『されど海』シナハン日誌1-3 ノート <1993年(平5)>
『されど海』シナハン日誌ー1(1993,2,6~2,7含・記事要約)

1993,2,6(土)出発日。
 山邨伸貴はTBSの仕事で 8日に後発。宗像孝(CX)、青木征雄プロデューサーは途中一部合流の予定。この日関東地方は快晴。
 朝、稲葉光宏、青木基子と羽田へ。ワープロ、書類などでかなりの重量の携行品である。10時45分発の日本エアシステム 133便で釧路行き。釧路空港のレンターカーでカローラのワゴン車を借りる。これさえ山邨、宗像らが来たら荷物で狭いだろう。
 視野に白い風景はほぼない。曇天だが気温は春のよう。昼食のラーメンを食べながら汗をかき、走行中、窓に隙間をつくるほどだ。
 国道44号線は釧路地震のせいか道路工事で、厚岸で霧立布に迂回、厚床へ。 4時すぎイーストハーバーホテルに着く。朝日新聞根室支局の小泉氏と連絡。中標津の松村氏の会社に到着の電話メッセージを入れる。
 あきらかに暖冬異変らしい。流氷は稚内にやっときたようだ。北海道新聞によれば、羅臼のスケソウ漁が、不漁だった昨年の半分しか捕れず、ロシアの大型トロール船もほとんど出漁していないという。
 稲葉君にコーヒーメーカーを買ってもらう(自費)、なお執筆用にスタンドを頼む。

  7時過ぎクリルプレスの松井健二氏と小泉朝日新聞根室支局員に会う。初対面の松井氏はすこぶる自然体の好青年である。小泉氏によれば、「何かを決意して始めたというタイプではなく、ごく普通の青年の生き方のまま『現代のラックスマン』や『大黒屋』になってしまったところがおもしろい」という。去年のレンフィルムの映画スタッフとは入れ違いになって会ってはいないらしい。島の新聞を運ぶ肝心のカニ船が、年末は一日十数隻入港したのが、今年になって、ロシア漁業省の割り当て枠の締め付けでまだ数隻、週に三回刊のテンポに間にあわず、国後島から電話とテレックスで情報をとっている由。
 ロシア漁業省のこの措置が乱獲の阻止、資源の調整にあるのか、外貨の管理方式の変換のための過渡期なのかは分からないが「またロシアが首を締める」と現島民は悲嘆の声をあげているという。
 こちらの企画実現の経過と意図については充分に話し、かれの協力を約束してもらい、小泉氏にも、いわゆる系列を超えた相互協力を要請した。
 この夏のビザなし渡航のマスコミ取材班の人選(籤引き)は決まっておらず、かれが行けるかどうかは未定とのことだ。
 慎重派の大矢根室市長が最近の発言で、初めて、友好的な交流だけではなく、経済交流をしなければならないと言い出したという。だが来根の開発庁長官も「まだ尚早」の政府見解の鸚鵡返しの発言にとどめているようだ。
 松井氏は、アイヌの「島にテリトリーを」の声に、ロシア島民が「また次の手か」くらいにしか感じていないという。エリツィン以後、島に権利を要求する者の発言に切れ目がない。つい先にはコザックの登場の噂があった。「自分が島の側にいつしか立ってしまっているのかもしれないが、アイヌの話にどうも鬱陶しさを感じる」という。また「アイヌも札幌や阿寒から東京むけに発言しているのであってアイヌ一般の声とは思えない」(小泉氏)との言葉に共感している。
 この地での元島民の印象はと聞くと、「あの人たちはロシア政府に持ってる不信感と同じくらいの気持を日本(政府)に持っているようですね」という。

 小泉氏は羅臼取材から昨日帰ったばかりだが、スケソウ漁は不振で、岸壁で漁師が雪遊びをしており、日に数キロといった水あげで、いつもなら、底引き網のヘドロで汚れている埠頭も小綺麗なものという。その不漁の原因は、北の水域での沖どりと、海峡での幼魚までトロールの魚網で捕ってしまったため、成魚が少なくなり、寸法も小ぶりになってしまたことも一因という。映画のラストシーンには一考を要するかも知れない。
 郷土料理「俺ん家」の魚料理は期待通りだ。シシャモも味わいがちがう。ここで貝殻島のライトアップのイベント「チップ・リキン(日が昇る)実行委員会」会長・田家徹氏、委員・岩清水三宏氏に紹介され、10時半にホテルに帰る。
 このホテルにはファックスもコピー器もあり、フロントにメモも置ける。ロケ宿は照月旅館としても、ここの一部屋は自分の個室として、資料や情報収集の場、ロビーを接客用として使いたいものだ。

1993,2,7(日)北方領土の日。
 朝 7時に起床。静かな一日の幕開けである。ワープロを打つ。
 9時半、松井氏と納沙布へ。車中の話…寄宿先は只、学生時代のような食生活ですませているという。借金が中標津の松村氏に20数万円あり、気になっている。島の大将(新聞「ナ・ルベージェ」社の社長S・ジェルブノフ氏)に頼まれた仕事として、中古車の購入や合弁企業との話合いなどがあるという。島に帰るまでには若干の金の返済や蓄えを作ることがあるようだ。この企画の専属コーディネターではなく、パートでそれをする気はないか聞いてみる。悪くない話だろう。だがじつに純朴だ。
 ロシアの極東や島では通貨はドルが圧倒的という。円はドルと換金すると 180円くらいに率が下がる。島ではルーブルをドルや円に換金してもっている人がふえている。換金は公然とできる。そのほとんどが箪笥預金らしい。ルーブルで預金しても銀行がカラになることがあるからだ。
 納沙布の笹川財団の五階建ての円柱の塔(内部はお土産屋)で根室アマチュア無線クラブ(JA8YSQ/8)のサハリン、国後との交信が試みられている。責任者の教師は流暢な英語で国後のハムと交信している。雪もよいの曇天下、貝殻島すら見えない。岬のモニュメント広場に人影は皆無だ。北方領土の日らしいものは何ひとつない。
 正午より第十一回北方領土の日「根室少年弁論大会と演芸の集い」。知っている顔は枡潟さんのみ。小泉氏より行政、公職の数人を紹介される。手間が省ける。
 一市四町の中学生10人(男女 5人づつ)がつぎつぎに壇に立つ。男子がやや絶叫調なのに比べ、女子のは叙述的で説得力があった。共通するのは「島を返せでは事態は解決しない。交流を深め、日露両国の懸け橋に…」といった論調である。関東の中学生と交流し北方領土を訴えたが、ほとんど関心を示されなかったというのもある。女生徒たちには92年夏のロシア人中学生の訪問の体験をもとにしたものが多く、ホームステイで彼等を招いた印象を新鮮に語っていた。
 「慎ましい御土産、ジュースの空きカンも島の家の部屋の飾りに持ち帰ったことに感動した」(中標津、矢島さん、知的な印象)。
 島の自然に触れ「ハナサキガニが島の浜辺にはいあがっているTVをみて、もう日本にはない自然だと思った。ロシア人の側にも立って問題を考えよう」(羅臼、浅野さん、説得力がある)。
 「一、二時間の遊戯で、相手が外国人という気持の垣根が取れ、たのしく遊んだ。ロシア人島民にも住民権がある。不覚にも花咲港での別れで涙がでた」(標津、家政さん、大人びている)。
 「文通したいが、一カ月も掛かる。花咲港のカニ船でなぜ運んでくれないだろう」(根室、高橋君)。
 「島が戻れば乱開発は必至だ。かえって島は帰らない方がいいのではないか。また今、島にすんでいる人を一番に考えるべきだ」(羅臼、千葉さん)。
 「島の帰属を言うまえに、国際交流の場にせよ」(野付、片野君)。
 稲葉君は 8mmで発言をフォローしている。言葉を拾うためにマイクをつけたようだ。

 会場には元島民も少なくない。なかにはハンカチで目を拭う人もいる。とくに花咲港での別れの悲しみを語った女生徒の声に女性客は身につまされ、ひときわ強い拍手を送っていた。見計らって質問する。
 「まともなことをしっかり言っていると思います。大人では思い付かないことを」「10年前と比べると自由に喋ってます。頷くことばっかりですよ」(根室育ちの母子会々長、松原マツさん)。「私ら、三日の戦争で島を取られてしまって、ロスケは憎い憎いの一念でしたでしょう。しかしこれからはあの子たちの考えでやらなければ何にも進まないんじゃないですか」(色丹島出身、南みつえ)。ともに60~70代の人たちだ。
 弁論大会第1回から聞いているという老元島民は「大人びている。とても中学生とは思えない」と感心している。「変わったのはこの一、二年だな。仲良くしていこうことにはっきり変わった」(元市役所員)。
 よそにいって北方四島を訴えてもピンと来ない経験を発表した女生徒。それだけに芯がしっかりした発言をしていた。「皆さん」で始まる弁論に当って、大人に拮抗する内容をもって登壇した。この子らの鮮烈とも言える「変化」は、不明にも企画書の計算にはなかった。やはり今年も計画されている、両国生徒の文通、訪問交流は是非撮影したい。

