ドキュメンタリー研究会 パルチザン前史について 2000年8月27日
パルチザン前史という映画は、僕自身作ったあと評価が自分自身定まらなくて、みんなに観ていただいていろんな意見を頂いたんですが、この映画はある時期の学生にかなりたくさんみられたというか、受け入れられた映画なんですね。
この間パソコンでアメリカの映画のデーターベースのThe Internet Movie Databaseを土本典昭で検索したら、「パルチザン前史」と「水俣」とが「ある機関助士」が代表作として出ていたけれども。
なぜこの作品が代表作に入っているかなと考えると、これを1970年イタリアのピサロという映画祭に出した時に、イタリアを中心としてヨーロッパ全体が1965年から1968年くらいまで、学生運動があり、街頭にも市民が石をもって参加するという闘いがあった後で、遅ればせにきた日本の映画の中で火炎瓶の作り方までのせているので、非常にびっくりしたのと、やはりこれは広く見られるべきだというんで、イタリアでスーパーをいれる作業までしたんですが、実現しなくてね、もっぱら通訳つきで上映されて非常にインパクトがあったらしいんですね。
その時の印刷物に1960年代後半の学生運動の記録の中で、その丁寧さにおいて、そのきめのこまかさにおいて第一位ではないかと、その分野の映画としてはね、そういうような批評があって、僕はそうでしょうかねという感じで受け取っていたんですが。
僕自身が評価を決めかねたのはこの映画の主題に関する問題です。
それは暴力とはなにか、パルチザンという構想がはたして有効に日本の闘う勢力の組織形態になりうるのかどうかということについて、僕は作りながら首を傾げ、首を傾げながら、やはり好意的に彼らのパルチザンへの動向というのをみていこうと、熱狂的にそのパルチザンを支持するという立場とは遠い立場でこの映画を作った。
主人公や周辺の学生に対する熱烈な愛情というのは持っていたし、ほとんど泊り込みでいっしょに酒を飲み、いっしょに生活し、いっしょに闘い、時には武器をいっしょに運び、レポもやったり、彼らと一体化しながら次々におきてくる事件というものに密着しながらずっと撮ってきたという意味で、それを撮り終わってから全体に構成していく時に、どういう風に僕の暴力の問題、パルチザンという日本ではなかなか定着しない組織形態だけれども、そういった運動について、やはり「パルチザン前史」という名前をついてやる以上なんらかの考え方で構成しなければいけない、そういう意味で撮りながらも悩んだし,作った後もその構成に苦労した作品なんです。
この映画の前にあった大きい学生運動としては60年安保がありますよね、60年安保からずっといわゆる社会の革命的な運動は冷えて、冷えて冷えて冷え切った果てに中国の文化大革命が起きると、それからヨーロッパで5月革命が起きると。
いままでの学生の社会的な位置についての各国の学生なりの批判が吹き出てくる。
アメリカでも、産学協同に対する反対が吹き出てくるし、フランスでも管理教育について出てくるし、どこでも学生の反乱がおきてくると。
まして中国の文化大革命はこの映画を作った3余年前まではたいへんに煮えくりかえっているわけね。
日本の学生運動は1967年くらいから台頭し始めて、1968年には東大の医学部を中心とした全共闘運動が起きてくる。
全共闘という言い方ではなくて、それぞれなになに委員会とか、なになに学生協議会という名前なんだけど、一つの大学単位で大きく括って全共闘といわれだしたのは1968年の後半からだと思うんだけれども。
そして各個別の闘いではなくてオーバーに言えば、大学そのものの存在を問い直すというか、特に帝国大学系ね、帝大解体という言葉が生まれたぐらい、帝国大学のもっている国家のエリート教育の牙城としての大学というのを、いかに民衆のために役立つ学問にとらえなおすかと、そのためには各大学でどうしたらいいかということで、言い方はいろいろありますが、帝大解体の他にこの映画に出てくる滝田修は「反大学」という言葉を使っていますね。大学に反対する反大学。そのスローガンを掲げて闘いが一年以上に及ぶわけね。
その中で東大でもそうですけど入学試験をボイコットしたり、あるいは卒業試験をボイコットしたり、学校にバリケードを作って、いまの社会では考えられないような学生の牙城が次々に方々に出来てくると。
その時のことをオーバーにいうならば学生の価値が転倒してしまってね。
素直に大学を卒業して、素直に社会に出て働くということを追及するあまり偏差値教育も生まれてくるし、大学のゆがんだ姿も出てくるし、政府によって管理されやすい大学に作り変えられていくということで。
大学を卒業して平凡に社会に入るということを一年近い闘争の中で、みなどっかで自分の進路に対して腹を決めなければいけない。
特に活動家は、活動家といっても一部ですけれどね、活動家たちは学校を卒業するなんてことは考えないと、自分達は社会に出て闘うんだと、あるいは大学の中の闘いにしても、目標がはっきり勝てるとみえているわけでないし、はやりどうやって一生涯にわたる自分達の闘いを組み直すのかということを、どこかで日常に考えるように追い詰められていったと思うんです。追い詰められていたというより考えざると得ない時間を送っていたと思うんですね。
僕たちが撮影し始めたのが1969年の夏からだけど、その年頭に東大の安田講堂の落城というのがあり、日大全共闘の終息がありね。
中央大学やいろんな大学でおこなわれた闘いも次々に学園のなかに押し込められていくと。声もたてられなくなっていく時期に全国的にはね、東京がつぶれていった頃から、全国の大学で全共闘運動を始めるわけですよ。地方が各大学がね。
それは九州の大学もそうだし、下関の水産大学もそうだし、関西の立命館にしろ同志社大学しろ、とくに関西なんかはワンステップ遅れて京大とともに次の日本の学生運動を担うべき役割を担っていた。
この映画の頭にみんなで集まって日比谷でやるのは9月ですが、第一回の全国全共闘会議ですが、それに対して主人公の滝田は映画の頭からこの全共闘の第一回の会議は間違っていると、どこが間違っているかというと、その年の秋にいろんな闘争が予定されているんだけれども、その闘争にどれだけの人数をかき集めるかというための、いわば各セクト集団の総決起大会みたいなもので、その闘争に参加しようという思いをかためるだけで、彼らの言葉をもってすれば戦いの駒を、闘う人の量をどれだけ集めるかというための全共闘運動であって、全共闘が本当にいままで闘って来てさらされている問題、今日の大学をどうするか、これから人々の中でどういうふうに闘っていくのかということについての討論も議題もないと。
そういう中に出てしゃべりたいんだけれども、日比谷でのスケジュールからいうとね、京大にも中核やいろんなセクトがあるんですが、京大の200人か300人たらずの代表であるノンセクトには自分達の全共闘批判をしゃべる場所があたえられないということで集会の頭でもめるわけです。
そのもめるときのポイントをみているとやはりノンセクトという場所がない。つまりもはや10年間の歴史をもつ新左翼が、中核、青解、ブント、第四インター、ML、その他と八派勢力をそろえていると、わけていてノンセクトを無視している。そういった中で、自分達は大事なことを提起しにいくんだということで、その行動をおこすところから映画が始まっているわけです。
だから映画としては公正さを欠くところもあるわけね。
というのは京大の取るに足りない小セクトの内部にカメラをすえて、その小セクトの目に映った学生運動、大学の中の諸闘争をその目で見ていくという形にならざるをえなかった。そこに撮影の場所をすえたわけね。
京大にいってまず撮影の場所を討議してもらったのは、そのノンセクトのグループで、彼らは文学部と教養学部と、農学部とに影響力をもっていたんだけれども、特に文学部は強い影響力をもっていた。
その文学部の中に僕らの泊まる部屋をつくってね。寝袋を用意して、飯はみんなで適当に食べに行くんだけれども、そこを生活の場として、寝起きの場として提供してくれるという約束になって。学生だから金がないし、僕たちも金がない。
似たような状態ですけど、そこで起居を共にするということはできたわけね。
僕たちにたいして彼らがいうのは自分達は開かれた党派で、コソコソとどっかで相談してバンとやるというような今までのようなやり方はしないと、もちろん権力に対して秘密を守まもらなければいけないということはあるけれども、大学のバリケードの中では、なにをしゃべってもなにをやっても、それは全部開いているんだ。
