自主製作運動の中から-キューバと万博と三里塚と……「立教大学新聞」1月15日号立教大学新聞会
映画芸術の会の事を語るのに私は不適任である。総括できる人はまだ存在しないと私は思っているが、とりわけ私はその任ではない。ただ、現在「キューバの恋人」の製作にとり組み、小川プロ(三里塚の夏)、東プロ(沖縄列島-長編記録)シネマネサンス(飛翔ー女優にとって自由とは何か)、グループ・ピジョン(死者よ来りて我が退路を断て)、西江孝之(長編劇映画・臍閣下)、松本俊夫(バラの葬列)等の各グループの一斉の開花と、そのエコールの再分化の源流に、映像芸術の会を位置づけることが出来るし、その各部分の生起の原点を共有していたことを確認出来るのである。
巨大な体制の中で
「映画の自立」。即ち資本と政治の論理からの自立をめざして、映像芸術の会は出発した。ありていに言えば、日共・代々木路線の映画文化政策の破産という外的情況
メンバーの大部分は演出家、演出助手、脚本家であり、その破産をもろに身に被った人々によって作られ、決して、労働組合的であり、生活防衛のイメージはなく、ただひたすらに、映画を作る自己の確立という資質と能力の創造と批評の場として形成されていた。それ自体画期的なことである。
だが、考えてみてほしい。作家たちは、その作品の場を、製作の条件を求める場合、次のような珍妙なことが起きる。グロテスクな例で恐縮だが……前夜、映像芸術の会の席上で壮大な映画の未来についての討論を行い、作品批評で熱した一刻をもったとする。そしてその翌日、PR映画の世界にもどって、或るビルの玄関をくぐる。X省のPR映画の企画会議に「入札」の予備会議として、A社代表~F社代表のそれぞれのエースとして円卓をかこみ、PR映画のイメージを説明され、それに適したシナリオの為、それぞれ秘策をねるように要求され、質本により「ライバル」に擬せられて、創作者としての連帯も、仲間意識もズタズタに分裂させられる。
それに対する共同防衛や、共同行動は、PR映画を自らに許している以上、組み難いのである(作家としては、たてまえと、実行との間に、引き裂かれるべき矛盾をもたされたまま、"映像"の変革性について「語る」のである。
ささいな例である。しかし、"体制"とか"状況″はそのように作用するのである。作家=タレントという休制内の回路上昇志向のある限り、ダメなのである。
作家は自らの作品の中で自分を証明する。映像芸術の会の中で、真に、相互批判に価する「自立した芸術」が何本産み出されたであろうか?松本俊夫がある評論の後書きに<私はひとりで創造行為の出来る、詩人か画家でありたい>と述べたうらには、個人単位の生活を最低点とし、映画の性格上、多くのスタッフの技術を分ち買いする資本力の総体として映画がうみ出されていく一面の悲劇を静観的に叙情せざるを得なかったのも理由がある。
私は、この会の体質に自ら合うことを避け、時に重任をにないながら、会の運営には全く無責任だった。会の意義を認めないわけではなく、まずその作家内部の引き裂れを認めた上で、作品創造の闘いの軌跡を共有することで、相互の連帯を闘いとり合うという方向をまさぐり、当面の問題としてスタッフを組んでのパーソナルな人間関係をいかに作るかということの方により時間を欲しかったからである。
では、PR映画がどうしようもない特殊な分野であり、他の映画、他の文化ジャンルが、このようにミミッチイ事態からフリーであり得るかといえば、そうではない。五社の中で、もうかる映画のパターンの連作をしいられる作家たち。いわゆる”裏目よみ”で延命を期待されつつ衰弱をしていく五社監督たち。映画よりCMフィルムにディザイナーのよろこびがあると割り切ってゆく若い都会青年たち。TVの中で自らタブーを暗記し、自己の肉体にまでしみ通らせているTVディレクターたち。あるいは、不慣れにもエロに政治的裏目よみを先取りして台頭してくる映画の”新人”たち。