 いいだもも論文を松井氏と小泉氏に刷ってわたしてもらう。小泉氏からスクラップをかりる。午後 5時、買い物に出る。防寒ズボンは高くて二の足を踏む。文具、薬を買う。
 夕食はホテルですます。
 明日、夕方『シベリア人の世界』の試写、小泉氏により決定。

 サケ・マス違法操業事件 朝日新聞スクラップ

92,5,21 米国沿岸警備隊機が、北太平洋の公海上の定期巡察で国籍不明の漁船22隻発見。
5,23 公海で操業中の勇幸丸(釧路)が水産庁の取締船の立ち入り検査、26日事情聴取をうける。
5,25 第18由美丸(根室)、第68大恵丸(根室)が公海を航行中、道の取締船に発見される。
5,28太平洋小型サケ・マス漁業協会が全船に帰港命令。
5,29道が勇幸丸(釧路)、第18由美丸(根室)、第68大恵丸(根室)を停泊処分。
第一管区海上保安本部(小樽)はパトロールを強化。
6月初め、水産庁、米国沿岸警備隊機の写真を分析、22隻を道からの船と確定。
6,1519t型船全88隻の操業打ち切り(漁期は 6月末)
6,21釧路海上保安部が釧路市漁協などを捜索。
7,1釧路海上保安部が厚岸漁協などを捜索。
7月中旬、道が釧路、厚岸の漁船関係者 5人を書類送検。
7,23根室、釧路海上保安部が34カ所以上を家宅捜索。
9月上旬、室蘭海上保安部が20カ所以上を家宅捜索。
93,9,28第一管区海上保安本部(小樽)と釧路海上保安部は27日、北海道の小型サケ・マス漁船(19t型・流し網) 2隻の漁労長 2人を北海道海面漁業調整規則違反(区域外操業)の疑いで逮捕した。納沙布岬東南 950キロの北緯40度、東経 155度付近の公海でサケ・マス 5,5tを取った疑い。一管の結束好本部長「過失犯ではなく、故意犯」と語る。
着手後 4カ月。
北洋サケ・マスは米国、カナダ、ロシアの三国は資源確保のため公海での操漁の禁止を打ち出し、92年2月、日本も条約に署名、1952年からの北太平洋での操業は92年から全面禁止となった。(出港は 5月 1日。漁期は 6月18日まで)。
今年、許可を受けたのは88隻。操業が許されている東経 147度以西の日本 200カイリでは魚価の高いサケは少なく、値段の安いマスが主体。許可海域での操業では、採算割れは必至。88隻が一斉に操業すれば過密状態になることは予想されていた(越境操業の懸念)。
92年 5月、米国が沿岸警備隊機で22隻をキャッチし、水産庁に通報していたもの。そのうちの 2隻。証拠写真 155枚の白黒。「決め手は写真」(結束好本部長)。
札幌高検と釧路地検は公判請求した場合の証拠固めに、米国に協力要請。

<被疑者>
 釧路支庁釧路町遠矢南、第68北進丸、船長兼漁労長木村義行(62)釧路東部漁協所属。
 釧路市寿 2丁目、第61大豊丸船主兼漁労長田名部清。(共に10,17略式起訴)ともに公海での航行と一部違反操業は認めているものの、いわゆる「いろは船団」ぐるみのそれについては否認。
 「逮捕は異例とは思わない。国際信義の問題もある」(結束好本部長)。
 一管=第一管区海上保安本部(小樽)では、帰港したすべての船について、船内や漁労宅を捜索、操業日誌や無線交信記録などを押収し、燃料消費量や漁獲量など調査、88隻のすべてが、越境操業していた可能性があると見ている。
 根室海上保安本部も近く強制捜査に乗り出す構えだ。但し、船団ぐるみによる越境操業を裏づける供述は得られなかった。

<追加送検>93,10,1 海面漁業調整規則違反(区域外操業)
 釧路市鳥取南三、第21勝宝丸船長兼漁労長、四方山弘(56) 裏作のサンマ漁に。
 釧路市仲浜町、第38清栄丸船長兼漁労長、砂庭清司(36)
 厚岸町白浜町、第21まるほ丸船長兼漁労長、山本力(55)
 厚岸町奔渡町二、第32広徳丸船長兼漁労長、川端勝也(27)

<追加送検>93,10,19
 厚岸町湾月町二、第63七洋丸船長兼漁労長、加藤義之(50)<サケ・マス18t>
 厚岸町真栄町、第11欣栄丸漁労長、佐藤紘(50)
 根室市光洋町三、第68大恵丸船長兼漁労長、浜松良幸(51)
 根室市光洋町三、第18由美丸船長兼漁労長、久保田金蔵(50)<サケ・マス 102t>
 根室市花咲港 某。
 根室市歯舞三、第18好恵丸船長兼漁労長、内海渉 <サケ・マス21t>
…各漁協側は「漁獲総量伏せる」。これまでは黙認または書類送検で終わるケース。強制捜査に反発。「漁労長は容疑を認めているのに、なぜ強制捜査なのか。納得がいかない」<新聞特集要約>
92,9,29~10,1『越境操業ー上中下』
 「サケ・マスは北洋のドル箱」と言われてきた。
 北方領土海域でのカニ漁が密漁に問われた1989年の「ウタリ共同」密漁事件、
 90年の北朝鮮船旗を掲げた日本漁船がサケ・マス密漁の疑いで旧ソ連に拿捕された事件 と、海上保安本部はアウトローに厳しく対処してきた。が、今回は道から正式に許可を受けた漁協所属の漁船が前面に出ていた。そこに海上保安本部の腰が重いと、検察側は見る。
 許可された海域ではなかなか取れないシロサケが越境すれば取れる。マスはキロ 300円にしかならない。「マスだけなら入漁料を払うために漁をしているようなもの」と船主たちはいう。

 サケ・マスは水揚げ高が4000万円ないと採算は厳しい。乗組員は平均 8人。最近は人手不足で、人件費に 3割が消え、網や燃費がかさむ。経費を除くと、手元に 400万円しか残らない。母川主義のロシアには協力金をトン当り15万7500円払う。
 魚価が1000円前後にはねあがるトキザケは、マスのいる海域より水温の低い、より遠くの沖合にいる。違反を承知でトキザケゐ求めて全船が公海にでてもおかしくない。
 釧路市内の漁協幹部「10年も20年も前は、海上保安本部や道の役人を温泉に連れていき、酒をのませた。違反は何度でも見逃してくれたものだ」。
 海上保安本部の幹部「法律家から見ると違法でも、浜の常識というものもある。弱者切り捨ての論理には抵抗感を感じる」
 今年のサンマは取れ過ぎて安い。サンマ漁は 8月出漁だ。海上保安本部の事情聴取は一時中断、「裏作」のサンマ漁(三陸沖から銚子沖)から19t船が戻ってきたところに新たな強制捜査の知らせ。サケ・マス業界は当初、書類送検ですむと思っていたふしがある。「浜の心情」は国際信用を盾にした「国益の論理」に通じなかった。「検察の狙いは漁師を殺すことなのか」。釧路、根室では怒りが募っている。(中)

 道の新しい漁業取締船 2隻「ほくと」「ほっかい」に、それまでの海王丸、北王丸の計 4隻体制。( 109t、時速60キロの最高速度)。
 しかしレーダーは約43キロしか届かない。天候が悪く、波が高いとレーダーの電波が波に反射して、漁船を捕らえるのが難しい。越境する漁船団は連絡を取り合いながら取締船を避ける。道水産部は強調する「取締船の目をかいくぐって越境して見付かれば、出漁停止の処分をしてきた。取り締まりは抑止力になってきたはずだ」。だが今回は利かなかった。道水産部は明かす「米国から指摘される前に、実は越境操業のうわさはあった」。

 今年、知事の小型サケ・マスの許可船は19t型は88隻。ほかに 9,9t, 4,9tの計 260隻 日ロ漁業交渉で決まった日本の太平洋側の 200カイリの割当て量は1544t、このうち値段の高いトキザケは90tしかない。この海域に 260隻が群がる。1隻当りの割当ては平均6tにしかならない。割当てを守っていれば 600万円にしかならない(採算ラインは4000万円)。
 道水産部は「苦しいのはわかるが、秋から裏作のサンマ漁もできる。人件費や網代、油代などの経費を削減すれば、日本の 200カイリで十分やっていけるはず」
 小型サケ・マスは88年からロシア 200カイリ内で合弁事業、今年は 6隻が出漁した。
 中型のサケ・マス船団体の全国鮭鱒流網漁業組合連合会がロシアと合弁会社を作った。だが割当て量が少ないのが壁になって、合弁の輪は広がらない。合弁枠は毎年ロシアとの交渉で決まる。小型漁船はその枠組みの一部を譲り受けている。根室漁協の幹部は「中型の業界と違って、小型には政治力がない。果たしてロシアとの交渉がうまくいくか」ともらした。
 逮捕者がでた漁船に対し、道は93年のサケ・マスの漁期に40日間の停泊処分などを検討している。「漁師にとって一番辛いのは、罰金よりも漁に出られないことだろう」(道水産部幹部)。