それは誰がみてもかまわないけどそのことをやっているんだ。だから映画にいくら映ってもかまわないと、という了解が、いちいち了解をとるとうふうな形になって、そういうことがきまっていくわけね。
それから一人一人の顔も撮るわけですよ。そうするとその当時でも逮捕状の出てそうな人だってウロウロいるわけね。だけどその人たちの事情は聞いて知ってはおくけど、その人たちをはずして撮るとか、その人たちの顔は撮らないようにするという配慮は撮っているときにはしないと、まとめる時には考えることはあるだろうけど、とにかくあるのまま撮ってよろしいということになるわけ。
それは京大がもっている一つのリベラリズムの伝統もあると思うんだけれども、東大ではなかなかそうはいかなかったと思うんだけど、京大ではことが了解されたし、それとなしに、学内に大きな勢力をもつ中核とかブントとかそういったところの仲間諸君も、小川プロがきて学生運動の映画を撮っていると、これは悪いことではないからできる限り協力をしようという形で、まったく本当に闘いの舞台のどまんなかに腰をすえることができるようになった、これは大きいですよね。
これを撮ってもいいかという相談なしに自分達の感じで撮っていけると、かくすものは基本的にないということだから、どんな会議でもそばにいってカメラをまわすというようなことができた。そういった意味で僕たちが考えるとおりに、経過報告できる体制はできたわけね。
作品を作るという言葉と経過報告という言葉をちょっと違えて僕がいうのは、経過報告というのは経過はなんでも撮って行くという事です。作品製作というのは選ぶわけね。
相手も選ぶし言葉も選ぶし、なにを闘うかも選ぶわけです。そういった意味で経過報告的にはなんでも撮れる。それから作品的にここは押して撮るぞというような部分については、僕たちからかなり注文も出したり照明ということもありますから、明るさということを要求したり、みんなに撮影に協力してもらうとというともあって、かなり作品的な活動もしてきた。
だからみんな自分を守る方法としては、映画に対してもマスクとヘルメットね。要するに眼鏡だけだして、顔を隠すと、つまりどう撮られても顔は見えないようなことを各自やるだけで、全体像は映ってしまう。そこで学生の軍事訓練とかそういったものを延々と撮影したわけなんです。
台本シーン19番
実際に夏休みに僕たちは入って、夏休みのバリケード闘争を撮影しながら新学期を迎えていくわけですけど、その最初にぶつかった闘争が、映画の最初に紹介された、9月の大学院の入試の闘争で。
それは台本シーン番号では19番ですが。
これは実に簡単に撮影できました。
それを撮りながら思ったのは大学の机なんかをメリメリこわしていくのね。
これはね、みんなの使うべき財産をこんなふうに扱っていいのかと心を痛めて撮りましたね。
そういったことはもはや大学の中では、別に取り立てて暴力的なことでもない。
普通のこととしておこわれているだけに、やはりこの数ヶ月間たまりにたまったみんなの集団的な「安保反対」、「帝大粉砕」、「廃頽」ね、「造反有理」というようなスローガンをしながら、ファイトファイトで動き回っていく、学生運動の最初の撮影でこれは僕たちはかなりなところまで闘いをみることになるなと思ったりしたわけです。
それから武装という問題についてね。1969年というのは各党派的にも、党派間の闘争にもゲバルトが登場するわけね。それこそドズいたりするのは当たり前のことで、ゲバ棒で頭を割るみたいなこともあるし、各左翼だけではなくて東大闘争のときにも代々木は彼ら独自で千を越えるゲバ棒隊をつくったりしたわけで、どこでも党派の中では強いられた闘争に対しては負けることなく対等の等の暴力で向っていくんだという意味で武装がされてきたわけです。
その中で指導者が報告しているけれども、創価学会の青年部までもゲバルト部隊をもってきたという報告をやっていますけれども、それに参加している学生数は、京大には学生が何万といると思うんだけれども、その集会に参加している数はおよそ四、五百だと思いますね。その四、五百の人数でいま京大全体の運命を左右するようなアジテーションが行われていると、というのを撮るために全体の数がすぐ読めるような、車で回転移動しながらそのシーンを撮りました。
いきなりしゃべっている人の顔のアップや、聴いている人の決意をうかべていう顔ではなくて、引きっぱなしでその演説全体を撮影した時に、依然として京大の中で公然と全学集会に出ていく人間というのは四、五百たらずの人間ということをはっきりわかるように撮っておいたということがあります。
これは僕としては批評的な撮り方だと思っているわね。つまり人数の規模をみせない集会の撮りかたというのはありますよね。あるいは少ない集会でも人に満ち満ちたサイズも撮れるし、パンをしていけばね。どこまでも人が続くようにそういうふうにも撮れるけれども。
こういった京大の最初の闘いのところでは、僕は闘う人の実態が全体からどのくらいのものであるかというのを明らかにするようにして撮ったと思いますね。
そういった工夫が撮影の随所に埋め込んであるつもりなんです、映画全体でいえば、それをみなさんがどういうふうに察知していただいたかどうかわかりませんけど。
たとえば、その集会の続いて学生が鳩をつかまえて、鳩を眺めながら空に放り投げてやる。そのカットに続いて典型的な京都の清水寺に通じる路地風景を出して、そこにはまったくなんでもない生活が続けられている、平和で平和な、それこそ土屋くんの言葉じゃないけど、ヘドなでそうな平和な京都があるわけです。そういった撮りかたをしています。)
それからこのシーンの解読表の頭に滝田のアジテーション、滝田がはっきりと政治的なことをいうアジテーションの場合はカッコでその言葉と場所を書いています。それから滝田が自分でしゃべったり述懐するのは、二重カッコでやってあります。それから大衆闘争、あるいは滝田に対して批判があり、違う意見もふくむものは鍵カッコでかいてあります。
相当初期から、学内ではこれだけ燃え上がっていても、京都は燃え上がっているのかというのをね、一目でわかるように。
京都全体にとっては京大の騒ぎは囲みの中の騒ぎであって、全体にはなんらの野次馬もでてくるわけではなければ、なんらの騒乱に参加するような人もいないというような状況はできる限り撮っています。
それは京都の町というものが僕たちに突きつけてくる、この伝統のある町、伝統のある自由の大学、京大。それと京都との長いつき合いからいえば、「京都の学生はんがなにかしはっている」といっても、まあまあそれだけのことであろうというような、決して大衆闘争としてつながっていくような動きではなくて、京都の中だけに埋め込まれた闘いだということを前半でところどころうっているつもりです。
さっきいったように、なぜパルチザンということがみんなの問題になるかというと、いつかはこのまま大学にバリケードをはっていても首になると。活動家が除籍になると、娑婆におん出されていかざるを得ない。そいうふうになった時にどうするかということをふくめてリーダーが話し始めるんだけど。
活動家とはいえ一般的な学生はそうはいったって、俺は別に大学を突き出されていくふうに思ってない人も多いわけですから。
みんながまとまって社会に出て、みんなでまとまって働き、共産主義的な労働団を作って働いて、そこでパルチザンという部隊を5人作って、そしてその5人で働いた金で武器をつくって、そして5人できめて、なにかの闘争を打ち上げていくと、そういった提議ですからね、パルチザン5人組というのは。
台本シーン23番
そういったのをまともに提起するんだけれども、それに対してなかなか賛成しない。だけど一人では戦いきれないぞというのはことはわかっていると。これは台本シーン番号でいうと23ですけど、それがあります。
台本シーン25番 26番
それと同志社大学の赤軍派の捜査。これも事前に察知して活動家が一人も残らないバリケードを構築するだけの、それと活動家をパクルだけの闘争ですけど。
同志社大学と赤軍派捜査というシーンがあります。深夜のバリケードでいよいよ京大にも近づいてきたなと、同志社をやるということは次は京大をやることだという予感でみんなが感じるシーンがあります。
それが台本シーンの25、26番です。
台本シーン27番
