作品「死亡0」の投げかけているもの-ドキュメンタリーにとって真のテーマとは何か-ドキュメント「死亡0」交通頭部外傷の記録 試写会ご案内東洋シネマ
姿なき殺人はフィクションの世界ではスリラ-であり得ても、現実世界では、どのような内部構造をもち、その殺人作業のベルトコンベアの中で、私達自身が、どのような一つの”負のビス”であるか‥‥岩佐寿弥が、交通殺人を背景に、死ななかったが、しかし、廃人となって生きのこる”頭部外傷者”に視点を求めて、その人間失格との斗いにカメラをむけたとき、どのように、そのトータルな元兇を告発するであろうかに眼をむけた。私自身「路上」という同じプロダクションでの作品で、路という殺人機械をあばこうとしたときに、ついにその元兇自身に迫り得なかったことと重なっていたのだ。
岩佐寿弥の第一回作品「死亡0」は、あのルート、このルートと元兇のひそむしげみを探索しながら、敵のいない斗いに傷ついた人々の遺棄体にふれつつも、ついに元兇に倒れなかった、作者の苦斗そのものの告白書として私の前に返って来た。彼の絶望的な狩の旅の記憶であり、敗者の記録であることのブッキラボーさをもって「死亡0」となづげ、0の背後にある、死ななかった死者について、その無限大の数字を暗示して、幕を下した。私は、われわれのドキュメンタリーも、とうとう、最も困難な領域に、足をふみ入れたものだという感慨をもたないわけにはいかない。作品「死亡0」は完成度がないというより破綻ともいえる 。にも拘らず、現代の作家として、いつかはうける打撃を、はやくも処女作において、顔のドマン中に、ありありと刀傷として印しながら、憶せず登場したとき、いまだ暗黒ともいえるドキュメンタリーの未開拓の部分をともに、きりひらく僚友の出現を感じないわけにはいかなかった。
この映画から構築的なテーマをうけとることはむつかしい。空想の城の骨格、リンカクが不鮮明である。一体何をいいたかったのか?、私は、私のいま日常おぶっているモヤモヤとつきあたる。私はTVやPR映画などの註文者のいる映画をとっているとよく聞かれる「テーマをたてて下さい。」「このシナリオのテーマは何か?」「作者はつまり何をいいたいのか!どのシュークンスでそれを云うつもりか?」その時、私はいつも果しない困惑に追いやられる。いま漠然とたてているテーマ自身を、これから撮ろうとするドキュメントの仕事の中で、確信に至るまで彫りこめるか、私のテーマに重大な質的な聞違いがありはしないか、これからむかうぶ厚い現実との斗いの中の予感が、予定的なテーマを口にさせないのだ。だが私は必ずつじつまを合わせて答えている「人間に対する現代の無関心」とか「連帯の原型」とか、自分でもよく分らないことを口走る。そして憤気に満ちる。勿論テーマを問う人に対してでなく、さりとて自分に対してでもない。
作品「死亡0」をみて、私は、私にまた、問われる。この作品も見事に"テーマ″と"何をいいたい"が欠落しているのだ。自分のことを棚に上げてそのことに憤っている私がある。「岩佐、テーマは何だ、はっきりしろ!」「死んでもいいたかった一言は何か」そうイッペン啖呵を切らないと気がすまない。そしてその直後から、ドキュメンタリーにおけるテーマと、そしてひそかにモチーフについて考えこみはじめる。私の場合、テーマは不鮮明であっても、モチーフなくしては作品にとりかゝれない。あたり前すぎることだが、生きているだけの植物的時間を中断する、新らしいモチーフをめぐる人間的な確証行為が私にとっての"撮影"であり、"映画"である。それは又あたりまえのことだ。だがそのモチーフは作品の対象世界からはみ出るものだ。「生きたい」とか「革命」とか「ユートピア」とかいった幼児語の世界であり、その原点には「怒り」と「射精」をつきまぜた妙な衝動がひそんでいる。それを、映画のテーマとして、一すじ建ておこす作業は、つまるところ、映画をつくる前、つくるプロセス、その他との行為のトータルとしてあれば、あるものであろう。それで又、いいではないか?
