『遺産と和解』演出ノート 1 1988/4/23 ノート <1988年(昭63)>
『遺産と和解』演出ノート 1 1988/4/23

1)作品の背景・期間について。
(撮影・第一期=本年4月末~5月末、第二期=8月末~11月末、89年3月完成)

和平のスケデュール
*新憲法下の国民投票を4月13日に終え、30日以内に第一回国会招集(憲法第86条)…5月30日の予定。反政府勢力と難民の議席分を空席にしたまま(229議席のうち30%を反対派に与える用意と朝日新聞の質問に答える)
この国会で大統領は閣僚会議(内閣)を構成し首相以下閣僚(28名)を決定することになる。(ナジブラ大統領は反政府勢力に首相以下いくつかのポストを用意、と言明している。
*反政府ゲリラ七組織の政権構想「内閣28名。内、反政府勢力14名、難民7名、現カブール政権のイスラム7名」(88,2,23)

撤兵と難民帰還スケデュール。
*ジュネーブ和平協定により9ヵ月以内にソ連軍撤退。撤退開始は5月15日~89年2月15日まで。初めの3ヵ月間(8月15日まで)に50%撤退の予定。急ピッチであるなお5月16日は断食月の明けでありイスラム教徒の祭りの前後である。
*難民の自発的帰還に関するパキスタン・アフガニスタン2国間協定により国連難民高等弁務官事務所の当面の協力期間は18ヵ月(89年10月まで)
パキスタンの難民帰還への安堵感とうらはらにイスラム原理派各派の難民への足留めの工作は強まっている。(4月16日の難民らの10万人反「合意」集会がペシャワルで開かれている。その一方で帰国の動向を示すといわれるアフガニ(アフガン通貨)が一日で10%値上がりしている(4,14、ペシャワル)
*ナジブラ大統領「一方的停戦・6ヵ月」宣言、(当面88年7月15日まで)
今年の4,27「四月革命」記念日の祝典への外国人招待の急遽取り止めは、人民民主党の「一党独裁の否定」の表示と見られる。

戦闘状況
*反政府ゲリラ七組織はジュネーブ合意を認めず、戦闘継続を宣言。イスラム原理派系4派(イスラム党、イスラム党ハリス派、イスラム協会、イスラム統一体)
穏健派は3派(イスラム革命運動、アフガニスタン民族解放戦線、イスラム革命民族戦線)。暫定政権構想をめぐり分裂の可能性を孕む。
*戦闘の継続の意思表示として4,11、反政府勢力旅客機を撃墜。同日パキスタン武器庫爆発。原因として、事故説とアフガンの秘密警察説あり。
*国内反政府勢力の各派はいまのところ動いていない。
ナジブラ大統領は4,16「辺境地域の治安のため、部族が自らの武装組織を作るのを援助する」

武器援助・米・ソ継続問題
*ソ連「1922年以来の両国の歴史的経過とアフガン・ソ連相互協定にもとずくもの」「米国にパキスタンへの軍事援助を止めよと迫るにひとしい」
*米国、国防省筋の強硬意見を考慮しつつも、合意の妨げとなることは回避。
スティンガー・ミサイルについては供給停止の決定が2月末にだされたとの報道。(3,26ワシントン・P)イスラム革命運動のモハマディ、裏ずけ発言。
米国、3億$の秘密武器(TOW対戦車ミサイル、対戦車高性能砲など)供与決定…パキスタン経由で。サウジアラビアも同じ量の武器の資金を拠出(ワシントン・P)……アフガニスタンの内戦の構図が先取りされている点に留意したい。

