“ドキュメント路上”の演出にあたって 『ドキュメント路上』上映用チラシ   東洋シネマ <1964年(昭39)>
 “ドキュメント路上”の演出にあたって「ドキュメント路上」上映用チラシ4月東洋シネマ

 連日交通事故のニュースにふれても、この映画に参加するまでは、私自身にとってまだ他人事のようでした。

 この映画の企画により、いや応なく、交通事故を直視するまでは、慢性の病気にかかったように、事故の恐ろしさに麻痺していたと思はざるを得ません。

 通りすがりに、交通事故の犠牲者が倒れていても、車を止め、群集の中で拳をふり上げて怒ることもない。だが私も、この過密都市に生きつづけるかぎり、短命か、事故による突然の死という暗い予感にひきこまれるのを防ぎ得ないのです。
 
 私たちは交通事故をすぐに”防止”できる映画は作ることができません。もっと根底にあるものを探し求めました。
 
 或いは私自身の日常の感覚の中に交通殺人のくりかえされている今日の状況に鈍く加担しているものがあるのではないか、それをはぎ去る映画こそ、作るべきではないか?
 
 企画・脚本の段階から「ドキュメント路上」はこのような屈折をへないでは産まれない性質の映画でした。

 1964年。東京に生存し、しかも自分を事故から守るには自衛本能をとぎすませること以外にない。危機への反応力、都会(車を含む)の凶器性へのシャープな身がまえ、つまりギリギリの自衛力をもって事故と闘わねばならぬ現実を中心にすえました。
 
 その眼で路上を再発見し、事故を防ぐ方法を考えていこう― 以上が、この記録映画製作の動機となりテーマになりました。
 
 この映画の”副主人公”は路上を職場とするタクシー運転手。子供もうまれ、一家を背中においはじめた若い労働者のすがたを通じて、事故寸前の生活に直面している、しかし、平凡なその日常を描きました。
 
 「事故を起こせば、明日から喰えない」そうした職業人に、事故の可能性が一番よく透視できると考えたからです。
 
 事故は単なる偶然ではない― これがますます私達スタッフの実感です。
 
 撮影隊十数人のうち、このロケ期間中、三名の重軽傷者を生みました。
 
 そのスタッフへの同情といかりが、この映画の中に最終的に込められ得ていれば幸いです。