水俣病は、終わっていない 人類にとって「ミナマタ」は「ヒロシマ」と同じです インタビュー 『shinRo 高校生の進路』 12月号
水俣との出会い
僕が最初に水俣を撮ったのは、テレビの『ノンフィクション劇場』(1964〜65年)。「水俣の子は生きている」と題し、母親の胎内で毒に侵されて生まれてきた胎児性水俣病の子どもたちを撮りました。
通常、毒物は、脳と胎盤には入らない。人間の体はうまくできたもので、きちんとバリアができているんです。ところが、有機水銀は、そのバリアを突破する。母親が「おなかの子のために」と食べた魚に蓄積された有機水銀が、胎盤を通過して子どもに蓄積された。むごい話です。
スタッフともども、正義派のような顔をして現地に行ったんですが、とても撮影させてもらえるような状況ではありませんでした。
水俣病は、神経系統がやられるので脳性小児麻痺に似た症状が見られ、幼児期になっても首が座らずにぐらぐらしたり、歩行ができない。
「そんな子どもの姿を世の中のさらしものにするつもりか」
「地元の人に対しても姿を見せないようにひっそりと生きているのに、テレビなんてとんでもない」
胎児性水俣病の子どもを持つ親たちにそう言われ、横っ面をひっぱたかれたような思いでした。ドキュメンタリーなんて体のいいこと言っても、結局はみすぎよすぎでやっているわけだし、生半可なことできちゃったなぁと、ひどい挫折感を味わいました。
結局、協力してくださる患者さんが現れて、撮影は終了したんですが、そのときは、何作も水俣を撮ろうなんて、思ってもいなかった。生半可な気持では撮れないと、思い知らされましたから。
厚生省が、水俣病がチッソの工場廃水によるものだと公式に認めたのは、僕が水俣を初めて撮ってから3年後、発生が確認されてから12年もたった1968年のことでした。
水俣病の闘争は、これを機に再燃しました。それまでひっそりと生き、隠れた存在だった患者さんたちは立ち上がり、チッソ、国、県を相手どって裁判を起こしたのです。
これによって、最初に僕が水俣を撮ったときとは、事情が一変しました。患者さんたちは裁判に勝つためにも、水俣病を世に知らしめたいと考えるようになった。そして僕の水俣映画としては第2作、長編としては最初の「水俣・-患者さんとその世界」ができ上がったんです。
この長編を撮り終えても、患者さんや周囲が「それで済ませてしまうのか。まだまだ」という。言われてみれば、なるほどテーマはたくさんある。患者さんの生涯保障の問題もあるし、医学的な解明の問題もある。だからその後は、僕自身、節目節目には撮ることにしてきたんです。
病像自体も解明されていない
国はもう、水俣に幕を引いてしまおうと思っている。もう解決した。水俣はもう終わったというわけです。
しかし、僕をはじめ、水俣をよく知る人ならば、水俣病が決して終わっていないことをよく知っている。知覚障害を起こし、たばこの火を手に押しつけられて何も感じない人が水俣病の認定を申請して、棄却されたりしているんです。
国は、以前よりも水俣病の認定枠を狭くした。かつては、水俣近辺に住んでいて知覚障害があれば疑わしいとされていたのに、今は、知覚障害だけでは認定されないんです。
そもそも、病像自体も解明されていません。水俣病のなかには、肝臓が侵されるなど、有機水銀中毒だけでは説明つかない症状も見られる。いま、考えられているのは、セリウムやタリウム、ヒ素などによる複合重金属汚染だったのではないかということ。そのなかで有機水銀がひときわ強かったのではないかと。
しかし、もはや手遅れで、いまさら掘り返して研究し直そうという学者がいないんです。
水俣病は終わっていない。だから、これからも水俣を撮りたいと思っていますが、いつ撮れるか、また本当に撮れるのかわからない。これから撮るとしたら、環境の復元を見届けたうえで、水俣病とは何だったのか、患者さんだけでなく、水俣病に関わったいろいろな立場の人から話を聞かなければならないと思っているんです。たとえば、当時の厚生省の役人は、どう思っているのか、チッソの社員はどう思っているのか。しかし、それが難しい。役人に電話をかけても、ガチャンと切られるだけなんです。まだ生々しすぎて、「今だから話そう」というところまではいっていないんです。
関係者は老い、胎児性水俣病の若い患者だけが残る
あと数年で、水俣病は40年目を迎えます。研究者も患者も老いている。亡くなる患者さんも少なくない。僕だって、いつまで仕事ができるかわかりません。
しかし、たとえ関係者の多くが老いて亡くなっていっても、水俣病は終わらない。これからも障害と闘っていかなければならない、胎児性水俣病の若い患者さんたち。彼らはいま、30代前半です。
また人類全体にとっても、水俣病とは何だったのか、もう1度考え直す時期にきているのだと思います。
「ミナマタ」は、「ヒロシマ」と同じように、世界中に知られています。文明が生み出した、しかも国家と企業が癒着した際に犯しがちな大きな過失として。そして人類は、ヒロシマの亡き人々に頭を下げなければならないのと同じように、ミナマタにも頭を下げなければならないと思うんです。
「あなたたちのおかげで、僕たちは2度と同じ過ちを起こさずにいる。感謝します。だから、できるだけ楽しく、したいことをして一生を終えてください」
考えようによっては、ひどい言い方に聞こえるかもしれませんが、僕は、そんなふうに思っているんです。