台本シーンの27番は同じにしてありますからね。この中の台本のシーンの番号と解読表のシーンの番号を同じにしてあります。
ここで第一回の軍事訓練が延々とあります。
なぜ延々とそのシーンを、5分間くらいありますけど、取り上げたかというと。それは学生が組織された誰かから軍事訓練を輸入して、教わって訓練をうけてそしてやるんじゃなくて、自分達で見よう見まねで軍事訓練をやっているんだ。
その不様さというかその滑稽さというか、そのなかでどこか真剣そうな、複雑なあやみたいなものを、本気であるような、マンガチックで自分で笑いをかみ殺しているような、そういった不思議なニューアンスのみんなの動きやつぶやきを大事にしたもんですから、それは長く使っています。
台本シーン30番
それから30番の武器作りというのは、これはノーハウで撮りました。
これはいつかちょん切られるかもしれないと思っていましたからね、これを作っていく途中でこれは顔は写さないようにしていて、手しか写していませんけど、こういうものを学内でつくっていたという自身が物証になりゃせんかと。
教室も特定できるわけですね、壁の字をみていると「造反有理」とか「帝大解体」とかペンキで書いてある。どこで誰らが中心に凶器を作ったかということがわかるかもしれない。だから後でごっそり抜かれてもいいようにシーンをよせてつくってあるわけです。これはいまだに残してあります。
それから2ページ目になりますけれども、ここでパルチザンと他の諸セクトの行動の対象が出てきます。後でパルチザン部隊はなにをしていくかというのが出て行くんですけど、やはり東大闘争の陥落後に、方々の全共闘のがんばりどころはどこかというと、どこまで敵をひきつけてどこまで悩ませて、どこまでがんばり抜いてギブアップするか。やっぱりそこに根性も見せるし闘い力も集約しようということで、このシーン番号31から34はもっぱら中の砦の構築を詳しく描いています。
砦には専門家ははいっていません。学生が肉体的な力だけで作っている。中核派のリーダーに僕が質問してます。「これで一応おしまいにするんですか」という意味のことを聞きますと、「そうですね、やっぱりそうなるでしょう」と悟りきった返事が返ってきますね。
台本シーン34番
それから34番というシーンで、他の学生集団のほとんどが塔の建設に力をあわせてやっている中で、パルチザンだけは参加しないわけです。塔を作っていく音をききながら、雑談風と書いてありますけど、俺達がいままでやってきたことはどういうことなんだろうということを問わず語りに話し出します。
これはかなり大事なことをいっています。
パルチザンということについて正面をきって批判はしないけど、自分達の今の状況をそのものからは本当に敵味方の位置もはっきりしない。自分達自身の内部でも闘争をしていない、こういうところから退廃が始まるのではないかということや。毎回毎回元気よくやっていると思っている青年が「動揺している」と率直にしゃべったり。
台本シーン35、36、38番
それからついに公開としての軍事訓練をおこなう。これは学内でゲバ棒をもって行進する部隊はなんぼでもあるんですが、その中で軍事訓練やっているから歩調が整っている部隊になるんですね、パルチザン部隊は、ちょっとほかとは違った部隊のありかたになっている。
それが白昼、警察だって入ってるだろうに、ゲバ棒でドツキの訓練をおこなう。それがシーンの35.36.38ぐらいですね。
台本シーン39番 40番
39ところで砦の上の構築がありますが、40番にちょっと不思議なシーンをいれているんですね。これは夜の部室ですが、布団をいれて寝泊している男の学生たちが必要にふざけあっているシーンを延々と撮っているんですが。そこに二人の女の子がまじっている。二人とも男の取っ組み合いをながめてあきれ返った顔でいますけど、それをみていると明かに僕の感じですが、そこで男と女の行為が始まってもおかしくないくらい、男でも女でもない人間としてもつれあって、つまりあしたの晩から迫ってくる闘いの前日ね、なんのいわれもないとっくみありをやって体をこすりつけてみんなで騒いでる。僕はこういった状況は大学の全共闘の中にたくさんのカップルを生むだろうと、恋愛やセクシーなことを起きるだろうということを感じました。
それが40番です。ちょっと長いんですがそういうふうな思いで撮りました。
というのはどんな闘争でもセクシーなものはともなうのね。文化大革命でたくさんの強姦があったというのも聴いているし、あらゆる闘争の中で、それこそ良い意味でいえば自由恋愛ね。いっぱいの愛情問題が爆発していくということを聞いています。京大にいっぱいありました。学園の中でも、闘いのカップルがまとまっていくというのは。
テープB面
いっしょになってそれがもとで結婚していくという話しが腐るほどありました。そういったことをちょっと予感して40番はとってあります。
台本シーン41番、42番、43番、
それから次に線がひいてあって、百万遍という大きな四辻が大学のところにありますけど、百万遍という四辻は大学の外ではあるんですが、大学を囲んでいる交差点ですけど。
ノンセクトラジカルは学内の塔の構築でガンバルというセクトの方針とは違って、百万遍のど真ん中にバリケードを築いて市内に騒乱を作ろうという戦術なんですね。
それは明かに市民生活を脅かすものでもあるわけだけれども、しかしそれに熱中していくわけです。その日の朝から他のセクトもなにか予感して動き回りますけど。
台本シーン44番
ここでシーン44番というので、京都の盆地の俯瞰をボンといれています。どこが大学かわからないくらいのロングをいれています。それからアップにして大学がわかるアップをいれてます。大学の中でこれから死人がでるかというぐらいの緊張した、あるいは高揚した雰囲気やワイワイといった声がうずまいていますけど、一歩引いてみれば京都としてはどうなのと、クエスチョンをいれているカットです。これは前後無関係に入っています。
このシーンは映画が完成して見た学生の進んだ部分にはかなりこたえた、なんでこんなシーンがはいっているのかということを良く考えてみると、俺らが中で大騒ぎをしている時に撮影隊は比叡山までいって大学の俯瞰を撮っていたと。要するにその意味はなんだろうということはね、映画をみたあとみんな疑問にも感じたし、同感もしたという不思議な意味合いをもったシーンになりました。
台本シーン45番
それからこの辺までは滝田のモノローグは一切出てきません、いつもアジっているから。大衆の前で話しているシーンですけど、それで闘いが始まります。闘いの打ち合わせで、だれがどこに逃げろとか怪我した場合にはどこにいけとかいう、かなりみんなでつきつめた討議をしたなと思われるそういったことが展開します。45番ですね
台本シーン46番
それから46番から、百万遍のバリケードが始まると、このバリケードの作り方やそれから非常にたくさんの火炎瓶が用意されますけど、その火炎瓶は軍事訓練とは別に各五人組がそれぞれ分業して作ったものです。
だから数がたくさんあるわけ、あれだけの火炎瓶を数百人の部隊で作り上げるには、千本近いものを作ったわけですから、そうとうな時間と金を使ったわけですけど。
撮影としてはノーハウものでこうやったらできますよというシーンで作ってますけど。実際にはそういったシーンがあの部室この部室でもあって、みんなガソリンを買い、濃硫酸を買って、塩素酸カリの粉を買って、そして用意しています。それを道の真中に集めてそしてさあこいとやるわけです。
ここで彼らとしたら大学の一歩外にでたという体制でやるわけです。
台本シーン41番、51番
ここでドンパチが始まります。
41から51番までが戦闘のシーンですが、この中で二回ぐらい小休止があります。
最後にもはやれるところまではやったけどどうするか、このまま捕まるか、あるいは捕まらないのか、そういった討論が生にでてきます。絶対この部隊は生き抜かなければいけないよとこのシーンは終わってますけど、結局はみんなヘルメットをぬいで手ぬぐいをうまく使いながら散って、その闘いを終えていくわけですね。この日はあまり逮捕者もなくてすみました。この一連がシーンナンバー51までです。
台本シーン52番
52番はその翌日ですけど、各セクトの連合した砦であるところの時計台の闘争に移ります。これはものすごい闘争で、機動隊として弾圧の方法としてこれ以上あるかと思うような進んだテクニックで塔をたたきますね。一日中続くわけですが、その中で最後になって、僕が耳にしたのは、とぎれとぎれのインターナショナルだったわけです。
