映画『よみがえれカレーズ』のなりたち 上映会用チラシ 12月 杉並記録映画をみる会
1988年はアフガニスタン紛争のニュースのでない日はないといわれた激動の年でした。それまで八年におよぶ内戦、戦禍による難民は 500万人ともいわれ、その 4月、ようやくジュネーブで国連による平和協定が結ばれ、紛争の解決にむけて一条の光がさしこんだときからこの映画は撮影がはじめられました。ソ連軍の撤退とアメリカのゲリラ支援の停止をくぎりに、アフガニスタンがどのように生きていくのか、その苦難と希望をアフガニスタンの内部から描く試みが両国映画人の合作記録映画のかたちでなされました。
それまで、アフガニスタン政府の取材制限もあり、その国のひとびとの生活の実情と願いは世界に伝わってきませんでした。報道はもっぱらパキスタンなど国外から戦闘を挑むゲリラ側からでした。それはイスラム教徒の「聖戦」として描かれ、ソ連への抵抗運動として西側大国やサウジアラビア、イラン、パキスタンなどのフィルターを通したものでした。つまり米ソの冷戦の発火点としての修羅場としてしか見えなかったのです。
難民にならず、戦場となったかれらの町、畑、山や川のある故郷、そして世界の宝、シルクロードはどうなったか、それをアジアの友人の眼で見たい。そのために事件よりひとびとの生活、くらしと仕事を見て歩き、またゲリラ側に襲撃にそなえて「わが村」を自衛する農民と生活をともにしました。その村でゲリラとの和解の話しあいももたれたのです。日本人には想像できない国境の実態も、戦火のとだえたときはいかにのどかなラクダの往来する交易路だったことか、また人類の数千年の遺産である遺跡も一日の戦闘でいかに簡単に荒廃して果てるものか、またイスラムの華麗なモスクが、名もない貧乏な庶民により、いかに修復されそびえたっていたか。とりわけ、砂漠の地下を流れるカレーズ(地下水脈)へのひとびとの愛着と信頼は揺るぎないものでした。それらが激動のアフガニスタンの素顔であり痛みの表情に隠された希望でした。
この映画が発表されてから、東欧、ソ連の社会主義の崩壊と内戦があり、湾岸戦争が、そしてアフリカの飢餓やユーゴの民族戦争とあいつぎ、アフガニスタンは記憶のかなたにかすんでいます。だがアジアの友人として必ず出会うひとびとです。そのひとびとの生き方には親しみある肌触りと温かさ、そして誇り高いすがたがあります。その質感をこの映画から感じていただければ幸いです。