難民受け入れ態勢
*「われわれは、いまだに騙され、脅迫され、不信の念に駆られている人びとが帰国できるように、家の入り口を明るいイルミネーションで飾り立てている」ナジブラ大統領のロヤ・ジルガでの演説(87,11,30)
*ゴルバチョフ書記長「1987年には3万人以上の反対派が政府支持に移り、10万人以上の家族が平和な生活に戻った。同様に11万人がパキスタン、イランの難民キャンプから帰国した(87,12,24)……帰還者の生活の報道のキャンペーンはオープン。*「帰還者の疑念を払うため、帰還者の住んでいた村落に駐屯している政府軍を移動する」(4,16演説)
*ペシャワル難民キャンプ(ジュルバザイ・キャンプ)「難民キャンプ設立当時、難民一人当たり一ヵ月に小麦15kg,食用油900g,砂糖600g,茶45gなどが配給されたが、いまは小麦をのぞいてはほとんど配給がなくなって入る。一人月50ルピーの現金支給も最近はとまったままだ」昨年から国際援助が減ってきたためという
…パキスタン当局。(4,14A)
*ハリプール難民キャンプ「男達の論争とは無縁の、夫には決して逆らわないイスラムの妻たちが、夫へ“早く帰りたい”とかなりの圧力をかけはじめた。『これはアフガンの部族社会では前例の無い事態です』とキャンプ関係者はいう」(4,15M)
*ソ連・アフガン共同声明(タシケント、4,7)の6、7項目でソ連は「難民のために満足のいく条件を作り出す上での援助」「ハイレベルでの協力」を約束。
*4月初めの一週間に400台の大型輸送部隊がカブールへ。3,25には1000台のトラック部隊がソ連・アフガニスタンの国境ハイラタンにはいった。大型輸送機アントノフ12のカブール空港への大型補給作戦が昼夜を分かたず行われている。西側は「ナジブラ政権へのテコいれ」と見ている(88,4,4A)
*ジュネーブ合意・「難民の秩序正しい移動のため、(国連の)混合委員会は国境通過地点を決定、出入国センターを設立。さらに、帰還を希望する難民氏名の登録(国連難民高等弁務官事務所、18ヵ月、あと延長は再取り決め)

国内治安状況、すなわちロケーションの可能性および移動の可否(4,15バハドール)
*カブール市およびその周辺20~30kmの幹線道路以外、自動車・ロケバスによる移動は困難視されている模様。
*北部高原のソ連国境に近いマザーシャリフ、シバルガン、ナイナマ。
西部低地のヘラート
以上は国内航空もしくは特別便でロケーション可能、ただしいままでのところ日帰りしか前例がない。
*カンダハル、ガズニ(南部)はわずかの可能性がありそうである。イスラム遺跡、その歴史的古都として重要だが、カンダハルは破壊が激しく再建中。
*シルク・ロードの主要経路、カブールより北上するサラン峠ルート、東に向かう
カイバル峠ルート、バーミアン佛跡をふくむ中央高地などはゲリラの活動する地帯で軍の協力なしにはロケーションは不可能と思われる。
特にパンジシール渓谷はマスードの支配下にあるといわれる。その点カピサ、ハッダなどの仏教遺跡は訪問が危ぶまれる。
*以上に見るとうりカブールのほか、内戦のため行動半径は極めて限定されている。