このインターの音は遠すぎて聞こえないわけね、しかし明かに歌っているし…、録音に少し入っていたかな、それを使いました。
これで落城して中に入っているやつは全員つかまるわけですが、そこまでは描いておりません。撮ってもしかたがないと思ったから撮りませんでした。
台本シ―ン53番
53に滝田の述懐がはいります。みんな歯ぎしりしてるよ。これは後でリピートしますけれども、われわれの解体、秩序解体の目標が大学にあるのは間違っていると、京都全体に京都全体におかなければいけないんだけれど、京都の闘いになってはしないと、これは大学だけの闘いだ、彼の自己批判の言葉がここで入ってきます。
台本シーン54番
54番一夜明けて大学の中ではふたたび拠点の文学部の最封鎖が始まり、学生はひとりもヘルメットをつけていません。ゲバ棒もほとんど持っていません。それぞれの学生に散りながら最封鎖をやっていくわけです。先生がバリを撤去したらどうかといいにきたり、
台本シーン56番
次に最後まで全共闘の旗を掲げていた、大阪市大が落城するまで5分39秒という長いシーンを作っています。
これは(精神的に)こたえたシーンで京大のテッペンには少なくとも20人を超える部隊が入ったとおもうんですけど、大阪市大の場合は力がなくて、4人しか塔を守る最後の守り手はいなかった。それが持ち込んだ火炎瓶とかそういうもので、テントを張った中で、シャワーをしのぎながらやっているわけでけど、最後に闘うものは一切なくなて、塔の真上にきて、ほんとまた歌うんですね。「仰げば尊し、我が師の恩」を歌うんです。
これは小学校のころから学校を卒業するにあたって歌った歌なんで。これは距離が遠くて録音できませんでしたんでね。三里塚の農村の人たち20人くらいに頼んで、歌ってもらってその録音をまぜたシーンです。
事実は本当、作り方はフィクションです。これで京都の拠点はなくなります。
台本シーン58番
これはあってもなくてもいいんですけど、民青がね、大学では非常に、大学側に有利な解決案に傾いて、全共闘を排除していきます。彼らのこもったのは図書館でけどね。図書館を根拠地にして内ゲバ闘争をやります。内ゲバにもならない両方ともゲバ棒をもっていないわけですから、そのシュプレヒコール合戦をやります。
台本シーン61番
この後、みんなにすこし頭の冷えた時間がきて、61番というシーンはパルチザンのいろんな闘いで顔なじみになって、あいつはあの時がんばっていたとか、この色男はすごく頭がいいとかね。だいだい顔を覚えた何人かの人がそれぞれ自分達の闘争はなんだったか、いまはどういう時期なのか、パルチザンというのも結局は他のセクトと同じように、突出して育てた部分を、引っこ抜いてパルチつくればいいというのと同じではないかとか、批判すれすれのことをいいます。
だけどまだどこかでパルチザンの全体の方針について否定はできない。なにかそういうものが心の頼りとしてあった方がいい。だけどこのパルチではない。革命というのは結局なんなのだ、ということをかなり真面目に語っていくシーンです。これはある意味でその後の学生の心理を全体代表するような言葉が入っていると思います。パルチザン5人組についてとにかく叫び通していく滝田の話しが後半に展開していくわけですが
台本シーン62番
62番の通天閣への道。難波予備校で、彼がなんの為に闘っているのかということを予備校生に説明するシーンがありますね。これは笑っちゃうんだけどね。また笑うように彼が語っているんだけど、大学に入ろうと勉強している君達に、大学を壊していこうとしている俺達がものを教えているのは合わん話しだっていうのね(笑い)
笑わせるシーンなんだけど、すると生徒から突っ込まれて、なぜあんたはここにこないで大学で闘い続けないんですかと突っ込まれて。
それをいわれたらかなわん。実は俺は助手としてこれだけしか金をもらっていない。4万円くらいだったかな。家賃を払って、予備校でアルバイトをせざるをえないんだというところで、みんなにあやまるともなく弁解をしてそして授業にはいるわけですけど。
滝田の演説はシンクロで取っておりません。この映画でこれはシンクロで取っておいたほうがいいと思うシーンをとりましたけどね。もうどれだけまわるかわからないフィルム、常にケチったフィルムしか使えなかった時期ですから、音は出来るだけとってシーンはギリギリ撮るということをやってましたから。予備校でのいろんなアジテーション、語りは全部シンクロではありません。その場でとった音ですよ、あわせてやっています。あの辺がちょっと損ですね。きちっとシンクロしていればもっと迫力があったんだけど。
台本シーン65番
これは非常に自分で気にいっているシーンなんですが
その授業が終わった日に僕はある滝田に対して本当の感動をうけたわけですね。
こいつは本当のことをいう、誰に対しても本当のことをさらけだす。滝田に対してこれから君の家にいって君だけを撮りたいというと、それまで家に連れて行くということをしなかったし、家族と合わせようともしなかった彼がうちへ案内して、そして自分の書斎でローザルクセンブルクから思想的なインパクトをうけたという話しをするのね。そのローザのよさをいうのにね驚いたことに、僕が勝手に驚くんだけど、彼が彼女の本の中にある手紙の一節を自分で読むように朗読しながら、こういう女なんだこういうやさしいんだ。人間に対する愛情がすごいんだという話しをしたりするんです
これが65番ですね
それでその後に奥さんと子供がでてくる写真が1シーンだけあります。これが滝田の命とりなんです。滝田はこのときにすでに奥さんから決別を言い渡されているわけです。あなたは好きなことばかりやっていてって。奥さんはしっかりしていてピアノの家庭教師が出来て最低喰っていける。だけどその時は生まれたてで一歳にもならない女の子を抱いて、長男が5つくらいかな、奥さんはなにもいわずにすっといるだけだけど。
これが命とりになりますというのは、あのシーンから何ヶ月もしないうちに離婚して、離婚もはっきり離婚したという形ではないけどいまだに会ってないでしょう。子供も30歳近くなって、完全に家庭はこわれています。
活動家の家庭を滝田は横で見ていて実に多くの家庭が壊れていく、やはりこんなはずではない、ちゃんとまともに結婚し、まともにつきあったけど、俺の場合でいえばパルチザンの5人組をやろうと思うんだけど、講演によばれてしゃべることが多くて家にもじっとしておられない。全国をとびまわっているこんな形で結婚が出来るわけがない。ということを映画の外ですけどいっています。
67番
これは10月5日全共闘労学集会ね。大阪ちゅうゆうと書いてありますが、これはまちがいでストライキをやっていました大阪電力です。
新田
中電です
土本 典昭
中電の間違いです。
よく知ってましたね。中電って。いまでも強いんですか
新田
強いっていえば強いです。いろいろ
土本 典昭
それで中断するけれども、これが彼の圧倒的なアジテーションが、これが最後に公然と京都のなかで行ったパルチザン5人組を形成せよというアジテーションです。これが彼のアジテーションの最後の部分です。これでいいたいことを全部言い終わるという形です。
それからが問題ですね、10月5日以後目標は「10月17日の大阪駅街頭行動」とみんなで東京に集まって首相官邸で街頭闘争をやろうという二つの大きなスケジュールがあるんです。スケジュール当日を待って撮影するんだけど、学生が出てこれないんです。ヘルメットもかぶれない。警官隊や私服警官の方が多くて。
次に東京でどこもここも戒厳令もかくやとおもうような防衛体制でかこまれた国会議事堂から首相官邸、これらを車の中で移動撮影しながら、そこに彼の声を後ろにつけて。
ここにちょっと書いてありますけれども、述懐は事前に声のみ録音した。この声の録音の日が10月14日から15日ですね。ようするに10月5日に大アジテーションをぶつ、しかしながらなかなか思うようにいかない。自分で反省を少しずつ始める、どういうことなんだろう、自分のいっていることはどういうふうにいったらわかってもらえるんだろう、ということで彼が独白をします。その独白が最後まで映画のシーンにかぶって終わるんです。その独白の最後はシーンの70番にかいてありますけれども、「僕らがではなく、僕があくなく闘っていくんだ」ということをいっています。僕らがという言葉を訂正して僕がといっています。
