「よみがえれカレーズ」採録シナリオ 上映時間01:56:00 カラー 16ミリ 記録社 シグロ 発表1990-01-01 <1990年(平2)>
「よみがえれカレーズ」採録シナリオ 上映時間01:56:00 カラー 16ミリ 記録社 シグロ 発表1990-01-01

1)献辭(字幕)
   アジアにおいて いちはやく植民地支配からの独立をかちとり いらい70年今日もなお あたらしい国をめざしてその大地に営みをつづけるシルクロ-ド5000年の民…アフガニスタンの人びとにこの映画を捧げます

  2)地図-1(ユ-ラシア大陸に西より一本の赤線、インドへ)
    ナレ-ション「紀元前ギリシャのアレキサンダ-大王のインドへの征服の道にあって、アフガニスタンにはいくつもの都市がつくられ滅びました…」
   (赤線、中国をよぎり日本へ)
    ナレ-ション「その後、インドからの仏教は中国をへて東方の日本へ…
そこにひらかれたいわゆるシルクロ-ドはヨ-ロッパとアジアをむすぶ交易の道。アフガニスタンはその十字路として知られています」

  3)地図-3(アフガニスタン周辺の地図に国境線)
    ナレ-ション「いろいろな民族が分かれ住んでいたこの地は、19世紀イギリスと帝制ロシアによって今日に国境線が勝手にひかれました。1919年イギリスと戦って保護領を脱し独立。革命直後のソ連はいちはやくこれを承認しました」

  4)プロロ-グ ある葬列
   墓地に穴を掘る人、見ている人たちのロングショット(遠景)
   男たちに担がれた柩、それにつきそい「アッラ- アクバル」を唱える群衆。嘆き悲しみに満ちている。
    ナレ-ション「この国の旅のなかで、ある日、葬列のひとびとにであいました。
           それはある街の宗教指導者の埋葬だったのです」
   老いも若きも祈りの言葉を斉唱している
    ナレ-ション「死後、天国地獄のいずれに行くかは生前の信仰のあつさできめられるというイスラムの教え」
   近親者が慟哭している。死への痛みに声を放って嘆きつづける。
    ナレ-ション「コ-ランの祈り…“おおアッラ-よ あなたに生を授けられたものがイスラ-ムに則って生き、あなたに死を与えられたものが信仰を抱いたまま死ねるようご配慮ください”」        

5)カレ-ズ
   乾燥した台地に大きな穴
    ス-パ-タイトル『カレ-ズ』
   石積みの隙間から小石がポトン…そのエコ-の響くカレ-ズの底。水脈が音をたてて流れている(音楽おこる)
   羊の群れが山から一目散に小川(カレ-ズ)に向かって動きだす
    ナレ-ション「ひとびとは『ここは太陽と水に恵まれた国』といいます。熱く乾燥しきった台地…しかしその地の底には冬山の雪溶け水が絶えず流れているからです」
   羊の遊ぶ川辺、遊牧民の水汲み。
    ナレ-ション「カレ-ズ…人の手で掘られたこの地下の水脈はすべての生き物をこの地に生かし続けてきたのです」
          「…それが何百年前に掘られたものか、土地の人の答えは不確かです。しかしこの泉が荒れすさんだとしたら、もはやこの地に生きられないことを知っているのは確かでした」 

   乾燥台地に千におよぶ羊の群れ。
    ス-パ-タイトル『日本アフガニスタン合作映画』
    メインタイトル『よみがえれ カレ-ズ』 
         (音楽やむ)
  6)ある四月革命記念日
   街の大通りに集まるひとびと。ス-パ-タイトル『カ-ブル』
   行進の隊列、トラックに溢れんばかりの若者、婦人たちの一団…
    ス-パ-タイトル『1985年 4月27日 革命記念日』
    ナレ-ション「中近東の国々は第二次世界大戦以後、つぎつぎに独立をはたし、ついで1970年代には特権的な王政の打倒と、民主平等をめざす闘争がひろがり、アフガニスタンにもその波は及びました」
   デモの市民で埋まった大通り、識字運動の大エンピツのだしなど。
    ナレ-ション「王政から共和国へ。そして人民民主党による民主革命へ。しかしこれに反対する勢力は“共産主義の国になる”として武装反乱をもってこたえアフガニスタンは内戦状況となりました」
   デモ会場を圧するミサイルの隊列
    ナレ-ション「1979年政府はソ連軍の派兵を要請、これに反対してアメリカ・パキスタンなどは反政府勢力へ資金と武器をあたえ、アフガニスタンは政府のいう、いわゆる“宣戦布告なき戦争”の時代となったのです。戦火をさけてひとびとは国外のイスラムの地へ逃れました。いわゆる難民です。その総数五百五十万人、人口の三分の一にのぼりました」

   空に散るロケット防御の発熱弾
    ナレ-ション「1987年政府は反政府勢力との和平を願い一方的停戦をおこない、難民の帰還を呼び掛けました…これが『国民和解』の宣言です。ナレ-ション「翌88年 4月、いわゆる『ジュネ-ブ協定』が成立、米ソもこれに調印…アフガニスタンは新しい局面を迎えました」