しかし
作品「死亡0」はナレーションは極度に少く、また物質的だ。殆ど数字しかない。病院の数、脳外科医の驚くべき少なさ、重症者のパーセント、適切な脳外科医の執刀の下ではその何割がすくえたものであるかなどをポキポキと語る外は寡黙である。毎日、いつかは、どこかで耳鳴りのようにきこえる救急車のサイレンの音も、画面から押えに押えている音響処理、救急車と群衆、救急車をさえぎる車の群、他者の生死に無感動な世界のわくぐみの中で、この死にきれなかった"死者"を追う。そしてその対象に対して、ともすればもつ感情移入を一さい斬っている。
交通戦争の敵は見えない。しかし見える筈だと、救急という行為、手術という行為を分け入っていく。そしてある地点で、茫然と引き返してくるカメラの痛々しさが、卒直にくり返される。すべて被写体は、交通戦争の解決にとって"中間項″であり、絶対な対立物ではない。苛酷な状況で働く敦急隊員の死者への不感症、それは責められるか? 同様に、かつぎこまれても、脳について触診しかできない街の救急病院の深夜の人々、絶対数のたりない脳外科医、直ると分っても、執刀の出来るのは何割でしかない貧しい専門医の数、それを知り乍ら、政治的解決への絶望を知っている医師たち。加害、被害、一瞬にして立場を逆転する路上の人々、そして営々と発声、歩行の訓練をする廃人同様の後遺症者、どの被写体をとっても、交通戦争における、姿なき敵の被害者であり、その"中間項"的存在のむこうにある、黒いとてつもなく大きな敵から暗殺されている人々ばかりだ。それをカメラはもどかしくも回遊し狙撃しようと身がまえつづけている。
これらの人々の行為のディテール、それに対して、仕上げとして巨視的なテーマをやすやすとナレーションで入れることも出来たろう。狙撃の姿勢そのものから、"私は今何かを狙っています。まだ姿をあらわしていませんが‥‥"と中継も出来たであろう。しかし、狙撃しなかった。或いは出来なかったことを噛みしめて、映画は寡黙である。岩佐は黙りこくる。それをみつめる。そしてついに三十分の映画の最后に、麻すいで仮死状態の脳そのものに「○○さん!聞こえますか!何か言ってってごらん!声を出してごらん!」という医師の声。それに応えて必死にしぼり出す患者の肺気のような、うめきがかすれる。つまり、ひとこと、この映画行為の終末に於て、作者の肉声で「死なないで!」と叫び、それをラストにアッという間に自ら幕を引く。余韻をのこすことすら壊して終る。彼はついにテーマの浮上を拒否した。そのことは何だ。怯気か又は勇気か。
私は疑う。岩佐寿弥はこの作品の中で、あえてテーマをイントクしたのではないか?それは無責任ときわきわの彼の謙虚だったのではないか? そこまで彼を追いつめたのは、彼が選択した交通戦争という現実そのものであったろうし、彼と彼自身の斗いの果でもあったろう。交通戦争の殺人機械の"負のビス″に、同時に無差別に"死者"になりかわる状況の両極の振幅をみすえる"テーマ"に立てないまま行為に入った。ただ、彼のモチーフだけを拠り所としたまま、その時、現実的な解決策や啓蒙、被写体と現実への相対的な批判は、歯こぼれする刃にすぎず、それをテーマに紋り上げることは、かえってワイ少化してゆくことになりはしないか-それが、彼、岩佐の放念であったろう。更にいえば、この対象とむきあうには、もつと巨大を冒険として計画すべきであったという作者の深まりゆく悔恨そのものがあった。ドキュメンタリーが、その作者を逆に斬りつけた一瞬が、この映画のプロセスにまざまざとあったー私はそのことを感じる。
"私は見た"と岩佐はいいたげだ。"‥しかし、それが現実のすべてなのか、私は見なかった。交通戦争を撮ることで始めて見え出したその地平、それをかい間みたとき、私は凍りついた。その氷結から身を動かすには、うめきから始まる外なかった‥"
そのとき交通戦争とその遺棄者たちの重みは岩佐の重みとかさなり、「死亡0」とむきあう。そして岩佐と同じ呼気、吸気を共に映画の現実と対話できるのだ。そして、私たち実作者が、ドキュメンタリーの世界で、いま、それぞれにぶち当っている未開の中核とつき合うのだ。
"テーマ"を放念することで苦斗のあかしをたてた稀有の軌跡に対し、しかしそこに止まっている訳にはいかない。時としてテーマは事前の”見積書”であり〝思想契約書〃であり、最も善意の場合でも、ドキュメンタリーにとって疑いをもたないテーマ主義そのものの疑問を投げかける。"テーマ"の鮮明が現実とのかかわりの枠づくりと安易をもたれかかりを生むことへのドキュメンタリストとしての本能的警戒心は、その反作用としての作家の孤立、孤独を生むだろう。だが、その先に、真のモチーフから、その対象との個有を対話をへた真に鮮明なテーマを創出することに自由のすべてを賭け直さなければならないだろう。そうした作品は、必ずや変革的で流動的なダイナミズムをもつに違いない。私はこの作品が、その門口を逆光下にさらけ出したと見る。そしてあえて正面からの光をあたえることを私達に迫らせる。「死亡0」が不自由な挙措をもちつつ一つ自由であることの悲惨と栄光を私はかみしめる。作品「死亡0」を洗い、解析した時、私たちは更にドキュメンタリーの固い犀の一つをこじあけられるだろう。それを確信する。