結局この彼は数少ないパルチザンの世界にもぐろうと思うんだけど、もぐってやっていくわけにいかなくて、ひっぱりだされて方々でアジテーションやっている間に、朝霞自衛官殺しのアジテータ―組織者、武器準備罪で全国手配されます。この映画の終わりが1969年の11月ぐらいですけど、映画を発表したのは次の年の71年1月だと思ってください。それから2年して彼は全国に手配されて追及されるわけです。
1982年に彼は京都にいられなくなって逃走します。逃走して最初にきたのが僕のところです。それで僕が、その後10年たって彼が自分でつかまることを覚悟で警官の前に姿をあらわしたのも、警官は探しぬいて10年ふりまわされて捕まえる時にね、10年ぶりに捕まえるんで警官の方が手がガチガチにふるえちゃって、手錠がかけられないというくらい興奮していたんだけど。滝田はそれをずっとみているくらい冷静に捕まったんだけど10年かかりましたね。
まあその中の3分の一は僕と、僕の弟がね、弟は死にましたけど、弟が手配したんです。結局組織で隠すと探られて必ず着きとめられるんですよ敵はね。ところがまったく僕はどこにも組織に属してませんから、友人関係だけですからねまわしたのは、とんでもない新劇の俳優だったり、映画の監督だったり、絵描きだったり、そういうところに回しましたから、だからわかんない。それで3分の1くらい潜行機関をへてから、彼は僕がね、捕まったらどうと、やることをやったじゃない相当のところまでやったからいいんじゃないかといったら、いや俺は大衆に約束しているというんだね。やっぱりどんなことがあっても自らつかまるようなことはしないと、それから彼は自分であるところに身を寄せると、そこでシンパをつくるわけね。濃密なシンパを。そこがだんだんやばくなるころに準備してもらって次にいくわけ、その前のことは誰も知らない。ここにいってからまた濃密なシンパをつくるわけ。そこから次。ここから先は誰も知らない。つまりどう追ったってつかまりようのない逃げ方をしたわけ。最後はかなりローラー作戦というんですか、一斉に探していくねやり方で浮かび上がって、そしてそのときに女の人といっしょにいましたけどね。結婚生活をしているふうにして潜んでいたけど、そこから公園に出て、もう捕まえろといいかげんに俺もくたびれたから捕まえろという形で捕まるのを待って捕まったんです。
それから5年警察にはいるわけですね未決で、だから僕の映画を撮ってから、18年間の人生はパルチザン前史をやっちゃったことになるわけです、彼としても。だからそういった意味ではもしあの映画を撮らなかったらということはいえませんけど、もしも僕が映画に撮らなかったら彼の人生はまったく違ったものに成りえたろうし、もし僕が途中でもっと彼と親しくしてね接触していたら、あんな冤罪事件みたいなことにひっかからないような方法も考えられたと思うんだけれども。僕としては70年から水俣に入っているんですよ。75年まではねベタベタに水俣の仕事をしていたんです。そこでここも2回ガサられたんです。2回目なんかはね無線一つで捕まえるOKを取っていた。逮捕状も全部作ってきてたんですけど、なぜか僕を捕まえなかった。それは僕は理由があると思うんです。というのは僕はその頃水俣で少しずつ名前が知られてきたわけ、そうするとね僕を捕まえることは水俣の運動をじゃますることになるわけでしょ。僕が露骨に表にたってうごいた機会よりも僕の弟がね、これはノンポリもノンセクトもなんにも政治がない男だからね、僕が好きなだけで。あんちゃんのためとヤクザみたいな男だったから。だからしっぽもださない。
けっきょく、水俣病闘争をやっていなかったら、仮にも僕をつかまえてたたいてゲロさしたと思うんだね。だけどやっぱり僕が水俣病闘争を僕が、闘争といえるかどうかわからないけど、水俣の映画を撮りつづけていることによって、ヘタな動きは出来なかったということだったと思いますね。
休憩
土本 典昭
ほんとだったら、滝田にもそれらしい話しがでてくるけど、武装といったって、テロ集団ではないわけじゃない。僕たちがイメージしている革命的な武装というのは、レーニンが規定したテロの時代ではないし、まったく大衆的な闘争の中で、なにかやむおえないときには武装の問題は必ず考えなければいけないけど、いわゆるパルチザンみたいに5人組みをつくって散ってね、武器を作っていつか機会がきたらポンをやって、同時多発形にやろうみたいな、彼は永遠勃起形というんだね、永遠勃起形の闘争をやろうと。それはねどっかで気持はわかるけど、それは出来ると僕自身が思って作ってないものね。
質問
新田
土本 典昭なるものについて、滝田ふくめてまわりの人たちは、土本はいかなる人間であるかということは知っていたんですか。簡単にいえば土本さんの活動歴の問題がありますよね。土本さん自身の運動の歴史というものをお持ちだとおもうんですが、彼らは知っていたんですか。
土本 典昭
あまり、それを知って腑に落ちたから、仲間に入れるというふうではなかったね。知っているとしたら、チュアスイリンくらいじゃないの。そのフィルムだって知らない人がほとんどだから。知らないでしょ。
新田
そうすると最初にきっかけはどっちだったんですか。こちらからともかく大学のあれを撮ろうというのがきっかけなんですか。
土本 典昭
その前に僕は「キューバの恋人」という黒木和雄の劇映画のプロデユーサーをやったんです。その時には僕はメチャメチャ毛沢東派であり、チェゲバラ派なんだよね。その映画に失敗するわけ僕が。映画はできましたよ。でもプロデユーサーとしては失敗して、日本でも暴力の問題をどういうふうに考えるかということを盛んにみんなに問い掛けている時に、「状況」という雑誌がありましたね。そこの柴田君という編集長から京都に武装のことを本当に考えている集団があると、これはセクトではない。パルチザンという名前を考えている集団だ。武装というのはどういうことをやるのと聴いたら、彼らは火炎瓶までつくる、あれは体に当たったんじゃ破裂しない、あれは楯とか路上に落下してから発火する。
火炎瓶まではつくろうじゃないかと研究してつくりかたの勉強会をやっているというんだ。
その大将はだれなのと聞いたら滝田修というの。まだ本も一冊もでていなかったの。
それで滝田とあったわけです。飲み屋でね。大きな声なんだ。彼がとにかくおもしろいからやろうやないかと撮ることを承知したんです。
あんたが承知してもさ、あんたがまわりにはやばい人間がいっぱいいるんだから、大丈夫かといったら。いやあ、そこが京大でね。京大のなかでことを始めたらだれも手をださせないから、権力のね。バリケードをはってなかなかいれさせないわけだから、はいってきてもみんなにつるしあげられるだけだから、そういう状態だから、それからきてから周りの説得はおいおいやればいいんじゃないかという話でね。彼が決めようなもんですよ。
土屋君、映画を見てなまなましさはどうでしたか
土屋
なまなましさというか。ぼくらが学生運動をみるのは街頭でやっているのしか目にしないじゃないですか。フィルムを探さない限り、中でどういうことが話されていてなにを思っているかというのはわかんないですが、この中ではそういう闘っている現場外のことが多くてそのことがわかったというそういう意味では生ですね。
土本 典昭
土屋君が、大きくなるまでの間にこういう闘争はあったかね。
新田
いや、結局、土本さんが最初のお話の中でね、首都圏で大学がやられて、大学設置法かなんかで体制的にはむずかしい、関西はああいう形でがんばって、あれもそんなには続かなかったでしょ。一年いくかどうか。だけどまた地方へいった山形大ががんばったり。地方では続いていて、それは散発ですけどね。最近では国立大の寮がつぶされるとかっで寮の闘争なんかやったり、細々ではではありますけどね。
警察とぶつかり合うところまではないけれども、ガサがはいったりということはありますよね。ドンパチというああいう形ではないですね。新宿みたいな状態なんていうのは、百万遍みたいな形があれきりではないですかね。労働運動では首都圏ストみたいな形ですし、権力とああいう形で対峙したというのはスト権ストが最後ではないですかね。
土本 典昭
スト権ストっていつだっけ、
新田
1975年です。
土本 典昭
学生運動の衰退に大きかったのは、浅間山荘だよね。
新田
あれは全国放送したでしょ。あれが決定的ですね。自宅でノンポリでいた人の気持まで押しつぶしたというか。そういうメディアが役割はたした。
土本 典昭
あれはおばえていますか