  7)国会議事堂
    ス-パ-タイトル『1988年 5月、新憲法下の第一回国会』
    ス-パ-タイトル『ナジブラ大統領』
     「(演説)アフガニスタンの国会がひとびとのために動いていたのは15年前が最後でした。この間、わが国の軍事、生活、政治、経済、文化に深刻な変化がありました…」
    ナレ-ション「新憲法は国を共和国にもどしイスラム教を国教にさだめ、今後は非同盟中立の国として歩きだすことを明確にそこに刻みました」
  8)ソ連軍の撤退開始
   ソ連自動化狙撃部隊基地の大ロング
    ス-パ-タイトル『ジャララバ-ド』
   撤退式典にならぶ装甲車と将兵千二百名
    ス-パ-タイトル『1988年 5月15日 ソ連軍撤退開始』
    ナレ-ション「ソ連軍の撤退はパキスタンとの国境に最も近い最前線の基地からはじまりました」
    ス-パ-タイトル『国連監視軍』
    ナレ-ション「国連の仲介によるジュネ-ブ協定は10万のソ連軍を十ヵ月以内に撤退させること。同時にパキスタン・アメリカのいわゆる反政府ゲリラへの支援も止めることを明記しています」
   閲兵行進。
    ナレ-ション「第二次世界大戦を全く知らないソ連の兵士たち…そしてイスラム教を信仰することなく育った中央アジア出身の青年の顔がありました」

   撤退するソ連軍を歓送する市民たちの中をゆく装甲車。銃口に花がさされている。ナレ-ション「ダム、発電所そしてアジアハイウエーの守備を政府軍とともにかれらソ連軍が担ってきたといいます」

   一転荒涼たる破壊しつくされた沿道
    ナレ-ション「アジアハイウエー沿いの村々…ここからカ-ブルへ百五十キロ」山地をゆく装甲車隊
    ナレ-ション「戦車、装甲車などおよそ二百台、兵員千二百人」
   切り立った崖、その谷底をいく車両。銃口の花はしおれている。

    ナレ-ション「パキスタンとアフガニスタンを結ぶ道路…このシルクロ-ドこそソ連兵士がもっとも血を流して守ったところでした。戦車もヘリコプターもここでは役に立ちません。ここをわが庭のように知る地元の反政府勢力の奇襲に苦しめられ続けたのです」
   高原台地よりみる谷底のつずら折りのアジアハイウエー。
   台地の歓送のひとびとの中を行く装甲車隊、憔悴したソ連軍兵士に笑顔。
    ス-パ-タイトル『カ-ブル郊外』
    ナレ-ション「出発地から七時間、標高差千米を登りつめてカ-ブル高原へ。その間一回の休憩もない行軍でした」

    ス-パ-タイトル『カ-ブル』
   市内を走り抜け歓送式典へ、装甲車の上から市民に手を振る女性兵士。
    ナレ-ション「カ-ブル郊外で歓送式典がもたれました」

   女性兵士(リュドミラさん)へのインタビュ-(英語)
      -今回の撤退をどうおもいますか? (言葉はス-パ-タイトルで)
     「アフガニスタンの友人をたすけるためにすべてのことをやりました」
      -いま満足ですか?
     「英語ではうまくいえないわ(ロシア語で)お客になるのもいいけれど、我が家はもっとすばらしい」
      -お年は?
     「25歳です」
      -お仕事は?
     「言えません」
      -任務は何ですか?
     「言えません」

   ソ連国境に向けて出発。「またあいましょう」と手をふるリュドミラさん。
    ナレ-ション「これから反政府勢力の攻撃目標サラン峠のトンネルを抜け、一日半走り続ければ国境です」
   行く手の山々に残雪がある。
    ナレ-ション「ヒンドゥクシ山脈の雪は一年分のカレ-ズを潤すといいます。この雪溶け水はかれらの帰ろうとするソ連領にも流れていくのです」
   国境を跨ぐ橋をいく
    ス-パ-タイトル『アム川』
    ナレ-ション「国境アム川にかかる“友情の橋”。この右手がソ連領です」
    ス-パ-タイトル『ソ連ウズベック共和国 テルメス』
   レ-ニンの肖像の飾られた歓迎大会場。旗をふるウズベックのひとびと、娘たち。ナレ-ション「この国の住民もアフガニスタン人と血のつながったひとびとです。
   その一隅にいた女性兵士(リュドミラさん)へのインタビュ-
      -どんな気持かしら?
     「すごくしあわせよ。いまは祖国のソ連ですもの」
      -いま何したいの?
     「幸せで幸せで何もいらないわ…ただ幸せで嬉しくて…みんなそうよ」
                                     
  9)アフガニスタンの新兵訓練
   地肌あらわな山に囲まれた錬兵場
    ナレ-ション「パラシュウト部隊の新兵たち。まだ入隊して数日とのこと」
    ス-パ-タイトル『カ-ブル郊外レシュホ-ル基地』
   新兵に教官の号令がとぶ。右向け右! 回れ右!
    ナレ-ション「アフガニスタンでは十八歳から四十歳までに二回の兵役が義務づけられています。四万人の正規軍のほかに民兵、国境守備隊等をふくめ十二万七千人がソ連軍撤退いごの国家の防衛に当たっていました」
   野戦訓練。走ってほふくし銃をかまえる基本動作の繰り返し。点検する教官。
    ナレ-ション「独立いらいソ連の軍事装備を採用、ソ連の軍事顧問が配属されてきましたが、現在ここには一名も残っていないと聞きました」

   最年少の兵士に
      -(街に今も)ロケット弾が打ち込まれていますが…
      「悪いことです」
    教官「もっとしっかり言いなさい」
      「とても悪い事です…罪もない市民と子供が殺されて」
   最年長の兵士に
       -以前は何を(お仕事に)?
      「教師です」
       -この戦争のことを子供たちにおしえましたか?
      「誰に利益にもならない戦いだと、子供達みんなに話していました」

