『原発切抜帖』について 「第4回ゆふいん文化・記録映画祭」パンフレット 5月 ゆふいん文化・記録映画祭
起きてはならないことが起きる、それが現代の悲劇の襲いかたである。原発の映画はいつも念頭にあった。だから新聞の切抜きは十数年続け、折をみては原発地帯を歩いた。当然ながらどの原発施設も撮影禁止のガードは厳重を極めていた。地元の人の口もかたく、まして原発に関わる労働者との接触は困難だった。ならばどうするか。思案のなかから『原発切抜き帖』の題名がうかんだ。これなら自力でできる。新聞を素材に原子力三十年を振り返ってみる。その第一のカットがまず浮かんだ。原爆投下直後の「広島に焼夷爆弾…若干の被害をこうむった」という四行のベタ記事だ。それから原子力の記事の戦後史ははじまったからだ。いご図書館や新聞の縮刷版から原爆実験の被害からアメリカのスリーマイルズ原発事故(79年)はじめ国内外の原発事故までの一万数千の記事を若い仲間と三か月がかりで当たった。「こんな記事があった」とたびたびスタッフに驚きの声があがった。それらの記事は原爆と原発の被害が同じ質のものだということが折あるごとに指摘していた。だが忘れている。(チェルノブイリ原発事故はこの映画の二年後である)やがて高木仁三郎氏の協力をえて千数百の記事から選び抜いて二百余の記事を主役にした。
新聞だけで映画ができるかと考えたが、新聞には意を凝らした見出しがあり地図があり、写真、図表もある。視覚的に凝縮された紙面だけに“絵”にはなると思った。語り口は小沢昭一の助けをかりてあえて軽妙さを心掛けた。「喜劇と悲劇は表裏一体」と思うからだ。
『原発切抜き帖』
カラー、16mm、45分、82年、青林舎
製作者:山上徹ニ郎 米田正篤
企画・演出:土本典昭
監修:高木仁三郎 西尾漠
語り:小沢昭一
音楽:高橋悠治と水牛楽団
撮影:渡辺重治
録音:久保田幸雄