土屋
6歳の時です
新田
あのあとすぐ武装訓練なんか始めて、赤軍だけでなく京浜安保なんかもやってたでしょ。
いくつかのセクトはそういう形で先鋭化していったんですね。
土本さんにしたら、こいつらふざけんじゃないというのがあったでしょ。
土本 典昭
本気かいなというね。
新田
あったですよね。まとめかたにそういうのは出ていますね。
土本 典昭
それがでていればいいんですよね。
土屋
すごいひいている感じですよね。客観的な。よい意味で客観的というか。ひいて、ていねいにとっていて。別な角度の視点でもとっているし。
新田
だけど受け止め方はさっき土本さんがおっしゃたようなことではなかったですね。
学生の間にずいぶんころがっていきましたものね。
土屋
客観的といってもマスメディアいう、こっちも意見もあつからこっちの意見もというような客観性ではなくてわかるだけに、ちょっとまてよみたいな。気持はわかるだけにひいたという感じは。
土本 典昭
今後でも心引かれてしょうがないけれども、彼のいっていることはどこか間違いがあるし、自分は本気にできないけれども、しかし、こういうことを真剣にやろうとしているドタバタした人生には、本当に輝きとそれなりのエネルギーとパワーがあるなと思う事件というのは今後もぶつかるとおもうんですよね。それで撮っていくとどうしてもその彼のしゃべっていることがあたかも僕自身の論であるかのようにならざるを得ないけれども、時々ぎゅっとひいて、そうなのという目つきを埋め込んでおかないと、それで事実彼ら自身がすっとんきょうなバカものではなくて真面目な深刻な考え方をしている人たちだからね。だから、とても大事だと思うし。
結局ね、あれからパルチザンをやるんだと公言してはいった部隊は下関学芸大学のパルチです。水俣にはいった。水俣にはいってからMLに入った。いまは九州を根城にした労働党にはいってますよ。だから入って2~3年は俺達はパルチをやるんだと汗を流して働いて、その金で支援をし、活動をやるんだ、俺達はパルチをやるんだと、この映画のとおりにやったというのはその一つの例しか知らないね。後は市民活動の中にはいって何人かの仲良しのグループでいっしょになにかやっていったという人はかなりいると思いますよ、関西なんかで、大学ふっちゃったんだから、棒にふった人が多いんだから。
新田
さっき土本さんの話をきくと、僕はある意味で滝田氏が教祖化されていく過程がありますね。
むしろこの映画が先行してそういう形で土本さんが滝田修をそういった一つのオルガナイザーとしてのポジションを与えたというそういう関係なんじゃないですか。
土本 典昭
刑務所入る前に書いた本と潜行過程に書いた本と2種類あるんです。潜行過程のはまったく自分について語った本で、だんだんと価値観の変わっていく自分の自叙伝みたいなもんだけど、入る前にかいた本は一種の演説集の収録だもんだから、すごいアジテーションブックでね。
土屋
撮影隊が入った時に、滝田さんに変化はあったんですか。
土本 典昭
そこがおもしろいところでね。彼が僕たちの面倒をみなければならないという気はあまりないわけよ、こまかいことまで、好き勝手にどこでも撮っていいよというふうだから。だからあまり変わらなかったですね。
土屋
撮っているんだからこうしなけれがというのはなかったですか
土本 典昭
逆に軍事訓練の場所なんかは文学部のグランドで彼らが80人の部隊でオイチニ、オイチニとやるときに、ばっと夜間照明のスイッチをいれたわけですよ、そうしたら怒られたけどね。(笑い)
土屋
よくカメラが回っているとちょっと芝居がかってくるとか。のってきちゃうっていうかそういうのがあるじゃないですか。そんなにはなかったですか
土本 典昭
やりかたによっては相手をのせていくというやり方があったと思うけど、こういうことをやってみたらおもしろいんじゃないみたいな提議はしないし、あおりもしないし、パルチザンってそれしかないしなということを僕たちは言わないし。そんなもんだから、僕らの前でパルチザンなんて漫画だよなんて平気でいうし、そういう自然さは。それだけが取得だけどね。
小川プロの連中にいわせると、僕がもう水俣にいった後だけど、全国各大学で全共闘の解散集会をやるんだな。全共闘解散というんでもないけど、もう闘うも目標も力もなくてね。そのときに映画と滝田とセットで動くんですよ。滝田がしゃべらされるわけね。あの映画についての、あの映画の中における家庭の問題とかね。本当にパルチザンの労働団は形成されたかどうか。あまりされてないということをしゃべりながら、しかし実際には自分を革命することしかないんだよみたいな彼一流のアジテーションをやっていくから、それでみんなそうだ、俺もそれはまじめに死なずにやっていくぞみたいな、内部決意をするみたいなことで、各地の全共闘の解散のための映画会がね、契機になったというのは多いですね。ほとんどの大学でやったんじゃないかな。
新田
一部はこのシナリオの後ろについているのは、映画が動いてから?
土本 典昭
そうです。
土屋
先が見えなくなっているのだということをこの映画は良い意味でいっているというか。盛り上げるための運動のための映画じゃないじゃないですか。じつはこうだこうだとうことを、本音までさらしていないけれど、そのものとして映画は滝田氏とセットでこういって、解散のためにつかわれるというのは、さっきの土本さんのお話のように、自分を相対化して考え直せというような。
土本 典昭
四ページの下に滝田の講話というのはアジテーションをふくむんですが、この延べ時間が15分あるんですよ。15分51秒あるんですよ。それから述懐は12分、滝田以外の意見というのは14分30秒、それに討論とか、ガヤみたいなものが6分30秒です。
音楽なしナレーションなし。だから全映画2時間の中で28分、彼の言葉が流れるというのはかなり強い作り方ですよね。約四分の一彼の声が流れるわけですからね。声の中味は変化しますよ。だけどまともなアジテーションとしてはもっと短くて15分なんですが、これが滝田の映画だというにしては滝田の顔のアップがわりと少ないほうなんです。だけどサウンドとして声を後から乗っけていくから、こういうふうになったんですけど。その意味では、完成してからこの映画を京大にもっていったら、パルチの連中が全員そろってみて、観終わってから座からたてなくなっちゃってね。ようやくリーダ―の一人が、この映画は全部本当だ、しかし結果はフィクションだというんだね。なぜフィクションか諸君がわかるだろうと。
パルチザン5人組はできてへん。一、ニあったけど。できてへん。映画は全部正直にかったっている。スラトシーンふくめて、5人組みたいなものはあるけれども、ばらまかれて方々でできているふうには作られてないわけだから、この映画は全部本当だ、それでいて結論は壮大なフィクションだと、なんとなれば5人組ははてしなき夢であって到達していない。
それもひとつのアジテーションみたいなものかもしれないけど、それからみんないろいろ言い出してね。
だけどね学生も子供みたいなところがあってね。俺もいうことはいっとったんじゃないかとか、滝田のあの言い方にいつもやられるんだよなとか。なんかいろいろはあったけど、うそはないけどフィクションだというのは印象としてこたえたね。そうとってくれるのは僕としては良い結論なんですよね。そのとおりいっていないということが見えれば。そのとおりいってれば革命なんかもっと楽だよ。
新田
滝田自身はなんていってたんですか
土本 典昭
滝田自身はこの映画はうそはない。だけどこれは小川プロの作品だ。われわれ自身でもあるけれども、別の作品だ。それからいくつかのところで重大な問題がある。一つは家庭の問題ね。あれで俺のとこうまくいっているようにみえているけど大違いだ。それは誤解しないで欲しい。俺が最後に労働団で戦っているようにみえているけど、だいぶ前からアルバイト集団の中に俺が加わってやろうと思ってやっただけで、あれは俺が作った5人組ではない。もう一つぐらい出来そうなところがあるんだけれども、実際には5人組というのはできとらん。そういうのを後で大衆的な集会でのべたりしたんですけど。
ただ映画のもっている不思議なリアリテイというかな、自分達の仲間内の情念というか、つらさというか、それからわからなさというか、そういったものについての正直な描写についてはこの映画は本当だということをいわれたということはいえるとおもうんです。
映画のためにここが作為があるというにね言われたことは一つもなかったね。