   教官の射撃実技を見守る顔々。

 10)首都のひとびと…オ-ルドカ-ブルといわれる下町風景
    ス-パ-タイトル『カ-ブル・春』
    ナレ-ション「たえず空から爆音が聞こえるのがカ-ブルの日常です。その下にひとびとの生活があります」
   日干し煉瓦を運ぶロバ、斜面地に建築仕事が始まっている。
    ナレ-ション「古きカ-ブルといわれる山裾の居住地では土煉瓦の家がよりあつまっています。十年前は五十万人だった人口が今日では百五十万人に膨れ上がりました。いわば難民の流入によります」
   日干し煉瓦を粘土で積み上げ壁をつくている
    ナレ-ション「この斜面の土地はだれのものでもなく、壁をつくり屋根をふいた人のものになるといいます」
   背後に近代的なカ-ブルの街が広がっている。ビル、モスク、官庁街、バザ-ルナレ-ション「“わが国の運命はカ-ブルの運命とむすびついている…わが国の独立はここカ-ブルで宣言されたから”とはナジブラ大統領の言葉です。この二世紀、アフガン人の血と汗で築き上げられてきた国家のシンボル。これを守り抜くという決意もそこに秘められていました」

 11)モスクのひとびと
   ス-パ-タイトル『モスク ある金曜日』
   街の中心にあるモスク。その構内の洗浄場でひとびとは入念に身体を洗っている。
ナレ-ション「礼拝のまえにあらいきよめの戒律…イスラムでは“清潔は信仰の半分である”といいます。手のひらから口、鼻の穴、耳そしてくるぶしまで洗う順序がきめられています」
   あご髭を櫛けずる老人
    ナレ-ション「…おのずと“清潔の民”ということばが浮かんでくるのでした」
   モスクの中は礼拝者で立錐の余地もない。コ-ランの祈りが堂に満ちている。
    ナレ-ション「四月革命の直後、政権を握った人民民主党の一部党員が聖職者中世の遺物のようにはずかしめることもあり“それが反政府勢力を武装闘争にかりたてた”といわれます。“千三百年にわたるイスラム教徒の国である。二~三%の共産主義者で変わる道理がない”と」

   礼拝者の列のうしろにめだつチャドリ姿の女性たち。喜捨を乞う声がとぎれない。「神の名においてお恵みを…」

   近くの川端で洗濯する女性たち
    ナレ-ション「“内戦で身内を失わなかった家族はどこをさがしてもいないだろう”と、この街のひとびとはいいます」

 12)片足を失い松葉杖の助けを借りる人、ひとつの町角で二人、三人、四人。
    ナレ-ション「働き盛りの年齢のおとこたち…バザ-ルでよくみかけるのがこうしたひとびとでした。この十年、政府側でつかんでいる数字によれば、兵士と非戦闘員をふくめ死者は二十四万四千人、負傷者はその数倍にのぼるといわれます」

 13)帰国した難民たち
   臨時便の到着
    ス-パ-タイトル『カ-ブル空港』
    ナレ-ション「首都とほかの都市とをつなげるのは空路だけです。帰国する難民のための特別機が国境ちかくの都市から着きました」
   子供と手荷物を両手にした難民たち。
    ナレ-ション「この日ついたのはイランからの帰国者たちでした」
   梱包した家財道具の山。ごったがえすタ-ミナル。
    ナレ-ション「年間百万人の帰国にそなえる予算をとったものの、まだ十数万人というのが現状でした」

   バスで移動するひとびとと首都の町並。
    ス-パ-タイトル『平和の家』
    ナレ-ション「帰国したひとびとは落ち着きさきを見つけるまで、ひとまず新設された接待施設にはいります」
   衛兵に身体検査されている難民。
    ナレ-ション「爆発物をもって難民にまぎれこんだ者がいたという…」

   旅のほこりをあらう難民 乳飲み子とも数人の子づれ。その一家にインタビュ-。
      -嬉しいですか? (言葉はス-パ-タイトルで)
     妻「そうね」
      -何故イランに行ったのですか?
     主人の兄弟、質問に負けてかたわらに人に「なぜ行ったのかってきいてるよ」
妻「うんと不幸だったからよ」
      -こどもたちはアフガニスタンを知ってますか?
     妻「(乳飲み子をさして)イランで生まれたから分かるはずないわ」
    主人の兄弟「ひとりだけだ、こっちで生まれたのは」
   妻はたえずわらっている。

   こうりのそこから宝物のように中国製の目覚まし時計を出して調べている。

   荷物をまえにさらに聞く(言葉はス-パ-タイトルで)
      -この荷物は?
     主人「ロバにつんだり背中にしょったり、すごく大変だったよ」
     主人の兄弟「密出国の請け負い人もいるんだ」
      -いくらはらった?
     主人「家族三人で12,500トマン(<イラン通貨、換算>14,000円)」
      -いまお金は?
     主人「3000アフガニー(<アフガニスタン通貨、換算> 1,800円)だけ」
      -お金なくて困らない?
     主人「ここまでにずいぶん使ったから…また働くよ」
     主人の兄弟「彼女は家にいますがね」

 14)カ-ブルの夜
   発熱弾が夕闇を走る。朗々たるコーランの流れるモスクの塔。
    ナレ-ション「かって詩人はこううたいました
           “他に比べるものなき美しき街 カ-ブル
            比類なき要塞カ-ブル…”
           ひとつの都市が国家として独立していた時代の歌です」

 15)結婚式場
   現代風の歌曲の流れるなか若いカップルが入場する。
    ナレ-ション「毎晩ホテルでみかける結婚式の光景です」
   べ-ルを髪にした新婦。
    ナレ-ション「イスラム風と西欧スタイルのにぎやかに混じりあったお祝いでした。新郎は兵役の義務を終えたばかりの公務員、新婦は薬剤師…いわば紹介による縁組で、費用は新郎側の負担…かれの百ヵ月分の給料に相当するもてなしでした」
   音楽につれて踊り出す女性たち。みなソロでおどりを楽しんでいる。
   あいかたの杯を飲み干すふたり
    ナレ-ション「二、三百人の血族縁者友人のあいつどっての会でした。ひとびとのつながりはこのふたりからまた始まるのでしょう」
 