文学界も詩人の世界も、巨大な体制の枠組みの中で、細分され、拡散している。そして、他の流派への罵倒と無視の原衝動をテコとして、タレント集団化を急ぐ。日本文化の不毛の中で、ともかくも、自己弁護者のプロレス的体刀の向上だけがめだったのである。そこに芸術の自立はないと察知するのに、PR映画で見事に裸身のまま資本と対決させられていた記録映画志望の若い作家たちこそ廻り道の必要がもはやなかった。彼らが泥かぶりのまま、自立の方向を探ったとき、その時より反体制的であり、反抗的であらざるを得なかったのは当然ではないか。
私の記憶する限り、映像芸術の会の解散は暗黒ではなかった。使命をともかくも終えて、こわさるべき容れ物であり、次に飛躍する否定的存在になっていることを、愛着をこめて、こわし合ったのである。そのパトス的な情動の中から、今日の自主製作の一連の作品が、胎動開始したのだと私は考えている
新人待望の条件を作れ
映画「三里塚の夏」に結集した小川プロの活動は、アウトサイダーにおかれつづけた小川伸介の反抗精神の徹底性をぬきに考えられない。彼の困難を極めたプロセスの中で、いわゆる通常の「迷惑」をこうむって、多くの批難や足の引っぱりあいがあった。しかも、旧映像芸術の中に於てである。この彼の軌跡に対し、心のどこかで共鳴音をもった人々と、違和感をもった人々が、クルミの殻のように二つに割れたというのは酷であろうか?その時点もたまたま映像芸術の会の後期の分裂状況の時に出あっていた。
小川伸介の活動の一貫性は、おそらく彼の無作為の行為として、映像芸術の会の解体を早めたといえる。彼の活動に触発されて、より一層「埋没志向」型の作家の自立作業が早められたとも言える。私達はあまり書かないし、発言しないできた。一連の映画作品に関し、一点、映画の未来につながり、作家たちに反権力の志向がある限り、その部分を拡大評価し、逆に、いかに装いをこらそうともタレント志向と、体制癒着の心根の見える限り無視してきた。「仲間ぼめ」「相なめ」の精神はもとより好むところでないので、書かないですませられれば書かないできた。書けば猛烈に誉め上げるしかしなかった。それは私の「批評」である。
映画「キューバの恋人」に結集した映画作家たち、また冒頭にあげた諸作品に創造をかたむけようとしている作家達に対し、同人意識の次元で考える程、状況は甘くないと思う。七〇年EXPOに参加した仲間への「無視」をすでに始めている。
若松孝二や足立正生との共同戦線にもそれを感じられる。ただ、何故、彼のみが連作し、彼の下から一人の監督も新たに出現し得ないのか。彼の十年の運動の中で、彼をのりこえるべき逸材の誕生を予想できないのか、それは、創造社の肺活量の目盛りの問題であろう。
今村昌平は、その点、新人を生んだ。その一点では評価に多少の違いがある。日本映画の新らしい未来のために、自らの殻を破り得る新人待望の条件を映画固有の物質的条件の上からも作り得ていないのは借しまれてならない。
恐らく、映画運動はその点で一つの曲り角に来ているであろう。
私達映像芸術を母胎に、いま活動を開始した仲間は、自分を否定さるべき”現在”とすることで、作品を変革し、と共に、新人を待望しつづける。自主上映で、私は単純再生産を目標としない。二本三本の拡大再生産を願っている。プロの前にアマチュアであり、監督の前に助監督であった私達の時代、昭和三〇年始め以来、日本映画の衰弱を口実に、どれだけの強大な新人をもち得たろうか。今も日共は、今井正、山本薩夫、家城己代治の御三家の他に「ドレイ工場」の武田敦を生んだだけだ。(左翼タレント主義を文字に描いてみせた。)
その中で、私をふくめ、黒木和雄、東陽一、小川紳介、西江孝之、岩佐寿弥、平野克己、そして、映画同人キューバに結集するため日映新社をやめた播磨晃、TVドキュメンタリスト阿部博久等の群生は恐らく、一九六九年の一つのメルクマールとなるだろうと信じたい。
