日本人の恥として観るものの心を抉る<すごい映画> 「出草の歌」パンフレット 日本ドキュメンタリストユニオン <2006年(平18)>
 日本人の恥として観るものの心を抉る<すごい映画> 「出草の歌」パンフレット 日本ドキュメンタリストユニオン

 井上修さんの長編記録『出草之歌(しゅっそうのうた)-台湾原住民の吶喊 背山一戦(ぺいさんいつぁん)』は“スゴイ映画”である。ヤスクニに合祀された同族の霊を、部族の聖地に返せという運動の一部始終が主題である。だがそれに平行して、台湾の憲法に“原住民”と明記させるに至った彼等の最近の権利の闘い、とくに彼等の“自己史発掘、自己確認”の歩みが歌とともに展開されている。核心は彼等の追及する原住民像であり、彼等の部族の生存権の主張である。それが音楽と歌に綴られて描かれている。部族の群像劇であり、数人の音楽集団と部族の女性リーダー(高金素梅さん)のもの語りでもある。 この映画を観て、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。つい二年前、台湾の宜蘭(イーラン)県で開かれた初の国際環境映画祭に招かれ、通訳になった年配の原住民の方々と親しくなった。彼等から小学校時代の日本人教員の好ましい話を聞かされたりした、その処遇をルポなどにもを書いていた。だから、この映画のなかの原住民は別人のように違っていた。そのことにショックを受けたのだ。
 台湾の民衆の記事は多くない。まして原住民のそれは少ない。その多くが、かつての高砂族が、どちらかといえば日本に回顧的であるという。新聞は概ねこうだった。…戦争末期にはその部族の果敢さを認められ、切り込み部隊に編成されて、太平洋の激戦地、未開地に送られた。日本兵よりしたたかに闘い、戦死者も多かった。それは彼等の誇りでもあった。だから靖国神社への合祀は、遺族に無断であっても当然のように納得してきた…それが私の認識でもあった。今はこの映画で問い掛けられる。彼等は自分らの歴史や、日本の植民地支配の実態を知ろうとしている。ヤスクニへの部族出身戦死者の合祀も洗い直している。
 そもそも部族の祖霊をふるさとにというのが台湾原住民の願いという。これは日本人、とくに遺族などにはビンビン分る話だ。どこの国の家族の心情でもあるからだ。小泉首相の靖国参拝への批判ではない。それ以前の異議申し立てである。「台湾原住民は日本人ではない」、「先祖の“皇軍兵士として”の合祀を止めよ」である。これがニベもなく否決されるとは、心外極まることであったろう。また、この種の戦争被害者の国際的民事裁判の慰謝料は概して数百万円が常識にも関わらず、彼等の慰謝料は「ひとり一万円」と、全くゼロに等しい。ここに見る彼等の精神の純粋さは痛々しくさえ思える。
 この映画を観て怒るだけでは済まない。これらを私は何故知らなかったのであろうか。彼等の数年越しの法廷闘争やデモなどは殆ど報道されていない(朝日新聞、1988年以降の記事調べによる)。何故か?。そこには台湾原住民への人権無視、ましてその植民地時代、太平洋戦争時代の日本の加害性への反省のカケラもないことをメディアも反省すべきだろう。
 彼等は裁判の提起以後、でさらに新たな怒りを感じている。「自分をいまでも人間扱いしていない」と。映画の中の日本人の無関心さ。靖国神社の神官たちの慇懃無礼な面会拒否、右翼の威高だけな侮蔑などが描かれている。これは日本人の恥として観るものの心を抉る。
 思えば国家以前に、まず先住民(原住民)がいたことを改めて教えたのは1993年の「先住民年」であった。この映画もそうだ。土地が国家のものとされる前に、それぞれの部族のもの(居留地)であったし、そこが人びとの狩猟と採集の地域があったことを…「書かれたものがなくても、みんな分って暮らしていた」。その人びとの絆がもの事を決めていたのだ。その絆は主に音楽であり、歌唱であったという。
 この長い題名を説明しよう。「出草」とは「首を刈る戦い」という意味だそうだ。首刈りとはさも野蛮さを思わせるが、わが日本でも幕末まであった習俗である。
 17世紀以来、台湾島が植民地主義の西欧、清国、日本に次々に支配され、その度に山地に追いやられた。その諸部族に、それが生き続けていたとしても不思議ではないだろう。副題の“背山一戦”とは山を背にして一歩も後ろに引けない戦いという意味。…“吶喊”とはただの歓声ではない、広辞苑によれば「まず息をとめ、ついで爆発的に大声を上げる意」。まさに戦いそのものの声だ。
 井上さんは四年前、靖国神社に(祖霊を返せと)抗議にきた彼等が訳の分らない言葉で歌い始めたとき、「これは凄い。闘いの時に歌は切り離せないのだ」と知り、かつてない“音楽ドキュメンタリー”を作ろうと発想したという(前出『思想運動』)。
 これら部族の古い歌は年寄りにも意味不明なものがある。しかし、そのメロディーが歌われると、その場で不思議な絆(きずな)が生まれてくる…井上修監督はそう信じ、音楽・歌唱を、できるだけ忠実に生かそうといている。「この映画の依って立つ所は原住民世界であり、彼等の視座から世界(日本)を見る」…それは三十年前からの日本ドキュメンタリストユニオンの方法論であろう。その復活に、私は感動を覚えずにはいられない。
 (06,5,20)