私にとって、水俣病とは何だったのか 環 vol25 2006spring 藤原書店 <2006年(平18)>
 私にとって、水俣病とは何だったのか 環 vol25 2006spring 藤原書店

 季刊の『環』の特集、『水俣病とはなにか』に原稿を依頼され、お引き受けしたものの、その企画趣旨を精読し、改めて問われている意味にたじろぎます。これまでに随分「水俣」を語り、書いてもきましたが、記録映画作家として映画を軸にした水俣病の話、つまり観察、発見、その意味などでした。しかし、この企画趣意書は「水俣病その五十年」に際し、それぞれの水俣病に関わった自分をどう、水俣病と関係づけるか、その意味を問うています。私には今までのそれを超えた問いかけに思え、厳しく切り込んでくるものを感じました。「あなたにとっての(つまり個人にとっての)水俣病とは何であったかを語れ」と。
 しかし、編集者の企画意図はシャープです。そこには水俣病ーその五十年に、あろうことか大規模な産業廃棄物最終処分場が水俣の水源地に計画されていることへの現実的な危機感が滲んでいます。それだけに水俣病事件史の風化にいかに抗するかについて、改めてわれわれ各自の現在の在りようを問うておられるのでしょう。
 この二月五日、行われた水俣市の市長選は、産業廃棄物最終処分場に加担する現市長江口隆一現市長と、産廃反対を公約とする元教育長の宮本勝彬候補の対決となりましたが、三千五百票の大差で宮本氏が当選しました。市民のこの選択は水俣では当然の思えますが、安心できる確たる予測は私にはありませんでした。江口市長の若さに期待する市民は多かったからです。
 水俣の市長江口隆一氏は今年四十歳。あの水俣湾の水銀ヘドロの埋め立て地の造成を担った地元企業、江口建設の跡継ぎとして、水俣病事件の発見以後に生まれた世代です。氏は「水俣病を無かったことにしたい」というかつての水俣市の体質の雰囲気のただ中に育ち、当然、水俣病をもっぱら疎ましく感じてきたと思います。とくに画期的なもやい直しを進めて勇退した前市長の吉井市政を意識し、むしろ“脱水俣病”の市政を目指した彼には、水俣病を“盾”にして産廃に反対する事には生理的反発があったようです。この産業廃棄物最終処分場の話ののっけから「市には許認可権のない以上、中立でいく」という腰のひいた対応で市民を苛立たせました。もし水俣病患者の痛み、市民の引き裂かれた歴史を考えたら、事は、咄嗟に判断できたはずです。水俣の人間は産業廃棄物最終処分場の話を聞いた時、まず「まさか!」という思いをで。その阻止は「理屈ではなく、反射的にそうすると思った」(市民の声)のです。だが市長はそうはならなかった。
 危機感を持った市民は反対に動きます。市民団体『水俣の命と水を守る市民の会』(代表・坂本ミサ子)は第一回集会に 900人を集め、ついで熊本県潮谷義子知事あてに署名 1万9000人をそえた陳情書を提出しました。この市民運動のリーダーたちは水俣病事件五十年史には登場しなかった“沈黙してきた人々”でした。その彼等が反対決議のスローガンの第一項目に「水俣病の教訓を生かし、悲劇を再び繰り返さないように」と掲げ、市長選挙は流れを変えました。二年近い暗い時期を経ただけに、これは水俣ならではの“朗報”でした。
 終末論しかないような水俣の悲劇に連れ添いながら、それだけに水俣の人びとから、望外の励ましや生き甲斐を与えられた時の歓び、その悲喜の振幅の大きさには魅せられますす。そして患者さんの言葉に耳を傾ける。「水俣病は私にとっては授かりものでした」という杉本栄子さん、『チッソは私であった』という著書を書いた緒方正人さん、「水俣病は人間の奢りから始まった」として「水俣湾を世界遺産に」と遺言を残した川本輝夫さん。それぞれの詳説は省きますが、その思考のスケールは私の想像を超えるものがありました。水俣の受難者ならではの言葉は汲めども尽きないものがあります。それらに接し、読み解くこと自体が快楽になりました。それが私をある種の“中毒”にしたようです。
 かつて、私は病名「アルコール依存症」の患者になりましたし、煙草は日に六十本吸うニコチン中毒者でもありました。どうも私には何かに頼る“依存症”があるのでしょう、水俣依存症というか、水俣を考えない日はない、この快楽はやめるつもりは在りません。
 あの川本輝夫さんが「一日くらい、水俣病という言葉を聞かない日が欲しい。うんざりだ」と愚痴ったことがありましたが、それは彼に持ち込まれる重い話で、私の第三者的立場とは比べることは出来ません。しかし、それが彼の生き甲斐であり、快楽だったと思います。その点では同じ、私も青年時代、左翼活動家として“人民に奉仕すること”を快楽とする事は、いわば擦り込まれた習性でした。それが身体に生き続けて、水俣の映画を撮りながら、無意識に水俣病依存症として、「私にとっての水俣病」になっているのかも知れません。
 (06,2,24)