<要約と考察>
1)テーマの再確認と再検討
この映画を民衆サイドから記録することは大前提であり特色である。「民族和解」を中心的テーマとし、ひとつのドラマとして描く。その民族和解を日本にあって理解するには国家間レベル、政治指導者レベル、政権掌握者、反政府勢力の間の公的発言を分析し、理解するほかない。今回のアフガニスタン現地の長期ロケは、親しくリーダーから聞き取るだけでなく、国民(市民、労働者、農民、遊牧民、知識人)の各層、すなわち青年、婦人、兵士、宗教者など、民衆のレベルで「民族和解」にかける希望とその実現に向けての行動と行為を描くことを最重点としている。このことは企画の出発点から変わっていない。それを再確認しておきたい。
ただ対象を選ぶ場合の基準は決めたい。
「上」のひと、「下」のひと、そのいずれかを選ばなければならない場合は、無条件に「下」のひとを選ぶ。いま選挙によって民衆に問うていることを映画で描く…それに添った方法論だからだ。
だが「民衆」一般なるものは何処にもいない。現在、選んで描くべきは「これ以上の流血を許さない…“兄弟殺し”を終息させるべきだ」と真に考えるひとびとを求て撮影を集中し、テーマを積み上げる事だ。その立場性はアフガンの新憲法の思想性を読み取った感動に根差している。だからと言って、いまだ「憲法」を無視し、あるいは批判している反政府勢力、そのテリトリーのなかに在って、憲法の存在すら知らされていない難民や遊牧民、地方・辺境の人々を見落とすことは出来ない。「殺し合いを一日たりとも続けるべきではない」と祈っているすべての人びとの側に、この映画はその立場性を置いている。それはナジブラ大統領の次の言葉に学んでいる。
「国民和解という考えは、主観的な思いつきではなく、科学的な革命理論の成果で在り、国民の願いを体現するものであり、創造的な思考をかきたてるものである…著名な同胞マーモウド・タルジはその本のなかで『何をなすべきか』と言う疑問に答えて『国の統一を勝ちとり、戦争と流血にとどめをさすために戦え』と言っている。…我々は、平和のための闘いは、戦争を停止するための闘いよりも勇気を必要とする事実を知った」この言葉のうらにある新しい思考のもつロマンと楽天性、その勇気の質を思う。
「民族和解」には現代にまれなドラマが秘められていると予感させる。
再検討すべきはこもドラマへの思い切った傾斜・集中を試みることである。

2)「新憲法」の歴史的視点に立って。
87年11月30日に採択された新憲法は西側の報道ではベタ記事扱いである。反政府勢力はこの草案検討に参加していないことから無視しつづけている。1973年に王政をおわらせ、共和制を採用したダウド政権も憲法を公布したが「上からのもの」で機能しなかったと言われる。有名無実の憲法はこの国だけではなかったから、ニュース・バリューを認めなかったのであろう。だがこれは流血であがなったものであり、民族和解の「法」であり、聖なる約束として極めて現実的な創造的憲法である。公布、発効の日から「憲法の規定どうり」選挙、国会招集へとその手続きは守られている。何故か?極言すれば、国民の潜在的な願望、非人民民主党人士の立場、イスラム教徒の宗教的感情、民族・部族・地域共同体の長老の意思を可能な限り包みこみ、反政府勢力の要求・綱領をほぼ先取りしたものとなった。民衆はそこを見、同意し、行動した。
国名から「民主」の字句を削り、人民民主党の一党独裁のいささかの匂いも抜き去り多数党政治に転換し、国教をイスラムに定め、国会、とくに下院の権威を強化し、大統領を唯一ロヤ・ジルガで選出するといった「歴史的大転換」である。これ以上のイスラム的パターンはイラン型の宗教国家しかない。アフガニスタンにとってそれは歴史の退行でしかない。ともかくも四月革命いごの民主主義体験があっての上の現在だからである。だからである。だが、その「捨て身」といえるこの大転換にも決して変えていない原則がある。1)四月革命(反封建・民主・民族革命)の歴史的位置づけ、2)1921年以来のアフガニスタンとソ連の友好、ソ連軍の国際連帯の精神に基づく派兵への感謝3)人民民主党の和解政策における責任と指導性についての強烈な自覚である(党の綱領を現在の和解政策に添って改訂作業に着手)。

この原則堅持の姿勢を新憲法の討議の過程、選挙のなかで明確に示し続けた。
「妥協」による「連合」とはいえ、主体性を鮮明にしたうえで国民の支持を問うている。そしてこの原則こそ反政府ゲリラ七組織の“極端派”の武闘継続宣言の根拠となっている。「武器による戦い」ではなく、民主的運動の手続きをへて争われる思想闘争として提起している。人民民主党は「国民はどちらを選ぶか」と政治的反対派に問いかけている。その政治的スタイルはかってなかったものだ。新しい理念といえる。だが、この映画はその「理想主義」の行方を民衆の答え方で見る。「思想闘争」の一方に立たず、。いずれを選ぶかを、民衆の現実に見たい。つまり、ここで映画はあくまで記録の精神にこだわりたい。それがこの映画の存在意義の核心と思うからだ。