新田
ラッシュの段階で、何回か見せたんですか。
土本 典昭
これはしません。基本的にあまり興味がないのね。映画を。
ふつうは映画があると俺達のことがでるんだからと興味を持つでしょ。滝田なんかはできあがってこれからみせるよという時に、入り口でぐにゃぐにゃしちゃってね、俺は見とうないよ、いいよだいたいなにが映っているかわかっているよ。と言ってなかなかみないんだよ、尻をけとばして中に入れて見せたんだけど、観終わってしばらく声がでなかったほうだね。
でも、その時学生全体が持っていたある高揚した顔つきのかがやきと、失意でもないけど、ほんとうの自分たちがみえるなという何ともいえない感じは伝わりましたね。
土屋
集会の移動撮影はあらかじめそういうふうに撮ろうときめていたんですか。
土本 典昭
ひとかたまりじゃないかというね。これは僕は水俣の集会でもやるんですよ。慰霊祭なんて前列だけ撮っているといっぱいだけど、一番後ろは壁際からとるとずっと空きイスで前しか人がいないとか。そういう引いたポジションというのは僕はわりと撮る方ですね。うそじゃないしね。
●映写しながら解説
プロローグ 「行進する小部隊」
この頭がやたら長いのはね、長編だからそのつもりでみてくださいというね、その時の僕の感じで長いんです。切ろうと思ったら3分の一は切れるんです。
音楽は使わないつもりだったからね。現実音を使って。
タイトル 「パルチザン前史」
タイトルはたて看板をかくのが得意な学生に書いてもらった。
台本シーン6番
「9月5日 全国共闘結成大会」
この時には指名手配のやつもいるので私服警官ゴロゴロしているんです。だからみんなヘルメットでもかぶらないと。
「抗議する滝田の声「八派やないか…」
この集団がおもにパルチの連中で、座り場所が仕切られていて入る場所がないの。
いまの旗は芝工大とかもう東京のいろんなセクトがほとんど、
これは京都の中核のこの会場を仕切っている男に対して、まわりが抗議している
台本シーン9番
「滝田「古い全共闘は量的に破産している」
これは今回の全共闘が秋の闘争のための駒ぞろえの儀式であって、全共闘としては内部が腐敗しておると、暗にいいながら。
第ニ期全共闘というか、第一期がいつかよく知りませんけど、第二期というのはこの年の頭からのものです。
全共闘パルチザン遊撃軍団、共産主義労働団へと解体し第三期ソビエトということばを使うんだね彼は。ソビエト運動にむけて歩を進めよう。
反帝学評のチラシがあったり、文学部全体をいろんなセクトが共通して使っているけれども、ノンセクトが一番使っている。
台本シーン14番
「再び、会場。赤軍派乱入。」
いろいろありますけれども、いろいろなセクトのどづきあいなんかのほかにね、この日初めて赤軍派が登場するんです。いわゆる連合赤軍の源流をなした赤軍派がこの会場にきて場所を見つけようとするんだけどなくて、ゲバ棒をふるうところです。
台本シーン16番
「京大外景」
こういう京都の撮りかたは相当考えながら撮ったつもりだけども。外から大学を見るという見方を、これは内側からみている。これ出入りは学生の立ちんぼがいて、
「学生「オイチニサンシ」
これはみんな泊り込みです。
いまの男はたびたびでてきますけど、文学部のリーダーです。
台本シーン19番
「入試阻止闘争 机を壊す学生」
僕としては机を壊すのがね。ひどいことに思えてね。
質問(新田)
カメラはずっと1台ですか
そうです
学生に混じって階段をおりてくる土本
これは僕です。
質問(新田)
一之瀬さんがまわしているんですか・
回答
いいえ、大津君。一之瀬もまわしているし僕もまわしている。
台本シーン21番
「演説集会の回り移動撮影」
これがさっきいっていた、引きで見せようと思った
「蝶とたわむれる学生」
これが良い青年でね
台本シーン22番
「各学部の闘争委員会」
この男がね。死んでしまいましたけど、白樺派といわれる、隠れたるパルチザンの軍事最高指導者。高瀬という有名な男でした。酒場をひらいて、そこに夜あつめてる御大だった。この男が前編ながれているバックにいるんですけど、ほとんどしゃべらないんです。
この男がパルチザンの中で一人考え方の違う男で、滝田がさかんにパルチザンというのを、これからの世代の反戦青年委員会とかいろんな組織があるわけだけれども、そういうなかで作っていくとしたら、中核みたいな組織しかないんじゃないかと、我々は中核を批判してるけど、我々はどうも違うということを悩んでいるシーンがあるんですけど、完成してからカットしたんです。
彼らはどんどん展望を見えない中で軍事としてやっていくならば、どこに焦点をしぼっていかなければいけないか。考え方としてセクトとずれているところを
このような討論を各文学部なり、はっきりとつみかさねていかなければいけないんじゃないかということをわりと正当にしゃべっています。
台本シーン23番
「文学部部室」
これは文学部の部室だけど、彼は5人組をつくろうという提案をもう一度してみるわけね。
これである提議をするのは、これから反大学ということを貫くにはみんな町へでなければいけない。町では、中核なんかは反戦青年委員会なんかを作ったりして、学生じゃなくても戦える組織をつくっているが自分達はそれも持っていない。
それに変わるものとしてパルチを町で作っていこうということに対して、みんな、へえ?っていう顔している
台本シーン25番
「同志社大学赤軍捜索」
これは同志社大学への手入れです。
これが最高指導者です
台本シーン26番
「深夜のバリケード」
これは優秀な連中がここに集まっていてね、この男はね梅棹忠夫元で今は教授をやっている。
台本シ―ン27番
「軍事訓練」
みんな明るい
「第二回軍事訓練」「オイチニ、サンシ」
何かの明かりを僕がつけてしまったんです。
この人のいま京大の教授です
B-2テープの裏面
台本シーン31番
「夜の時計台」
これはパルチ以外の全セクトが、みんなが力をあわせている。塔もいちばんテッペンだけはいれないようにする
「学生「ピリオドになりますね」
これは中核に学生
これは明かりが一切使えないんですよ。 という小さい明かりと、でかい懐中電灯だけでとった。へんなリアリテイがある。
これはさっきの指導者です。
これで感心したのは東京なんかの場合はプロの職人さんなんかが手伝いに入ったりしているんですよ。ここの場合は学生だけでやるの
台本シーン34番
「同夜、パルチの話し合い」
これはわりとみてほしいですね。彼らは塔の建設にはぜんぜんタッチしないパルチのグループなんです。それでトントンやっているのを聴きながら
この男が島田といって文学部では一番好きな男なんだ。非常に洞察力がある先が見える男で、しかし、行動は絶えずともにする。偉い男です。
文学部の中でパルチ間の内部闘争がなかったし、他のセクトがいてもセクト間の論争はなかった。なにも話し合いをしないでここまできてしまったんじゃないかといっている
台本シーン36番
「時計台」
中核が上を取り仕切っている。
台本シーン37番
「ドラム缶突撃目標に」
このころからパルチザンはノンセクトの黒ヘルメットを。いろんなハルメットをさがしてきては真っ黒にして、自分たちでノンヘル部隊を。
これは学内へのデモンストレーションです
一応5人組。形はね
台本シーン40番
「狂ったように騒ぐ活動家たち」
これがさっきいっていた部室の。なんともないシーンだけど。
質問(新田)
精神的な圧迫みたいなものはあるわけですか。パクられるかもしれないし。
回答
高揚もしているし、この女の子たちと今晩なにがおきてもおかしくないくらいエロテックなの。
百万遍で街頭闘争をやるというのはだいたい知れ渡っていて。その晩このようなことがあって不思議な感じがする。
台本シーン42番
「各セクトの行進が交差する」
時計台の戦いはあしたかあさってだし、この日はパルチがなくかやるというので、学内の各派がそれぞれみたい列をくんで、ともかくお互いに喧嘩しないように、あっちからもこっちからもデモばっかりやっている。
台本シーン45番
「最後の打ち合わせ」
ちゃんと救隊の準備をしているの。これはさっき批判的な事を述べていた島田君です。
質問(新田)
シナリオを起こす時は具体的な名前はふせましたね。官憲との関係ですか。
回答
そうです。官憲は映画をみたあと分析を始めたんです。
台本シーン46番
「百万遍交差点」
この辺は僕もカメラをまわしているの。