 16)地図-3(アフガニスタン東部国境地帯に近くジャララバ-ド、ハッダの地名あらわれる)
    ナレ-ション「アフガニスタンの東部、その中心はジャララバ-ド。今のパキスタンに生まれたギリシャ様式の仏教美術もここハッダに花ひらきました」

 17) ス-パ-タイトル『ハッダ博物館あと』
   全館破壊され壁面は剥離のままである。
    ナレ-ション「かっては屋根のあった博物館。内戦のこの10年、ここをおとずれた研究者はいません。このような現状はこれまで知られなかったのでした」
   遺跡のすみずみを調べる兵士たち。
    ナレ-ション「地雷探知機で進路を確かめる兵士たち」
   夏草のしげみに破片、かきとられた仏像の痕跡、坐像のあったとおもわれる壁面。
    (音楽おこる)
    ナレ-ション「この一帯は内戦が始まってまもなくからの三年間、反政府勢力の支配下に置かれていました。政府側がこの地を奪いかえしたとき三世紀以来の仏像は剥がされつくしていたといいます」
                                 
   カ-ブル博物館ハッダ室。ギリシャ様式の仏教美術の粋の展示ケ-ス。
    ナレ-ション「世界に知られたガンダ-ラ美術、アフガンの創造した美しく独創的な文物はケ-スにところせましと並べられていました。これらは革命まえに採集され展示されたものです」

   ヘラクルス像、釈迦像、女性の像や怪物風の首像など。
      (音楽やむ)
   収蔵庫のひきだしには展示を待つ仏像がしまわれている。

   インタビュ-
    ス-パ-タイトル『カ-ブル博物館副館長ナジブラ・ポパルさん』
      「(沈痛に)戦争による歴史的文化的なこの破壊を決して忘れません」
   荒れ果てた遺跡の空撮

 18)豊かな水系をもつ平野。
    ス-パ-タイトル『ジャララバ-ド・春』
    ナレ-ション「ヒンドゥクシ山脈からの水が渓谷をぬけてインダス川に連なりインド洋にそそぐ大河のほとり、そこにジャララバ-ドがあります」池のほとりをゆく馬車、水路で水遊びするこどもたち。
    ナレ-ション「エバ-グリ-ン、つまりつねに緑なる街といわれるここは、アフガニスタンを構成する諸民族のうち最大最強のパシュトゥン族の都です。この国の標準語ダリ語とならんでパシュトゥ-語をもっぱら使っています」 
 19)大学の構内
    ス-パ-タイトル『ジャララバ-ド大学』
    ナレ-ション「この大学にパキスタンからの留学生が四十人学んでいました」

   留学生数人へのインタビュ-(英語)
      -パキスタンからですね?
     「(地図をたどり)多くはペシャワル、マルダン、マラカッド自治区からで…ほかの北西辺境州からも来ているよ」
      -なぜここに?
     「ここは僕らの言葉パシュトゥ-語で教えています。僕らはパシュトゥン族です…アフガニスタンのなかにもパシュトゥン族がいますが…。それにここは授業料も宿舎もただです。だからここで勉強しているんです」
      -あなたがたにとって国境の意味とは?
     「僕らはパシュトゥン族…その半分はパキスタンの自治区や中央部にも住んでいるけど、もっと多くの人がこのアフガニスタンに住んでいるんです。アフガニスタンのひとびととは親密な関係です…国境沿いの人たちはパスポ-トなしでこの国にきていますよ…ひとつの民族がふたつの国に半分づつすんでいるからね」

 20)パキスタンとの国境へ
   並木道を行く。
    ナレ-ション「国境への道アジアハイウエー。アフガニスタンには鉄道は一本もありません。かつての植民地主義者が鉄道を支配の道具にしたことを知っていたからです。内陸で港をもたないこの国の通商貿易はもっぱらこの幹線道路によるものでした。このル-トを誰が、どちらが制するかです」
   らくだの隊商とすれちがう。ひとびととトラックの集まるところが国境である。
   ゲ-トがある。

    ス-パ-タイトル『トルハム』
    ナレ-ション「戦闘のないかぎり国境は開かれていました。…武器を持たない両国の警備員たち」
   エンジンをふかす車々
    ナレ-ション「パキスタンナンバ-やアフガニスタンナンバ-のトラックです。
           この前方にシルクロ-ドの時代からインドに通ずるハイバル峠のルートがあるのです。その峠のかなたパキスタンに同じパシュトゥンのひとびとがいる…」

   荷物をもつ男女がいきかう。 
    ナレ-ション「かれらは自由に運び屋稼業を営んでいます」

   路傍にうずくまるひとびと
    ナレ-ション「この日、何組かの難民家族が帰ってきていました」
   難民の男にインタビュ-
      -なぜこっちへ?
     「国民和解で(国が)落ち着いたから…」
      -いつ頃パキスタンへいきましたか?
     「ものすごく前…五、六年まえになるかな」
      -なぜ行きました?
     「(憤然と身振りをまじえて)爆弾でやられちまったんだよ。親爺、兄貴、弟は死んで、家はぺちゃんこ…なにもかもさ」
   仮設の難民登録所で係員のあれこれの質問にこたえている男
    「…家を建てて、郷里で暮らすよ」
   係員、証明書を手渡しながら「ジャララバ-ド大学病院の難民課に行きなさい」

   トルハム発の難民専用バス。子づれの人の不安気な顔々。
    ナレ-ション「パキスタンからの難民たち。ほとんどが国境に近い地方にすんでいたひとびとです」
   きびしくカメラをにらむ女性。

   難民登録所の責任者にインタビュ-
     「(人民民主党の)州委員会の地区代表です」
      -帰ってくる難民の数がまだ少ないようですが、なぜでしょうか?
   眉根にしわをよせて、
     「グルブディン(反政府ゲリラの領しゅう)やほかの反政府勢力の連中が“いつかジャララバ-ドをうばうから、その時に行け”といって邪魔しているからです」

