびな」(83年)いらい8ミリ愛好家から映画記録者に変貌し、昨年「雪」で郵便労働者の原像に迫った福田好一(京都・中丹支部)は、焦点を彼の地方の国鉄廃体を描いた「瀬戸際の宮津線」を発表した。
新聞のカットを切りぬいて動画化したり、第三者にも分るよう地図上の紹介も加えて、わが町のローカル線廃止に追いやるものを探っていく。「住民も見棄てた…」という小駅の駅長の率直な声が痛い。
その痛さを共有しつつ、利用者のまばらな車中、改札口を通る老人の孤影を見る。旧式の単線通行ゆえ、安全確認や転撤作業に同じ労働者の眼がゆきとどく。風景になじんだ馬車を遠く近くあらゆる角度で追う映像に電車がやがて人間のように見えてくる。
惜しまれるのは住民の声の録音のあつかいである。画面と同様、音声も、もう一度叩いてしあげることが大切だ。音の協力者を探し、スタッフを作り上げてほしい。
「松花江」は日本軍の残虐行為を見る旅の記録である(静岡地区・池田茂雄)。めまぐるしいまでに苛酷な見聞をつづったあと、松花江の夕陽の長廻しをみせる。観るものに反芻の時を与える極めて主情的かつ知的なカットであった。
「スマイルズ・スマイル」は映画記録の欠けた研修流行ってあり得るかと思わせるに足りるレポートであった。流石である。
13年にしての節目-「水行歌」が未完の傑作としてある。そしてこの十三年、全逓映画史を綴った各地のベテランの再登板と若手のエネルギーの合流が望まれるのだ。
(87・4・30)