「武装した政治的反対派」をどこで、いかに描くか。
今回の撮影期間に何が起きても不思議はない。カブール市内にテロが起こり、或いはロケット攻撃もあろうし、軍事的非常事態もあろう。それはできるだけ記録する。
あるいは地方都市、農村の取材中に部隊規模の戦闘に遭遇する可能性もなしとしない。そうしたシーンは記録映画のひとつのバリューではあってもこの映画全体の「前置詞」の位置になろう。仮に万一、反政府ゲリラが一斉に蜂起しカブール占領という事態になったとしても、「民族和解」の試みの破綻、挫折として、直視し報道するカメラでありたい。

歴史的視点で今回のアフガニスタンを見るという立場にたつなら、それは一過性の出来事であって、「和解」という歴史的なうねりの一部になることはほぼ間違いないからである。今回、アフガニスタンに合作映画記録映画を呼び掛けた趣旨は、「和解」の現代史的な意味に心から感動したからであって、十年、二十年のあとになってもその記録性と映画的思考が色あせないものをめざしている。だから戦争・戦場がメインの被写体ではなく、戦いを終わらせようとしている人々の和解への願いと行動の記録がテーマである。それがいまなら撮れるし、撮らなければならないものである。
では和解の相手である「武装した政治的反対派」をどこで、どうとらえるか。
ペシャワル(パキスタン)においてか、アフガン国内の彼等の軍事的支配地域でか、あるいはある州、ある村の「和解」の現在進行形の場であるか。以上三つの可能性を最近のデータの分析から検討したい。
<国外とくにパキスタンにいる反政府ゲリラ七組織指導者をどのように捕らえるか>
はじめに最近のエピソードから…。一年余りを経た「民族和解」によって、ゲリラ側の中枢にいた指導部の帰国が見られ、反政府ゲリラ七組織の指導的リーダーの「実像」が伝えられ始めた。ゲリラ活動十年、かってのムジャヒディン像とはまったく異なった生活が紹介されている。公式の記者会見や集会、インタビューではわからなかったものだ。例えば「イスラマバードやペシャワル市内の一等地に居をかまえ、援助資金を生活費に流用し、米国からの武器を国際的テロリスト組織に横流しし、月平均50万アフガニ(1万$)をポケットにいれている」など(M・B、88,6)
軍事機密の伴う資金の流れには不可避的にこうしたブラック・ボックスが積み重なることは想像に難くない。ここで言いたいことは、聖戦の論理の生活的裏付けがこうしたディテールで立体的になるはずである。批評的カメラ・ワークがここに生きる。

こうしたリーダーの身辺のブラック・ボックスはアフガニスタン国内のリーダーにもあてはまるが、少なくとも肖像の質感には迫りうる。その点、パキスタン・ロケで、もし彼等のインタビューだけで追うならば活字や録音で足りる。「反政府ゲリラ七組織リーダーと難民」の構図からでは喚起されるものが多くはない。(難民の取材は全く別の扱いである。それは後で述べる)喚起力ある映画の切り口が必要となろう。

問題はパキスタンでどのように「和解」のテーマを撮るかである。パキスタンはこの映画の中では“外国”である。と同時にパキスタン北西部はパシュトニスタンであり、アフガニスタンとパキスタンとの歴史的交渉の深い地である。ここを記録映画の一章とするに当たって、溯って旧英領の時代の負の遺産に触れたい。百年前ここが同じパシュトゥーン族の領土であったことが、王政時代からの両国の紛争、対立の禍根であった。パシュトニスタンの自治・独立運動は国境をこえて旧インド亜大陸の反植民地闘争の一環であった。イギリス・帝制ロシア時代の帝国主義の影が尾を引いている…。その葛藤の歴史故に、皮肉にも今日反政府ゲリラの基地たりえたし、難民キャンプの地たりえ、また「職業的ゲリラの生活」の場にもなりえている。