 21)峡谷をとぎれることなくつづく隊商の群れ。
    ナレ-ション「国境ゲ-トの置かれたアジアハイウエーからわずかに目を転じたとき、そこには干上がった川底を辿るル-トがありました。らくだやロバしか通わない道…それはシルクロ-ド時代そのままに動いていました」
   材木を背負ったらくだがパキスタン側からアフガニスタン領へ。
            ナレ-ション「この日、とぎれることなく荷物の往来があり、パキスタンからは小麦粉、食料品、機械部品、日用雑貨など、アフガニスタンからはシベリア鉄道経由で送られてきたソ連の白黒テレビ、韓国製の冷蔵庫などがめだちました」
   らくだを叱咤し石をぶつけて立ちあがらせる若者。その背に荷をのせる。
    ナレ-ション「一頭のらくだに三百五十キロの荷物を運ばせるという…」  
   どこまでも続くらくだの道。悠然とした足どりでゆく川底のル-ト。
    ナレ-ション「…アジアハイウエー時代の到来はつい昨日からのようにおもえます」

 22)山岳地帯、禿山の頂上に基地がある。
    ス-パ-タイトル『ジャララバ-ド・秋』
   石を積んだ防護壁をめぐらせている。
    ナレ-ション「半年後のパキスタン国境に近い守備隊ポイントです。すでにソ連軍は一兵もいません。ジュネ-ブ協定の約束はソ連・アフガニスタンでは守られました。だがパキスタンに基地をもつ反政府武装集団はその領域内から出撃をつづけていました」

   重機関銃が火を吹く。
    ナレ-ション「威嚇射撃です」
   国境寄りの山岳に撃ちこまれる。
    ナレ-ション「相手がたの作戦はもっぱら道路封鎖に向けられていました」

 23)農業用疎水の流れのはるか下に街がある。
    ナレ-ション「ゆたかな川、灌漑の整備されたジャララバ-ド…この水路はすでにまえの政権時代に外国の援助で完成されたもので、この一帯の農業を飛躍させる計画の要めでした」

 24)危機に追い込まれるオリ-ブ工場
   オリ-ブ農場で梢をゆすり、残りすくない実を拾い集めているひとびと。
    ナレ-ション「ここは政府の農場です。オリ-ブ畑の収穫はほぼおわりにちかずいていました」
   眼下に広がるオリ-ブ農場(空撮)
    ナレ-ション「水さえあれば肥沃な大地…ここにアフガニスタン農業の近代化をかけた1200ヘクタ-ルのオリ-ブ畑」
   隣接しているオリ-ブ工場(空撮)
    ナレ-ション「それに連なるオリ-ブ加工工場はソ連、ブルガリアの援助で作られ、革命ご稼動したものでした」
   仕込みの大桶がならんでいる。しかし工場のラインは止まったままだ。
    ナレ-ション「オリ-ブ漬の仕込みは終わり出荷の季節ですが、工場は休止に追い込まれていました」
        ベルトコンベアの上の空き瓶。
    ナレ-ション「最近まで六百の従業員を擁し、何十人の女性の働いていたラインです。稼動停止に追い込まれたのは道路を封鎖されて瓶が回収不能に陥ったからです」
   インタビュ-(英語)
    ス-パ-タイトル『工場長ハキム・バブリさん」
    「一日に一万六千個の瓶が必要です。このところ道路の状況が悪く瓶が手にはいりません。仕方なくジュ-スやオリ-ブ油を作っています。主製品はオリ-ブ漬けなので残念です」

   ジュ-ス工場でみかんの皮むきの仕事につく女性従業員たち。
    ナレ-ション「ここはジュ-ス工場です。戦争で一家の働き手を失った女性たちがほとんどと聞きました」
   そのひとりにインタビュ-。
     -どなたを?
    「十五人の家族が殉教(戦災死)しました。兄弟姉妹…十五人の家族を失いました。六十の家々や村が六ヵ月占領され、水も食べ物もなく・家畜を残して家を離れ、家なし国なしにされてしまいました」
     -工場のわかものも死んだそうですね?
    「知りません、自分の悲しみだけで一杯です」
   かたわらの女性「わたしの息子もよ」
     -しごとはたのしい?
    「ええ上司は良い人ですからまあまあですよ。そうじゃなきゃ働いていません。革命ごは満足しています」
   話しながらも手は動かしている。

 25) ス-パ-タイトル『カ-ブル・秋』
   早朝、大通りをゆく装甲車。
   川端で数人のおとこが車座になって朝食をとっている。
    ナレ-ション「カ-ブル川のほとり…近郊農村からのひとびとがバザ-ルへ行く間のひととき」
   「ぼくたちの写真をちょうだいよ」 ろばが商品の玉葱を齧っている。
    ナレ-ション「カ-ブルに接近した反政府武装集団が数十キロの射程をもつロケットを山から町なかに撃ちこむのが日常の出来事になりました」

 26)バザ-ルのひとびと
   ナン焼き屋。あるじがこどもたちに指図している。
    ナレ-ション「主食のナンを焼いて売る店です」
  口やかましいあるじ、カメラをみて「この人たちは同じ顔をしてて仲間だよ」
    ナレ-ション「古いバザ-ル。商いや職人のしごと…。多くのわかものは兵役につき、こどもが欠かせない働き手になっていました」
   おさない女の子が配達にいく。

