あの人は今こうしている「テーマはあくまでアフガニスタンの民衆の生活です」 インタビュー 「日刊ゲンダイ」 7月14日付 日刊ゲンダイ
日本を代表するドキユメンタリー映画の監督である。昭和四十六年に発表した「水俣ー患者さんとその世界」は内外で圧倒的な感動を呼んだ。その後も水俣を撮り続け、昨年の「水俣病-その三十年」まで外国版を含め十五作の水俣シリーズを世に問うている。どんな作品においても地を邁(は)うような「民衆」の視点を失わない土本典昭さん、最近はどんな仕事をしているんだろうか?
撤退ソ連軍をばっちり撮影
「今…アフガニスタンのドキュメンタリー映画を撮っているんです。一回目のアフガン・ロケは五月九日からハ月二十四日まで。ちょうど五月十五日にジャララバード市近郊でソ連軍の撤退式と弟一陣の撤退行軍があったので、その一部始終を撮影しました。ええ、ソ連軍の装甲車や戦車に乗り込んで首都カブールまでの九時間、さらにカブールからソ連との国境の町まで同行して撮ったんです」
杉並区永福町の自宅で会った上本さん、緩やかな口調でこう語った。この映画、アフガンの国営映画組織である「アフガンフィルム」との合作で、撮影にあたってはアフガン政府の全面的協力を得ているそうだ。が、もちろん士本さんのことだから、アフガン政府やソ連のプロパガンダ映画になるわけがない。
「テーマはあくまでアフガンの人々の生活。八年余の内戦で民衆の生活がどう壊れ、停滞したか。また、昨秋の政府軍による一方的停戦とソ連軍の撤退開始により難民が帰国しつつあるが、その農民たちが荒廃した村をどう再建するかも撮ってみたい。
撮影は時に政府軍の護衛がつくけど、これはやむを得ない。
もちろん私としてはゲリラの指導者にも会うつもりだし、難民キャンプの撮影もするつもり。その点はアフガン政府も十分に理解してくれています。要は、一方的な立場からの映画ではなく、東側の人にも西側の人にも見てもらえる映画をつくることが大事なんです」
通釈を入れて九人のスタツッフの中に共同監督として熊谷博子さんというテレビドキュメンタリーの演出家が加わっている。
「実に優秀な女性でしてね。アフガンはイスラムの国だから彼女には女性を、母、妻、女の悲しみを、ね」
土本さんらは九月にまたアフガン入りしてじっくり撮影し、来年三月の完成予定。映画のタイトルは「眠れる泉(カレーズ)の復活」。カレーズとは、農業用水に使われる地下の川を意味するそうだ。
アフガンのあとはまた水俣
さて、昭和三十八年の第一作、「ある機関助手」以来、一貫してドキュメンタリー映画をつくり続けてきた土本さんの頭の中には、いつも三つのテーマが浮かんでいるという。
「それは”水俣”と”原発”と”アジア”、情報収集、調査、製作企画を怠っていない。新聞のスクラップブックだけでも千二百冊はあるでしょう。アフガンについても四十八年からファイリングを続けていて、スクラップブックは十冊を超えてます」
原発がらみではすでに「原発切抜帖」(五十七年)、「海盗り-下北半島・浜関根」(五十九年)をつくっている。
「アフガンのあとは水俣をやりたいと思ってるんです。今まで水俣を受難の地として、主に被害の面を撮ってきた。しかし、その一方で三十年にわたる水俣病の歴史から新しく生まれ育ったものがあるはず。それは何か、そしてそれをどう次の時代に残すのか。広島がヒロシマのように、水俣にも次に残すものがあり、それを締めくくりとしてまとめてみたいんです」
フリーのドキュメンタリー監督というのはおおむね経済的には恵まれていないが、土本さんも例外でなく、「年収が二百万円を超えた年なんて何年もないですよ」と苦笑する。家族は悠子夫人(55)とルポライターの仕事をしている長女・亜理子さん(三〇)の三人だ。