朝日新聞要約ー92,10,16「サケ・マスがけっぷちーロシアの理解がカギ」
ー時代の流れー
 今年からの公海での沖取り禁を見越して、主力の中型船の船主の動きはす早かった。
 88年、サハリンにサケ・マスのふ化場を作り、その見返りに旧ソ連200カイリ内での漁獲枠をもらう合弁事業を始めた。小型の合弁への参入は難しい。「小型は中途半端」(水産関係者)。その一方で、サケ・マス類の輸入も年々増え、昨91年釧路港に輸入された冷凍サケは9112t。これに対して、小型への割当て量は1544t に過ぎない。
 今回の事件について、水産庁国際課は許可された88隻が過剰だったという。
 19t型船は、もともと公海での操業を念頭に設計、 200カイリ内の操業では「戦闘力がありすぎた」「よその国の庭先で漁をしてるんだという認識が、中型船に比べ薄い」
 国際課は「ロシア 200カイリ内で生き残る道は、全船にロシアのオブザーバーを乗せるなどロシア側に理解してもらえる態勢をいかにつくるかにかかっている」

92,10,19「捜査の9隻で 370トン…一管公表…割当て総量の1/4」
 小型船(10t未満をふくむ)の漁獲割当て1544t。1隻あたり6トンだった。
 根室の船主「これまでタブーだった漁獲量の問題が明るみになるのが最も怖かった」

92,10,12「ロシアにらみ?伏せる…水産庁打診、海上保安庁応じる」
 一管海上保安本部(小樽)は米国に撮影された22隻にとどまらず、88隻を対象に捜査の結果、 3,3倍の5100tの総漁獲量と割り出した。この合意は「国益」との判断による。
92,10,12 海上保安庁とロシア国境警備委員会との戦後はじめての洋上協議。
「九月中だけでも延べ 686隻の越境操業」とロシア側指摘。

92,10,22「道・水産庁が過少捜査ーロシアに虚偽報告…越境操業」
 今年の漁獲枠1544tに対し、88隻の総漁獲量は 3,3倍の5300トン。
 水産庁国際課の対ロシア報告「サケ86t、マス1325t、計1411t」と虚偽報告。道水産部漁業管理課と水産庁国際課の慣習的馴れ合いの数字操作。この公表を控えるよう海上保安庁に打診、庁はこれに応じた。(マスはカラフトマスで1kg 300円の安値)。
92,10,22「送検12隻で 270t、割当て量の4倍、漁獲」
 サケ・マス計20万 100匹(サケ 1,8kg、マス 0,8kgで計算)。

92,10,25「保釈の3漁労長(厚岸)、サンマを追い銚子へ。裏作…不安の出漁」
 厚岸町白浜町、第21まるほ丸船長兼漁労長、山本力(55)「サケ・マスも水揚げは4000万円を超えたし、サンマ(棒受け)も豊漁がつづいて、値崩れも収まったようだ。船主の期待にもこたえられそうだ」
 サンマ漁が終わると例年なら12月から、流し網の発注や乗組員の確保など翌春のサケ・マスにむけての準備がはじまる。だが今年は事件の裁判や行政処分、日ロ漁業交渉の行方が不透明で、準備に手がつけられない状況という。

92,11,2「サケ・マス漁の『水面下』明るみに…水揚げ大幅オーバー、しかも行政も黙認か」ー越境操業事件、捜査から波紋ー
 もともと、釧路や根室などの漁港では、漁獲量オーバーは前から「公然の秘密」。水産庁は「道の報告した数字しか知らない」と否定するが、矢面にたたされた道水産部は「波紋が大きく、立場上、そうですとは言えない」と黙認を暗黙に認めている。
 北洋サケ・マス漁は、今年二月から公海を撤退、残るのはロシアと日本の 200カイリ水域内だけになった。漁の中心だった旧母船式独航船や基地式中型船はロシア 200カイリ内の漁場に転じたが、19t船は日本の 200カイリに取り残された。
 この日本の水域も母川主義から、ロシアとの間で毎年漁獲量を決め、「協力金」を支払うことになっている。「目の前の海の魚なのに、なぜロシアと交渉するのか」。沿岸漁民には割り切れなさが残った。
 資源保護管理という国際的な流れ、「それを真正面から取り上げず、過剰水揚げを『黙認』してきた行政の姿勢が、漁民の意識を国際社会から立ち遅れさせてきた原因ではないか」と指摘する人もいる。

92,11,4「船主に追徴金を求めず。検察、他船との公平さ期す?」
 異例の措置だ。道海面漁業調整規則違反(区域外操業)として釧路簡裁から罰金10め万円の略式命令。追徴金を求めず、今後もその意向だ。
 検察側は、 9隻の船主だけに不法にサケ・マスを獲った分の数百万円から数千万円の追徴金を求めたのでは、いずれも公海上で操業していた疑いのもたれている残る76隻の船主との間に公平を欠くと判断した模様だ。

92,11,11「道漁獲量操作を認める『水産庁も承知のはず』」(藤原弘水産部長)。10日。
 水産庁、窪田武・海洋漁業部長「道から受けた数字だけ」と、あくまで藤原部長の推測を強調。報告の数字については「ノーコメント」「大幅な減船も覚悟せざるを得ない」。
 今後の対応策として、道が水産林務委員会に示したところでは、まず取締態勢を強化する。目玉は全船に衛星で位置が分かるように発信機(トランスポンダ)の搭載を義務づける。通信機は数10万円するが「着けない船は操業を止めてもらう」と強い姿勢で臨む方針だ。
 根室市の水産業は小型サケ・マスに依存する割合が一段と高い。乗組員の雇用も地元が多いとあって、漁協幹部は「12月の地先沖合協定、93年の 2月の日ロ漁業協定でロシアがどうでるか心配だ」。燃料業者、魚箱製造の木工場も窮迫と転業を考えている。

92,12,5「19トン型漁船、日本の 200カイリ内から撤退。「ロシア内」確保へ」…小型サケ・マス流し網漁業の関係組合会議。
 違反を起こした88隻すべての日本 200カイリからの撤退を決定。19トン型以外の漁船の操業(10t未満の船など百数十隻)すら危うくなる懸念があったためだ。
「血を流さないと、日本 200カイリ内の操業は生き残れない。自らが首をくくるという思い切った決断だ」(太平洋小型サケ・マス漁業協会・吉田正一)
「このままで業界が自らの方向を打ち出さず、行政の指示を待っていたのでは、 260隻全体が野垂れ死にする。だからあえて死刑宣告することにした」「これまでは割り当て量を減らされたから、何割減船しろと行政から言われ、補償があった。しかし今回は自らの減船だ」(稲垣大雄専務理事)
<道と国に対し>
 ・今後予想される減船の補償
 ・ロシア 200カイリ内での操業の確保
 ・サケ・マス以外の漁業への転換促進
 ・日ロサケ・マス交渉での漁獲枠の拡大と漁業協力金「引き下げ」
 根室漁協の職員は「撤退するといっても、全船が減船するわけではない。問題はロシア 200カイリの合弁枠に19tが何隻参入できるかだ。来年の日ロ交渉が大きな岐路になる」根室市の10t未満の船主は「19tが全部撤退しても、漁獲割当てが今までと同じなら、採算割れは必至だ。大幅に増やしてもらう以外に小型サケ・マスの生きる道はない」

『されど海』シナハン-2(93,2,8~2,11・根室市にて)

