土本典昭監督 講演会 04、11・14(日) 高知県立美術館ホール於 講演 高知県立美術館NEWS 48 4月 高知県立美術館 <2005年(平17)>
 土本典昭監督 講演会 04、11・14(日) 高知県立美術館ホール於 講演 高知県立美術館NEWS 48 4月 高知県立美術館

 40年以上に渡り作品を作り続け、日本のドキュメンタリー史上に燦然と輝く土本典昭監督のフィルモグラフィー展を開催し、4日間で16作品を上映した。最終日には基子夫人と共にお越しいただきお話を伺った。(講演より抜粋再構成)

「土本監督の弱者を見つめる暖かい視点」

土本:弱者を取り上げるメディアの仕事は多いんですね。例えば労働組合なんかが大きい闘争をしますと結構そういったものに対してキャメラを向けたり、話題にすると思うんですが、そういう事が過ぎてしまうと、あまり後に残らない記録が多いんです。  
 弱者をみつめるというのは、表現者としてはやりやすい仕事だと思いますが、本当にその弱者をどういう観点で眺めて観る人に訴えていくかという場合、やはり一番言いたいものを持っている側の人の意見を見つめて、それを伝えるという風に描いてきたと思うんです。
 これは僕自身の正義感でもなんでもなくてそういう人たちの生き方考え方に学ぶ所が多く、とっても面白く深いものを持っているという経験があるものですから。

「土本監督の製作スタイル」

土本:僕は監督という言葉を言われると体がすくむんですけれど、どうも記録映画で監督というお山の大将というものは無いものだと思ってるんですね。仲間と一緒に自分の得意なキャメラ、音、演出をわかち合ってお互いに、擦りあって、ぶつけ合っていくといった中で映画が出来るんだというのは僕のあまり変わることのない考え方なんです。
 そういう点でいいますと、シナリオを書いて済む話なら本を書いた方がいいんで、やっぱり映画を撮るからにはキャメラマンの写したもの、拾った音、そういったものについてもういっぺん演出としての読み方、見方があると思いますね。ありふれた言い方をしますけれど、言葉に出来ないから映画を撮っているところがあります。

「ビデオやDVDの製作について」

土本:映画の長さ作り方については、僕も意見を言いますし、多くの人は違った意見を言いますし、これから賑やかな論争が出てくると思うんです。
 今度世界的に注目を浴びている中国の作家で王兵が「鉄西区」という9時間の映画を撮り、それが山形国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを取るという事がありました。だけど自分たちがああいった長い映画を作るだろうかといった事でいろんな考え方があると思います。僕は映画を編集する時にいつも仲間と一緒に編集するんですね。
 僕の考え方からすると、スタッフでお互いに編集について意見を言い合い、編集でお互いに突き詰めあうという事によって緊張した映画の時間が出てくるという考え方に立つものですから、一人でこういう長さが必要だと思って、自己批評、相互批評の見られないような映画については、僕は非常に懐疑的なんです。
 映画というのは一人で作ろうと一人半で作ろうと、基本的には観客と作り手との間の意思の疎通の問題で、出会いの問題だと思うんですね。仕上げにおいて主観主義、一人だけの感じに溺れる事なく見る人を意識し、見る人の心を読み、その人たちに問いかけていくって事で必然的に煮詰まった編集が必要だろうと。そういった意味ではただ一人で撮って、一人で編集出来るという流れだけではあまり賛成しないという事を思っています。中国でも韓国でも台湾でもそういう事を言ってきました。

「質疑応答」

質問:土本さんのおっしゃった、私たちに伝わって来ない、それぞれに体験した人たちの生き様が現在もつながっているというのが、今回映像を見させていただいて改めて分かりました。
 また水俣の患者さんの普通の障害者とは違う大変さが、日本人の持っている水に流す、その時の映像だけで流すみたいな、日常から目に触れないと忘れられた存在になってしまうというのが今日のお話で思い直したところです。これからの水俣との関わりで構想などありましたらお話ください。

土本:とっても的確なことをお尋ねになってると思います。僕がテレビの人間だったらある程度世の中に警鐘を鳴らして事終われりという事だったかも知れません。被害者の人にも、僕はあなた方の事をちゃんと世の中に訴えましたからね、じゃあこれでさようならという事が言えたかもしれません。

 しかし僕はフリーですから、僕自身の映画が世の中で観られていくにしたがって、やはりそれについての責任という事をやっぱり考えます。
 今いろんな裁判の結果、彼らは食べれるようになりました。医者も病気すれば医療費はかかりません。それでいながら彼らに対して人間として扱う場所の提供はついには支援の人たちのささやかな物しか生まれませんでした。つまり僕が今言いたいのは、本当に水俣病で苦しんだ人間はどうやってその人生をまっとうできるかっていうと、あなた方のおかげで我々はいろんな事を教えてもらったありがとうね、苦労したでしょうねという眼差しがあればいいんです。それが本当に忘れられなければいいんです。

 つまり、全ての点で彼らが生きる世界、そういったものを提供して行くような細やかな神経というのはこれからもいるんじゃあないかと。彼らは被害を受けた気の毒だった、我々は本当に気の毒だ。という事で終わってしまったんでは駄目なんですね。とことん彼らの人間的な領域を広げていく、基本的な権利を広げていく、そういった事がこれからの普通の我々の生き方になっていくんじゃあないか。これだけ公害が多ければ、至る所にいろんな形の被害者がいますし、これからも出るでしょう。それに対して我々が差別しないで生きるという事はどういう事なのか、そこの所が一番大きい問題でしょうね。
 公害が何も異常な事ではなくて普通の事になってしまった時代を我々はどう描くか、どう生きるかそういう事が問われていると思います。これからもどう描いていくべきか考えたいと思っています。