企画改訂原案『されど海ーオホーツクの人びと』(16mm・ 2時間または前後篇 3時間)(1993,4,13シグロ提出)
この企画は北方領土をめぐる諸問題の考察からはじまった。オホーツク海は世界三大漁場のひとつといわれながら、北方四島は冷戦の最後の未処理の問題、さらにこの海域はサケ・マスはじめその豊かな漁場ゆえに、さかのぼる幕末から近代、そして戦前戦後を通じ日ロ(日ソ)の漁業利権の争いの海であった。とくに、北海道の道東・根室海峡、宗谷海峡のオホーツク沿岸漁民にとっては恐怖の水域でもあった。(国境・領海侵犯ゆえ日本人漁民9000人余の拿捕者を生み、「北方領土返還」運動は反ソの核でありつづけた)。“されど”ひとびとはこの海に執着してやまない。『されど海』(仮題)の含意はそこにある。
「オホーツク」は北方志向のわれら民衆にとって北方のロマンの響きを失っていない。だが、ロシアのほぼ内海である。その実体は軍事地政学的に閉鎖水域とされてきた。そしてごく最近の原潜、原子炉の海中投棄の場所に選ばれ、核汚染の未来を杞憂される事態になってきた。ヨーロッパ・ロシアにとって、北太平洋はいわば地の果てである。アジアのひとびとにとって憧憬の海であることにいささかの痛みや配慮もないように思われる。
未知にして悲劇の色濃い海。この海に生きる先住民の今日すら定かでない。だが、この海をめぐるひとびとは、今日もそこに深く依存しているであろう。特に日ロ両国々民の食卓の問題であり、水産経済のきずな、今日的にいえば国際合弁企業の舞台の海であることに変わりはない。それはアムール川以北のオホーツク北岸、カムチャッカに及んでいる。
オホーツクの富・漁業からみれば、北方四島問題はオホーツク海の諸問題の一部であり、日本政府のナショナルなプライドの問題でしかないことは周知の事実である。さらにソ連崩壊後の対ロ支援の国際的共同歩調の中で、ひとり日本が「日本固有の領土」「政経不可分の原則」論に脚を縛られ、サミット諸国からも理解されがたいある種の「日本異質論」を招いていることは「歴史のジレンマ」である。先見の明はこの海の凝視にしかない。
最近、ようやくオホーツク沿岸の商業、漁業交易の地点は「開放」され、入域できるようになった。ロシアの生死を賭けた市場経済とその新展開がこの海にも及んできた。オホーツクの自然の全体像、とくに環境調査と人類的な視点からの資源調査は自然科学的にも社会学的にも21世紀にむけての切実な課題と言われている。にもかかわらず、ロシアの周知の「困難」は、この海を事実上、未知のままに取り残し、日本(北海道)はもとより、極東、とりわけ東北アジアの人びとの共生の海として視覚的にもイメージを持てないでいる。さらに言えば、アムール川に発し、サハリンから北海道に至る流氷は、オホーツク海が豊かな漁場たる全地球的法則を描きだしているにも関わらず、そのもつ特性も正当に位置づけられてはいない。冷戦ゆえ20世紀のし残した影の部分である。北方領土問題もその広大な背景の把握抜きにはもはや語れない。たとえ10年かかろうとも、である。
この企画の意図はオホーツク海への新思考のいとぐちを切り開き、国際的のみならず、諸民族の海の生活と共生をさぐることに置かれる社会ドキュメントである。
<規格と方法>
・企画自体の開発のための周到なシナリオ・ハンティングとコージネターの確保作業。(但しロケ用 400トン客船、通訳予備調査済み。ビザ取得、シナハンは近日実施の予定)。
・四季変化と魚・水産動物の関係、流氷の持つ世界的漁場の解明のための周年のロケ。
・オホーツク「巡海」撮影のため、船による全域航海。映画としてフィルム記録。
・極東ロシア各州・各漁業機関との連携による日本記録映画(ロシア語版予定)。
以上