93,2,8(月)曇のち雪
 午前中、小泉氏より借用のスクラップから昨年初夏からの「サケ・マス越境操業事件」を整理しつつワープロで打つ。
 違反した漁民側ではせいぜい厳重注意か、書類送検程度に受け取っていたふしがあるが、海上保安本部のうえの札幌高裁の姿勢は厳しいものだった。これだけは触られることは無いと思っていた、漁業日誌や燃費の消費量など、およそ水域外航行や漁獲枠違反の物証まで洗われた。ついに操業期間を早めての全船帰港をしただけでなく、92年末には、19船の 200海里内サケ・マス漁からの全面撤退にまで突き進んだ。10t未満のサケ・マス漁を救うためというが、全体の漁獲枠が増えない限り展望はない。きたる2月の日ロ漁業交渉の行方に注目しているが、去年の県、国がらみの数字の操作などの国際信用を裏切った経過から、手痛い報復を受けざるを得ないだろう。残るのはロシア 200カイリでの合弁への参入であり、これにはウマ味も残っていそうである。10トン未満の小型サケ・マス漁を撮るより、合弁を撮るほうが今日的だろう。
 昼、らーめん。東京連絡でコメント原稿の依頼を知る。朝日新聞九州の福岡さんから水俣資料館と歴史考証館との比較論。夕方までかかってファックスで送稿。
 胃の調子が良くない。ゲップに胃酸の味。
 山邨伸貴君の到着を根室駅にて待つ。いまどきこんな旧い駅舎は珍しい。待合室の大きなストーブにあかあかと石炭がくべられている。昭和時代劇にでも使えそうだ。定刻の列車がつく。その足で『シベリア人の世界』のビデオ試写に行く。駅舎の蕎麦やで時間を気にしてざるを食べたが胃の具合はさらに良くない。終日ワープロとだばこに耽ったせいか。
 小泉氏、松井氏、それに竹村征三氏。花咲港の入口にある元小学校を改造した根室市博物館開設準備室へ。学芸員川上淳氏にあう。ラックスマン関係の部屋を案内される。
 『シベリア人の世界』は画質は落ちるが、時間をとって見てもらっただけの反応はあった。竹村氏はこれを町中でやりたいという。シベリアについてこのような見方で描いたものはなかった、とイベント屋さんらしい身の乗り出し方だった。やはりそれほど旧くなってはいない。当時の中華人民共和国の文革をバネにしてソ連をみていたせいだろう。
 松井君持参の洋上交流の 8mmビデオ(島への寄贈用)を見る。雰囲気は掴めた。6回目とかである慣れ方がある。女性の参加が少ない。次回を撮るとしたら一工夫が要りそうだ。
 体調さらに不快。早々にホテルに帰る。案の定胃がカラになるまで吐く。すぐに横になる。夜中に睡眠薬をのむ。

93,2,9(火)快晴、冬方の寒気が戻る。
 体調いまひとつだ。昨夜下痢を失禁した。下着を洗い、シーツを取り替えてもらう。
 演出部(山邨、稲葉だが)に景観を把握してもらうことにし、下痢気味の体を休める。運動不足かもしれない。根室港付近まで散歩、サンドィッチを買って昼食。午後ブラブラ浴後2時間ほど眠る。窓外に国後が見える。希な視界良好だ。
 <山邨伸貴報告>
 納沙布の展望台からの眺めは水晶島の警備塔が望めるほど。国後島はうっすらと岩影がみえるくらいである。
 歯舞漁業で、埠頭で立ち話する数人の漁師に話を聞く貝殻島周辺でのコンブ漁は 6月から10月、最盛期は 6月初旬。
 海を撮影する条件は(1)ロシア外務省の許可(2)船のチャ-タ-料(20万円)とか。いずれにせよ、漁業の指導部をまず、訪ねる必要コンブの干し場は全体で1000坪位、昨年の水揚げは20数億円。しかし一昨年には及ばない。
 根室漁港の埠頭には70歳くらいの漁師一人のみ。今、ホヤを捕っているが、漁全体としてはかなり落ち込んでいる。その理由は「ホタテの養殖が海を潰したことにある。豊富な漁種、貝種は海をホタテの畑にしたため、量、種類とも壊滅したというのである。しかもホタテは生産過剰で今や1キログラム 120円まで単価が落ち込んだ。
 すり身会社は「カネヒロ」「大洋産業」が大手。すけそうは不漁だが、昨日、羅臼より仕入があった。
 北海道新聞の相原秀起記者に上記関連質問。「カネヒロ」の副社長、広田武士さん(50歳)に合うことを薦められる。スケソウ減の影響は、根室より羅臼に大きい。スケソウ御殿を建てた人に話を聞くのもいい。根室ではサケ、マス、とりわけ秋サケのウエイトが加工業にとって多大。その他漁業不振によって打撃を受ける大手…(燃料)菱さん(網屋)日本漁網(造船)根室造船などあり。
 貝殻島のコンブ漁に限って、撮影許可はサハリンでなくモスクワ。 5年前でも申請して許可がでるまで一月かかる。そのためかTV取材は極めて少ないようだ。
 ビザなし渡航予定(外務省)
  4月から12月の毎月一回(計 7回相互乗り入れ)プラス墓参 4,5回の計11,2回。 4月の予定は予算の決着をみてから。四島からは「足」が問題。従来の船は値上がりし、しかも大きすぎる。ヘリも検討されているが■国後のヘリポートが修復中■大型ヘリでも10数人が限度→ピストン輸送か。■の場合国後から中標津まで15分、但しやはり費用に難あり。
 水族館…標津に「サーモンパーク」完成(一昨年)、小宮山氏を訪ねること。
 スキューバーダイビングのプロ…西沢邦昭氏(現在余市市在住)、流氷下のスチールを10何年か撮っている。S=VHSもあり。
 ふ化場…西別(中標津)にあるのが、この辺りでは最大。昨年放流が 5月17日、秋サケの定置網は 9月 1日。
 サケ・マスの19t船のロシア 200カイリ海域での撮影は困難。
■スペースがない上、ロシア監督官が同乗する。→サハリンの撮影許可が必要。
■漁民自体が撮影を嫌がる。
 花咲港…「今はタラ漁位」「生活が成り立たない」と一人の漁師。帰港した船にはタラが中心でホヤも。70歳位の漁師もいる。「収穫は?」と問うと、「全然ダメだ」。歯舞に比べても人々の表情は暗い。(以上、山邨伸貴)

92,2,10(水)晴れ、冬方気温。
 明日11日が祝日。官公署挨拶まわりを今日中にすますべく各方面連絡。
 アイヌの秋辺氏連絡方を札幌の大井博一氏に依頼。柳原氏、長井氏(ともに札幌)。
 流氷研の青田昌秋氏、竹村孝章氏、箭波光雄氏(ファックス)、中標津の松村氏、萬屋氏、連絡。根室海上保安部の面会には一管(小樽)の許可が要るとのこと。実行。
 宗像孝君の来道につき、週末のいつでもよい旨のファックス。
 午前11時、根室海上保安部・竹本康雄氏に会う。手続きがあったが、サービス精神は旺盛、この部署への友好的接触はあまりなかったようだ。

 組織図は一管(小樽)のもとに 8海上保安部、さらにその下に 7海上保安署と 1分室。北方四島との「国境線」を中間線という。根室海上保安部の下に羅臼海上保安署がある(サハリンとの国境線は稚内海上保安部の管轄)。
 陣容、根室港(冬季は氷結のため花咲港)に耐氷構造の 500t 2隻, 150t型 2隻、15mのCL型 1隻。羅臼港に30m型 150~ 160t。サロマは 180tで30ノット(全国で 5隻)、釧路海上保安部にはヘリを搭載する宗谷3800tがある。
 日常活動は常時 2隻が中間線に沿って24時間パトロール( 4~ 5日)。治安活動のほか被拿捕防止活動。現場指導をおこなっている。越境したら「拿捕される」と通告するのみ。四島は日本固有の領土だから「行くな」とは言わない(?)。
 近年は拿捕事件は年に二、三件と少ない。昨年暮、拿捕船員が帰された。引取りは外務省の依頼による。色丹島穴間に行くこともあれば、中間線で身柄を受け取ることもある。最近は昨年 6月、サハリンでカツオ・マグロを取るといってサケ・マスを取って拿捕された人を引き取った。
 (特攻船は?)
 平成 3年 3月末以降、道、海上保安本部、警察の壊滅作戦によって封じ込めに成功した。かれらは暴力団関係と不良漁民の二種類ある。とくにカニの密漁が多い。暴力団関係は海上事犯に止まらず、なんらかの陸上事犯を重ねていることがあるので、その線からも封じ込めている。
 中間線での臨検は仕事だからやる。雌カニをもっていれば捕らえる。道の規則で資源保護の上から雌カニは海に放すことになっている。高価だから密漁がある。雌カニはストレスがあると交尾せず、自然繁殖を妨げるからという。市場に出回ることもあるがロシアとの合弁のケースだ。
 四島の国境警備隊との直接の接触はないが、日ソ海難救助協定により漁船同士の衝突などの場合には出動する。サハリンのRCC海難救助センターから小樽の一管に連絡がある。海上保安の巡視船にはロシア語のできる職員が乗っている。
 島のロシアの国境警備隊の任務にはレスキュウー活動は入っていないようだ。かれらの資源の規制にはヒトデまで入っている。網に掛かっていれば罰せられる。変な話だ。
(海峡の水深は?)
 あまり深くはない。羅臼沖で20~60m。海図42号を築地の水路部で求めたらよい。
(巡視活動の撮影許可は?)
 一管・総務課長の岩川氏にしてほしい。海上保安の撮影は双刃のことが多い。趣旨を明確にしてやってほしい。
(全体に協力の可能性は高い印象を受ける)。