この戦いに各セクトの中に、各セクトの有志が旗を持って参加していくわけ、実際のパルチの人間より多くいるわけです。
フロントだよ。
台本シーン48番
「吉田神社」
京都は不思議なことにこちらが大学でしょ、ここにお寺でしょ。お寺には誰にも手をつけられない。ここまで機動隊がこないわけです。
ヘルメットをかぶった青年がいるんだけど、だれだかわからないんだよね。
このときはカメラの程度のいいやつは故障してしまうんで、フィルモを二台もっていた。フィルモは玉があたっても大丈夫でしょう。これは僕がもっているフィルモなんですが、一番活躍したのはフィルモなんです。
「軍事の専門家の声「絶対に反対だよね」
この後に、これを批判する言葉がはいっていますけど、この映画が出来て上映して見せたときに、軍事の専門家の言葉を挿入してある。
こうなると半分が一般大衆じゃないかね。
ヘルメットかぶっていないでしょ。
台本シーン50番
「深夜、文学部前」
この討論は、つかまるまでやるのかどうするのかということを討論している。
言っていることがしっちゃかめっちゃかですね。
もうだいたいヘルメットをぬごうということを決めている。
台本シーン52番
「京大時計台闘争最後の朝」
これも時計台の闘いは町から離れている。まわりはまったく平穏。
あえなく逮捕されちゃったから、俺達はもうクタクタになってみんな帰って寝ていたの。
台本シーン53番
「夜の大学周辺、語る滝田」
時計台のたおれた日の滝田の声です。
これまではバリケードをつくろうと警察は手をださなかったね、でも時計台の解体以後ね、全部中に常駐し始めた。これが屈辱的なんだよね。
台本シーン
背広まで着ちゃて、ヘルまで脱いでどうなているの。みんな黒ヘルだよ。
不思議なことにパルチに逮捕者はでなかった。
ともかく一般学生にまじってね。自分達の文学部の牙城をまもって、考えている段階だな。
テープB-3A面
台本シーン56番
「大阪市大の落城まで」
こういうのを決死隊というのかね
「途切れ途切れに 仰げば尊し」
遠くて録音が取れないから、後で三里塚の青年行動隊に歌ってもらった。
台本シーン58番
「民生学生大会の日」
これはね、民青がね、学園再建のために全学集会をひらいて、自分達のまもる図書館に立てこもってみんなと内ゲバをやるんです。内ゲバといたって、ゲバ棒なんかないんだけど。
「帰れ、帰れ」
これは民青ね。
「パンを食べる」
もうこの時期ね、具体的に学内でやる方向はみえない、誰にも。
台本シーン61番
「心境を吐露する学生たち」
ここから一連の学生の意見が、非常にいろんな意見がでて、意味がある。
台本シーン62番
「難波予備校」
質問(新田)
予備校の撮影許可はとったんですか
回答
とってない(笑い)
「滝田「こうすべきだなんて絶対にいわん」
彼の言い方が前より柔軟になっている。
性格は律儀なんだよね。
台本シーン65番
「滝田の家」
ローザの手紙を読んでいるところです。
台本シーン66番
「胸に赤ん坊を抱く滝田」
これが彼がこの映画の中で何回みてもこれは痛いシーンだといっている。
台本シーン68番
「大阪駅街頭闘争」
これが街頭闘争を意図して場所なんだけどなにもできない。
台本シーン69番
「霞ヶ関 移動撮影」
「バックに滝田の述懐」
質問(新田)
いまのはこのラストシーンのためだけにインタビューしたんですか
回答
これは大阪の街頭闘争を提起した後、その晩に徹底的に話し合って取った言葉です
台本シーン70番
「労働現場」
京大の連中だけど、だいぶ前に学園から離れて、自覚しているグループなんです。それに彼が入っている。半分つくったわけです。
だからこのラストに「オイチニ、オイチニ」をいれたのは僕の作為でやったわけです。これにパルチザン5人組の特長音である、行進の音をいれてあるわけです。これはラストの音に当時はこれしかないと思ってつくった。
スタッフタイトル
一応小川プロの全スタッフをいれてあるけど、現場には誰一人いっていないです。
現場はまったくぼくたちだったのね。これがネガ編集の女の子で、これが大学の方で手伝ってくれた人です。この二人は。松本武顕は編集だけ。この四人と。
パルチザンの時代はこなかったわけだ。
何故こないかということはだいたいこれをみてもらえばこないというのは逆にわかる。この中のよい質は必ずどこかに受け継がれているという自信ももつけれども。
知っていますよ、パルチザンでいまがんばっている。パルチザンとしてではなくて業界でがんばっている人もいるし。
質問(新田)
この作品をとりあげた意図はどういうことですか
回答
一人の人間を撮るというのはかなりたいへんなことだというのをね。土屋君の写真なんかをみながら思うわけです。僕の場合背負いかたが特異だからね。ガサられはするわね、いつ呼び出しをうけるかわからないという生活を5,6年やったからね。
それと、一人の主人公をとらえていくのにね、脇をどう撮るかということなんだ。一人の主人公を追っていけばどうしても主人公に深くはいっていく、それはいいことなんだけど、だけど、まてよというのがあった場合、それをどういうカットで埋めていくというのがあると思うんです。
例えば特に土屋君にみてほしいといったのは、あの中に北朝鮮のシーンがあったとするか、渋谷のシーンがあったとするか、それは彼女のどことくっついて自分が撮りたかったシーンかみたいなのが明快だと、彼女ばかり追っていても他のシーンがたくさんはいっていても、結局彼女だけがジーッと出てくる作り方があるとおもうんだ。
質問(新田)
関連付けですか
回答
関連付けと浮き彫りだよね。
つまり、これでも他の学生のいろんな意見があったりするけど、それは彼の提起した問題自身が問題があるからやもおえないことで、それからいくら学生が京都開放だの大学開放だのといってもね。それは京都の町全体はびくともしないわけでしょ。
そのことは知っているわけ。京都に生活していれば
ところがやっぱり学園闘争の中でどんどんおいつめられていくノンセクトをもって考えて出す方針というのは限られた展望しかもたなくなる。それは魅力もあるよ。魅力もあるけど、それは全体ではどういうことになのかということをどう取り上げなければいけないかというのが、これを作りながらの僕の一番の悩みであったのね。ただし現場では絶対引きがいると、それから余分な関係のないような学生の言葉や、台詞は採っていたほうがいいといつも思ったわけね。それから彼に対しては反対の意見はホイホイとるし、それでいながら彼をどこで全身的につかまえる気がしたかというと、やっぱり予備校から家のシーンなんだよね。子供を抱いているあの顔で、彼をつかまえたとおもったわけ。それがつかまえられれば後は、「強い人間にならなければいけない」とかはいろんなことは彼らしい述懐であって、聞いてそう判断すればいい。
さっきいったように登場人物たちがみんな集まってみた最初の試写会の時に、みんな終わってからしばらく声がでないんだよね。考え込んじゃって、しばらくしてから高瀬という軍事の指導者がこれは全部本当のことだ、それでいて全体には壮大なフィクションだといって。パルチザン5人組はできてないじゃないか。
それはアジテーションじゃなくて、できないのは無理が無いというのは半分読んだ上で、映画として完成してしまったわけだから、そしてパルチザン前史になっているわけだから、パルチザン史なら問題あるけど、僕の立場はせめなかったけど、むしろよくがんばったと思ってくれたと思うけど、他の学生に対しては、全部本当でありながら壮大なとはいわなかったけど、フィクションだと、これは僕は立派な結論だとおもったね。
最近みた自分の印象が強いから土屋君のフィルムなんかで考えながら思うのは、どこに距離をおくか、そのオンナなり主人公なりの地位を脇で固めるかね。それからその意見と同じじゃない人の意見があるはずなの、それをばっちりとみながら、自分が本当にほれ込んだものにはどういう道筋をあたえるのか、その辺のはばの広さね、すきまというか、そういうのをもしねこの映画のつくりかたとしてうることがあったら。
質問(土屋)
滝田と二人だけで話したのはどのくらいですか
回答
何十時間でしょ。だけどしゃべる時にはテープを出していたと思うから、飯食うとか、酒をのむという時間はあるけど、がっちり話したという時間はせいぜい6,7時間じゃないかな
それと彼が学生としゃべっている時に僕としゃべっている時には僕の方が政治的な影響を受ける人間でもないし、政治のセクトでもないからフランクになっていたね。
以下省略