映画作家の連帯を・観客への“直接行動”が生きがいに「週刊読書人」9月16日読書人
"映像文化"への一つの視角 自主製作・配給の苦悩
去る四月未、黒木和雄をはじめ、カメラマン鈴木達夫、録音加藤一郎らスタッフを中心に数十名のものが一同に会し「キューバ」を素材とする長編劇映画の製作会議をひらいたときに、一つの決断が生まれた。それは、自主製作と共に自主配給まで運動化していこうということである。私も演出の線上で仕事をしてきた十年に一つの激発力を与える意味で、製作の手助けと、運動化に力を出すことに決意しただ。
「とべない沈黙」はかって「同じスタッフや仲間が作った作品である。それはオクラではない。しかし一般映画館に上映すべく作られ、それなりの予算を費して、完成した。今はやりの一千万映画のATG作品でなく一般館で、全国上映されるべき作品として作られた。予算も従って数倍と聞いている。しかし、いまだATG以外に上映されていない。日映新社作品である。プロデューサー堀揚伸世氏は未回収金をかかえ、ともかくも、映画への次の実験にかける資力を抑圧され、新人や意欲作をあいついで世におくるキッカケを失った、と聞いている。世の中には愚かな人も居るもので「一般公開しない位だから、分らない映画であろう。二度と同じてつを踏むべきではない」と、われわれの新作「キューバ」にさえ、足をひっっぱる言動に出ている。一般館に出したら「絶対当たる」とは言えない。しかし、そもそも一般館に封切っていない。通常、東宝は800~1000館に自動的に自社作品を流している。その一%をATGに出したのみである。「興業上」不平等にすべての悪条件があるのである。そのよい反証材料に、・六月十三日日本映画ペンクラブの主催で一日だけ紀伊国屋ホールで公開されたとき、満員札止めで、戸口でもみあいが起こった。同ホールとしては、開場以来の新記録となった。問題は東宝が一般館に封切っていないことがわれわれの未来を閉ざすことになっているのだ。それは、鈴木清順問題とも
「若者たち」はすでに一五〇万人を動員している といわれ、「ドレイ工場」もその線上で成功し次回作の準備に入っており、「初恋・地獄編」も五社の配給とは異なった形のATG方式+フリー映画館を中心に観客をあつめている。すでに「キューバ」の前を歩いている作品群があり、今秋には更に多くの自主製作作品がそろうだろう。だが以前として配給が一番のネックとして今もなお、問題をのこしている。
事態は作家への萎縮をよびかけ、再起不能におとし入れるものがある。そして座館は、つねに安全である。現金をにぎり、それを手離さないから-。
映画「キューバ」は、私たちにとって大作である。外国ロケにつきものの厖大な支出がつきまとう。渡航費その他の航空運賃だけで、五百万円を超えている。
だから、私たち「キューバ」スタッフと映画同人「キューバ」に結集する仲間たちの選ぶ途はただ一つ
魯迅ではないが、溺れる犬の頭をふみつける時期にきている。それが作家仲間の其の友情と連帯の始まりであろう。
私たちの展望は、真に心底尊敬しあえる作家たちへの真の問いつめあいから始まるだろう。「若者・・・」「初恋・・・」の成功が示したものは、観客の健在であり、売りたい映画をかいたい映画セールスマン、いい映画ととりくんで、かつての良き映画時代を一生かけた経験をふりしぼって再現したいと心くだく映画館主たちの健闘であった。そこには党派やセクトを越えた何者かがあった。映画は決して衰えていない。それにたずさわるもの、私たちが、日々衰えていることの反映であることを教えてくれたのだ。
私たちは映画「キューバ」を作っている。その自主配給の闘いの戦場で、必ずや多くの作家たちの参加をよびかけるだろう。皆が自由に、自主的に映画をつくりたいことを、知っているわれわはれ、映画作家たちが、自分たちの手で、観客の前のプリントを運ぶ「直接行動」が又一つの生きがいとなるであろうことを深く信じて疑わないからである。