 <山邨伸貴報告>
 午後 1時、道根室支庁に式場氏を訪ねる(水産統計をついでに貰う)<山邨伸貴報告>。上記式部氏…今年のビザなし渡航は4月~10月、5往復を予定。
目玉は■子供達のホームステイ、夏休みに4泊5日相互訪問の予定。色丹を中心に50名位の規模。■従来の観光的要素だけでなく、住民同士の触れ合いの機会も入れていく。
例えば漁業技術の指導などを織り込んでいきたい。参加者の枠も道内から全国規模に
広げていく。
 ロシア海域内での撮影については、札幌にある『北海道水産協会』に打診した上、関連各漁協に依頼する。尚網走などの水産状況については、網走支庁・観光主査の工藤さんを紹介される。

 午後 2時過ぎ、市役所訪問。大矢市長に会う。竹脇氏の態度好転、ビデオを借りる
 上記竹脇氏…根室市の市是は『北方領土返還』であり、それに反するものだと困ると紋切り型の主張。しかし…
 上記大矢市長…土本さんの説明が市長の心に染み込んでいくように、一言一言に頷かれる。予算を控えた多忙な身でありながら、聞くべきは聞くといった風格ある態度に僕は感動した。同席していた竹脇氏、その後豹変する。
 市長の話の要約…流氷は明治から観測できない年は 2回しかなかった。最近では 3年続けて来ない。流氷には 3倍のプランクトンが含まれている。暑い時、寒い時の生活のリズムをもなし、オホーツクがそれを我々に
恵んでくれている。カムチャツカ半島の先端に60万都市があり、その背後には富士山級の山が 5,6こ続いている。いずれ登山客が増えてこよう。カムチャツカから 2つ目のパラムシル島に柏原港があり、19t船が根室から行ってる。気象条件によっては予定通りには
いかないとのことであったが、私の場合は順調であった。そこの市長が 3月初めに来る。
 再び上記竹脇氏…大型クルーザー(一日60万円)を持つ、ダイワクルーズの紹介を受ける。これを使って取材した道新の相原氏が撮ったビデオを貸してくれる。

 午後 3時、千島歯舞諸島居住者連盟根室支部に浜松氏を表敬訪問。
 上記浜松氏…昭和30~40年半ばまでは根室まで流氷が来ていた。だから冬は沖に出られず、コマイ…文字通り『氷下魚』を捕っていた。『温暖化』と言っても北海道の中でも道東が最もひどく、四季を問わず温度差が縮まってきた。雪も多く、今までなら除雪に大変な費用がかかる。志発島にも流氷は来た。
 根室管内の漁は■去年秋サケは不漁■雪の年に豊漁の羅臼のスケソウも不漁。
 自分も拿捕され二か月程サハリンの豊原に収容されたが、気持ちの中に敵愾心を持ってはいけない。ビザなし渡航で北方四島の正しい歴史・開拓のことを知ってもらおうとしたが伝えられない。私が行ったのは10月 5日でエリツィンの後。交流そのものは変わらないが会話はできず、代表者の挨拶のみ。夜の交流も通訳が足りない。(45人の参加者に通訳4人)今、連盟会館内で毎週月曜日にロシア語講座を開いている。若い人が多い。ホンネを言えば、返還されたら帰っていただきたいが、今そうは言えない。
 エリツィンは千島を経済特区にしようとしているが、各国の大資本が入ったらどうなるのか。外国資本が入る前に、国・道が四島のインフラ整備を援助すべき。サハリンとは経済交流するのに、四島とはどうしてだめか。
 浜松氏は理事長として報酬は受けていないと言う。様々な困難を抱えつつも、打開できない苦渋が感じられた。<以上山邨記>

93,2,11(木)建国記念日
 朝食後スケデュール打合わせ。
 午前10時、得納氏宅を花咲港に訪ねる。
 <山邨伸貴報告>上記得納氏(59才)…昭和 9年 2月14日生れ。
 昭和22年13才で色丹より本土帰還。日本では新制中学制度の発足の年。
 島での記憶は海・山の自然、放牧の馬を乗り回したこと。
 島には三度渡航ー■昭和42年、墓参で歯舞・色丹・択捉。相手に刺激を与えないため、墓参りのみ。■平成 2年■平成 4年、ビザなし渡航の先発隊として( 5月)。印象…色丹は将来は観光基地に向いている。島の人口は 7,8倍になっている。(戦前の写真、戸別地図、色丹漁業会の記録、漁業権文書などあり。魚種28記載アリ)
 元島民は 2タイプに分けられる■幾らかでも財産を持って脱出した人■ 2年なり残留してサハリン経由で辛酸をなめて帰還した人々。共に運動を共有できるだろうか。
 混住の可能性は難しいと見る。ロシア人の勤労意識はコルホーズの一員としてのノルマや時間性労働にあり、日本人と違い過ぎる。

 父は陸軍大尉、母と姉婿が漁業を営む。色丹で一、二を争う規模。主として捕鯨の肉を買い、鯨油と鯨カスにして売る。
 色丹会はビザなし渡航の先駆け的活動をしていた。それが色丹の小学校の子供達との
文通であった。しかし当時は異端者扱いをされる。ゴルバチョフ来日前に色丹の人々と協力して、日本人の共同の墓石を作ろうとした。墓石の土台は色丹サイドが、墓石そのものは日本の色丹会が作るとまで。しかし外務省は許可を出さず不成立。 
    
 最近の根室市
 現在ロシアから輸入されているウニは潜水漁法で採っている。
 島のロシアは拿捕や押収のさいにコンブ醤油の味を覚えたせいか、花咲港で醤油を買い求めて帰る。四島には出回っているようだ。
 四島で景気の良いのは運搬船の船員。漁業コルホーズの労働者の何十倍、エリツィンの三倍にもなる。彼等は円を持ち、花咲港でも買い物をするが、日本人、うちのかみさんなどは後回しにされる。
 四島に行って漁業をやりたい人は沢山いる。しかしこれと漁業権の補償を要求することとは矛盾する。その間隙を縫って、根室の大手は、裏で資源をとりつくしつつある。元島民の間で生産組合を作る話もある。
 箭波発言について…。昨年サハリンでの対話集会で箭波理事長は「混住する」と明言したが、援護対策の委員の大半は「混住は認めない」と反対意見を持っていた。但し「…残りたい人は受け入れる」というものだったはずだ。箭波氏の発言は短絡したものだ。基本は「四島返還」であり、国民全体の意見ーなぜなら全都道府県で決議されたからだ。
 合弁事業について…。ロシアとの合弁は51対49。サハリンで友人がレストランを経営している。社長はロシア人。日本から副社長を送り込んだが、溶け込めずにいる。金を見せつけながら、しかし渡さないようにしているとか。もっともロシア人の上をいく日本人も大勢いるようだ。
 千島歯舞諸島居住者連盟というのは自前の組織じゃないところがある。総務庁、道庁の補助を受けており、自腹は20%ぐらいだ。 2,3年前、「北方海域権益保全協議会」(略称ホッケンキョウ)というのが設立された。「異端者」の団体視されて認知されず、残された漁業権の保全の運動をやっているが、要求が実現されるとは限らない。私の考えでは、終わって何も残らない運動はやらない方が良い。

<サケ・マス漁の撮影について>
 正面から言えば、撮れるという話だが、根室では簡単に行く話ではない。札幌の北海道水産会にでも頼んでいく方が良いだろう。対ロシアの窓口で、サハリン、極東のひとびととの調整をする部門がある。
 根室をはじめ道東各漁協は四島返還問題については冷やかな目で見ている。戦後、狭い漁場を引揚げ者に分けて救った。「四島にかつての3000か統の定置が戻ったら」と危惧する声が強い。しかし私は「全部の漁業権が生き返ったとしても、消費に見合った量しか捕れない。日本の漁業には調整能力があるはずだ」と言っている。
 「特攻船」の問題の根には根室海域に、求める魚がいなくなっているという現実がある。3000~3500万円の 5トン未満だが、30ノットの船が、三角水域・色丹島沖でかなりの水揚げをしている。このような者のなかにはヤクザ・犯罪者と漁協に属している漁民の二タイプがあり、経済力のない人が暴力団と繋がりやすい。

 サケ・マスの合弁企業は「合同海産」で全鮭連傘下。これがロシアの現地住民をチャーターする形で漁が行なわれている。概ね中型船だ。今回のサケ・マス違反操業事件の結果、小型が合弁操業の枠に入りたがっているのに対し、中型船は「そりゃそうだろう」と一応理解を示す態度を見せているが、腹の中では合弁の枠には入らないだろうと読んでいる。というのは、19トン船にはロシアの監視員の入る船室はない。蚕棚のようなところに彼等が寝泊りする。居心地が良いはずがない。それでも今までは毎年小型船は 5,6隻は入っていたが…。その点、 100トン以上の中型船にはスペースがある。個室が用意されている。ロシア側は中型船しか相手にしない。それを中型船の船主たちは読んでいるのだ。彼等自身、19トン船との仕事を嫌っている。もう19トン船が合弁に参入することはないだろう。
 歯舞漁協(織田常務)…定置船19トンくらい。
 落石漁協(板倉専務)…コンブ、カニ、ホタテ。花咲沖の島、ユルリ、ムユルリ島はここの管轄にある。