映像芸術の会の一つのおとし穴は、愚劣な政治的支配を拒否するために、即ち誤った代々木路線を拒否することで、政治そのものを対象とすえる芸術家の眼を自らふさがなかったか? 自ら擬似ノンポリの芸術至上主義、映像過信、映画言語絶対化に随さなかったか。代々本路線を抱り出すだけで、「政治支配の自立」と考えることは誰もしていない。しかし、巧妙にはりめぐらされた七〇年安保の年のEXPOー七〇に、いかに作家が動員されつくしているか、そこに描かれている未来バカ的ビジョンに、いかに吸収されているかと、そこに一つの転向を見ないわけにはいかない。
私達は映画を政治闘争、階級闘争の先端をゆくものとは毫も思ってはいない。政治の正念場では、カメラは廻らず、私岸は手に武器としての石くれを持たざるを得ないだろうと思う。或いは、階級戦に於おける従軍記者がせいぜいだろうと思い定めているところもある。
しかし、今日、「政治も又、映画的」ならざるを得ない時代であること理論の絵とき映画でなく、映画固有の創造行為の中で格闘する対象としての魅力ある政治であり、革命であるだろう。
私たちの「キューバの恋人」はそうした映画として、自信をもって、世に問うつもりである。それは映画芸術の会の三ヶ年の苦悶にみちた活動を陣痛として、その会の存在意義を正しも、又負点としても、額に刻印して登場するだろう。その意味で、この映画自身、政治的な出現の時点を選んでいるのである。
あくまで”映画”として
映画「キューバの恋人」は「映画」として観られることを望んでいる。ある日本人青年とゲリラに旅立つ混血娘というフィクションとしての額ぶちを映写機のフレームの内に露出させて、キューバ全体の姿を拡大し、重層して開始したつもりである。キューバ人と日本人との愛と革命についての問いかけに終始した映画であり、その感想を、あらゆる人が、それぞれの時間をかけて、自己対話してもらいたい。まず見てほしいのである。
私は「キューバの恋人」を作りはじめてから、多くの期待の声援をうけた。それは、他ならず「キユーバ」であったからでもある。ある政治セクトは、キューバであるが故に、政治「路線」上、この映画に警戒的態度を示し、ある部分は、「映画」そのものを超えて、「キューバ」であるが故に支持と信頼を示すといった。映画と異なった次元での呼応関係をよんでいる。自主制作し、自主配給することに決めている。上映はあたかも選挙のように政治的部分とのかかわりが生じやすい。私たちは、あくまで映画として、最も広い部分に、最も効果的に見られることを望んでいる。日本の独立プロの市場は、今まで五社以外の上映は、殆んどと言ってっていい程、政治セクトによっで担がれ、観ることを「意識」ずけられ、「動員」されてきた。それが、映画の正当な価値以外の場所で、「運動」とされてきた。それは、映画のもつ、芸術的腕力、脚力とは必ずしも照応していない。(逆に、今村昌平の最近作のように、五社によって、不当に低い配給力のために、圧しつぶされている例もある)私たちは、あくまで映画として、最も広い部分に、最も効果的に見られることを望んでいる。
現代は何とダイナミックな時代であろうとしていることか。私たちは、映画界のアウトサイダーに属しているPR映画から、その果てしない疎外状況を逆手にとって映画創造の熱核を育ててきた。いってみれば、最も軽蔑すべきものの中から、最も怖るべきものが生まれる可能性を感じとることこそ、作家の、否人間の「謙虚さ」のおきどころであろう。そして又、最も非映画的な映画こそ、映画として復権することもあり得よう。
私たちの一連の映画運動が、その内部に於て、反権力と共に、「謙虚」の形相をつかみとるとき、五社に埋もれた若き新人たちと、苦闘する独立プロの作家たちとの共同の軌跡を共有する真の連帯が生まれ得るだろう。ただし、七O年EXPOで自ら分断された作家は、当分その範ちゅうに入り得ないであろうことを断っておきたい。