アフガニスタンの人びとに映画はどう応えるのか 『 思想運動 』 385号 2月15日号 小川町企画 <1989年(平1)>
 アフガニスタンの人びとに映画はどう応えるのか 『 思想運動 』 385号 2月15日号 小川町企画

 今回、ソ連軍の八九年「二月完全撤兵」は約束どおり果たされた。昨年十二月末、ロケーションの最終段階にはアメリカ・パキスタンのジュネーブ協定にうたわれた和平合意にたいする重なる違反(ムジャヒディン側の戦闘基地強化や新型兵器、地対空ロケット砲の援助など)への緊急措置として、「ひきつづきの駐留もありえる」との見解がソ連、アフガニスタン政府サイドから警告されていただけに、この協定遵守はひときわ鮮やかな印象を世界にあたえた。とりわけわたしの念頭にうかぶのは、へラートの元反政府ゲリラで現在政府と協力して一地方のコマンダーとして自衛組織を持ち、農民の生産活動を保障しているサイディ氏や、かれをたよってひそかに政府側との和解を待つ、五〇〇人のゲリラの領袖ゴラン・ラスール氏といった、この映画の人物たちの顔である。かれらは「すべてはソ連軍完全撤退のあとにアフガン人同士の解決が始まろう」と語っていたからだ。
 周知だが、アフガニスタンの国内にあって反対派として一定の地域に独立した行政力をもっている、たとえばパンジシール渓谷のマスード氏など、いわゆる「国内反対勢力」への現政府の対応は、国外を拠点に「戦闘継続」をつづけるへクマチュアルなど、いわゆる極端派へのそれとは異なっている。
 現政府はカルマル議長時代の「欠席裁判」によるかれらへの死刑判決を取り消し、そのテリトリーの有権者に見合う国会の議席をあけている。それは建て前として受け取られかねないが、昨年秋、ロケの最終段階に見聞した国連難民高等弁務官事務所の「パンジシール渓谷への緊急物資輸送行動」は現政府の本音に思えた。
 この行動は世界のマスコミの同伴やスクープをきらってひそかに立案されたものだった。「パンジシール渓谷一帯に医薬品、種小麦が不足している」という情報をえたペシャワルの国連難民高等弁務官事務所サイドが、その立場を活かし、カーブルにじかに救援を訴えた。政府は軍の病院の医薬品や備蓄用の小麦をそれに振り当て、準備万端を整え、一五台のトラックで緊急輸送を実施した。だが、残念なことに、へクマチュアルの手兵に襲われ、半分を強奪された。パンジシール渓谷の人びとはどのような思いで、この顛末を口つたえしたであろうか。しかしそうした臨機応変な対応は今後も政府によってつづけられると思われる。こうした「実」の積み重ねが「兄弟」関係の回復につながる、そのことを、今回のサイディ氏やラスール氏がわたしたちの映画のなかで示してくれている。ソ連軍撤退の時点を、和解の展開の自分たちのモメントとしたいとわたしには聞けた。
 「ソ連軍撤退後はアフガン人同士の責任だ」という自覚は色濃い。しかし同時に「兄弟殺し」のいまの戦闘から脱出するには世界の人びとの理解が要る、戦禍からの再建にも力をかしてほしいとも訴えることを忘れない。「そのために今回の映画に向き合い、ありのまま話したのだ」と思う。しかしアフガンの人びとのカだけで、平和が確かなものになるとはこの国のだれも思っていない。この国民和解がソ連・インドとアメリカ・パキスタン・イラン・中国・サウジアラビアなどの動向と緊密に繋がっていることを、リアリストであるアフガンの人達は深く知っている。
 わたしたちは機会あるごとに「この映画は日本の人びとのために作ります、同時に世界に発表し、アフガンのことを理解してもらう一助にしたい」といってきたことの意味の重さは、撮りおえた今、あらためて切実にわたしに迫っている。
 (編集作業のかたわらでー一九八九年二月十三日)