「水俣の闘士」にささげる初ビデオ インタビュー 『朝日新聞』 10月5日付 朝日新聞社
「水俣一揆-一生を問う人びと」などを撮った記録映画の土木典昭監督(七〇)が、新作「回想 川本輝夫」を携え、十九日からの山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加する。約四十年のキャリアで初めて公開する8ミリビデオ作品。三十年近く、取材対象であり「戦友」だった人にささげる一本だ。
タイトルの川本氏とは、チッソ水俣病患者連盟の委員長で、今年二月にがんで亡くなった川本輝夫さん(当時六七)。水俣病が「収束方向」とされた一九六〇年代から「潜在患者の発掘」に努力し、加害企業チッソと自主交渉した運動のリーダー役だった。
「回想」は過去の作品と未発表フィルムから織り上げた、川本さんの「半生記」。副題に「ミナマター井戸を掘ったひと」とある。
チッソ本社前での座り込みや、議論のテーブルで見られる、激する川本さんだけでなく、ハーモニカの名手として一曲披露する場面、笑顔の夫婦のポートレートなどが見られる。映画はまた、川本さんが残した文章を手がかりに、水俣病運動の亀裂をも示唆する。土本監督は言う。
「八〇年代末からの水俣で、映画作家としての自分は、手も足も出なかった」
監督自身が、運動の大小の亀裂を見てきたが、記録映画は差し障りのある部分を隠すということができない。八七年の「水俣病その三十年」のあと、水俣を撮った土本作品は発表されていなかった。川本さんが亡くなって初めて、その一端を表に出した。
ただ、いちばん伝えたいのは川本さんの遺言だという。映画の終幕、市議でもあった川本さんが、議場で「水俣を世界遺産に」と訴える肉声が、夕日の水俣の海の映像に、かぶさる。
「回想」は初め、私家版として作った。八月に東京で開いた、川本さんをしのぶ集いで上映し、大きな支持があり、ビデオを三千円で一般に分けることにした。山形映画祭では「日本・韓国のビデオアクティビズム」部門の、十七本中の一本。若い映像作家が多い中、七十歳の「ビデオ第一作」が参加する。