燃えている生活-直前の二人-「結婚を祝う会」西江孝之・矢吹三千子両君の結婚を祝う会発起人会
西江君は結婚にむかって胴ぶるいしている。憑かれたように進んでいる。全人的な転換を企てている。若い樹木が生きながら真の太陽にむかって,さらに位置を立てなおすように,いまメリメリと音を立ててその身をよじっている。直裁でナイーブな向日性をこのように見事に体に貫き通している男が,映画を通じ,運動を通じて,私達とつながっていることが,何とも言えず喜びです。
その人が誰を選ぶか,誰と人生を交換しあうのか,野次馬精神を超えて,私の興味をひく。何としても,その結婚式を見すえたいと思います。記録映画作家である西江君と,ポーランド大使館につとめておられる矢吹三千子さんの出遭いは7年前からのことで,その間,自分から飢えにおいこんで腹をすかせている様々の時期のある時,ある刻に,おにぎりをはこんだ戦友であったという。友人たちは,みな,今となっては当然の結びつきに心から祝福を送っています。
かつて,ニセモノの結婚,まやかしの家庭の幸福を叩きつづけている西江君を見つづけた友人たちにとって,はたからの結婚のすすめも無駄と思われた。だが,西江君の中で,三千子さんがどうふくらみ,彼をくいやぶってむすばれるか,希いと不安をもたなかった人はいなかったでしょう。その結婚を自ら全パトスをかけて,宣言して歩きまわっている半狂乱の彼を見ると,私達はほっとし,満面笑みを浮ぶのをとめ得ない。「俺たちの結婚を通じてナ」と舌なめづりしながら「日本とポーランドの合作映画の可能性を,ここでつよく打ち出したいのだよ」と続けられると,催眠術にかけられたように西江君ならそれが出来るだろう,「結婚」同様必ず実現するだろうと固く信じられてくるのだ。
丁度10年前,ワルシャワの国際学生映画ゼミナールに牛原氏と出席,世界の若い映画人の前で日本映画を論じ,原稿が分らなくなって,席中の日本人留学生を壇上につれ出して喋りまくって,聴衆を魅了した。そしてヨーリス・イヴェンスはじめ多くの監督からポーランドで映画を勉強しないかと強くすすめられたという。そうなれば,又人生も変ったかも知れない。だが,深く映画を愛する彼は,不毛期の日本の記録映画の中で数々のすぐれた映画をつくり出した。そのつみ重ねの果てに,ポーランドの映画と一対一でという気宇広大な研鑽のプラン,作家活動の展望を自分の中からつよく押し出し,その友情に応えようとしている。ポーランド大使館員である彼女との結婚が,暗示的であったし,具体的なつながりであろうと思うのは又面白いことです。
「マリンスノー」(1960)野田真吉氏の助かんとくとしてスタート,一足とびに監督となり,「稲」(1961)で同氏と共同脚本,演出。「日本の農業」(1962)毎日産業映画コンクール最高賞「焔の芸術」(1963)「ミクロ・ラプソディ」(1964)「永遠の瞬間」(1964)と,一本一本,手ごたえのある問題作秀作をつくりつづけて来た。1カット毎に,フイルムの詩をよみつづけ乍ら,カメラサイドに立っている西江君を感じさせる。焔の芸術の加藤唐九郎の陶作のシーンは,その手の神秘に近い描写と共に,いままでいかなる映画にも見られなかった最高の「手の詩」を感じた。凝視の果てに浄福に到った作家の純度をそこに見た。今日,映像の未来を切り開くチャンピオンと誰しもその彼を見つめている。
西江氏は又,恐るべき映画技法の駆使もいつか身にそなわり,もはや“何でもこい”の高みにいる。ただ,それだけで映画が作り手の中に入ってこない現在の日本映画の状況の中で,彼はすでにそうしてすべてを確かめつづけた如く,血まみれになり,泥の中から瞳を拭って,彼の映画をその眼で作りつづけてゆくことになるだろう。それは芸術運動の中で,皆の指標にすでになっている。
御二人の結婚で,顕然と得をするのは西江君と決めたい。作家西江が,ポキポキと肥って,映画に猪突するスプリングボードに,こんなうってつけの状況は,彼の30余年の生活で始めてだったろうから。 乾 盃