 昼、いずみ屋で昼食、午後ホテルでスケジュール検討。

 午後 3時30分、西田貞夫さん訪問。 2時間話を聞く。
 最近、経済交流が優先され、返還運動は風化してきている。
 「北方領土の日」の子供の意見も 3年前とは全然異なり、返還ムードがなくなってきた。「友好」をいう子に賞が与えられる(事実は逆)。
 箭波光雄氏が発言した「あなた達(現島民)と暮したい」は返還不要に、「私達のような、あの時の気持ちを味わせたくない」は島から出ていかなくても良い、に繋がる。後者は、あの戦時下と今とを混同した発言である。
 元島民には三タイプある。
1、戦前に島にいて、終戦前に帰った人…島に愛着がない。
2、財産を船に積んで帰ってきた人。
3、戦後 2年経って、樺太経由で帰ってきた人。
 …本当に苦労した。私は小学 4年で終戦、小学 6年で島を離れた。現在57歳。
 今の65歳以上の男性は戦争に行って、殆ど島に居なかった。55,6歳~65歳の人が一番島に愛着を持っている。子供のころの思い出、家を持っていて、いつでも帰り、そこに寝たい。45年間、夢では何回も行っている。
 根室は反ソの町。昨夏、四島の子供がビザなし渡航で来るのに際し、市民からホームステイを引き受ける希望者が一人も居なかった(一か月前になっても)。結局色丹会が中心になって面倒を見た。反ソ感情は海で痛め付けられたから、中型サケ・マスの人で10年前に倒産した人は「奴等ソ連人に会社を潰された」と思っている。

 戦後 2年間も島に置きっぱなしにした事を、政府は謝罪すべきだ。

 色丹島の教師への手紙「あなた達より早くから住んでいた。そこに戻りたい」。
 教師からの手紙「島は日本に返還されるでしょう。だけど私達も島に住みたい」。
 ウクライナ人の苦悩…四島の人口の1/3を占める。去年の11月、本国への帰還命令が出る。 5年以内に帰国せぬ場合は国内の財産を没収するという。
かつて四島に住むロシア人の収入は本国の 5倍。しかし現在の四島における生活格差は異常。漁をする人、運んで売る人、車などの仲買をする人は金になるが、それ以外の人々は物価高で生活できず、早晩、島を去るだろう。
 去年、兎の帽子、87ルーブルが、今 5万ルーブル。
 ばふんウニ…コンブを食べるが、集中していると餌が十分に取れないので分散してやる必要アリ。四島のウニは採り盡くしの可能性がある。しかしロシア人には休暇が多い(年に 4,5か月も)ので、資源は保護されているのかも知れない。

 島には斜古丹、穴間に船団がある。漁業コルホーズの原料はカムチャッカから来ている。船団長…ソロコフ・ゲンナージ(59歳)。

 根室の漁師はもともと夏だけで(1年間)食えた。しかし船は20年前から1/3に減った。かつての根室は原料供給地でもあった。
 <根室市の加工業>
 冬のマダラ…三枚におろして東京に卸している。
(原料供給地として)スケソウ…タラコを取って、身は十何年前からミール(養殖用飼料)サケ…フレーク、ふりかけ。
 サンマ…大きいのは食料用として生で送るか塩漬け。130g以下は缶詰原料として釧路の「日ロ」や「マルハ」などへ。(根室市には缶詰工場はない)。80g以下はミール用として釧路へ。
(不漁魚種)ニシン、サンマ、イワシ、サケ(寄りつかず、形も小さい)。
(以上山邨)

 土本記
 西田さんに苛立ちの色が濃い。かれの島からの引き剥がされ方がある。それが人に受け止めてもらえないことに腹立っている。前に会ったときに見られた、ロシア人島民へのお人好しの面が殆ど無くなった。一方、国への呪詛がモグモグとあり、いささかグロテスクな屈折を感じた。根室市民への不信感が「子供交流」で高まり、子供の発言にすら傷ついているようだ。繊細な神経の持ち主だけに痛々しく思える。

 夕方の竹村孝章氏の約束、来客といってキャンセルになる。休日だから、こちらの方は恐縮する。

『されど海』シナハン日誌ー3(93,2,12~2,14 根室市そして紋別へ)

1993,2,12(金)快晴のち小雪
 午前10時、照井二郎氏宅訪問。択捉島行きなどの話を聞く。
(山邨伸貴記)
<家族の事>国後脱出時の新事実…ロシア兵に襲われた時のために、母と妹が毒マンジュウを用意していた事。東京でひらかれた「北方領土の日」に、これを妹が体験発表した。
<前回インタビューの訂正箇所>
 ・ロシア兵がウサギにやった黒パンを、収容所の日本人が食べた。
 ・千島歯舞諸島居住者連盟の地域別の役員構成比が、四島の人口比に較べ、歯舞が国後の12倍に当る…。

 サケ・マスの経営者として、大卒の跡継ぎを持ちながら、減船させられた経済的苦境から、「生きる権利」を自ら行使した。昨年、商社より委託され、サハリンに赴いたが、その場で、実は択捉島行きであることを知らされ、一念発起して島に行ったら大歓迎を受け、延べ一か月滞在した。以下、印象記。

 「民間外交」を通じて、何故ロシアの経済が落込んだかの自説をいう。曰く「軍事費に70%も掛けることに、その因アリ」と。
 四島の若い人達に意気込みあり。「10年で復興する」という氏に、若い人、否定、「半分くらいが怠けものなのでどうか」という。
 日本からの経済援助を考える上で、四島の実態を知る必要あり。
 「四島の人は、それほど困っていない。服装など見れば分る」(氏のスチール拝見)
 サハリンの人も四島については冷やか。「島民はマル万人、サハリンは何百万人」。
 道路事情…択捉島は紗那~天寧,国後ではフルカマップ周辺のみ舗装されている。もし国後で道路整備がなされたら、1時間で縦断可能。温泉もあり、観光地として有望。
 しかし、返還前に日本が経済援助し、四島のインフラを整備すれば、大陸から大挙、人が訪れることのなろう。
 四島の島民の40%は軍関係のウクライナ人である。すなわち一万人のうち四千人は、本国へ帰国すれば、近いうちに島民は減る(返還前に経済援助しなければ、人口減になるという事か)
 元島民は一万七千人、既に40%の人が亡くなっている。意見を聞くと、島に行って仕事をしたいのはせいぜい十人に一人だ(四島の人口の空洞化を予測か。氏の私案では現島民の民有地を、日本政府が買上げ、補償することを考えているようだ)。
 サハリンのレストラン「ソウル」の開店時に日本人で招待されたのはマルハのスノウ氏と照井の二人だけ。
 日本との合弁に三つのタイプがある。
1、施設を作って、見返りを貰う。
2、金(商品)で買う。
3、技術指導し(商品を)買う
 氏は「水産物」と「石油開発」(交渉中)が主な仕事。サハリンでのビジネスはまさに戦国時代。有利な条件がわきからでてくれば、契約もホゴにする。山師のような日本人もばっこしている。日本人がロシア人を変えた。

・活カニは良くなってきた。(択捉島の写真…18隻の大型運搬船、漁業関連の製品積載)・サハリンから天寧まで飛行機で1時間 5分。
・四島での塩は岩塩…ボイラーで液化後に精製。
・ギッドロス・ツワイ社(漁業、土木。観光)、元国営企業による別飛工場建設中。従業員数百名、社長ベリホフスキー。ドイツ製自家発電機があり、保養地を作る計画がある。・漁業指導…沖獲り、流し網は好ましくない(ロシア側)。日本の流し網にオロロン鳥やオットセイ、イルカが掛っている。
・コルホーズの施設は原始的だが、原理にはかなっている。魚を工場に送るさい、トイの落差を利用していたなど。
・泥棒が多い事。
・民間交流のルーツとして、テンプラや塩辛を作ったり、スジコに醤油をつけて食べることなどを教えた。<山邨記>

 正午、ホテルで昼食後、午後 1時、竹村孝章氏にレストランで会う。参考になるレクチャーを受け、札幌のロシア領事館への紹介を受けるための手順を決める。17日に彼は総領事に面会の予定。

