合作映画『眠れる泉<カレーズ>の復活』(仮題)撮影記 上 残された選択に賭けるアフガニスタンの真情 ノート 配信 8月9日脱稿 共同通信社 <1988年(昭63)>
 「アフガニスタンに映画を撮りにいく」というと、先ず「危ないでしょう?」と聞かれる。九月から第二期の撮影を予定している。多分その時期の旅はさらに危ないのではともいわれる。五月中旬のソ連軍撤退にあわせた四十日のロケーション前後からこの間の首都カブールにはゲリラ側の砲弾が雨霰のように降りそそいでいるかのように報じられているだけに、その質問はもっともだ。撤退前後から七月半ばまでの二ヵ月半に「ミサイル百六十七発、迫撃砲弾三十発が撃ちこまれ、六十三個の(仕掛け)爆弾が爆発し、その結果百三十一人が死亡、百七十人が重軽傷を負った」(ナジブラ大統領TV演説)という。アフガン滞在中、大統領府に近いホテルを定宿にしていて、爆発音を聞き、硝煙や被害現場を見てきた。「爆弾だ!」。スワッと街を見にいく。だが人々のあるき方もバスの運行も乱れることはすくない。慣れっこといえばそれまでだが、ゲリラ側の動きを読んでいるふしがある。戦火の場となったらすぐにも逃れる術を知っている人々だからだ。この人々の読みになじむと、危ない感じが色褪せてくる。運不運の話になる。
 「どうせぶっぱなすなら、民衆に無差別に被害を与えずに、狙いを絞れ」と知り合いのセキュリティ(安全警備担当)は怒る。政治軍事の重要拠点ならまだ分かるが、と言いた気だ。人民民主党の活動家だが、彼はどっかさめている「それにしても、最近は比較的弱い弾を使っている…外国むけのニュースにしたいだけだ」ともいう。反政府ゲリラはカブールを戦場色に染め上げて見せようとしているのだろうか。援助費がらみの話ではある。ゲリラ側はミサイルや迫撃砲を夜陰に乗じて市を射程におく山に運び上げ、タイマーを数時間後にセットして姿を消す手口がもっぱらだ。これでは照準の定めようもないだろう。だが、爆薬を仕掛けた車をバザールなどに置くのはイスラムの聖戦意識に照らしていかがなものかと思う。爆発現場で負傷した少年の答えたように「糞まみれの親爺の馬鹿息子(アフガンでは本人への悪口より強い罵り)」ということになる。「ソ連軍が居なくなったら、もっとヤバクなるよ」とも言う。そのソ連軍もこの八月、カブールからの撤退を発表した。市民の選択は前にも増していまの現政権の掲げる「国民和解」政策でしかなくなる。帰ってくる難民も「ラジオでこの政策発表を聞いて…」と判でついたように答える。カブールは城塞都市であることで、戦場の地方農村部から、数百万人の「国内難民」が避難、流入してくる。かって八十万人の都市だったカブールは現在人口五百万にまで膨脹しているという。だとすれば、国内難民の難儀は、パキスタン・イランに去った難民とどれだけの違いがあろうか。現政権の急務もまた全国の主要都市に流れ込んだ農村難民の安全保護にある。その難民への無差別テロはまさに「兄弟殺し」(ナジブラ大統領の表現)そのものといえよう。「『聖戦』でも、愛国の戦争でもない、実態は兄弟同士の殺し合いだ」とする、いわば身も蓋もないこの表現こそ今のアフガンの人々の真情ではなかろうか。この春のジュネーブ協定以後、内戦は兄弟の死闘でしかなくなった。ソ連軍の撤退はあえて激闘を繰り返した国境の州から始めた。政府軍は一方的停戦の旗を掲げている。協定以後、反政府ゲリラのパキスタンからの出撃はできないことになった。反政府ゲリラは国境の内側に反撃基地を急増したがさしたる戦闘を経ないで作れた。うらでのパキスタン政府の演出なしにはできない建設規模だ。それを横目に撤退はすすむ。この図式はアフガン政府が「話し合い路線」に賭ける自信と展望があっての上の選択に思えるのだ。