   鍛治屋。ふいごを手まわしするこども、ハンマ-をもつ人。金床の上でつるはしの形に叩きだされる鉄の塊。

   手で砥石を回している研ぎ屋。老人と少年の組み合わせ。
    ナレ-ション「停電にも支障のない技術がここには残されていました」 

   店頭の大釜で染め物。
    ナレ-ション「女性たちがかぶるチャドリの染め屋さん」
   路地一杯の空間を干し場にしている染め屋にも親子のペアのしごとがある。
    ナレ-ション「“こどもたちは学校へいくようになった。朝食が支給される制度が出来たし…あとの時間はこうして働くのが好きなんだ”とひとびとはいうのです」
   少年は慣れた物腰で干し場で働いている。
   川沿いのバザ-ル。店番の少年が客とやりあっている。
    女の客「…(家にも)あなたと同じぐらいの息子がいるわ」
    少年「近所だから知ってるよ。でもまけないよ」

   バザ-ルは人でごったがえしている。
    ナレ-ション「ソ連軍撤退半年ご。ジュネ-ブ協定にうたわれた和平はまだ見えないのです」

 27)ロケットの爆発現場。
   夜の盛り場、タクシ-が機銃掃射を受けたように壊れている。その着弾地点はわずかしか抉られていない。はらわたをだし担架で救急車に運ばれる被害者。
    ナレ-ション「一発のロケットでした。着弾するや弾片が水平に飛び散り大量のひとびとを殺傷する、そうした能力をもつ武器の登場をみました」死体にかけられた毛布から千切れた手首。始末する兵士は“アメリカのだ”という救援の市民、兵士が惨状に声を失って現場を見つめている。
    ナレ-ション「バザ-ル近くに撃ち込まれたこの一弾による市民の被害、死亡三十五人、負傷百五十六人」

   ビルの下、ガラスの破片が片付けられている。
    ナレ-ション「その翌朝です」
   人垣のなかでのインタビュ-。商店主が答えている。
    「…部屋着のまま外にでて、息のある人をみつけてはどんどん車に運びました」-この状況をどう思いますか?
    「う-ん、いいことではないですね」
   老人、まえに身をのりだし「だれが言えるもんか。だれも話せないよ。イスラム教徒同士がなぜ殺し合うんだ。だれのしわざというんだい。みな同じ人間、同じ兄弟なんだよ」
     -このようなことはどうすれば防げますか?
    「(激して)どうすればいいって? だれにも言えないよ。なにか言ったらすぐ刑務所いきさ。つかまって殺される。だれが言うか」

 28)婦人たちが連れ立って建物に入っていく。その看板。
    ス-パ-タイトル『アフガニスタン婦人協会』
    ナレ-ション「戦死者…ここでは殉教者といわれるひとびとの遺族のための組織が婦人協会のなかに置かれていました」

   女子係員が作った書類を説明をしている。
    ス-パ-タイトル『殉教者の母と妻の会』
    「この登録番号の紙を失くさないでくださいね。これで今年から石炭、医療、こどものことなど援助が受けられます」

   毛布衣類くつなどのある部屋で遺族に品物が渡されている。
    ナレ-ション「いま関係者の頭を痛めているのは戦死者の予想をこえた増えかたです。公平にあつかうには死亡順に救済するほかなく、内戦間もないころ、つまり六、七年まえの戦死者までしか追い付いていないのでした」

   廊下でに訴える婦人、それに答える女性の責任者
    「主人は1981年に殉教したんですけど…家もないし息子もいないんです」
    「よくわかりますが来年いらしてくださいね」
   別の婦人とも
    「主人は82年の殉教ですが…」
    「来年いらしてくださいね」とこどもの頬に手をさしのべる。

   責任者の机をあいだに身をよじらせて訴える婦人。
    「私はどうすればいいの? ふたりの息子は戦場で死に向き合っていて…もうひとりは怪我をしているし…夫は殉教してしまったわ」
   責任者「ことしは81年と82年のかただけなんですが特別のリストに入れましたから、もう泣かないで、お母さん」
    「いつ来ればいいの?」
   責任者「来月に…」

 29)丘の上に無数の旗が風にはためいている。
    ス-パ-タイトル『殉教者の丘の墓地』
   赤旗と緑の旗どこまでもつづく。
    ナレ-ション「ここは革命ごの戦死者たちの横たわるところ。かつては王家の墓所でした」
   ひとり詣でる婦人のすがた。墓にはめこまれたパイロットらしい遺影。

   旗竿をたてる一家。息子の写真をくくりつけた墓に祈る母親。セメントで基礎を固めながら「もっと土をいれておくれ」
   旗竿がこどもの手に支えられて立つ。

   涙に頬をぬらしてくりかえしの旋律にことばをつけて唄う母親。(爆音ひびく)
    「ああわたしの息子よ、あなたなしでどこにいけというの
     その顔、すてきな巻毛。死ぬときではないわ…
     このお墓はあなたのお母さんにちょうどいいのよ
     …もう会えないのね、あなたの顔は血におおわれてしまったわ…」
   丘をくだる婦人たち。カ-ブルの街に陽が傾いている。

 41)少年に銃の扱いを教える父親。
    「銃が弓で弾が矢なんだよ。わかったかい。ひとりでやってごらん」
   父親の前で、少年、弾巣に弾をこめる。
   弾巣の装着にまごつく少年に、レバ-をさし、
    「こうやって上にあげてごらん。ああ、いいよ」

   村の射撃場で父親うに促されて撃つ。
   父親へのインタビュ-。
     -アフガニスタンでは、父親が息子に銃を教えるのはふつうですか?
    「はい、そうです」
     -いつ頃から教えはじめましたか?
    「喋れるようになったときから…三、四年まえからです」 
   民兵の模範射撃。
   一斉射撃の轟音に耳を覆うまわりのこどもたち。

