地方に無関心な東京/伝えたい水俣病の「今」 インタビュー 『熊本日々新聞』 6月27日付 熊本日々新聞社 <1994年(平6)>
 地方に無関心な東京/伝えたい水俣病の「今」 インタビュー 『熊本日々新聞』 6月27日付 熊本日々新聞社

 二年後の一九九六年五月は、水俣病の公式発見から丸四十年。節目のその年に、水俣病問題にかかわってきた首都圏在住の人たちが「水俣・東京展」を開く。世界の公害の原点である水俣病の「今」を、映像、写真、演劇、講演、シンポジウム、多くの資料などで見つめ直す一大イベントになるはずだ。
 「この四十年間を振り返ると、政治的な動きはあったにしても、東京は九州の僻(へき)地のことに無関心だった。そうした中で、僕も含めた表現者たちが水俣にお邪魔していろんな活動をしてきた。それらの仕事を再発掘し、あるいは新たに書加えて、今の時代の”体温”で水俣病問題を考えてみたい。その上で、イベントの成果を水俣にお返ししたいと思っています」
 近代化の名のもとに中央が辺境に押し付け、辺境から吸い上げたものを明らかにすること。-土本さんたちは二年前から準備会の形で東京展のありようについて討議を重ね、この五月に実行委員会の発足にこぎつけた。現在のメンバーは約四百人。会社員、教師、主婦など、顔ぶれはさまざまだ。先ごろ開いた第一回実行委には八十人が参加した。
 「その半分も来ればと見越していたんです。皆さん、確かな熱気があって、意を強くしました。異なる世代の人たちがそれぞれの『わが水俣病』を抱えていて、それがいろんな市民運動につながっている。消費者運動とか環境問題、アジアの問題など、水俣病の『今』は多くの枝葉に分かれています。そういった二十世紀後半の『それぞれの水俣病』を東京の手でまとめていくという合意を支えにやっていくつもりです」
 水俣に関する緒運動はこれまで、患者さんたちや在水俣、熊本、九州ほかの支援者たちの苦労に負ってきた。今回も資料収集やインタビューなどの作業は、現地抜きには考えられない。その点を踏まえた上で土本さんたちは、「東京のスタンス」を大事にしたい。取り返しのつかない過ちを犯した日本の首都の、その「東京」を大文字にしたイベントにしたい。
 「おこがましいかもしれないが、水俣の方々のお世話になりながら、民衆の記録の総まとめをしてみたい。と同時に、今まで民衆サイドに寄り添ってきたことで見逃していたもの、つまり行政や企業の側の資料や見方も出していただきたい。そのために各方面の理解と協力を取り付けたいし、チッソにも真正面から話をしに行くつもりです」
 「というのも、これまでは水俣病問題を片側からだけしか見てこなかったのではないかという思いがあるんですね。幸い、現地の行政も世代が変わってきて、お互いのようですし。ただし、イベントの本質として、企業・県は当然のこと、国にも責任がありまっせ、それは免れ難いことですよという視点は断固として外しません」
 具体的な日程は未定だが、東京展の期間は約三週間。一番の難題は会場探しだそうだ。
 「何と言っても水俣病問題は”現役”でしょう。公の場所となるとなかなか難しい。都心の廃校になった小学校を使わせてもらえないかと思ったり、どこかの空き地に大きなドームを仮設しようかと考えたりするんですが…。最後の最後まで頭を痛めそうです」
 「もう一つは資金繰り。僕の見積もりではつましくやっても七千万から一億円は必要です。とても入場料だけでまかなえる額ではないし、この機会に新しい製作物を作って水俣市に贈りたいとも考えている。個人の方々とか、水俣病をルーツにして生まれた環境産業など、いろんな方面に物心両面の支援をお願いしていくことになるでしょう。そうやって、三週間で七万人から十万人に入ってもらえたら大成功だと思います」
 ある事件を回顧して、それでエピ口ーグという形のイベントもある。しかし水俣病の場合は、今も生々しい現実の事件であり、終わりは見えていない。
 「人々はこれからも『水俣』を思い続けていくということ。『水俣病問題は終わった』という言い方に異議を唱える、人類の”聖地”であるということ。意に染まない向きもあるでしょうが、私たちの狙いはそこにあります」