「ドキュメンタリー『存亡のオホーツク』(仮題)…極東ロシアの漁民像を求めて メモ 1993,11,15
この番組はオホーツクの過去・現在・未来を構成者・土本らの行動報告と推論をその映像を介して探ろうとする試みである。その素材としては、すでに撮影された30時間余のビデオテープ、録音テ-プの検証(映像・音の記録資料性)を太い骨格とする。その上で、番組の冒頭に、「前置き」の形で述べられるべきは、既撮分は、あくまでも、92-93年のごく限られた時期、限られた土地におけるオホーツク漁民(主にロシア人)の生活と意見であり、欠落と空白を残した記録であること、またいわゆる資料映像は補足にとどめ、番組の狙いは「新撮映像・手持ち資料の検証及び推論」であることを明記して進めたい。
事々しく「検証」と言うのは、構成者(土本)の現在の認識と、取材時のそれとの差異、葛藤を隠さないというほどの意味である。現在型のテーマを描くドキュメンタリーには、その構成者の推論や想定に「偏差や誤読」を生じることは免れない。それを恐れるのではなく、そのことを自覚し、対象化する構成の工夫が必要であろう。
今回の映像(撮影・大津幸四郎)は、番組のために撮ったビデオ映像ではなく、見聞の記録であり、後の考察の素材としてであった。戦後45年間、閉鎖された「国境」のかなたの海と人についてのはじめての記録であり公表に値することに疑いはない。だが落丁と事実のズレをどうするか。また認識の変化自体は興味深く率直に出されなければならない。
例えば北方四島のロシア島民の困窮の酷さや、北方領土返還運動の沈静化と経済交流の半凍結化などである(但し核廃棄物の海洋不法投棄問題の再燃やエリツィンの訪日、ロシアの最高会議・州議会の解体、近く開かれる議会選挙による変動などはフォローしない)。
今回の番組には、敢えて一歩踏み込んだ推論や想定を言葉にすることが求められる。映像の撮影時点を超えて、現実は進展、後退しているからだ。飛躍した言い方だが、撮影対象になったすべてのひとびとに「生き延びよ!」と呼び掛け、さらに「もうひとつを見よ!」と自らに言い聞かせたい。この二つのキーワードにより、言葉の処理をダブルで、即ち取材者(撮影時)と構成者(現在時)という「二重の人格(時間)」で進行させていきたい。前者は「生き延びよ!」を基調に語り、後者は「もうひとつを見よ!」を基調に語る事だろう。
構成の頭にビデオの編集室から始まり、あらかじめ「章」の意図と資料を提示し、「見たかったもの」と「見聞したもの」の違いを述べた上、短編構成(一章数分以内)で、各章の映像に入いる。つまり、その各章の合間に、その「偏差と誤読の恐れ」と「時差」を打ち明けながら、次章に移るようにしたい。言葉は二人になる。
レポーターとしての取材者土本の主意的な語りと解説(通訳の代わりを含め)による一人称形式(『私は…』)を前面に押し出し、同時に「構成者」(主語ナシ)として「客観的」なナレーションにより、批評的に突き放す。そのためには女性アナウンサーが望ましい。ナレーターは流れの句読点になる。主なメッセージは取材者土本で貫きたい。
新撮は、「資料漁り」「構成編集のプロセス」「『対岸・日本』である北海道・根室への再訪」などになろう。
凝縮と純化の昇華をたどるべき構成に、敢えて「偏差と誤読」といった違和感のある構成を持ち込む理由は、オホーツクの未来についてなに一つ依拠できる指針がないことをあらためて見るひとびとに訴えたいからである。
さらにいえば、現在のロシア人嫌い、ロシア漁業不信に「もうひとつを見よ!」と呼び掛け、さらにかれらの「生き延びる」営為に微笑を投げ掛けるように訴えたいのだ。オホーツクを共有する隣人としてのメッセージで終わりたい。
サハリンのジャーナリストから真顔で「サハリンのことは日本人のジャーナリストに聞けといわれている」とのジョークを聞いた。それほど旧ソ連体制崩壊後のロシア極東の地方マスコミは分断され割拠しつつ意思・情報の疎通を断たれている。どの「真実」も、所が違えば違うのが実情である。依拠するのは手持ちの記録である。その限界こそこの番組の登場の理由でもあろう。
これはいわば出来合いの「監修者」を見いだし難い番組である。逆にいえば、いまこの『オホーツクのロシア人漁民像』について、実証的見地から総括できる立場の人を、日本にも、ロシア・極東にも、ましてモスクワにも持ち得ていないことがこのテーマの特異さでもあろう。
この「私的」検証のドキュメンタリー番組が火つけ役になって、今後、オホーツクが「共生の海」、守るべき「海の『アマゾン熱帯雨林』」にも匹敵する舞台になることを望むとともに、なにより「対岸」の隣国ロシアを考えるよすがになればと思う。