 今まで、延べ 470隻の船で 1万人以上のロシア人が来日、交易が始まった。ロシアに領事をS63,9月に根室へ。S63,2/4「相互主義」がはずされ、ロシアの外交官が入り込むようになった。
 対ロ関係の交易は日ロともブロ-カ-、商社、実業家は交易できる状況にない。
 根室の位置ずけ小さすぎる。47年間返還運動やってきたから、これから経済の恩恵を受けるのは根室だと市長は言うが、一市四町で交易すべき。
 根室にしかない情報を持つべき。よその町と同じ事をやっていたら絶対負ける。
 JTBのサハリン行き直行便を企業ベ-スでやろうとして荒井氏と反対。やるなら一市四町協力でやれば手伝うが。3/30に国際便につながる。港はビザなしで根室とつながった。 環境急変したのは目に見えない努力があった。市長「相互主義撤廃」願いにいったが返事も貰わず。自論展開する政治家いない。竹村氏「北方領土は外務省がやればいい。たかがウィーン条約に違反したからといって、互いにイジワルしっこして、自分の同僚を守っているだけじゃないか、相互主義というのは。」ナホトカ、ウラジオ解放されたということで段々ロシアのやった犯罪=ウィ-ン条約違反がなくなりつつある。それでもロシア領事館にはいるときに「何の用事で来た」とか「どんな話をした」とか過剰警護がある。(日本側で)令戦後意味がない。領事館を音楽会、展覧会に解放している。警察、公安10人入る。そして客をチェック。アンバランスなことを総務庁はやっている。それではいけないと調査をしているのが総理府。調査をしているのは一番物分かりの悪い外務省の職員。このことはほとんどの国民には知られていない。
 荒井氏が根室で話しても、聞いて解釈できる人がいない。四島が帰ったらどうするかと夢のような話をしているが、 17000人の引上げ者のうち 10000人が亡くなっている。住みたい人はいない。むしろ行って経済効果を上げたいのは若者。領土問題は政府の言う返還は大きく崩れている。一兆、二兆というが、大した金額じゃない。船舶振興会が何十兆円の 3%を手にしている。   
 四島、この二年、カニがいない。毎週、何十隻の船を見ていると、日本政府は自分の足を食っている。ほっとけば漁業資源が膨れ上がった。日本が乱獲した漁業をロシアが規制した。そういう状況を保存すれば四島の財産はそのまま残った。
 今、カニを解放したために無くなる。次はカニを取る技術者を探すと、昔日本のカニ漁船を獲りしまったロシアの監督官が知っている、当時の海図、越境証拠を押さえているものが、乗り込んで来ているので、取り付くしてしまうのでは。段々、ロシアは綿のロープから日本から化繊の漁具がカニの代金と共に支払われ、深い場所のカニを取るようになった。(ズワイガニ、アブラガニなど)
 日本人は活ガニが一番高いと思うが、中毒をおこしやすい。カニは硫化水素ゆえ自己分解をおこす(空気に触れると)。海水から上げると、息はしているが自己分解して肩の肉がなくなっている。そんなカニを持ってきて、日本で販売ル-トに乗せている。カニを獲ったら、甲羅を外して、海水で洗って炊けばいい。食性がちがうため、ロシア人がえらい苦労をして持ってくる。ロシアはカニの一番息のいいうちに分解して、たくことが一番と思っていたが、日本では生きているカニが一番高い。生きたカニが一番高い。生きたカニを求めたばかりにサハリンのカニが持ってこれない。それで四島のカニを。サハリンのカニはアレキサンドルスキ・サハリンスク(間宮の中間)では50年もカニを獲っていないので 7キログラムくらいのカニもいる。しかし四島はカニ獲らないといってもここ数年密漁をやっている。四島はカニ資源が豊富ではない。ロシアが自由にとれば 1,2年でなくなる。カニなくなったら何がある。自然、資源保護の考え方は、ロシアがずっと進んでいる。しかし食わんがためには余裕なし。金が必要。7000万払って各民放にサッカ-交流の特番を 2時間オンエアで成功。その後、ジャ-ジ2000着、靴4000足をサハリンに送り込んだら行方不明。送るなら数か月前、こういう試みがあるとサハリンのTVに流して、悪いことをしようとする人にプレッシャーをかければいい。物が先に行けば、4,5人の関係者が悪事を働けば、日本の金に換算、何億円もの金が転がり込む。飛行機代、モスクワ、ユジノサハリンスク間4000ルーブル(1600円)、ユジノサハリンスク、ハバロフスク間 600ルーブル( 200円)。ジャージなど何千ルーブルで売れる。モスクワ、レニングラードの人のほうがもっと腐っている。
 安易に交流状況が好転したとか、港を利用してもらったとかビザなしの後に経済交流がおきたといっているが、所詮、自分の国の足を食っているわけ。この部分に気付いている人はいない。四島のひとびとを含めて。この人々のやっていることで、四島の人に金の入るわけではない。
 四島の新聞社(「国境にて」「赤い灯台」)はあるが、知ることができない。自分の生活で目いっぱい。給与体制は限界にきている、秘密警察がいる。罰せられないが干し上がると。
 根室にロシア人が来て、大売り出しで10万円当る。月2000円の給料の50か月に当る。
 返還に照らしてみれば、日本政府は抜本的なことをしなくちゃならない。根室のひとびとは去年までとは違い、ロシア人とは接したがるようになっている(例えばロシア語講座、無線連絡)。と、返還は薄らいでくる。5000万人の署名を貰いながら、いまだに総理府はビザなしの参加者を限定。民間人から三人の枠(市長、議長、竹村)、しかも身分を隠せだ。これには大反対し、去年四回断った。その選別自体がおかしい。そこを突っ込まれると、ビザなしの枠を拡げるとか、去年、送り出しは総務庁、迎え入れはは、ない。地元の市町村と親善団体がやった。経費はだれもくれない。島が返るかも知れないと根室市の方で負担し、われわれの団体で面倒を見た。政府が何10億円をかけて造った岸壁を、ビザなし渡航に貸してどうする、あくまで貿易に使い、交流のために特別の港を造れと政府にも提案した。

 午後 3時半、箭波光雄氏宅訪問。現役ではないと固辞しがちな氏から協力を取付ける。
 日ロの歴史…アムールから、渡り鳥の交流を通じ、海は繋がっている。自由主義を標傍しても、統制経済のTOPがロシアに居残っている。すぐには一緒にはなれない。元島民としての考えとしては、世界中で仲良く生きなければならない状況で、「日本だけ良ければ」では成り立たないと体得している。しかし政経不可分の建て前の中で返還を叫び続けてきたが、最近の情勢では、国を司る人の話はともかく、独立国家の対面を成していない。ロシアに異論を言わないなかで、ご機嫌取りな話に終始している。
 われわれは返還を第1義的に考えてきたが、長い時間の中で、こうなくてはならないと体得してきた。国も方針の転換も併せて考えていかなくてはならない。しかし政経不可分を錦のみ旗にして、元島民の生きる権利・主張を封じ込めようとしている。
 国はロシアにたいし、いい顔をしてやっていることが、元島民としては許せないし、強く要求しなければならない。だんだん元島民は少なくなり、官僚各位のやり易い方向に進んでいる。やはりホンネが歴史に残るものを作っておく必要があるし、その主張に変わらざるものがあるべきだ。…しかし今はすべての職を退いたので。
 土本…元島民が少なくなっていく中で、「ご隠居の知恵」が要るのでは。
 現在のロシア島民と経済交流を進める必要もあるし、仲良くしていく事に異論はない。但し、昨年のビザなし渡航を通じて、まず第1便が四島からきて以来、私の言っている事は「忍び難き47年間」に就いてであった。外務省の補佐官も聞いていたが、「よくぞここまで言った。途中からロシア島民の顔色が変り、ぶるぶる身震いまでしていた。何処へこの話が収まるのか心配だったが、よく纏まった」。私は真実を言っているだけだ。
 「今、われわれは返還になっても、あなた方を追い出す訳ではない。しかし、こう言えるまでに幾多の会合を開き、苦悩もあった。強硬な意見も大多数だった。しかし徐々にわれわれが味わった苦悩を転嫁しないとまで言えるようになってきた。返還後はともに開発。大陸の戻る人には補償を日本政府に掛合う」
 中学生の弁論では、領土の返還より仲良く交流しよう…これが世の中の動きなら異論は挟まないが、今までの経緯をロシア島民にも知ってもらいたい。ただ、過去を省りみず、交流すれば良いとの考えでは駄目だ。過去を知ったうえでの握手は、もっと絆が強い。
 しかし、第2便以降は、行政の長が団長で、返還の「へ」の字も出なかった。ただ交流すれば良い、その中に、元島民も何十人も混じっていたが、役付ではない。発言しようとすると遮られたという。私の時は止める人がいなかった。2回以降の元島民の不満は全く反映されず、交流の成果のみうたわれた。私が行った時に会った現島民は一握り、それ以外の人にも伝えなくてはならないのに、役人の時間規制で不可。団長の挨拶のみでダーッと行って、ダーッと帰って来る。成果ありと称して、毎年予算は増やして、さらに交流を深めようとしている。
 しかしビザなし渡航の話がでた時に、「返還」が風化する虞を主張したが、それが現実味を帯び、「返還」を言う口を封じられたも同様。
 ロシア島民が日本に来て接待され、土産も貰う(返還せよともいわれないー山邨補足)、そうすればロシア人は、島はわが国土と思い、いまさら島を去る必要はないと思うだろう。日本政府は体面を潰さない交渉ができるはずだ。政経不可分と言いながら、元島民の頭を押さえて交流を進める姿勢に憤りを感じる。
 私らが行った時は、返還すべきだというロシア島民の団体が色丹島でもできた位だ。彼等は「そんな経緯は指導者から知らされて居なかった。何故元島民が居なくなったかも聞いていない。ここの今の生活は酷いから、日本の人たちとともに開発したい」。だが第二便以降はスマイルのみ。
 カニなどを船員に持たせて日本に売れば好きなものが買える。日本は宝島になった。しかも返還を言わず、好んで返そうというロシア島民も居なくなった。サハリンのフィヨドロフ知事は強気になり、今や日本の大手40社と経済交流提携をした。しかもサハリンだけでなく、四島をも開発する権限あり、とまで発言している。われわれの頭だけを押さえるのではなく、政策転換していくべきだ。
 土本…ビザなし渡航は旧・現島民の対話が目玉だった…。
 ーわれわれが望んだのは、プレハブでも良いから、各島に宿泊施設を一つづつでもいいから作って欲しい。船上泊だと、上陸している時間がなく、団長の挨拶で終わってしまう。しかし、それも実現させない。
 土本…昨年、横路知事とサハリンに行ったとき、アイヌの人が発言したが…
 ー1855年、日本政府の事情で、色丹島にアイヌが集められた歴史があるから、彼等が色丹島を要求するのはその通り。われわれはアイヌの領土でないとは言っていない。私らは、アイヌがすでに大和民族に同化した後の世代で、しかも「アイヌ」は差別用語だと教えられてきたものとして、いままで意にかけなかった。アイヌの人口は 27000~ 28000人、道のアイヌ関連の予算は何10億。
 <海について>
 養殖の魚に比べ、荒波に育った魚は身が引き締まっている。
 <子供のころの思い出>
  3月、干潮時、岩場の水溜まりの藻の中に魚がいた。