 42)モハメッドの生誕祭前後。
   村のモスクで礼拝がはじまっている。サイ-ディもひとびとのひとり。
   壁に立て掛けられた銃のいくつか。

   民兵たちが祈りのことばとともに羊の首を切り、血を抜く。
    ナレ-ション「モハメッドの生誕祭の準備が始まりました」

   モスクの庭に大鍋。こどもらが入れものを手に集まってくる。
    ナレ-ション「祭りにつきものの振舞いの食べ物…」(祭りのタイコの音)先頭あらそいをするこどもに制止の声。
    「どいた、どいた。入れものを出して」
   身体つきの大きい子がいつまでもがんばっている。おんなの子がうろうろ。
    「もういいから次の人…充分だ行きな」
   おんなの子バケツに御馳走をいれてもらってはじめて笑顔になる。
                               (タイコの音やむ)
 43)村の長老へのインタビュ-。アクバル家の男たちやこどもに囲まれている。
     -お幾つですか?
    「百歳(まわりでもめる)…九十歳だか百歳だかよくわからん」
     -奥さん何人お持ちでしたか?
    「四人…ひとり残って三人死んだよ」 
     -(冗談に)また結婚したいですか?
    「(笑いながら)神が機会をくださるなら」
     -イギリスから独立して、変わったことは何でしたか?
    「本当によかったねぇ。イギリスが出ていって国は平穏になったよ…そうだ、やつらにやられた仲間がヘラートへ逃げてきて、カ-ブルのほうへにげてしまったよ…逃げちまった」
     -革命まえとあとではどちらが良かったですか?
    「(断乎として)革命まえ」
     -なぜですか?
    「こんな殺し合いも、こんな残酷なことも略奪もなかったよ。わかものが殺されることもなかった。いまは命が粗末にされ、わしはすべてを失ったよ。神がこの流血を止めてくださるように…」
   畑での種まき。ごつごつした表土に小麦の種が蒔かれている。

 44)反政府ゲリラとの対話。
   民兵たち溜まり場で客人のコマンダ-にあうサイ-ディ。
    ナレ-ション「ここに予期しない人物が登場しました…」
    ス-パ-タイトル『ムジャヒディン側司令官ゴラン・ラス-ルさん』
    ナレ-ション「…いまも政府軍と戦っている反政府グル-プのリ-ダ-です。部下たちに守られて、昨夜ひそかにここへ来ていたのです」
   サイ-ディとゴラン・ラス-ル、旧知のなかのよう。
    ナレ-ション「サイ-ディさんはこの州の反政府勢力の最高司令官とあったときのスナップを見せているのでした」

   サイ-ディの参謀格のファリドをくわえ三人による話し合い。
   ファリド「たくさんの若者が死に、土地や家も破壊されました。あるはずの実りもなく…。だれかが(この戦争で)利益を得ています」
   サイ-ディ「ジュネ-ブ協定も結ばれ、ソ連軍も出ていきます。みんな平和と平穏を望んでいます…」
   ゴラン・ラス-ル「その通り」
   サイ-ディ「私たちは兄弟関係を結んでいます。あなたやあなたの仲間たち、そして武器を置いて帰りたくとも、反対派に引きとめられている兄弟たちもいます。みな国に帰って手を結ぶべきです。戦っていたのはソ連軍がいたからです。…多くの兄弟たちがパキスタンやイランで難民になっています。何人かは私とあなたの手で殺されました。爆弾で命を落とした兄弟もいます。もうこれ以上戦う必要はありません。この十年の戦争はなにもいい結果をもたらしませんでした。あとはお互いに話し合うことです」
   ゴラン・ラス-ル「協力しましょう。以前は二百人、いまは五百人を率いて居ます。帰って『国民和解』に参加するよう説得します。あなたとの繋がりは保ちましょう」
   ファリド「みんな疲れ果てている。なんとか解決しなければ」

   夜、ゴラン・ラス-ル、サイ-ディに別れの挨拶。
    ナレ-ション「かれらは二十キロ離れたところへ徒歩で帰っていきました」

 45)村の小学校が砲声のこだまする山地を背景に建っている。戸外での授業である。
    ナレ-ション「算数の授業です。危険な村はずれにあるので、少女たちのクラスは閉じられていました」
   生徒たちめいめいへの質問を試みる。
     -なんになりたいの?
    「エンジニア」
    「先生」
    「パイロット」
    「お医者さん」
    「司令官」
    「パイロット」
    「建築家」
   ひとりの子はにかんで小声でいう。わきの子…「言えよ!」
    「エンジニアか?」
    「農夫だって」

 46)ジュ-イ(水路)の手入れ。
   分水路のある川端。
   農夫たちが手に手にシャベルをもって集まってくる。(音楽おこる)
    ナレ-ション「秋…水路の調整のしごとの日です」

   分水路をせきとめ川底をさらう。数十人に監督がハッパをかける。
    「みんなでがんばれ! そうれ!」
   川底の堆積している砂を土手に放り上げる。
   一人前に働くこどもを励ます男「よーし、良い子だ。おれも手伝うぞ、頑張れ!」ひとびとの背後にガ-ドにたつ銃を構えた民兵のすがたがある。水無し川につづいて広大な畑が渇ききっている。
    ナレ-ション「雪溶けの春には千人をこえる村びとが、すべての水路でたち働くと聞きました」

 47)人を満載したトラックが街に到着する。
    ス-パ-タイトル『ヘラート』
    ナレ-ション「国境から難民たちが帰ってきました。男たちだけのグル-プです」街角のホテルが難民の施設にあてられている。
    ス-パ-タイトル『平和の家』
   ホールに集まって登録を待つ男たち。
    ナレ-ション「帰ってからのことをふくめ、帰国者としての登録が最初の仕事です」
   写真を添えた書類つくり。
    ナレ-ション「この登録によって、土地、家は前のとうりに保障され、兵役は最低半年間猶予、そして税金面での優遇措置が得られるのです」
   自分の写真をもって待つ男。登録作業の進捗を見まもる男たち。
    ナレ-ション「ここでは過去にどんなことをしていたかは一切問われません。たとえいわゆる反政府ゲリラであったとしても」