故にここで、大カッコとして『パキスタンの地での「和解」』としてのスケールとして描くならば、反政府ゲリラ七組織の人格と並行して、パキスタンにおける、パシュトニスタン問題の民族的リーダー、アワミ党党首ワリ・ハーンを登場させ、歴史的な時間軸をひろげ、ダイナミックな構成にしたい。こうして「和解」の思想の歴史的下絵を描きだしたら、きわめてコントラストなものになるであろう。(すでに,3,30カブールの国際会議でワリ・ハーンにインタビューの協力を得もらっている)
この取材行動から非公然の「難民ジルガ」「パシュトゥーン族ジルガ」「遊牧民ジルガ」などの取材に繋がることが期待できるであろう。

<アフガニスタン国内の武装した反政府勢力の場合>
米国その他からの援助によって武装力をえている点ではおなじだが、国内にあって十年余り反政府ゲリラ闘争を続けている反政府ゲリラに対する和解のアプローチの仕方は明確に異なっているようだ。政府の対応は驚くほど現実的で、かつ柔軟である。「兄弟殺しを終わらせ、国の平和と非同盟に同意できるならば」その地方、地域での行政を託し、地域の治安維持のための軍事力を認めるといった思い切った提案がなされている。すでにハザラ族、ヌーリスタン族に同様の地域権力を認めている。

主に国内の渓谷や辺境にあって一定の地域を支配し、行政力を持った反政府勢力の実態・現実から出発している。そしてその地方の独自性に基づく連合自治体を形成することを呼び掛けている。「和解」の実現から新憲法への支持へと…つまり半封建性の存在や旧支配層の政治力をあるがままに認めながら、多様な住民組織の連合を通じて民主主義への移行を準備しようとしている。人民民主党もその一組織として大衆のために献身的に働く。その繋がりの強さによって指導性を打ち立てる。村、郡、州、としたからの連合をつみかさねて国家レベルの統一を計ろうとするものだ。
ナジブラ大統領はある楽天性を保ちながらこういう。「一日も早く山岳地帯に立て籠もった穴居生活をやめて、平和と国の将来について考えるべきである」「……武装反対派のなかで、常識が勝利することを期待する」と。彼の大統領就任演説には親近感すらうかがえる。同じ国内にあってラジオ、新聞にも触れる機会のあったであろう同じ空間を共にしたアフガン人同士への交信の感情が見られる。
もし幸運に恵まれるならば、ゲリラの原型をそのまま残した武装部隊とそのテリトリーの村に向かって、カメラに白旗をつけ、シュートしながら彼等の隊列を撮り、その指導者の前まで歩んで行けるかもしれない。それには高度の判断を要するが、ぜひ工夫し試みたい。ワン・シーン、ワン・カット。ひとつのクライマックスである。

<和解後の元ゲリラ指導者の場合>
前記と同じ村、地域の後日の取材が望ましいが、平時の行政者としての新しい任務についた彼等をフォローしつつ、帰還した難民や、かって敵だった人間との和解のジグザグを見詰めたい。おそらく喜劇的なエピソードが巧まずして撮れるである。

以上にうかがえるものは「和解」の上に展開されるさまざまなドラマである。
そしてこの新しい国づくりの物語りが、いかに夥しい流血の悲劇に学び、新憲法という「民族和解の書」づくりによって生まれたものか。そこにフォーカスを絞りたい。ロヤ・ジルガの活動、および延200万人におよぶといわれる広範な新憲法への討議への参加、それに引き続く新憲法下の選挙。この一連の“国民的体験”は、いかなる人格・肖像をもって表現しうるか。それはものいわぬ女性、娘、妻、母、老女たちであろう