 夕刻、フジTV企画制作局の宗像孝君、ホテルに到着。主要なテープの試聴を勧める。
 たまたま竹村孝章氏より差し入れの花咲カニ 5匹をレストランで食べる。満喫する。夜遅くまでかれにそれまでの経過を話す

1993,2,13(土)小雪、のち晴れ、午後より雪、
 午前 9時、イーストハーバーホテルをチェックアウトし北上。
 ”10時半、標津サーモン科学館に行く。案内付きで見学。モダンな設計で且つ学習的なディスプレーに感心する。
 国鉄の廃駅前の食堂で昼食後、再度サーモン科学館に主任学芸員小宮山英重氏を訪ね、サケ・マスのレクチャーを受ける。談笑 2時間、極めて親密な関係を持つことができる。 サーモン館小宮山英重氏の話(稲葉光宏記)
・根室に鳥の生態観察をしているタカダマサル氏(民宿経営)、ヤマモトスミオ氏(シマフクロウ観察)がいる。
・流氷がきている時期の砕氷スケソウ船の網こぼれ魚を餌として、羅臼には世界一ワシが集まる。(オオワシ、オジロワシ)しかし、スケソウ取り過ぎの影響もあって、全土に散り始めている。
・道東は大型野生生物が(シカ、タンチョウ鶴、熊)が日本一見られる場所。
・小宮山氏の専門はサケ科の繁殖生態、生物地理、サケ科魚の生活史、繁殖戦略(子孫作りの行動)、淡水魚の分布についてなど。
・野付の厚岸花園は七月上旬時期素晴らしい
・流氷がくることによって、波がなくなり、海水と淡水(栄養塩)が混合し、プランクトンが活性化
・ 100年の歴史がある白ザケ養殖事業は1970年に完成した。近年、四年間連続で4000万匹の収穫(自然産卵による最高値は明治22年の1100万。)しかし昨年、その 2/3に落ちた。今年も落ちる見込み。しかし、これは生物界の法則であって、資源の維持という観点から見て2000万匹がベストではないかとの私見。
・根室市教市立博物館準備室のコンドウノリヒサ氏が北方四島自然についてくわしい。
・国後にはゴミがないため、カラス、がいない。
・サケの回帰年齢順位(道内)一位は四年魚(六割)、二位は三年魚、三位は五年魚、二年魚、六年魚はまれ。
・昨年度は回帰年齢順位一位は五年魚であり、その体長は四年魚と同じであった。一年ないし二年間、餌にあたっていないサケが増えている。(理由は不明)
・ウロコの分析により年齢と餌の量が分かる。(顕微鏡拡大50倍くらいで)
・シロザケは養殖に馴染みやすい。増えたことによって、餌の量が減少している。餌は、、クラゲ(サケの仲間ではシロザケのみ)、プランクトン、細長く銀色の魚類(オオナゴ、コナゴ、サンマ、イワシ)を成長するにしたがい食する。
・パ-クでの餌、45%魚粉、他にアミ(甲殻類に含まれるカロチノイド系色素がふ化しやすい赤い卵を作る。)
・ 0,3gで生まれたサケを安全確保し、淡水から海水に移行しやすい 1g, まで育てる。餌の豊富な放流的期に放す。(ここでは 5月下旬)
・放流に大して 0,8%戻ると総体量変らず。現在 4%戻っている。
・資源量として一番多いのはカラフトマス、そしてシロザケ。ベニザケ。キングサ-モンは少い。
 カラフトマスは体が小さく、身が柔い。脂肪分が多いため油焼け起こしやすい。安価のため、大量に取れても投げるしかない。船上での冷凍加工が間に合わないので。
・季節によってシロザケの呼び名が、トキシラズ、ギンザケ(正式多種在り)、メジカ、ケイジ)
・羅臼の定置網32か統。(羅臼のものは深いので一網一億円、一般は七千万円)機械化により一網 9人位、季節労働在り。これを株式会社組織にすることのよる資源の枯渇の回避、節約には障害在り。
・漁の混獲は一切許可されない漁協による規制在り。
・川の生き物の(イトウ、サクラマスの激減)が人口河川改良(淵がなくなり瀬のみとなり、休み、餌を待つ空間がなくなった)と川止めにより進んでいる。
・道淡水魚5,60種、大きめの川で2,30種、その八割りが川、海を行き来する。それが激減。標津川のウグイなど。
・ふ化撮影について
 館内産卵… 3日以内に瞬間をとらえる事ができる。
 自然産卵… 3日に一例(観察は一日一例)、ビギナ-は一週間一例。
・遡上のピ-ク… 9月中旬
 自然産卵…10/7,8~ 1月
 産卵展示…11月中

 午後 4時過ぎ、雪中、知床半島の根の峠を越え、斜里郊外に出たところでカローラワゴン、スリップ、ガードロープに引っ掛けられる。近くの蕎麦やからトヨタに連絡。代車の手配や斜里セントラルホテル宿泊の手順を取る。夜、北海道にきてはじめての鍋物で厄落し。企画について長時間議論する。流氷は夜の港外に迫っている。

1993,2,14(日)粉雪から快晴、夜小雪。
 1輌だけの列車に乗り、網走に行く。網走で小型バスを借りる。
 まず流氷を見る。地元としても流氷到着後の最初の休日らしく、観客が殺到している。午前11時発の流氷観測船に乗りたかったが、市民、観光客で満員、12時半の「おーろら」号にやっと席を取る。網走沖合1キロほどに帯状に姿をみせた流氷を体験する。シャーベット状や蓮状、そして厚みのある雪をのせた氷塊などの形状の違いを知る。
 午後1時過ぎ、オホーツク流氷館を見学、瀬川順一さんの撮影になる『オホーツク物語』(15分)を見る。さすがにロングや空撮が良い。
 午後 3時近く、道立北方民族博物館を見学。アイヌを世界の北方民族のなかに位置付けた展示の方法に感ずるものがある。とくにイヌイットの映像にこの企画のヒントを得る。 午後 4時、ここで別れ、帰京する宗像孝君と打ち合わせのため小憩。 3月初めにサハリン、北方四島ロケハンのためのロシア領事館工作、札幌でのコネクションをつくるための来道を要請する旨の伝言をかれに口頭で託す。同君は中標津むけ移動。やはり道東は交通の僻地である。
  100余キロを飛ばして紋別に入る。夜軽い打合わせで翌日を企画整理と竹村孝章氏へのテレックス作成の時間に当てることにする。夜、食事の店でホッケのヌカ漬け焼きやサケの粕漬けを食べる。中年女性の酔っ払いが「東京・関東」に親戚のいることをくだくだ言う。最果ての地では東京からのひとはどっか身のすくむ気がする。
 紋別セントラルホテルに宿泊、ここで 2泊し、構想の整理に当てる。