   そのベランダでのインタビュ-。
     -(若者に)なぜイランへいったんですか?
    「仕方なかったからさ。あっちは反政府派、こっちは政府側…どうしょうもなかった」
     -村は反政府派に?
    「政府側だけど反対派が許さなかったんだ」
     -(中年の男に)ご家族は?
    「独身です」
     -なぜ戻りました?
    「国民和解の宣言を聞いたからです」
     -いまはどうですか?
    「故郷の村に帰りたい」
     -これからどうしますか?
    「村で仕事をさがします」
     -このなかにムジャヒディンとして(政府軍と)戦ったことのある人いますか?
   あたりが一瞬しずまる。ひとりの男、口を切り、さとすように、
    「ここに居るのは何年もむこうにいっていて…祖国に帰ってきた人たちなんですよ」

 48)土漠内のなかの一本道、アジアハイウエー上空をいく。
    ナレ-ション「イランとの国境へ」
   行き来のまったく途絶えているハイウエー。
    ナレ-ション「仕事を求めてカ-ブルへいったように、戦争の前からイランの首都テヘランへ稼ぎにいった、そのアジアハイウエーを辿っているのです」

 49)国境の町につく。
    ス-パ-タイトル『イスラムカラ』
   難民施設に一杯のひとびと。
    ナレ-ション「イスラムカラというふるくからの国境の宿場。そのホテルが『難民の家』になっていました」

   土煙をあげて一台のトラックがくる。数人の難民たち。
    ナレ-ション「このように陽のたかいうちに帰ることは少なく、よるを選んで国境線を越える…一日平均百人ほどが、こうした裏街道から帰ってくるといいます」

   施設の炊事場では肉いりごはん、ナン、西瓜と盛り付けに忙しい。黙々と食べる難たち、西瓜を口にする男。

 50)夕方の国境の砦。
(音楽おこる)
眼下のイラン領を監視している兵士たち。
    「イラン国境の砦に硝煙の匂いはありません。ただかたくなに行き来がとじられているのです」
   丸腰で歩哨に立つ兵士たち。
    「政府軍からの砲撃は禁じられているとききました」
   数台のオートバイが帰路につく。
    「歩いてくる難民をみつけ保護する役目のオートバイは日没の合図でひきあげます」
   その砦の夕景。
  (音楽やむ)
 51)朝陽のさしはじめた無人の路面。かなたに国境ゲートがある
    ス-パ-タイトル『アジアハイウエー イラン国境』

   茶店での通訳と難民の会話。。
    「イランに四年いました。イランでの生活はひどいもんでした。辛くて生活なんてもんじゃなかった」
     -たとえば給料などは?
    「(給料?)朝から晩まではたらいてもハラペコで、まったくお金はのこらなかった」

 52)所長の難民への聞き取りがおこなわれている。
    ナレ-ション「彼等は密出国した事ではイランの法を犯していることになります」
   インタビュ-
    ス-パ-タイトル『「平和の家」所長 ゴラム・サヒさん』
     -一番困っているのは?
    「難民たちが途中でひどい目にあうことです。国境でイランの軍隊にお金や洋服を取られてしまうのです」
   イラン当局発行の領収書。
    「どのくらいの金額か、この領収書を説明してくれますか?」
    「六万トルマン(六万七千円)発見され、法により、四百リアル(四十五円)戻され、残りの金を法により没収した…」
   難民の少年が耳を傾けて聞いている。
 53)国境の裏街道をかえる難民たちの群れ。
    ナレ-ション「この日も難民は歩いて帰ってきました」
   風と砂煙にさらされながらひと包みほどの荷物を背にして急ぎ足で。
    ナレ-ション「あたかも日帰りの遠足ででもあったかのように、持ち物らしい物も持たずに…」

 54)足をとめた難民たちにインタビュ-。
     -みなさん、いまどんな気持?
    「(口をそろえて)嬉しいよ」
     -家族を残してどんな思いでしたか?
    A「お金はいくらか送っていました、働いていましたから…」
     -帰る途中でひどい目にあった人はいますか?
    B「向こうで? こっちで? みんなひどい目にあってるよ。なにもかも取られて疲れはてて、やっと祖国にたどりついた…みんなほっとしているよ」
    C「(身をのりだし)だれもが金を取られたうえにスッカラカンにされた。
     神が証人だ。“汚いアフガン、ドンキー・アフガン”と呼ばれて…。それを聞くのはいやだった。こんな仕打ちに朝夕悩んだ」
     -そんな辛い目にあったけど、いまは帰れてしあわせですか?
   みんなあいづちをうつ。
    C「わが大地、わがひとびとのために尽くしたい、母の国なんだから。血を流すなら他国ではなく自分の国で…。神に千回も感謝する、祖国に帰れたことを」
 55)モスクから朝の祈りの流れる町(バルフ)
   物見の塔の周辺に朝市が開かれはじめている。馬車が行き交う。その馬車のろばに木彫りの鞍が乗っている。店頭に置かれた木製のわだちの一輪車。
    ナレ-ション「難民の生まれ育った町はいまも十年まえと変わりないリズムを刻んでいます。撃ちこまれるロケットさえなければ、です」
   声高にお金を数える男。
    「28,29,30…はい30ね。確かめてみてね」
   野菜を売る農婦お客とかけひきしている。

   鈴を鳴らしてゆっくり歩むらくだの列、そのかたわらの古い城壁からつき出ている人骨、蜂がとまったまま動かない。
   風化した白骨のうえに城塞がある。
    ナレ-ション「五千年の歳月のながれのなかで、いろいろな伝説や物語を耳にしながらアフガニスタンのひとびとは生きてきたのです。
           …この十年は、どのような物語として残るのでしょうか」
   古い城壁のある道をチャドリ姿の女性を乗せた朝市がえりの馬車がゆく。

 56)クレジットタイトル
    音楽)